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2019-08-18 09:28

津川雅彦氏は我先に逃げる者を一番嫌っていた


 現在発売中の週刊新潮8/15・22合併号に面白い記事が載っている。
高山正之氏の人気コラム「変見自在」、今回は「太郎は逃げた」である。
題名は兎も角、内容は色々書いてあるが、昨年亡くなった津川雅彦氏に関するものでもある。
この話は頂門の一針5137 号で知ったのだが、色々面白い。
私は普段週刊誌は読まないのだが、良い話なので今朝早速近くのコンビニで週刊新潮を買ってきた。朝6時のコンビニはその店のオヤジが一人で店番。人手不足なんでしょうねえ。商売大変です。


そんな事で、この話を引用したいと思いますが、最初に津川雅彦氏の最後の仕事がこれだった。

「ジャポニズム2018:響きあう魂」  2018年5月~2019年3月
2019-1-22ジャポニズム2018の一例
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1602.html

昨年フランスで開催され好評だった「ジャポニズム展」、これのイニシャル・コンセプトを担当したのが津川雅彦氏だった。素晴らしい仕事をされたと思います。

津川雅彦氏については、他にもこんなブログも参照ください。
【朝日の大罪】慰安婦“大誤報”「どうか見苦しく逃げ回ってほしい」 by津川雅彦 2014-08-19 



前置きが長くなりました。では高山正之氏のコラムです。
『週刊新潮』2019年8月15・22日合併号より

「変見自在」「太郎は逃げた」
        高山 正之 

 津川雅彦氏から電話があった。産経新聞でコラムを書いていたころの話で、面識はなかった。

 俳優にならないかという誘いかと思ったら全く違った。中東の話だったか、教えてほしいという。

 場所は神楽坂。小粋な店でひとときを持ったが、驚いたことに氏は酒を一滴もやらない。下戸だった。それで酒席を用意する。

 心配りに頭が下がる思いだった。

 億劫を知らない人でもあった。屋久島の杉の木立が体によかったと別の
席で話したら翌週にはもう屋久島を訪ねていた。

 こちらが辿りつけなかった縄文杉にも触った。不調も治ったと報告があった。

 そんな付き合いがあって最後の最後に、先立った夫人朝丘雪路との合同お別れ会の知らせがあった。昨年11月のことだった。

 会場には見たことのある男優や女優がそれこそ綺羅星のように居並んでいた。水谷豊と反町隆史の「相棒」が最前列にいて隣に岩下志麻がいて、少し後ろに上川隆也がいた。

 安部晋三が挨拶した。映画人は左でなくちゃという風潮を嗤う故人との付き合いを語った。

 それぞれが参会者をさざめかせる別れの言葉を語ったが、そのどれもが一人娘で喪主の加藤真由子の言葉には敵わなかった。

 彼女は生後5か月のとき誘拐された。当時、社会部の遊軍にいたから事件のことはよく覚えている。

 犯人は千葉の男で第一勧銀の彼の口座に「身代金500万円を振り込め」と要求してきた。

 当時、口座は偽名でも開設できた。おまけに端末を特定するオンライン化はされていなかった。犯人は好きに身代金を引き出せた。

 しかし第一勧銀のシステム・エンジニアは日本人だった。端末を親コンピューターに繋ぐ作業を徹夜でやってのけ、翌日の開店時間に間に合わせた。

 犯人がどこで引き出そうが即座に場所を特定できた。そして翌日正午、東京駅でカネを引き出そうとした犯人は捕まり、彼女は無事保護された。

 あのときの赤ちゃんが今マイクの前に立っている。

 彼女はまず母の思い出を語った。二人で三越の屋上に行ったとき、母は自販機に向かって「朝丘です」と言った。「ジュースを2本ください」と。

 おカネを入れた方がと6歳の娘が忠告しても「大丈夫よ」「朝丘です」を繰り返した。「最期まで天然のままの可愛い母でした」

 この話はテレビでも流されたが、続いて語った父、雅彦の話はなぜかどこも流さなかった。

 あの3・11の混乱の中で東電福島の原発1号機の爆発が報じられた。東京に死の灰が降ってくる風のデマが飛び交う中で父から電話があった。

 誘拐事件もあった。ずっと大事にされ、甘やかされてきた。だからそんな危ない状況を心配してのことかと思ったら大違いだった。

「みんな東京から逃げている。しかしお前は日本人だ。逃げようなんて思うな。そこにいて日本人らしく死ね」

 未曾有の惨事だ。それでも東電職員も消防署員も命を張って惨事の拡大を食い止めようとしている。

 どんな天変地異にも日本人は逃げなかった。みんなで助け合い、支えあって生きてきた。そういう日本人らしく「振る舞え」と父は言った。

 あの時、いの一番に現場から逃げたのは当の欠陥原子炉を作った米GEの社員だった。一目散に大阪に向かい、飛行機に飛び乗って米国にまで逃げ帰った。

 日本人でも逃げた者がいた。山本太郎だ。

 彼も大阪に逃げた。それでも足りずに「フィリピンに逃げる算段をしている」とツイートしている。

 騒ぎが収まると売れない俳優は反原発を叫んで政界に乗り出してきた。

 今は消費税ゼロのいい日本を実現すると公約する。

 でも彼はその日本をかってあっさり見捨て逃げっていったではないか。

 言い忘れたが津川雅彦氏は我先に逃げる者を一番嫌っていた。

<引用終り>

つくづく思います。惜しい人を亡くしたと。ご冥福を祈ります。合掌。

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2019-06-17 17:33

矢ノ川(やのこ)峠の思い出


 この所重い話題が続いたので、今日は思いで話でも。

私は峠道を走るのが好きである。峠を越えた途端、ぱっと広がる景色とそこを苦労して歩いた人の思いが感じられるわけで、そんな中でも特に思い出深い峠として、「矢ノ川峠(やのこ・とうげ」」がある。と言っても実は今までたった一度しか行った事が無い。そして多分二度と行けないであろう、そんな峠の思いで話を書いてみたい。

紀伊半島を走っている国道42号線、この道の三重県尾鷲市から熊野市へ抜ける所。現在は矢ノ川トンネルという長大トンネルで簡単に抜けられるが、今から50年ほど前までは海抜807メートルの矢ノ川峠を越える大変な悪路だった。

丁度50年前のこと。「尾鷲・熊野間の矢ノ川峠に新トンネル開通。悲願の陸の孤島解消へ」、こんな報道を目にした。この国道42号線の新トンネル、開通は今回改めて確認してみたが昭和44年(1969年)4月6日だった。

私がぜひ新道開通前に行って見ようと思い、3月末にその矢ノ川峠に行って見た。

最初のどんなところか。当時の地図で見てみると。

アルプス出版社 道路地図 昭和44年3月1日刊
2019-6-15昭和44年の道路地図2

この地図は珍しい地図で、昭和44年4月には矢ノ川峠の新道開通で旧道は廃道(市林道)なのだが、両方書いてある。尚矢ノ川峠部分は見にくいので下に拡大図を載せました。
もう一つ、現在の地図帳には有りえない表示だが、道路が舗装路・砂利道・通行困難と分けて表示してある(一番下の部分)。


これが矢ノ川峠周辺の拡大図

2019-6-16尾鷲熊野周辺地図S44年拡大図最終版


さて矢ノ川峠です
これが、現在の国道42号線と旧道との分岐点。尾鷲側です。

2019-6-16矢ノ川峠旧道入口
(グーグルアース、ストリートビューより)

この右側に見える細い道が旧国道42号線です。この道を昔はバスもトラックも走っていたんですね。今では小型の四駆車なら辛うじて峠までは行けるらしいですが、通り抜けはできません。

正面に高い山が屏風のように立ちはだかっていますが、矢ノ川峠は正面の山のさらに向こうに有ります。峠の標高は807m(地図では808mになっている)。
この辺りで標高は257m。ここから矢ノ川峠まで、直線距離なら1.5キロほどですが、それで標高差550mを上ってゆきます。

此処からは古い写真。実はこの時は私は写真を撮っていなかったので、尾鷲市在住の矢ノ川小僧さんと言う方が書いている「哀愁の矢ノ川峠」と言うブログから拝借します。(借用了承済み)
哀愁の矢ノ川峠
http://yanoko.blog85.fc2.com/

最初はこの写真。尾鷲側から矢ノ川峠を目指して上る中間地点辺り(?)。写真の右上、丁度山の鞍部が見えますが、ここが矢ノ川峠。正面の山の絶壁の上部に左から右上に向かって細い線が見えます。これが矢ノ川峠に向かう当時の国道42号線。
この写真にはバスが写っていますが、昭和34年7月14日でこのバス路線は廃止(国鉄紀勢線全通により)となりましたので、それ以前のものです。
この写真が私の記憶にある矢ノ川峠の印象に近いものの一枚。

2019-6-16矢ノ川峠への道


雪の矢ノ川峠、バスを通すため雪道に滑り止めの石炭ガラを撒いています。
(この写真は大林正巳さんのアルバムから矢ノ川小僧さんが借りたもののまた借り)
2019-6-17雪の矢ノ川峠とバス

私がここを通った昭和44年3月末でも山の北側斜面を通るときには(日陰で雪が解けない為)、路肩に相当雪が残っていました。所々路面全体に雪が残り、走ると車が横にザザッと滑ります。所によっては右の崖側ぎりぎりまで滑って、大いに肝を冷やしました。(スタッドレスタイヤはおろかスノータイヤも無かった時代です)
この写真を見て、そうだったなあ、こんな凄い道だったなあ。そんな記憶が蘇りました。

尚この写真で良く分かりますが、この道路は対向車が来たらすれ違い不可能です。従って対向車が遠くに見えたら、手近な待避所で対向車がやって来るのを待たねばいけません。この写真の石炭ガラを置いてあるところもそんな待避所だったのではないでしょうか。

もし今こんな道が有ったら・・・。マナーの悪い連中が無理やり突っ込んできて、あちこちで喧嘩だらけかもしれません(笑)。

尚バスの話が出たので、これは矢ノ川小僧さんのブログに有るのだが、このバス路線が昭和34年に廃止となるのだが、その閉所式には当時の国鉄十河総裁が出席されています。こんな峠道がいかに重要だったかが良く分かります。
以下参照ください
http://yanoko.blog85.fc2.com/blog-entry-140.html


話を元に戻します。
そしてこれが頂上の峠の茶屋
2019-6-16矢ノ川峠の茶屋S33年10月

実は私がここを通った時、この茶屋があったかどうか定かでない。峠の茶屋は国鉄バスが廃止になって一旦閉店。その後も時々営業していたようだが詳細は不明。私のおぼろげな記憶では何かあったような気がするが、何せ半世紀前です。


そして矢ノ川峠からの絶景
この写真だけ、「奈津子のパトロール」さんより拝借
2019-6-14矢の川峠写真by奈津子さん

私が見た50年前の景色は、多分この写真が一番近いと思います。
唯々息をのむ景色です。
参考までに、正面に見える海は賀田湾。この賀田湾まで直線距離なら6キロほど。そこに標高差800mです。この山がいかに険しいかが分かります。



所で、ではこんな所は今どうなっているか。大きな変貌を遂げています。
これは現在の尾鷲-熊野間の道路事情

紀勢自動車道・熊野尾鷲道路の全線開通から1年
「命・絆・元気の道」そして東紀州を一つに
平成27年3月 東紀州地域高速道路整備効果検討会資料より

2019-6-16熊野尾鷲道路周辺
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisei/news/assets/pdf/topics/150225_2.pdf

尾鷲・熊野方面は劇的に便利になりました。特に尾鷲熊野間の国道42号線は雨に弱く、連続雨量300ミリで通行止めになります。上掲資料でも「平成26年度にも延べ8回、84時間の通行止が発生」と書いてありますが、今年に入ってからも5月にも通行止めが発生しています。
そしてこの通行止めは生鮮食料品などの物流にも重大な影響が有ります。特にこの地域は漁業がメインの地域。それだけに尾鷲熊野間が通行止めになると物流にも影響が大きいです。また観光客もスケジュールが組みにくく、この方面の観光が二の足を踏む原因の一つでもあります。
しかし、この熊野尾鷲道路の開通で通行止めでも迂回路が出来、物流の停滞も無くなりました。インフラの整備が地域にどれだけの好影響を与えるか、そんないい事例になりました。

所で。尾鷲はサンマの干物が美味しいんですよねえ。目黒のサンマは脂がのって美味しい。尾鷲のサンマは脂が落ちて身がしまって美味しい。間もなくそんな季節になります。オッとこれは脱線しました・・・。食いしん坊はいかんです。


そしてその新しい道路の完成で地域が様変わりしました。
上掲資料に紀勢自動車道・熊野尾鷲道路の全線開通(平成26年)について、こんなキャッチフレーズを書いています。
~「命・絆・元気の道」そして東紀州を一つに~

中でも何故「」なのか、先ずこれについて説明します。

南海トラフの地震については、その可能性が喧伝されています。しかしでは具体的にどうしたらよいか。特に尾鷲周辺のリアス式海岸地帯は湾の奥で高い津波が予想されています。しかし逃げようにもそれでなくても交通の不便な地域。そんな所に熊野尾鷲道路のような大きな道が完成したのです。万一にも物流も救急にも車が自由に使える。この安心感は大きいと思います。

他にも色々ありますが、思いで話が横道にそれそうなのでこのくらいにします。
紀伊半島は長いこと不便な所でした。それが変わろうとしています。そんな事で古い古い話を思い出したわけです。では古い話はこれにて。

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2019-06-06 15:41

阿比留瑠偉さんのFBから<つかこうへいさんのインタビュー


 産経新聞の阿比留瑠偉さんがFBで慰安婦について書いている。
つかこうへいさんのインタビューに関する記事で、2013年のFB記事を引用しているのだが、大変分かりやすく良い話だ。
記録の為アップします。

<以下引用>
https://www.facebook.com/rui.abiru/posts/2474113502633286
Rui Abiru
6 hrs · 
つかこうへいさんにインタビューしてから、もう22年か。状況は少し変わりました。

Rui Abiru   (注:以下は6年前のものを引用したもの)
June 5, 2013
 もう16年も前の話になりますが、直木賞作家で在日韓国人2世でもあったつかこうへい氏に慰安婦問題についてインタビューしたことがあります。つか氏がご存命ならば、現在のぎすぎすした大騒ぎをみて、どのようにコメントされただろうかと思うのでした。著書執筆に当たり、元兵士や慰安所関係者らに取材を重ねたつか氏が、率直に語ってくれた言葉をいくつか紹介します。

 《ぼくは「従軍」という言葉から、鎖につながれて殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的付き合いもあった。不勉強だったが、ぼくはマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた》

 《悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は「従軍慰安婦」という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった。彼女たちの境遇は必ずしも悲惨ではなかったことが分かった》

 《日本はよくないことをしたし、中には悪い兵隊もいただろう。でも、常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったり蹴ったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏をつくろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど》

 《人間の業というか、こういう難しい問題は、自分の娘に語るような優しい口調で、一つひとつ説いていかなければ伝えられない。人は、人をうらむために生まれてきたのではない。歴史は優しい穏やかな目で見るべきではないか》

 つか氏の著書「娘に語る祖国 満州駅伝--従軍慰安婦編」はお薦めです。でももう、一般の書店には置いてないだろうなあ。あれからこの本は忘れられていく一方、マス・メディアの慰安婦問題への反応はたいして進歩していないのが残念でなりません。

<引用終り>


今の若い人は慰安婦問題の本質を知る機会が少ないと思います。こんな短い一文で問題の本質が見えてくるのではないでしょうか。

尚、つかこうへいさんが書いていますが、「慰安婦の主流が日本人だった」、こんな事がどうしてその後さっぱり報道されなくなってしまったのか。
理由は簡単です。日本人女性はたとえこんな事をしていたとしても、その後ピッタリ「口を閉ざし」ています。更にそれを知っている人も何も語りません
実は私も従軍ではありませんが、その手の仕事をしていた人を知っていますが、本人は勿論何も語りませんが、周りもその事は何も言いません。そしてその方は地域の人格者の方と結婚され、幸せに暮らしていましたし、周りもそれを認めていました。
これが日本人なんでしょうね。

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2019-05-22 17:33

津輕の印象<太宰治のこと


 青森で三内丸山遺跡を見てきたのだが、青森、津輕と言えばどうしても太宰治を忘れる訳にはいかない。三内丸山の次に太宰治の生家「斜陽館」を見てきた。

斜陽館
2019-5-20斜陽館1

2019-5-20斜陽館2

凄い豪邸である。


所でこの斜陽館に行く途中で「アレッ」と思ったことがある。実はその事には私の若いころの経験が絡んでいる。もう古い古い話だが、私が20代の頃、青森県に来たことがある。
本当は北海道一周ドライブを考えていたのだが、今日のように高速道路網が出来ている訳ではない時代(東名高速が部分開通したばかり、東京までは全部下道の時代)、まず手始めに盆休みに名古屋から青森まで車で走って行き道路事情を確認しよう。翌年北海道一周だ。そんな事で青森まで行きました。
そしてどうしても見たかった所が竜飛崎、丁度青函海底トンネルの工事が始まったばかりなので、そこを見たかったわけです。


青森から青森湾・陸奥湾沿いに(右手に海を見ながら)北上すると蟹田と言う町に着きます。そこから海岸沿いを離れ、山越えの道を進み、三厩(みんまや)を越えて竜飛崎に着きます。

2019-5-19津軽半島の観光地図

蟹田の町は上掲観光地図で「津軽鉄道」という吹き出しが有りますが、その「道」と言う文字の上あたり、鉄道が左に折れ曲がっているところが蟹田の町です。

この町で道を聞こうと車を止め、地元の人に聞きました。竜飛崎に行きたいが、どの道が良いか。
地元の人は親切に教えてくれましたが、それより車のナンバーを見て「名古屋から来たのか、懐かしいなあ。俺も名古屋にいたことがあるんだ。今の名古屋の様子を聞かせてくれ。」そう言いだしました。そしてちょっと待てと言って家の中に入って行き、大きなスイカを一つ持ってきました。「丁度冷えている。珍しい客人が来たんだから、まあ、スイカでも食べてくれ」。道を聞いただけなのに、小一時間そこでスイカを食べながら話をしました。何せ昭和40年代です。車そのものが珍しかった時代。津軽の人は親切なんだなあ、そう思ったわけです。
こんな事情で青森・蟹田・三厩・竜飛のルートは私には思い出深い道。


所が今回三内丸山(青森市)からナビを頼りに斜陽館のある金木に行こうとすると、蟹田の大分手前から左折し山道に入ります。この山道、走ってみるとどうも道の感じが私には違和感がある。昔から人の通った道ではなく、比較的最近できた道のように感じるのです。

それでも人知れず桜が咲いていました。
2019-5-20県道2号線沿いの桜

斜陽館で話を聞いていた時、或る人から太宰治は「津輕」を執筆するため、津軽各地を回ったが、その時は船も使っていたよ。でもどうして船なんか使うんかねえ。そんな話を聞きました。

これが太宰治が「津輕」に自筆で書いた津軽の地図。

2019-5-19太宰治の描いた津軽半島に地図

太宰治の津軽での行程
東京発 - 青森経由、蟹田泊(中村貞次郎宅) - 三厩泊 - 竜飛泊 - 蟹田泊帰(中村宅) - 金木泊(生家) - 五所川原、木造経由、深浦泊 - 鯵ヶ沢経由、五所川原泊 - 小泊泊 - 蟹田泊(中村宅) - 東京帰着

そして上掲行程のうち何処で船を使ったのか、それは蟹田青森間です。この間はバスも使ってますが、天候が良ければ船も使っています。

この話には津軽半島の地形などを見てみないと分からない所が有ります。

最初にこれは津軽半島の衛星写真(主要な地名と特徴を追記しました)

2019-5-20津軽半島衛星写真1

この衛星写真と冒頭の観光案内図を見比べると青森県の特殊性が分かる。青森県の県庁所在地はもちろん青森市だが、土地としては青森市のある青森平野はさほど大きくない。
歴史的には弘前の津軽藩のイチ出張所的存在として港を開いたのが青森市の地だった。

そして重要な事は津軽半島は津軽山地で完全に分断されていること。
太宰治が津軽執筆の為津輕にやってきたのは昭和19年。この当時、津軽山地を横断する道路は南の鶴ヶ坂、この一か所だけだった。
津軽山地横断道路は戦後3本の県道が開かれたが、いずれも冬季閉鎖(11月中旬~3月一杯くらい)される道路。一番北側の県道12号線の峠にトンネルが出来、通年通行可能になったのは平成9年のこと。
また西海岸を北上する方法は、小泊から先はやはり道らしい道はなく、陸路で竜飛まで行けるようになったのは、自衛隊の手を借りて道路が出来た昭和59年以降のこと。

またもう一つ、青森ー蟹田ー三厩を結ぶ鉄道「津軽線}があるが、これも戦後の開通。この路線は現在は北海道と本州を海底トンネルで結ぶ貨物列車が大量に通っている。多分太宰治が津輕に取材に来た折には現在の状況は想像もできなかっただろう。
(注:海底トンネル内は三線軌道といってレールが3本あり、新幹線の標準軌(1435㎜)と在来線の狭軌(1067㎜)に対応している)

だから太宰治が蟹田まで友人を訪ねていくにはバスか船ということだった。それだけ津軽半島東部は不便な所だったということでしょう。

もう一つ、衛星写真の一つ上に太宰治自筆の地図が有り、津軽半島東海岸を「外ヶ浜(上磯トモイフ)」と書いてあります。太宰のこの地図は地名はみんな「正式の名前」が書いてありますが、この外ヶ浜(勿論上磯も)だけは市や郡、町村の公式名称ではありません。現在は外ヶ浜町が有りますが、平成17年(2005年)の平成の大合併でできた町名。この外ヶ浜という地名そのものは平安時代からの古い地名で、津軽半島北部から陸奥湾沿岸、そして夏泊半島辺りまでを指していたもの(諸説あり)。そして外ヶ浜と言う地名はさいはての地とか化外の地(けがいのち)と言われる辺境とみられていた。江戸時代に入って津軽藩になってもこの辺境の地という見方は変わっていないかったようで、津軽半島北部から浅虫(温泉)までを上磯、浅虫以東の夏泊半島辺りを下磯と呼んでいたようです。太宰治の地図はこんな事が書いてある。そう見ていいと思います。
外ヶ浜は以下参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E3%81%8C%E6%B5%9C


また津輕に人がやってきたのはずい分古いようで、津軽弁(ズーズー弁)には「古語由来の言葉」が残っています。
例えば津軽弁で「わどな」と言うと「私(わたし)と貴方(あなた)」です。これは『「」と「」』、「わ」は古語の「われ(吾)」由来、「な」は「なんじ「汝」」由来です。

この「わ」ですが、沖縄や奄美も同じように残っていて「わん」だと思います。
また出雲でも「わ」が私の意味があると聞いたような・・・。砂の器の世界ですかね。


話があっちこっちに飛んでしまいました。
今回青森市から金木の太宰治の生家に行って見て、「山道を走りながら、人の行き来した気配の少ない土地」という感想には、こんな土地柄が関係していることが分かりました。

そんな目で太宰治のあった人を見てみると、
小泊の「たけさん」、この人は乳母ですが、実際は太宰の心の母だったのでしょう。この人の住む小泊は津軽平野の行き止まりの地。ここ以上何処へも行けない土地でした。
また親友の蟹田のNさん(中村氏)は津軽平野から見ると深い山の向こうの辺境の地の人でした。
此処に太宰治のモノの見方のルーツを見るように思います。

こんな事で、太宰治の津輕はこんな言葉で締めくくられています。

津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ。命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬

私の長い長い青森談義もこれにて終りといたします。

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2019-04-22 18:30

北斎の波から危険な三角波まで


始めにお詫び、下書き段階で保存したつもりが私のミスで公開になっていました。題名なども付けて不足分も書き加えました。読者の皆様には題名のない変なエントリーをお見せしてしまい恐縮です。後半の三角波に関する部分が追加した部分です。よろしくお願いします。
以下本文です。

  19日のエントリー「北斎はなぜこんなに愛されるのか」にコメント欄でこんな情報をいただいた。
>先日NHKでやった北斎の話はお札の裏側の波ですね。
>あの波頭はどうしてあの形なのか?
>シャッタースピードを5000分の一秒位でとるとあの形に波頭は成るそうです。

こんな話は北斎の「瞬間を記憶し、表現する能力」の凄さ、こんな話なのですが、それとは関係が有るのか無いのか、こんな事が今年初めに話題になっていました。

今年1月、イギリスのオックスフォード大とエディンバラ大の共同研究チームが、「ドラウプナー波」と呼ばれる発生原因が不明だった大波の再現に成功。
所がその再現された大波が北斎のあの波そっくり。それで大騒ぎになったようです。
以下参照ください。

2019-4-21波1 

2019-4-21波2 




このドラウプナー波、さっぱり分からないのだが、1995年1月1日、Draupner platform という海底油田の施設を襲った波高25mの大波です。
Draupner waveについては以下参照ください(英文です)
https://en.wikipedia.org/wiki/Draupner_wave

上掲記事で
>研究チームによると「2つの小さな波が約120度で交差する場合だけこの波を再現することが可能である」と判明しました。
こんな記述が有ります。
またこの波は
>ドラウプラー波は予測不可能な巨大波
こんな記述もあります。


流石海洋大国イギリス、素晴らしい研究です。特に巨大な水槽で実験し、再現に成功したのは大きな成果と言えるでしょう。
がしかし同じく海洋大国の日本では、この巨大波の問題は以前から海難事故の原因として対策が研究されてきました。
特に切っ掛けとなったのは2つ
一つ目は、戦前の話だが1935年(昭和10年)9月26日、旧日本海軍の空母、重巡、軽巡、駆逐艦など10数隻が演習中に三陸沖で台風に遭遇し、その中心付近に巻き込まれ、船体などと多数損傷されました。中でも駆逐艦2隻が激浪の為船首を切断されて沈没と言う重大海難事故が有りました。この当時ながら流石日本海軍、かなり詳しく風浪を観察していまして、2つの方向からの波がぶつかると巨大な波を発生させるという現象が捉えられています。
この波を三角波と言っていました。

これは重巡那智が三角波を受けた状況
2019-4-22重巡那智の三角波を受けた状況 
川上益男氏の論文より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/zogakusi/638/0/638_KJ00001779136/_pdf

イギリスの大学の実験で、
>(ドラウプナー波は)2つの小さな波が約120度で交差する場合だけこの波を再現する
こんな事が分かったとしていますが、日本の事故の調査からも同じことが出てくるわけです。



但しこの件は戦前の話だし、軍事機密でもあったので、この話は一部の人だけが知る話だったのだが、次の2番目の事件でさらに問題となった。

その2番目の事件と言うのは
昭和44年~45年、日本の東方海上で巨大船沈没事故が多発したことである。

2019-4-22昭和44・45年海難 

わずかな間に巨大船が4隻遭難。この当時、この野島崎沖の海域は「魔の海域」と呼ばれ、原因と対策が叫ばれたものです。
(注:さらに10年後の1980年12月30日、尾道丸の事故も有りました)
特に造船関係では船の構造の抜本的な見直しが図られ、大型船の強度は大幅に改善されました。

また日本の気象庁では、気象予報にこんな危険な波浪の情報を出すよう研究を進めてきまして、現在では「外洋波浪予想図・実況図」として公開されています。

これは本日の外洋波浪実況図
2019-4-22外洋波浪実況図 
野島崎東方沖から三陸東方沖にかけて波浪の高い所が見えます。


またこの危険な波浪は三角波と呼ばれ、wikiでは
三角波(さんかくなみ) pyramidal wave
進行方向の異なる波がぶつかったときに出来る、峯の尖った波をいう。進行する重力波の頂は120度より尖らず、それ以上になると砕ける。しかし定常波(standing wave)の場合には頂角は90度まで尖り得るため、重複波では波形勾配の大きな波が起こり得る。風系の複雑な台風の中などでは、規模の大きな典型的な三角波が立ち、非常に危険である。

こんな事で、この危険な三角波は今も船の安全にとって重要だということです。
なにか北斎からとんでもない所に飛んでしまいました。

*追記します
イギリスの大学では「ドラウプラー波は予測不可能な巨大波」と言っているこの巨大波(イギリスではドラウプラー波、日本名は三角波)。実は日本では昔から研究していまして、2017年2月からはその予報も発表されるようになりました。

重大事故から半世紀近く、気象庁では問題意識を継続し、観測と研究の積み重ねでこんな予報ができるようになったということだと思います。
以下気象庁発表を参照ください。
波浪予想図の改善 -三角波などの大波の発生しやすい海域の情報を追加します-
報道発表日
平成29年2月15日
詳細は以下で

流石海洋大国日本です。
尚この追記はコメント欄のkazkさんの意見への返事にも書いたものです。
kazkさんの意見は大変有意義、大いに参考になる意見です。

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2019-04-19 18:48

北斎はなぜこんなに愛されるのか


 14日のエントリー「新紙幣の顔に思う事 2019-04-14 」でCNNの報道を取り上げた。
CNNが何と「北里柴三郎をノーベル賞受賞者扱い」にした。まあ喜んでもいいんでしょうねえ。

 これは考えてみれば、この当時(1901年)の業績でいえば北里柴三郎の業績は絶対ノーベル賞にすべき業績だった。しかしこの当時は白人以外にはノーベル賞なんか出すもんかと言う人種差別が酷く、結局受賞できなかった。そんな事を知ったうえで、CNNはノーベル賞受賞者扱いにしたのだと思うのだが、もっと不思議な事がある。

それはCNNでは初めに一番大きく「新千円札の裏面」を紹介。次に新千円札の表面(肖像は北里柴三郎)、次に写真を小さくして新5千円札の表面裏面、最後にもっと小さく新1万円札の表面裏面を紹介していることだ。(下記リンク先参照ください)

2019-4-14新千円札裏面byCNNCNNの報道は以下で
日本が新紙幣発表、千円札に北斎の浮世絵
2019.04.10 Wed posted at 15:45 JST


北斎の浮世絵がなぜこのように高い評価を受けるのか。どうも日本での評価とは違った面から見て、西欧では評価しているようだ。

そんな事情が分かるものが有る。
もう1年前だが、シンクタンク「日本政策研究センター」の情報誌「明日への選択」2018年5月号にこんな記事が有った。
北斎はなぜこんなに愛されるのか』 東北大学名誉教授の田中英道氏のインタビュー記事です。

この記事は冒頭
 「世界に最も影響を与えた日本人は誰か。織田信長や黒澤明を挙げる人もあるようだが、米国の雑誌『LIFE』は「この千年に最も重要な功績を残した世界の人物百人」に、江戸時代の絵師、葛飾北斎を日本人として唯一人選出している。」
こんな所から出発しています。

この『LIFE』の記事は今は廃刊になっていますが、以下で読むことができます。
この中で
1、トーマス・エジソン (アメリカ)
2、クリストファー・コロンブス (イタリア)
3、マルティン・ルター (ドイツ)
4、ガリレオ・ガリレイ (イタリア)
5、レオナルド・ダ・ヴィンチ (イタリア)
6、アイザック・ニュートン (イギリス)
7、フェルディナンド・マゼラン (ポルトガル)
8、ルイ・パスツール (フランス)
9、チャールズ・ダーウィン (イギリス)
10、トーマス・ジェファーソン (アメリカ)
こんな風なのですが、画家では三人だけ、78位がピカソ、多分ゲルニカが評価されたんでしょうね。そして86位が葛飾北斎です。もう一人59位に北宋初期の山水画家の范寛 (中国)が入っていますが、この人は良く分かりません。


さて本題に戻って、こんな風で日本人が考えるよりも北斎の評価が高いのは何故なのか。そんな事を考えてみました。

田中先生は『西洋画を一変させたジャポニスムの衝撃』と言っています。その要旨は
 ちょうどその頃、ヨーロッパでは既存の価値観が揺らぎ、「近代」への模索が続いていました。例えば、フランス革命(一七八九)は「自由・平等・友愛」の名のもとに、民衆が立上り、ギリシア・ローマ文明を尊ぶルイ王朝を打倒し、ノートルダム大聖堂はじめ多くのキリスト教会を破壊しました。神も王も全否定したのです。一方、ヨーロッパでは十六世紀のデカルト以来、「理性」ということを言い始めて科学を生み出し、大変な勢いで発達しますが、その科学が本当に人問を救うのかと確信を持てないでいました。
 そこに、日本人の自然のままでいいという概念、また富士山に象徴される自然信仰が浮世絵を通じて入って来たのです。神話や宗教に代わる新しい「近代」の表現を探し求めていた西洋の芸術家たちにとって、それはまさに東方からの福音でした。「これこそが新しい思想だ」という熱狂がアトリエを制し、セザンヌは「サント・ヴィクトワール山」を三十六景以上描き、リヴィエールは「エッフェル塔三十六景」を描きました。北斎の「富嶽三十六景」の影響であることは明らかです。これが「ジャポニスム」です。
 
こんな事で田中先生は「北斎をはじめとする浮世絵を見て、向こうの画家たちは絵をガラリと変えた」と言っています。

そして例えばゴッホについて
 その典型がゴッホです。ゴッホの人生は挫折続きで、ある時期から牧師になろうとしていたのですが、浮世絵に出合い、牧師になるのを完全にやめる。それと同時に、ゴッホの絵は急に変わって行くのです。
 例えば、「ラザロの蘇生」という作品があります。聖書にはキリストが死せるラザロを復活させた話が出てきますが、西洋画のならいでは、そこに必ずキリストが立っていなければならない。ところが、ゴッホはキリストが立つべき位置に太陽を描いたのです。つまり、新しい救い主として太陽を持ってきた。
 日本という言葉は、フランス語で「ル・ソレイユ・ルヴァン (Le Soleil Levant) 」(太陽が昇る国)と言うのですが、「日本が救い主だ」という概念を持つたからこそキリストの代わりに太陽を描いたのです。

そして田中先生はこう言っています。

 もともとゴッホはオランダ生まれで、ロンドンやパリなどで働いていました。パリやロンドンは日が射す日は少ない。だから、絵も暗かった。ところが、浮世絵に衝撃を受けて以来、印象派の画家たちはみんな明るい色でパリやロンドンを描き始めるのです。

こんな事の時代背景をもっと見てみたいと思います。
丁度この頃は産業革命で世の中が激変していました。例えばフランスだけ見ても、フランス革命(1789年)、ナポレオンの登場と没落(1799-1815)、フランス王国(1814-1848)、第二共和制(1848-1852)、第二帝政(1852-1870)、第三共和制(1870-1940)・・・う~ん、訳分かりませんね・・・。しかしこんな政治の混乱の中でもパリ大改造(下水道整備と都市再開発など)などは着々と進んでいました。こんな混沌とした社会の中で、印象派のような新しい絵画が出来、それに日本の浮世絵、就中北斎などが大いに影響を及ぼしてきたわけです。


さて、こんな歴史は兎も角、では現代に今の話がどう生きるか考えてみたいと思います。
今アメリカは中国と経済戦争の真っ只中、さらにアメリカは右と左に分断され、これから先何処へ行くのか分かりません。
こんな時こそ「新しい価値観、新しい思想、文化」が必要で、その思想、文化、価値観の一つの表れを北斎に見ているような気がします。

そんな目で日本が紙幣を新しくする。その紙幣にはあの北斎の絵がある。こんな思いでCNNの記事が書かれたのではないでしょうか。



参考までに田中英道氏のインタビュー記事全文を如何に引用します。

以下このインタビュー記事全文です。スキャンしOCR変換しました。
尚所々どうも妙な表現が有りますが、多分インタビューの文字起こしでのミスだと思います。

<以下引用>
シンクタンク「日本政策研究センター」の情報誌「明日への選択」2018年5月号より

北斎はなぜこんなに愛されるのか
田中英道(たなか ひでみち)
東北大学名誉教授

2019-4-17北斎-01-1 

   世界に最も影響を与えた日本人は誰か。織田信長や黒澤明を挙げる人もあるようだが、米国の雑誌『LIFE』は「この千年に最も重要な功績を残した世界の人物百人」に、江戸時代の絵師、葛飾北斎を日本人として唯一人選出している。
(引用者注:この世界の人物百人を選定した1999年は丁度20世紀の最後に当たります。だからこんな事が色々記事になる。類似のものに「20世紀を代表する最大の事件100」がある。
以下参照ください
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1401.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1402.html
尚この当時は、冷戦終了して十年、次の敵は日本だという反日の嵐が吹き荒れていた時期です)

 確かに北斎といえば、その作品が十九世紀ヨーロッパの印象派画家たちに決定的な影響を与えたことで知られる。現代においても、英国のオークションでは北斎に特化した競売が行われ、イタリアの自動車メーカーロシアのデザイナーも北斎をモチーフとした作品を発表している。さらに最近では日本でも、相次いで北斎展が開催され、二、三十万人規模の入場者を集めている。
 いったい、なぜ北斎はこれほど人気なのか。北斎が世界に与えた影響や作品の特徴について、最近『葛飾北斎 本当は何かすごいのか」(育鵬社)を上梓された美術史家の田中英道東北大学名誉教授に話を聞いた。


西洋を凌駕する技術

 ーーー 一方で日本の歴史にも造詣が深い田中先生は、もともとレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど西洋美術史研究で大きな業績を上げられました。世界的な視野からご覧になって、北斎はどのように位置付けられるのでしょうか。

 田中 レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロは、その作品を見れば西洋の思想がおおむね分かるというほどの天才です。そして北斎は、日本の思想を理解する上でも、この二人の位置と同じほどの巨匠だというのが私の見解ですね。
 江戸末期の十九世紀に、北斎や歌川広重をはじめとする日本の浮世絵がオランダを通じてヨーロッパへ行きますが、特に印象派画家たちはそれまでの画風を一変させるほどの影響を受けたのです。セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」の連作も、モネの「睡蓮」の連作も、ゴッホの風景も、ゴーギャンのクロワニズムも、すべて浮世絵の影響で生まれたものです。最近も国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム」展が開かれましたが、その点の説明では必ずしも十分ではありませんでした。

 --― なぜそれほど影響を与えたのですか

 田中 まず何と言っても、視覚的な表現の秀抜さですね。北斎は西洋人があみだした遠近法を彼ら以上に咀嚼し、彼らを遥かに飛び越える水準の技術を持っていました。
 江戸時代の日本は「鎖国」と言われるけれども精神的な意味ではそうではなく、オランダを通じてヨーロッパの情報も文物もたくさん取り入れていました。日本の絵師たちも、江戸中期から入ってきた蘭画、つまり西洋両を見て西洋の遠近法を取り入れて行くのですが、とくに北斎はよく研究していました。遠近法は通常、近景から中景、中景から遠景というふうにして奥行きを出して行きます。ヨーロッパ・ルネサンスではこの技術が建築や町づくりに適用されていました。
 ところが、北斎は中景を完全に抜いて絵を描いた。これは大変効果的で、奥行きがかえって深く見えるのです。
 例えば、北斎は七十歳になってから、有名な「富嶽三十六景」を描いています。「富嶽三十六景」はわが国の新パスポートにデザインとして採用されることになりましたが、皆さんもご存じの「神奈川沖浪裏」(=右上図)という作品は、大きな波に漁船が翻弄されその向こうに富士山が見えます。また、「東海道程ケ谷」という作品では、街道沿いの細い松の向こうに富士山が見えます。これらは西洋の遠近法を最も自家薬籠中にした図です。まさに「富嶽三十六景」は゛中抜き遠近法」の傑作と言ってもよいでしょう。
 色彩も斬新でした。北斎は「富嶽三十六景」を描くときに、べ口リン藍という新しい色を初めて使います。これはプロシアから輸人された化学顔料(プルシアンブルー)で、植物由来の藍色では出せなかった鮮やかで深みのある青色が出ます。北斎はこのベロリン藍で繊細なグラデーションや奥行きを出して行く。浮世絵にこの色彩を絶妙に配合させた最初の例です。
 西洋の画家たちは、こうした北斎の絵を見て、その技術に目を見張ったのです。それだけではありません。やはり自分たちの知らなかった日本のヴィジョンに目を見張ったのです。
 そもそも西洋の芸術家は皆インテリですから、自分たちが持っているものをちょっと洗練させたとか応用させたとか、そういうものには見向きもしない。そうではなく、思想自体が彼らの思惑を凌駕していたのです。

富嶽三十六景にみる日本人の自然信仰

 田中 その思想で重要なのは、自然が人間を造るものだという自然観、キリスト教的な神というものに縛られない自然信仰、これが向こうの画家たちの心を捉えたことです。とくに北斎の「富嶽三十六景」は、自然は人間と敵対するものだという西洋の概念を強く揺さぶりました。
 「富嶽三十六景」の半分の十八点は江戸から見た富士山の風景です。従って富士の姿が遠景でしかない。それでも描くというのはいかに江戸が富士山と結ばれているかを表したかったからです。
 例えば、「江戸日本橋」(=下図)

2019-4-18富嶽36景江戸日本橋 
葛飾北斎「富嶽三十六景 江戸日本橋」

という作品は、日本橋の上を歩く人、倉庫のようなお蔵、その奥に江戸城があり、その遥か向こうに小さな富士山が見えます。
 この絵はいったい何を表しているのかといいますと、江戸城を守っているのは富士山だという概念なのです。つまり、江戸という都市は富士山で守られているという考え方を北斎は表現しているのです。
 北斎が生きた江戸時代には「富士講」が大流行し、「富士塚」が各地にできるほどでした。富士塚は富士山を模した小さな山ですが、身近なところに小さな富士山を造ったのはやはり自分たちが住む町を富士山が守ってくれているという自然信仰の一つです。
 ちなみに、日本人の富士信仰は縄文時代から始まっています。静岡県富士宮市の千居遺跡は、今から四千~五千年前、縄文中期のものと推定される遺跡で、富士の霊峰を臨む場所からそれを模した富士山型の石とその石を祭壇のように取り囲む配石遺構が発掘されています。
 また、万葉集には「天地の分かれし時ゆ神さびて高く貴き駿河なる布士の高嶺を・・・」で始まる山部赤人の歌をはじめ富士山を詠んだ歌がたくさん収録されています。赤人が「天地の分かれし時ゆ」と歌ったように、私は富士山は「高天原」のイメージに繋がっていると考えていますが、それほど日本人と富士山は密接なのです。

 ーーー北斎は、日本人の富士信仰、自然信仰の上に立って絵を描いた

 田中 その通りです。だから、さっきの「神奈川沖浪裏」(=4頁図)は、迫真の力をもって描かれている場面ですが、よく見ると二艘の和船が描かれています。そして、乗っている人々はみんな船の縁に伏せています。同時に、遠くに見える富士山にも伏しています。この姿は、人間が自然に帰依している様子がよく分かります。
 さらに、北斎は人間そのものを自然の一部として見て、表情の変化、態度の変化、肉体の変化を、様々な自然現象として表現しました。有名な「北斎漫画」はその典型です。
 北斎は十九歳で絵帥になり九十歳で亡くなるまで何度も名前(号)を変えているのですが、北斎号は妙見信仰と関係があると考えられています。妙見菩薩は北極星、北斗七星を神格化した菩薩で、国土を守り、災害を減らし、人の福寿を増す。天の中心に輝く北極星は、天皇のことですから、尊皇の意味も含まれます。
 北斎はこの号を使い始めてから、「師造化」という非常に重要なことを言っています。造化とは、自然の摂理や天地宇宙そのもののことです。つまり、北斎は自然を師として絵を描いていたのです。

西洋画を一変させたジャポニスムの衝撃

 ーーー 北斎の絵に込められた高い技術と自然信仰が、ヨーロッパの画家たちに衝撃を与えたと。

 田中 そういうことです。ちょうどその頃、ヨーロッパでは既存の価値観が揺らぎ、「近代」への模索が続いていました。例えば、フランス革命(一七八九)は「自由・平等・博愛(引用者注:友愛が正しい)」の名のもとに、民衆が立上り、ギリシア・ローマ文明を尊ぶルイ王朝を打倒し、ノートルダム大聖堂はじめ多くのキリスト教会を破壊しました。神も王も全否定したのです。一方、ヨーロッパでは十六世紀のデカルト以来、「理性」ということを言い始めて科学を生み出し、大変な勢いで発達しますが、その科学が本当に人問を救うのかと確信を持てないでいました。
 そこに、日本人の自然のままでいいという概念、また富士山に象徴される自然信仰が浮世絵を通じて入って来たのです。神話や宗教に代わる新しい「近代」の表現を探し求めていた西洋の芸術家たちにとって、それはまさに東方からの福音でした。「これこそが新しい思想だ」という熱狂がアトリエを制し、セザンヌは「サント・ヴィクトワール山」を三十六景以上描き、リヴィエールは「エッフェル塔三十六景」を描きました。北斎の「富嶽三十六景」の影響であることは明らかです。これが「ジャポニスム」です。
 今はジャポニスムというと、単なる異国趣味のように捉えられていて、特に日本の研究者はジャポニスムを「過剰に日本を評価しすぎている」「あんなのは幻想だ」などと矮小化するけれども、よく分かっていない。とにかく、北斎をはじめとする浮世絵を見て、向こうの画家たちは絵をガラリと変えたのですから。
 そのことは、浮世絵が入る以前と以後を比べれば一目瞭然です。
 浮世絵が入ってくる以前の西洋画は、人間が中心でした。風景はそれを説明するための二次的なものだった。また、神話画や宗教画には、それを見て善悪を知らしめるといった意味が必ずあった。ところが、日本の絵を見て、そうした概念から解き放たれて行くのです。
 その過渡期において一番重要な人はマネです。マネは『草上の昼食』という作品で、初めて人間の女性の裸体を描く。これは大スキャンダルになりました。なぜなら、それまで西洋で裸体を描くときは、必ずヴィーナスやダナエ(引用者注:ギリシア神話に登場するアルゴスの王女の名、愛の神の代表的なシンボル)など神話の登場人物でなければならなかった。それをマネは飛び越えてしまったからです。
 どうしてそんな大転換が生まれたのかというと、浮世絵に出てくる女性は何気なくただ立っているだけ。物語の要素はほとんどない。これが「ああ、物語がなくても描けるんだ。裸体をそのまま描いてもいいんじゃないか」という概念を与えたのです。
 それから、セザンヌは日本の風景両を見て、形の美を見出した。
「山ってこんなに美しく見えるんだ」と。そこにはキリスト教的な道徳律も何もない。それ以降、彼はあらゆるものを形として見ることを覚え、あらゆるものの意味を抜いてしまう。だから、サント・ヴィクトワール山は「聖なるヴィクトワール山」という宗教的意味があるはずなのですが、その宗教的意味は一切描かないで、形と色だけで表現した。

日本への憧れ

 田中 そこからさらに進むと、今度は自然というものの価値に目覚めて行きます。
 その典型がゴッホです。ゴッホの人生は挫折続きで、ある時期から牧師になろうとしていたのですが、浮世絵に出合い、牧師になるのを完全にやめる。それと同時に、ゴッホの絵は急に変わって行くのです。
 例えば、「ラザロの蘇生」という作品があります。聖書にはキリストが死せるラザロを復活させた話が出てきますが、西洋画のならいでは、そこに必ずキリストが立っていなければならない。ところが、ゴッホはキリストが立つべき位置に太陽を描いたのです。つまり、新しい救い主として太陽を持ってきた。
 日本という言葉は、フランス語で「ル・ソレイユ・ルヴァン (Le Soleil Levant) 」(太陽が昇る国)と言うのですが、(引用者注:辞書にはこんな言葉も・・「Empire du Soleil Levaut」:旭日帝国=日本(出典:大修館・仏和辞典))「日本が救い主だ」という概念を持つたからこそキリストの代わりに太陽を描いたのです。ゴッホは弟のテオに宛てた手紙にこう書いています。
 「いいかね、彼らみずからが花のように、自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、真の宗教とも言えるのではないだろうか。
 日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。われわれは因習的な世界で教育を受け仕事をしているけれども、もっと自然に帰らなければいけないのだ」
 それでゴッホは太陽の日差しにあふれた南仏のアルルヘ行くんですよ。

 ―--―そこから明るい絵を描き始める

 田中 ええ。もともとゴッホはオランダ生まれで、ロンドンやパリなどで働いていました。パリやロンドンは日が射す日は少ない。だから、絵も暗かった。ところが、浮世絵に衝撃を受けて以来、印象派の画家たちはみんな明るい色でパリやロンドンを描き始めるのです。

 -- 日本の絵は明るい

 田中 そう、日本人は暗いものを描かない。日本にはもともと陰影法がありません。太陽が照っているということを前提に描くから、絵巻物をみても夜の風景はない。描いたとしても、「平治物語絵詞」のように松明(たいまつ)を回しているだけで夜討ちの場面を表現する。日本人にとって暗いということは絵の対象にならないのです。キリスト教徒のような罪の意識がないからでしょう。

 ー- モネはどうですか。

 田中 モネもゴッホと同じですね。浮世絵を見てから、「ああ、自然こそが神の代わりなんだ」という概念をもった。以来、人間も自然の一部として描く。光という自然を描くのです。
 モネは最初は「印象」という小さい港の絵を描きます。これは港かどうかも分からないぐらい太陽が照っている光だけの絵です。光への憧れ、太陽への憧れ、日本への憧れです。モネは家の壁一面に浮世絵を飾っていました。別荘には、水を引き込んで池をつくり、太鼓橋をかけて、日本庭園のような庭を造り出しました。そうした中で「睡蓮」を生み出して行く。日本の自然信仰を「形」として感じ、絵画化したのです。

美は先ず「形」で見よ

 田中 ちなみに、もう一つ強調しておきたいのは、北斎は風景画だけでなく、人物画も世界クラスだということです。これは切手にもなっている「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」など役者絵で知られる東洲斎写楽と、北斎とが同一人物であるという私の研究から提出している説です。「写楽=北斎」となれば、北斎の評価は今にもまして高まり、まさにレオナルド・ダ・ヴィンチと並び立つ評価を受けることになるでしょう。

 ーー 写楽の絵も世界クラス。

 田中 ええ、ドイツの美術研究家タルトは、写楽はベラスケス、レンブラントと並ぶ世界三人肖像画家だと高く評価しています。
 写楽は北斎と同時代の絵師で、現在は百四十五点の絵が残っています。しかし、その活動期間はたった十ヶ月で、謎が多く、正体不明とされてきました。詳細は『実証 写楽は北斎である』など私の一連の著書に譲りますが、日本の美術史学界では、能役者であった斉藤十郎兵衛が写楽の正体だという説が有力です。
 しかし、写楽の絵のディティール、線の描き方、筆のさばきはじつに見事なもので、ちょっと絵の上手い役者が描けるようなレベルではない。逆に、北斎が勝川春朗と号していた時代に描いた役者絵と、写楽の役者絵は、非常によく似ています。
 そもそも美術作品は、絵の形象を見て判断するものです。これは西洋の美術研究・鑑定では基本中の基本です。しかし、日本の美術史学界では形象を見るということが主ではない。美術研究にとってあくまで1次的なものに過ぎない文献だけで判断している。これは理解に苦しみます。
 西洋の美術研究だけでなく、日本人は本来、美を「形(フォルム)」で表現してきました。縄文人が富士山型の石を造ってその美しさを称えたのがまさにそれです。美というものを「形」でなく「言葉(ロゴス)」で捉えようとすると、不正確にならざるを得ません。ロゴスには一貫性が求められますが、美は極めて多様だからです。だからこそ、日本人は美を「形」で認識し、表現してきたのです。

日本美術には普遍性がある

 -- 北斎をはじめとする日本の美術とそこに込められた自然観が世界に影響を与えたことがよく分かりました。しかし、それは決して過去の話ではないですね。
 田中 その通りです。ニ年前(2016)に伊勢でG7が開催された時、安倍首相が各国首脳を伊勢神宮に案内しましたね。その時、キリスト教徒の首脳たちはみんな感動しました。何に感勤したかというと、やはり自然なんです。そして全員で植樹をした。つまり自然を育てる、自然と調和するという日本の自然信仰を伊勢神宮で学んだのです。ですから、日本人は自信を持っていい。また、神道の自然信仰は例えば「タオ・ネイチャー」(自然道)というふうに発信の仕方を工夫すれば、世界の人々にも充分に受け容れられると思います。
 問題はむしろ、日本人自身がこうした価値に気付いていないところにあるのではないでしょうか。
 例えば、今は外国人観光客を一生懸命呼び込もうとしていますが、約二千九百万人の訪日客のうち、ほとんどは中国、韓国、台湾からです。欧米人の訪日客は約三百万人で、中国、タイ、香港、マレーシアなどを訪れる欧米人の数と比べてもだいぶ差を付けられています。これは「おもてなし、おもてなし」と言うばかりで、日本人自身が日本文化の価値を発信できていないからです。
 私はやはり神社仏閣の文化財を観光のキラーコンテンツにすべきだと思います。日本には浮世絵以外にも、法隆寺ので百済観音像」、東大寺戒壇院の「四天王寺像(引用者注:四天王像が正しい)」、「平治物語絵詞」などの絵巻物、宗達・光琳に代表される琳派、狩野派の金地障壁画や禅画……等々、世界レベルの傑作が数多くあります。
 美術作品はたとえ言葉がわからなくとも見るだけで感動できる「形」の世界です。たとえ神道や仏教を知らなくても、また外国人であっても、目の前にあるその姿かたちを見るだけで、万人が心を打たれる。それだけの普遍性・普遍的価値が日本美術にあることは、今日お話した通りです。
 その価値を知るには、私たちも旅をすることです。神社仏閣を巡ったり、富士山や京都・奈良や各地の世界遺産を歩きながら形を見て行けば、日本には素晴らしい伝統と文化が残っていることがわかるし、それらと自然・風景とが見事に調和していることがわかる。「日本の価値」が自ずと認識できると思いますね。
     (2018年四月三日取材。文責・編集部)

田中英道
たなか ひでみち
東北大学名誉教授
昭和17年。東京生まれ。東京人学文学部仏文科。同美術史学科卒。ストラスブール人学に留学し。ドクトラ(博士号)取得。文学博士。フランス、
イタリア叉術史研究の第一人者として世界各地の学界で活躍。日本美術史研究においても斬新な論考を発表し、高い評価を得ている。また日本の歴史を文化を中心に見る歴史観を提唱し、中学校歴史教科書『新しい日本の歴史』(育鵬社)の編集にも協力。現在、日本国史学会の代表理事。「レオナルド・ダ・ヴィンチ」『ミケランジェロ』「日本美術全史」(以上、講談社学術文庫)、『光は東方より』(河出書房新社)、「実証写楽は北斎である」(祥伝社)。「葛飾北斎 本当は何がすごいのか」{育鵬社}など著書多数。
<引用終り>


最後に一言。
これは私も知りませんでした。
フランス語で「ル・ソレイユ・ルヴァン (Le Soleil Levant) 」(太陽が昇る国)と言う
そして辞書にはこんな言葉も・・「Empire du Soleil Levaut」:旭日帝国=日本(出典:大修館・仏和辞典))
こんな温かい目で見てくれていることをもっと知ってほしいものです。
  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(4)

2019-04-14 17:32

新紙幣の顔に思う事


 日本の紙幣、一万円札、五千円札、千円札が更新されることが発表になりました。
新しい紙幣の肖像は「渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎」、これは大変素晴らしいことだと思います。
特に渋沢栄一、北里柴三郎について書いてみます。

2019-4-14新一万円札 
2019-4-14新五千円札 
2019-4-14新千円札 


何が素晴らしいか、最初に渋沢栄一について。

渋沢栄一は日本資本主義の父と呼ばれる人物だが、単に沢山の会社を作っただけでは無い。沢山の会社を作っただけなら明治の財閥の創始者たちはみんなそれに該当する。
渋沢栄一が凄いのは、「道徳経済合一説」を唱え、経済・経営に道徳と言う概念を織り込んだこと。
この「道徳経済合一説」はwikiではこう書いている。

道徳経済合一説
大正5年(1916年)に『論語と算盤』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた。 『論語と算盤』にはその理念が端的に次のように述べられている。

富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。
そして、道徳と離れた欺瞞、不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではないと言っている。また、同書の次の言葉には、栄一の経営哲学のエッセンスが込められている。


実はこの概念は、江戸時代初期の鈴木正三(しょうさん)、江戸時代中期の石田梅岩(ばいがん)、そして明治の渋沢栄一、昭和の松下幸之助と続く日本人の労働観・価値観の根底を為す概念だと思う。
一寸簡単に鈴木正三、石田梅岩を紹介。(松下幸之助は説明不要でしょう)

鈴木正三については以下ブログ参照ください。
「切支丹伴天連から鈴木正三の労働観まで  2018-10-31 16:13」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1580.html

ある農民の問いに対し正三はこう答えます。
「農業にいそしむことがすなわち仏道修行です。信心とは暇な時にやって、成仏を願うものではありません。また、そもそも来世で楽することを願っているようでは、成仏はおぼつかないでしょう。煩悩の多いわが身を敵と見立てて畑をすき返し、煩悩を刈り取る心で耕作するのです。辛苦の努力をし、心身を責めている時には、煩悩が生まれる余裕はありません。こうして常に仏道修行として農業にいそしめば、どうして改めて仏道修行する必要があるでしょうか」

正三のこの考え方は、農業だけでなく、どんな職業においても同じである(職業に貴賤はない)とし、世俗的生活のすべてが仏道修行であるという結論に至ります。いわば「労働即仏道」という思想で、日々の仕事の中に宗教性を持たせることで、人々に「生き甲斐=成仏」を与えようとしたのだといわれます。そしてこの思想は、日本資本主義の精神の先駆ともいわれるのです。


石田梅岩については、以下の記事が分かりやすいと思う。
「石門心学の祖・石田梅岩~その生涯と思想、名言」
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4337

その要点は
「商人の得る利益とは、武士の俸禄と同じで、正当な利益である。だからこそ商人は、正直であることが大切になる。水に落ちた一滴の油のように、些細なごまかしがすべてを駄目にする」
商人に俸禄を下さるのはお客様なのだから、商人はお客様に真実を尽くさねばならない
「真実を尽くすには、倹約をしなくてはならない。倹約とはけちけちすることではなく、たとえばこれまで3つ要していたものを、2つで済むように工夫し、努めることである。無駄な贅沢をやめれば、それでも家は成り立ってゆくものである」
「商人の蓄える利益とは、その者だけのものではない。天下の宝であることをわきまえなくてはならない」
「まことの商人は先も立ち、われも立つことを思ふなり(正しい商人とは、相手のためになって喜ばせ、自分も正当な利益を得る者をいう)」
等々。


こんな日本の、日本人の労働観、日本資本主義の精神に大きな影響のあった渋沢栄一が紙幣の顔になった。考えてみれば、今アメリカ流の強欲資本主義が破綻しようとしている。そんな時にでは代わりにどんな思想があるのか、そんな答えになるのが日本的なものの考え方だと思う。

例えば諸外国に発信することとして、紙幣の顔が渋沢栄一なら、「この紙幣の顔(渋沢栄一)を見てください。日本資本主義の父と言われる人です。かれは『「道徳経済合一説」という理念を打ち出し、富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ』と言いました。これこそ資本主義の未来、労働の価値だと思います。」
こんな事が言えるのではないでしょうか。



次に北里柴三郎です。
北里柴三郎は1901年の第一回ノーベル賞で受賞者にノミネートされていました。しかし結果は北里柴三郎の共同研究者が受賞してしまいました。(メインは北里柴三郎)
そんな事が以下で紹介されています。

第一回ノーベル賞の有力候補に
http://kitasato-respectlife.com/shibasaburo/3275.html
世紀を越えて成し遂げた悲願のノーベル賞
http://kitasato-respectlife.com/shibasaburo/3988.html


そして、ああ、何と言う事でしょう。
あのCNNがノーベル賞を北里柴三郎に与えてくれたのです。何だってと言う前に以下記事をご覧ください。

<以下CNNより引用>
https://www.cnn.co.jp/style/design/35135543.html
日本が新紙幣発表、千円札に北斎の浮世絵
2019.04.10 Wed posted at 15:45 JST

2019-4-14新千円札裏面byCNN
新千円札に描かれた北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

Oscar Holland, CNN
財務省は9日、2024年度から使用される1万円札、5千円札、千円札の新たなデザインを発表した。千円札に印刷される図案には、江戸時代の有名な浮世絵師、葛飾北斎が描いた木版画「冨嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」が初めて採用された。

北斎の代表作としてなじみ深いこの作品は、現在の東京湾に当たる「神奈川沖」に現れた大波と、その奥にたたずむ富士山の姿を描いたもの。表面にはノーベル賞を受賞した細菌学者、北里柴三郎の肖像が印刷されている。

2019-4-14新千円札表面byCNN 
新千円札の表面には細菌学者、北里柴三郎の肖像が印刷される/Kyodo News/Getty Images

5千円札と1万円札の肖像には、20世紀への変わり目に日本の女子教育発展のため尽力した津田梅子、日本経済の近代化を進めた実業家の渋沢栄一がそれぞれ選ばれた。
・・・以下略・・・


北里柴三郎の業績は、この当時の基準で見てもノーベル賞に値するものだが、残念ながらノーベル賞受賞はできなかった。黄色人種がノーベル賞など以ての外ということで、ノーベル賞の汚点の一つになっている。
CNNはそんな事情を理解したうえで、こんな報道をしてくれたのであろう。
有難う、CNNさん。

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2019-04-03 17:47

浜辺の歌と万葉集 後編


浜辺の歌の続編です。
Ⅰ.最初に1番から3番までの歌詞の中の言葉の解釈について


最初に歌詞を全部掲載します。意味が難解なので、全部漢字表記してみます。


 1番

朝(または旦=あした)浜辺を 彷徨(さまよ)えば
昔のことぞ 偲(しの)ばるる
風の音よ 雲の様(さま)よ
寄する波も 貝の色も

2番
夕(ゆう)べ浜辺を 廻(もとお)れば
昔の人ぞ 偲ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も

3番
疾風(はやち)忽(たちま)ち 波を吹き
赤裳(あかも)の裾(すそ)ぞ 濡(ぬ)れ漬(ひ)じし
病(や)みし我は 既(すで)に癒えて
浜辺の真砂(まさご、orまなご) 愛子(まなご)今は


1.「はやち」と風、雲について


 「風の音よ 雲の様(さま)よ」と有ります。1番と2番だけでは分かりませんが、3番を見ると「はやち」と有ります。はやち(はやて)とは寒冷前線に伴う風のことですが、広辞苑によればこうなっています。

<はやち、はやて(疾風)について広辞苑の記事>


はやち:(「ち」は風の意)⇒はやて


はやて:(「て」は風の古語)急に激しく吹き起る風。寒冷前線に付随することが多く、降雨・降雹などを伴う事がある。


以上のことから1番の「風の音よ 雲の様よ」の風・雲は「はやち・はやて」を伴うような雲、つまり寒冷前線の雲と風の意味と解釈できます。


歌詞の「昔のことぞ 偲ばるる」は、そんな寒冷前線が近づいてくるときに起こった出来事と解釈したいと思います。


また広辞苑には出ていませんが、はやて雲(疾風雲)も有ります。

参考:はやて雲:https://furigana.info/w/%E7%96%BE%E9%A2%A8%E9%9B%B2


参考までに寒冷前線の雲の図


2019-3-20寒冷前線図

松江地方気象台HP天気の部屋より筆者改変

http://www.jma-net.go.jp/matsue/chisiki/column/front/front.html


 寒冷前線の雲写真2019-3-20寒冷前線による雲写真@出雲空港

(写真は宍道湖の湖畔、出雲空港方面を撮ったもの)

典型的な寒冷前線の雲写真 雲の底では雨が降っていることが分かる

ブログ「神名火だより 2012年08月15日」より

https://blog.goo.ne.jp/kannabi-dayori/e/bcbe16e4687f4c810a9cbe10d08baf7c?fm=entry_awp


「雲の様よ」とうたわれている雲はこんな雲と考えています。

「はやて(疾風)」の吹くようなときはこんな雲がわいている。浜辺の歌のメロディーから連想される雲は、多分穏やかな綿雲のようなものかもしれませんが、疾風の吹くときと言うのはこんな雲です。何か最初から歌のイメージを壊すようですが・・・(苦笑)。

 


2.「かひの色も」のかひは「貝寄風(読みはかいよせ)」の貝の可能性。


広辞苑によれば

かいよせ【貝寄】:「貝寄の風」に同じ。古契三娼「かいよせの吹く春の旦(あした)より」。


かいよせのかぜ【貝寄の風】(貝を浜辺に吹き寄せる風の意)。陰暦の2月20日頃に吹く西風。かいよせ。貝寄する風の手品や和歌の浦 芭蕉。


こんな事で江戸時代から「貝寄せ・貝寄せの風」は良く知られており、俳句にも詠まれています。貝の色はこんな風に吹き寄せられた貝の色と考えられる。


これは推測ですが、古契三娼のこの言葉との関連が考えられます。

かいよせの吹く春の旦(あした)」⇒あした浜辺をさまよへば・・・貝の色も

感じが似ています。曲想の参考になった可能性が有ります。


此処で古契三娼と言うのはこんなもの (Wikipediaによる)


『古契三娼』(こけいさんしょう)は、江戸時代中期の文学作品。山東京伝の洒落本の代表的な作品。1冊。発刊は1787年(天明7年)。京伝26歳の作品。 挿絵は山東京伝(北尾政演)自作。版元は鶴屋喜右衛門・蔦屋重三郎。

タイトルは、画題として有名な「虎渓三笑」のもじり。


 「虎渓三笑」について、 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説


虎渓三笑(読み)こけいさんしょう


中国の故事。虎渓は中国江西省九江県の南方の廬山東林寺の前の渓谷。この東林寺に住した晋代の高僧慧遠 (えおん) は白蓮社をつくって修業者の指導をしたが,客を送るときも虎渓の橋を越えることがなかった。ある日,陶淵明,陸修静の2人がきて寺で清談に時を過し,帰るにあたっても話が尽きず,慧遠が虎渓まで送ってきたが,気がついたときはすでに橋を渡っていたので3人が大笑いしたという。この故事は史実として疑問とする説があるが,中国,日本の画題として好まれ,多くの作品がある。

虎渓三笑図

2019-4-3虎渓三笑図 


 こう見てくると推測ではありますが、林古渓のペンネームもこんな所を参考にしていた可能性が有ります。

古渓のペンネームは本人の弁は「幼少時育った古沢村(現厚木市)にちなむ」との事ですが、古契三娼・虎渓三笑・林古渓、これも知っていたと思います。

(但し、古契三娼からとったとは言いにくいかも(笑))


いずれにしても林古渓が「貝寄せ」を知っていたことは間違いないでしょう。




3.「赤裳の裾ぞ 濡れもひじし」、万葉集を参考にしている可能性


万葉集 巻7-1090 「我妹子(わぎもこ)が 赤裳の裾の ひづつらむ 今日の小雨に 我さへ濡れな」


「赤裳」 「裾」 「ひづつ」と出てきます。よく似ています。

原文は 集歌 巻7―1090  吾妹子之 赤裳裙之 将染埿 今日之霡霂尓 吾共所沾者

訓読 吾妹子し赤(あか)裳(も)し裾しひづちなむ今日し霡霂(こさめ)に吾(われ)さへ濡れは

訳 私の愛しい貴女の赤い裳の裾もぬかるみに汚れるでしょう。後朝の送りで今日の小雨に私までも濡れると。


尚この赤裳のはいった歌は万葉集には10首あります。

「赤裳」のはいった歌(9・174211・255017・396917・39736・10017・10907・1274、9・1710、11・2786、 15・3610)以上10首。

この10首のうち、アンダーラインの8首は「裾」が入っている。また7・1090、9・1710の2首には「ひづ」が入っている。


こうしてみると、万葉集には「赤裳」のはいった歌は10首あるが、「赤裳」、「裾」、「ひづ」と三つ揃ったのは巻7-1090だけということになります。


小野和彦氏によれば、林古渓は万葉集の研究者で、「万葉集外来文学考」という著書もある。だから「浜辺の歌」が万葉集を参考にしている可能性は十分ある。

(実は小野和彦氏の論文は、私が林古渓と万葉集の関係を調べていて見つけたました)


以上のことから、この3番前半の歌詞は、実際の愛子(まなご)が浜辺で遊んでいて波に濡れた情景を万葉集の世界に仮託しているとみてよいでしょう。


この事が失われた3番後半を復元するヒントになると思います。





 Ⅱ.失われた3番後半と4番前半の考察


浜辺の歌の失われた3番後半と4番前半の私なりの考察です。

Ⅱ-1復元のための考察・・3番

 失われた3番の後半は

 ・4番後半に「やみし我は ・・」とあるので「やみし(病みし)」が入るのではないか

 ・2番前半に「むかしの人・・」とあるので「人」が入るのではないか

  ⇒病みし人


古典のどこかに「浜」、「真砂」などを含む歌があるのではないか。

  こうしてみると万葉集596の「笠の女郎(いらつめ」」の歌が有りました。


引用元:

https://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/4967885.html


サ 596; [題詞](笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)

八百日徃  濱之沙毛  吾戀二  豈不益歟  奥嶋守


八百日行く 浜の真砂も 我が恋に あにまさらじか 沖つ島守 

やほかゆく はまのまなごも あがこひに あにまさらじか おきつしまもり

(訳)

歩き尽くすのに八百日もかかるような長い長い浜 そんな浜の真砂(まさご)を全部合わせたって 私の恋心の果てしなさには敵いますまい。そうでしょう 沖の島の島守さん


この万葉集596の「八百日行く」と「浜の真砂」を歌詞の中に取り込んで作詞したのではないか、これは3番前半が現実に目にしたであろう情景を「赤裳、裾、ひづ」という万葉集の世界に置き換えている、こんな関連で見るべきかと思われる。


そう見ると、「病みし人」が、長い闘病生活を送るのだが、それを万葉の世界で、「やほか行く 浜辺の真砂(まさご)」と表現したのではないか。


3番の歌詞は、現実の苦しい情景を万葉の世界に仮託して描いたものと考えてよいと思います。

しかしこの高等手法が、初出時の理解不足を招いた、この件は後ほど説明します。


以上のことから、失われた3番後半を復元すると

病みし人は やほかゆくも

浜辺の真砂(まさご) 愛子(まなご)今も


病を得たあの人は、八百日もかかるような長い闘病生活に入っている。 浜辺の真砂の数より多くの苦しみがあるだろう。あの子(愛子)は今も


こんな風ではないか、


尚こんな事情が、小野和彦氏の研究で愛子(まなご)が誰かについて、

「 童謡研究家の池田小百合は、安西愛子(大正6年生まれ、東京音楽学校卒業の童謡歌手)から聞いた談話「失われた三・四節には、古渓の恋人が湘南海岸で結核の転地療養をして元気になった様子が書かれていて、古渓の本当の気持ちが織り込まれていたと思われます」を紹介している」。こんな記述があるが、なるほどと思います。




Ⅱ-2復元のための考察・・4番


次に失われた4番冒頭ですが、1番、2番で「あした」「ゆうべ」とセットになっているように3番と4番もセットの言葉があるのではないか。

3番冒頭の「はやちたちまち」に対応する「〇〇ち」と言う風を表す言葉が入る、こう見ると「あおち(煽ち)」が有ります。


「あおち(煽ち)、煽ち風」:広辞苑によれば


あおち:(アオツの連用形から)「あおちかぜ」の略

あおちかぜ【煽風】吹きあおる風。あおち。浄、薩摩歌「蚊帳うち上ぐるあおちかぜ」


下記を始め、風の名称を色々調べましたが、他に「〇〇ち」に該当するものは見つからないので、「あおち」でよいと思います。

参考:風の名称字典:http://accent.main.jp/kaze/na.htm


また4番後半は「病既に癒えて」と有りますので、4番前半の情景もあらしが収まってゆくように詠んでいる。こう見ると「たおやかに」「雲を鎮め」が浮かびます。

また「たおやかに」は3番の「たちまち」と韻を踏んでいると見えます。


また「さやか」ですが、万葉集にこんな歌が見えます。

「4474 大伴家持」  巻二十

武良等里乃 安佐太知伊尓之 伎美我宇倍波 左夜加尓伎吉都 於毛比之其等久 【一云 於毛比之母乃乎】 

群鳥(むらどり)の 朝立ち去(い)にし 君が上は さやかに聞きつ 思ひしごとく 【一云 思ひしものを】



そんな所を踏まえ、4番前半を復元すると、こうなるのではないか。


あおち たおやかに 雲を鎮め

浜辺の波も 今はさやか



Ⅱ-3復元のための考察・・3番・4番の真砂の読み方


真砂:普通の読みは「まさご」、これを同じ意味で「まなご」とも読める。

3番では「真砂(マサゴ)」と読んで、「八百日(やほか)ゆく」と関連づけた。

4番では「真砂(マナゴ)」と読んで、次の愛子と言う意味の「まなご」とかけた。

こんな風に推測する理由は、初出の歌詞を見ると、真砂に「マナゴ」とルビが振ってある。若し3番後半に同じ真砂がでてきて、同じ読みならあえてルビを振る必要はないのではないか。 したがって古渓の原稿では3番と4番で違う読み方をしていた可能性がある。

しかしこんな事は説明されなければ分かりません。


この真砂の読み方の問題は私の推測で、突拍子もない考えのようですが、初出時の事情に関係があるようにみえます。こんな見方もあるということで書きました。




Ⅲ 復元した歌詞 (復元私案)

以上の結果、私の独断と偏見による浜辺の歌の復元版はこうなります。


浜辺の歌 復元版

<1番>

あした浜辺を さまよえば

昔のことぞ しのばるる

風の音よ 雲のさまよ

寄する波も 貝の色も


<2番>

ゆうべ浜辺を もとおれば

昔の人ぞ 偲ばるる

寄する波よ 返す波よ

月の色も 星の影も


<3番>

はやちたちまち 波を吹き

赤裳(あかも)のすそぞ ぬれもひじし (古渓の意向で「も」をいれた)

病みし人は やほかゆくも

浜辺の真砂(まさご) 愛子(まなご)今も


<4番>

あおち たおやかに 雲を鎮め

浜辺の波も 今はさやか

やみし我は すでに癒えて

浜辺の真砂(まなご) まなご今は


尚、ここまで復元してみると、浜辺の歌は1番から4番で起承転結になっています。



Ⅳ 浜邊の歌が初出から原稿と違っていた理由


この問題は原稿が全部ひらがな書きだったことに起因すると推測しています。

そこで初出と同じように全部ひらがなにしてみました。


復元私案

1番

あした はまべを さまよえば、

むかしの ことぞ しのばるる。

かぜの おとよ、 くもの さまよ。

よするなみも かひの いろも。


2番

ゆうべ はまべを もとおれば、

むかしの ひとぞ しのばるる。

よする なみよ、 かえす なみよ。

つきのいろも ほしの かげも。


3番

はやち たちまち なみを ふき、

赤裳(アカモ)の すそぞ ぬれもひじし。

やみし ひとは やほかゆくも

はまべの真砂(マサゴ) まなご いまも


4番

あおち たおやかに くもを しずめ

はまべも なみも いまは さやか

やみし われは すでに いえて。

はまべの真砂(マナゴ) まなご いまは。




こんな風になりますが、特に3番後半から4番前半は読んで意味が分かりにくい。


赤裳と真砂だけがルビ付き


古渓の意図は

赤裳・・・ひらがなで「あかも」は多分意味が分からないので漢字書きした


真砂・・・普通の読みは「まさご」、これを同じ意味で違う読みの「まなご」とも読める。

3番では「真砂(マサゴ)」と読んで、「八百日(やほか)ゆく浜」と関連づけた。

4番では「真砂(マナゴ)」と読んで、次の愛子と言う意味の「まなご」とかけた。

あくまで推測ですが、こんな風にルビを振っていたのではないか、これも一つの考え方と思います。

しかしこんな事は説明されなければ分かりません。



印刷する過程でのやり取り推測 (印刷屋のオヤジと植字工職人が困ってます)


3番

やみし ひとは ・・・ここは分かる

やほかゆくも  ・・・何じゃこれ・・・やほか=八百日とは分からない

はまべの真砂(まさご) まなごいまも・・・マサゴ、まなご、重複してよくわからない

。最初の浜辺の真砂が「笠の女郎の八百日行く 浜の真砂も ・・・」との関連が分からないと理解できない。


4番

あおち たおやかに・・・あおち?何ですか? 煽ち(=煽ち風)とは分からない

くもを しずめ  ・・・どうしてこんな所に雲が? もしかして蜘蛛か? この雲は「はやち(はやて、疾風)」の元になったのがはやて雲(疾風雲)で寒冷前線の雲のこと。この雲の直下では疾風が吹く。1番の「くものさまよ」の雲に対応している。こんな背景も説明なしでは分からない。


こんな風で、ひらがな書きではほぼ意味不明。そんな事で意味不明な3番後半と4番前半を切り捨て、3番前半と4番後半をつなぎ、新しい3番にしたのではないかと思えます。


荒っぽい推論ですが、印刷時の経緯が荒っぽい(スペースの問題ではない)所を見ると、こんな荒っぽい話が意外に真相に近いとも考えられる。


印刷する過程で、こんな事情で初出で4番が無くなってしまったので、初出では4番があった場所が大きく空欄になっています。こんな所も印刷に至る経緯を示しているように推測しています。



最後は口直し、歌の無い浜辺の歌をどうぞ





 

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2019-04-03 10:40

浜辺の歌と万葉集 前編


 新しい元号が発表されました。「令和」、良い元号ですね。
特に出典が万葉集である所が素晴らしい。菅原道真が「もう唐の国に学ぶものは無い」と遣唐使を廃止した、そんな時以来の文化面での支那からの離脱と言えるかもしれません。素晴らしいことです。


所で万葉集と言えば、私の考えでは「和歌の前の平等」が徹底されているのが特徴です。歌を詠んだのが上は天皇から下は兵士、農民、遊女に至るまで各階層におよび、みんな和歌の前では平等だということです。
この伝統は今でも宮中歌会始に見ることができます。


元号の話はここまでにして、今日のテーマは「こんな所にまで万葉集の影響が有った」、そんな事を書いてみます。

取り上げるのは唱歌「浜辺の歌」です。

これは現在普通に歌われている「浜辺の歌」


 「あしーた~はーま~べーぇーをー♪、さ~まーぁーよーえ~ばー♪」。「ー」はまっすぐ伸ばして、「~」は細かく動きながら伸ばす。少ない言葉に起伏のある複雑なメロディです。
でも名曲ですね。
但しここでは1番と2番だけが歌われています。


所でこんなバージョンも



これは聞いてみると1番、2番、そして3番まで歌われています。
でもその3番の歌詞は1番、2番とはどうも雰囲気が違う。おまけにどうにも意味不明なのです。

ではその歌詞はと言うと。

1番
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も

2番
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 偲ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も

3番
はやちたちまち 波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし
やみし我は すでに癒えて
浜辺の真砂(まさご) まなご今は


最初の1番最初の「あした」、これは「あした=明日」なのか「あした=朝」なのか、こんな事から分からない人が多いと思う。実は私だって大きなことは言えません。子供の頃は「どうしてあした(=明日)なのにさまよえばなんて言うんだろうと思っていたものです(笑)。

こんな事をちょうど1年前にエントリーしました。
朝は「あさ」か「あした」か  2018-04-28 16:42」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1523.html

このエントリーでずっと疑問だったのが、この浜辺の歌3番の意味不明問題。そもそも言葉が難しいんですね。
3番冒頭の「はやち」とは「はやて(疾風)」のことで、「ち」は風の意。赤裳は古代の女性の下半身に着るもの。「ぬれひじし」は「濡れ漬(ひ)じし」でびっしょり濡れる事。
いやあ、難しいですね。


参考までに赤裳の裾が濡れているというのはこんなもの。

2019-4-2豊後高田市田染荘の御田植祭 
https://www.furusato-tax.jp/product/detail/44209/64913

2019-4-2豊後高田市田染荘の御田植祭1 
http://www.city.bungotakada.oita.jp/page/page_00616.html

この写真は中世の荘園文化の伝統を残す国東半島(大分県)、豊後高田市「田染荘(たしぶのしょう) 」の御田植祭の様子。「浜辺の歌」の浜辺ではなく田植だが、「赤裳」とは、「濡れ漬(ひ)じし」とはどんなものかが分かります。

とまあ、こんな所までは色んな解説を見ればわかるんですが、問題はこの3番は作詞者林古渓の原稿には4番まであったんだが、初出時から3番前半と4番後半がくっつけられて3番だけになってしまったらしい。

実はこの浜辺の歌の歌詞が最初はどうだったのか、そんな所を詳しく研究した人がいる。埼玉大学教育学部准教授の小野和彦氏だ。

その論文はこれ
「浜辺の歌:林古渓の原詩の研究および土佐日記との類似」
小野和彦  埼玉大学教育学部芸術講座音楽分野
file:///C:/Users/PCUser/Pictures/KY-AA12318206-6602-35.pdf

この論文に初出の歌詞が掲載されている。

20019-4-2浜辺の歌初出版 

初出時の事情:上掲論文より抜粋引用
 「浜辺の歌」の歌詞の初出は、大正2年8月1日発行の「音楽」の第4巻第8号。「はまべ」の題で掲載され、(作曲用試作)とある。
 本文がひらがな表記であることが大きな特徴である。第3 節に漢字で「赤裳」「真砂」が見える。「真砂」の横にふりがながあり、「マナゴ」としてある。「真砂」は「まなご」と読むこともできるが、そうすると「まなご」が重複することになる。  この第3節を一読して意味を理解することは不可能に近い。それもそのはずで、古渓の長男・ 林大(はやしおおき)は「『音楽』に発表されたとき、歌詞の三番の前半と四番の後半がくっつけられていまして、これでは意味がとおらん、とおやじは言ってました」という談話を残している
<引用ここまで>


この初出時のひらがな表記が、私の見る所では印刷段階で3番と4番がくっつけられたりした遠因になっていると思うのだが、その間の事情は後編に書くことにします。

この浜辺に歌は1番2番はごく普通の浜辺の情景を歌ったものの様ですが、3番はどう見ても古代の話に飛んでいる。此処で赤裳の写真を載せましたが、この赤裳と言う言葉、万葉集には10首が「赤裳」と言う言葉を含んでいます。その10首のうち8首が「裾」を含んでいる。10首のうち2首には「ひづ」を含んでいることが分かりました。
こんな事で私は万葉集の専門家でも何でもないのですが、なんとなく気になり、ふと思いついた時に調べたりしてきました。
そんな事で次回は失われた3番4番を私の独断と偏見で復元してみました。以下は後編に。

参考までにこの問題で参考になる情報はこんなものです。

最初は上掲済みだが、埼玉大学の小野和彦氏の論文。大変良く調査されており、もうこれだけでほぼ全部と言って良いでしょう。但し長文です。
「浜辺の歌:林古渓の原詩の研究および土佐日記との類似」
小野和彦  埼玉大学教育学部芸術講座音楽分野

次に
二木紘三のうた物語 
浜辺の歌 2007年1月13日 (土)
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_e4b4.html
大変良くまとまっていますので、簡単に現在分かっていることが分かります。

次に
高知学芸塾のHPから  塾ブログ 「勝手に読んでばっと」の中に以下が有ります。
浜辺の歌 その1
浜辺の歌 その2
http://wwwb.pikara.ne.jp/cosmoon/hamabenouta2.html
このHPでは「浜辺の歌その2」でブログ主さんは何とか失われた3番4番の歌詞を復元しようとされています。大変興味深い取り組みと思います。
尚この高知学芸塾さんのHPによれば、指導理念の一つとして「言い訳しない、嘘をつかない、他人に迷惑をかけない、昔から受け継がれてきた日本人の美しい心を持った人間に育てる努力をします。」と有ります。大変素晴らしいことです。


オマケ
本文の掲載した赤裳の写真。大分県豊後高田市田染荘のモノですが、こんな田園風景です。
 2019-4-3田染荘1 
https://www.furusato-tax.jp/product/detail/44209/64913?gclid=EAIaIQobChMI3Javo9Oz4QIVBm5gCh2SUAKNEAEYASABEgJgVvD_BwE

<続く>

  1. 社会一般
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  3. CM(0)

2019-03-22 23:14

夜中に「すいませ~ん」とやってきた人


 昨夜、久しぶりに神戸に住む甥っ子がやってきた。夜10時半頃電話がかかってきて、『今飛行機に乗っている。神戸空港に降りる予定が現地の悪天候で中部国際空港(愛知県常滑市)に向かっている。悪いけど今晩一晩泊めて欲しい』、こんな話だった。

それから大分たって、夜11時半過ぎに「すいませ~ん」と言ってやってきた。
聞いてみると大変で、夜8時半に到着予定の便。神戸空港にはほぼ定時通りにやってきたのだが、悪天候で降りられず、暫く旋回していたのだが止む無く中部空港へ。中部空港に降りても1時間くらい神戸に行くつもりで待機していたが、天候回復せず、そのまま「ここで降りてくれ」と降ろされてしまった。おまけにタクシーに乗ったが、タクシーが道を間違えて(ナビへの入力ミス)ウロウロ(笑)。そんな事だった。

私らにしてみれば、久しぶりに顔を見られたし、元気な様子だったし、まあ良かったじゃないのという所だが、甥っ子にしてみると、神戸についたら30分で自宅に帰れるはずが、愛知県に着いてしまい、おまけに終車もない。会社には明日は午後から出社と言っておいたが忙しいとブツブツ。

今日チェックしてみたら、悪天候とは濃霧のことだったと報道されていた。


<以下神戸新聞より引用>

濃霧の神戸空港 航空機7便が着陸先を変更
2019/3/21 22:23 神戸新聞NEXT

 21日夜、兵庫県南部などの広い範囲で濃霧が発生し、神戸空港に到着予定だった航空機7便が着陸できず、関西や中部、羽田の各空港に進路を変えて着陸した。

 関西エアポートによると、濃霧の影響を受けたのは、羽田や新千歳、仙台、茨城の各空港を出発し、午後8時半から同9時半までに神戸空港に着陸予定だった航空機という。

 神戸地方気象台によると、風がない状態で、暖かい空気が入ってきたため濃霧が発生した可能性が高いという。

<引用終り>


なるほどねえ。こんな事情だったんだ。それで仕方なく「すいませ~ん」とやってきたわけだ。
いくら最新鋭機と言っても悪天候では仕方ないですね。それでも落ちるよりマシ。そうだと思います。

参考までに神戸空港での着陸の様子。

2019-3-22神戸空港への着陸の様子  
奥に見えるのが明石海峡大橋

こんな天気なら良いのですが、濃霧では仕方ないですね。落ちるよりなんぼかマシです。

参考までに神戸空港の位置関係。

2019-3-22神戸空港関連地図 
大阪には空港が三つあり、その三つの空港を赤丸で囲ってみました。
本当は伊丹空港(大阪国際空港・・上図の右上)がキャパいっぱいなのと騒音公害で関空(上図の一番下)を作ったのですが、関空が出来てみたら、「あんな遠い所は不便であかん」と言って廃止予定の伊丹空港を残してしまった。
オマケに一番よさそうな神戸沖(現在の神戸空港の所)を大反対で潰してしまった。その結果関空になったのだが、出来てみるとあんな不便な所は嫌だといって出来たのが神戸空港。
この神戸沖の空港建設反対運動。以前故お絵描き爺様が仰っていたのだが、あの空港反対運動は凄かった。空港に反対しない人は人間じゃない、そんな勢いだった。こんな大反対だったんだが、それはどこに行ってしまったんですかねえ。
こんな我儘の結果が、日本の地方都市から海外に行くルートがすべて韓国(インチョン)経由になって、航空会社も日本の航空会社を使わない。こんな事になってしまった。
我儘そのものがこんな結果。

そんな所が、丁度いまの大阪市長・大阪府知事の選挙にも表れています。大阪自民党は反維新の為なら共産党とでも手を組むんですね。
大阪自民党の皆さん。選挙に勝ったら共産党が与党になるんですよ。いいんですかソレで。

甥っ子が天候不順で大変な苦労をしたのだが、そこでこんな大阪自民の不甲斐なさを思い出してしまった。
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2019-02-05 16:52

春はあけぼの


 今日は旧暦の1月1日。一昨日が節分で昨日が立春。
昔の人の感覚なら、明けましておめでとう御座います。いよいよ春ですね。こんな感覚でしょうか。

春と言えば、
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる

枕草子です。
所で今朝、ヒョイと外を見たらこんな雲が

2019-2-5本日の夜明け、紫色の細い雲
2月5日06:49

むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」というのはこんな雲なんでしょうか。
でも清少納言の見た空は、「やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて」なのでもっと薄暗い感じだったかもしれません。


実は朝、こんな雲があるのに気が付いて慌てて手元のカメラで撮ったのがこれ
2019-2-5本日の夜明け、紫色の細い雲6時44分 
2月5日06:44 (冒頭の写真の5分前)

これだと「むらさきだちたる雲のほそく」になるかも知れません。
でもこの場所では何ともならないので、大急ぎでもう少し見晴らしの利く所まで小走りで行ったのが冒頭の写真。わずか5分で随分違います。
(影の声:望遠も持って出ればよかったとすぐ気が付いたが、取りに帰る時間なし、トホホ)


そしてこれが冒頭の写真の1分後。
2019-2-5本日の夜明け、紫色の細い雲6時50分 
2月5日06:50

太陽がさらに上ってきたので雲が金色に光っています。美しいですが、でもこれでは「むらさきだちたる雲」とは言えないですね。

旧暦(太陽太陰暦)元旦の朝はこんな感じでした。
雲の色が紫から金色に変わるのにほんの数分。清少納言はこんな瞬間の色の移り変わりを目にして「春はあけぼの」と言ったんですね。
素晴らしい感性です。

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2019-01-30 16:16

タシュケントのナヴォイ劇場<技術者倫理の絶好の見本


 筑波大学の掛谷 英紀 (かけやひでき)氏がツイッターで大変いいことを言っている。
記録の為引用します。

<以下引用>
https://twitter.com/hkakeya/status/1089538974731784192
Hideki Kakeya
@hkakeya
文系の先生がシベリア抑留を教えないので、我々理系の教員が教えるしかない。私は技術者倫理の授業で必ず取り上げる。タシュケントのナヴォイ劇場は抑留された日本人が作った。1966年の地震で周りの建物は倒壊したがナヴォイ劇場は倒れなかった。最近相次ぐ耐震偽装事件と好対照をなす事例。
7:01 - 2019年1月27日

@hkakeya
 1月27日
戦前の人の職業倫理の高さは学校教育に支えられていた部分も大きいと思う。尋常小学校の国語教科書に出てくるのが青函連絡船の久田佐助船長の話。乗員乗客を全員救命ボートに乗せた後、自分は母船に残って救難信号を打ち続け、船と共に沈んだ。この話に限らず、戦前の国語教科書は読み応えがある。

<引用終り>


ナヴォイ劇場
2019-1-30ナヴォイ劇場 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E5%8A%87%E5%A0%B4

参考ブログ
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/personal92.htm
ここにこんな事が・・・。
現地のウズベキスタンの人々を感動させたのは、
戦いに敗れても日本人は、誇りを失うことなく骨身惜しまず働いて立派な仕事を残した。」
 ウズベキスタンの母親は「子供に日本人捕虜のようになりなさい」人が見ていなくても手抜きをせずにまじめに仕事をする。すばらしい民族だ。」との言い伝えがあります。

参考図書・・中山先生の著書
ウズベキスタンの桜 単行本 – 2005/11/1  中山 恭子  (著)
2019-1-30中山恭子 


安倍総理大臣のウズベキスタン訪問  平成27年10月26日
https://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/ca_c/uz/page1_000145.html

日本人墓地参拝
2019-1-30安倍首相ウズベクスタン訪問1 

ナヴォイ劇場視察
2019-1-30安倍首相ウズベクスタン訪問2 

こんないい話は折に触れて語り伝えたいですね。
 
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2019-01-02 16:41

初詣


 初詣に行ってきました。例年は元旦早朝に岡崎市の岩津天満宮に行くのですが、今年は本日にしました。

これが本日の岩津天満宮(天神さん)、綺麗に晴れ上がっています。

2019-1-2岩津天満宮1月2日朝 

天満宮は学問の神様なので、受験生が沢山やってきていました。
他にも受験生を抱える学校の先生方も子供たちの志望校合格を祈願していました。
絵馬に教え子の志望校合格を祈願している。そんな先生に教えてもらう子どもたちも幸せだと思います。


所で6年前の2013年。
丁度前年(2012年)12月の総選挙で自民党が大勝し、第二次安倍内閣が発足した直後。
その頃は本殿前の願掛け牛(願いと込めて願掛け牛に水をかける)はこんな風に氷漬け。


これは013年1月1日の岩津天満宮の願掛け牛



牛クンも寒そう・・・
牛クン曰く、
”あんたら、勝手に水をかけてお願いお願いと言うが、それを聞いて水をかけられる身にもなってみなはれ! おいらも寒いのを我慢しているんだ。あんたも頑張りなはれ!”

2013年は悪夢の民主党の3年半からやっと政権を取り戻した年。今でもあの時の苦労を思い出します。本当にアベノミクスのおかげです。

私も個人的にこの頃は葬式だらけでたいへんでした。
今年こそ良い年にしたいですね。

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2019-01-01 12:25

明けましておめでとう御座います


 明けまして おめでとう ございます.

本日、平成31年1月1日の日の出。平成最後の元旦の日の出です。

2019-1-1平成31年の初日の出@羽豆岬 
愛知県知多半島先端、羽豆岬からの日の出

日本は長い長い閉塞のトンネルからいよいよ飛び立とうとしています。

そんな元日早朝、日の出の15分ほど前にはもう1機が飛んでいきます。
何処へ行くのか、それとも来たのか・・・。
2019-1-1元日のフライト6時47分 

本年もよろしくお願いします。



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2018-09-24 19:58

阿久比谷の虫供養


 昨9月23日、愛知県の知多半島中央部にある阿久比町の伝統行事「阿久比谷の虫供養」を見に行ってきた。
虫供養?、何ですか。それは・・・。
多分殆どの人が初めて聞く名前と思う。

虫供養の虫とはコメ作りや野菜作りの害になる害虫のこと。これを駆除してコメや野菜の豊穣を願うのだが、その為に犠牲になった虫たちの供養をし、翌年の豊作を願う。平安時代の終わりころから続く民俗信仰行事。愛知県の文化財に指定されています。

この虫供養、年に一日(秋の彼岸=秋分の日)だけ開催されるのと、会場が阿久比谷13地区の回り持ちなので私も子供の頃一度行ったことがあるだけ。今回は阿久比町の高岡地区が開催場所なので、行くことにしました。

とは言うものの実は会場がどこなのか全く分からない。ネットで見てもどこにも場所が書いて無い。まあ高岡地区と分かれば大体見当はつくのでアチコチうろうろと・・・。《影の声:大分うろうろ・うろうろしたようだが(笑)》


県道から脇にそれ少し奥までくると

2018-9-24阿久比谷虫供養1 

有りました。阿久比谷虫供養 高岡会場  この坂道を上ってゆきます。


振り返ると谷間の田んぼは秋の色

2018-9-24阿久比谷虫供養2 


此処がその会場

2018-9-24阿久比谷虫供養31 

地域の重要行事なので、出席者は正装をしています。

道場はこんな風
2018-9-24阿久比谷虫供養4 


奥にはこんな仏画が飾ってあります。数百年昔から伝えられてきた大切な仏画。

2018-9-24阿久比谷虫供養51 

この仏画の前で百万遍念仏  南無阿弥陀仏、なんまんだぶ~と百万回(??)

別の小屋にはこんなものも 道元禅師
2018-9-24阿久比谷虫供養6 

待てよ、道元禅師と言えば曹洞宗(禅宗)、だからお経は南無阿弥陀仏とは言わないはずだが・・
南無阿弥陀仏というのは浄土宗、浄土真宗(真宗)などで、曹洞宗(禅宗)は称えるなら「南釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」、多分般若心経を称えるんだろうなあ。
まっ、いいか。この行事には僧侶は参加しないから。


大塔婆の前には砂山があり、大人が踏むと無病息災、子どもが踏むと「カンの虫封じ」なのだとか

2018-9-24阿久比谷虫供養7 
子どもの健やかな成長を願うお父さんは正装しています。


帰り道途中にはヒガンバナの名所矢勝川。新美南吉の童話「ごんぎつね」の舞台でもあります。

2018-9-24阿久比谷虫供養10 


矢勝川には今年からこんな石橋ができました。

2018-9-24阿久比谷虫供養8 

堤防の両側、ヒガンバナが丁度満開

2018-9-24阿久比谷虫供養9 


阿久比谷の虫供養では私は大変貴重な経験をしました。
今回、地元の方と行事の由来などを色々話していたのですが、阿久比谷13地区の回り持ちなのですが、この仲間に入っていない地区もある。その地区も昔は仲間だったのだが、年ごとの引継ぎで保管していた貴重な仏画などを紛失してしまった。その地区だけ除外している。こんな話なのですが、その事件が起こったのは1600年代のこと。今から300年以上前の話を まさに昨日のことのように詳しく話してくれた事の多いに驚きました。
地元にとってはとんでもない大事件。だから代々語り継いできたのだなと感じました。

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2018-09-01 08:03

ラオスのダム事故から黒四ダムの話へ


 ラオスのダム決壊事故について色々書いてきたのだが、調べていくうちに私の昔からの黒四ダムについての疑問が一つ解けた。
私の思いで話ですが、ラオスのダムの話の今後にもつながる話かも・・・。

先ずはこれを見てください。

2018-8-31黒四ダム 

黒四ダム(黒部ダム)です。素晴らしいダムですね。

疑問というのはこのダム、アーチ式ダムなのですが、両端がくの字に曲がっている。アーチ式ダムというのは両端は両側の岩盤にくっついている筈なのですが・・、なんでやねん・・。

これはアーチ式ダムの代表、フーバーダムです。

2018-8-31フーバーダム 

正式には重力式アーチダムだそうな。凄いダムですねえ・・・。堤高221m。総貯水量400億トンは日本に有る全部のダムの貯水量合計(約250億トン)より多い。


所でその黒四ダムですが、冒頭書いた両端がくの字に曲がっている理由が分かりました。建設途中の1959年(昭和34年)12月、フランスの新設されたアーチ式ダムで深刻なダム決壊事故が発生しました。ダムはマルパッセダム

現在のマルパッセダム遺構
2018-8-31マルパッセダム遺構 

現在も事故の記憶遺産として保存されているマルパッセダム遺構。完成当時は高さ66.5m、堤頂長222mのアーチ式ダムだった。
(写真の左上真っすぐな部分がオリジナルのダム天端、その右の階段状の所は崩壊したダム)
ダムは始めて満水になった直後、左岸の基礎の岩盤が水圧で押されて崩壊しダム崩壊、死者421名(500名以上の説あり)という大災害。

この事故で建設中であった黒部ダムに資金調達していた世界銀行がアーチ式ダムの建設工法に危惧を抱き、ダムの堤高を引き下げるよう勧告。結果、設計を変更して両翼に重力式のウィングダムを設けた。この他、東京電力により計画されていた奈川渡ダムは、この事故を受けて堤高を当初案の175メートルから155メートルに変更した。


なるほどねえ。こんな経緯があって黒四ダム(黒部ダム)は両端がくの字に折れたような形をしていたのか、納得しました。

そしてこれが奈川渡ダム。長野県の松本から上高地方面への途中にある。
2018-8i-31奈川渡ダム 

ダムの右側が上高地方面への梓川、左側が木曽方面、野麦峠方面への奈川。

ダムの上が国道158号線
2018-8i-31奈川渡ダムの上の国道158号線 

此処は何度も通りましたが、こんな話があるとは知りませんでした。


こんな思いで話とともに私の感想です。

今回のラオスのダム決壊事故は間違いなく人災です。
そして多分マルパッセダム事故の教訓のように、ラオスのダム事故も巨大建築物に対する信頼性問題を如何するか、そんな回答を迫られるでしょう。
少なくとも「壊れたサドルダムDを修理しただけ」、こんなことが許される筈は有りません。最悪の場合、このプロジェクトの放棄、あるいはメインダム2基、サドルダム残り4基を総見直し(やり直し)、こんな事も視野に入れた検討になるのではないでしょうか。

韓国としてこんな莫大な損失と韓国ブランドの毀損に耐えられるでしょうか。
こんなことでダムの話を終わります。



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2018-07-23 18:02

酷暑41.1℃


 毎日無茶苦茶に暑い日が続いています。とうとう今日は41.1℃と今までの日本記録(40.0℃)を更新しました。

2018-7-23今日の猛暑 

何でも日本一なら良いってもんじゃないですね。暑いです。

我が町に近いアメダスポイントは大府市ですが、今日の最高気温は38.8℃。
名古屋でも17:55現在で35.2度でした。


そして今週はオートバイの真夏の祭典「鈴鹿8耐」こと鈴鹿8時間耐久レースが予定されている。
これは去年の様子
2018-7-23鈴鹿8耐2017 

今年は敵が一つ増えて酷暑との闘いの8耐、昨年まではヤマハが勝っていたのですが、今年はどうでしょうか。
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2018-05-08 15:56

旧国鉄中央線・愛岐トンネル群に行ってきた


 名古屋から東京に向かう中央線の愛知県と岐阜県の県境に愛岐トンネルがある。現在のトンネルは複線電化の為、明治時代に建設された単線のトンネルの隣の超大トンネルだが、その廃止されたトンネル群が再発見され、国の登録文化財になっている。
公開は年2回で、今回は5月2日から6日まで。その最終日に行ってきた。

場所はJR中央線(中央西線、東京の方の中央線と繋がっているが直通列車はない)の定光寺駅周辺。

2018-5-8定光寺駅から愛岐トンネル

定光寺駅を出発した電車は岐阜県方面に向かっています。その先が愛岐トンネル。
この愛岐トンネルは複線電化の為昭和41年に完成。旧トンネル群は新トンネルの右側の山の中に有。
右に流れる川はこの辺りでは玉野川、上流岐阜県側は土岐川、下流名古屋方面は庄内川と名前を変える。
しかし、今見れば美しい風景だが、明治中頃の機械の何もない時代。よくまあこんな断崖に鐡道を通したものだ。西欧諸国に追いつこうとする情熱を感じる場所だと思う。

国・登録文化財になっているトンネル群はこうなっている
2018-5-7愛岐トンネル群配置図 
全部で14基のトンネルがあり、13基が現存している。

定光寺駅からはこんな所を歩いて
2018-5-8愛岐トンネル群1 

こんな急な崖を階段で登る
2018-5-8愛岐トンネル群2 

これが3号トンネル、入り口に実物大のSLを描いた幕(のれん?)
2018-5-7愛岐トンネル群3

トンネルの中は真っ暗、但し最初の3号トンネルは少し明かりも有った
2018-5-8愛岐トンネル群4 

トンネルの外ではボランティアの方がオカリナの演奏
2018-5-8愛岐トンネル群5 

鯉のぼりも
2018-5-8愛岐トンネル群6 

こちらでは青空演奏会、題してトンネル・コンサート
2018-5-8愛岐トンネル群7 

いいですねえ、緑の中のコンサート!
2018-5-8愛岐トンネル群8 

最後の6号トンネル
2018-5-8愛岐トンネル群9 

此処で行き止まり
2018-5-8愛岐トンネル群10 

この下の谷川が愛知県と岐阜県の県境。対岸は岐阜県だが名古屋市の廃棄物処分場への道路。だから右側の赤い橋も含め一般車通行禁止。
ケーブルはイベントの機材や弁当などの運搬用に設置されたもの。正面に見える駐車中のクルマはその関係者用のモノ。名古屋市から特別に許可をもらって駐車しているとの事。

しかしこんな美しい景色の所にゴミの処分場を、それも県外のゴミの処分場を作らねばいけない。こんな所でゴミ問題の深刻さを痛感した、そんな一日だった。


所で一寸話は変わりますが・・・

鉄道の廃線跡、特に廃トンネルは特定の所に集中している。
一寸この地図を見てください。

これは関東から関西方面への鉄道路線で廃トンネルが沢山あるところの図
2018-5-8中部地区地図2

東京大阪間には鉄道を通すうえで大変困難な場所が有った。まさに隘路と言って良い所。
中央西線では名古屋から僅か30キロほどの所にこんな難所が有った。現在では長大トンネルで 殆ど意識しない所。そこが実は先人の苦労の結晶だった。
東海道線だとこんな所は日本坂トンネル周辺にも色々ある。
北陸線だと敦賀の先、北陸トンネル周辺いこんな廃トンネルが残っている。

そしてこんな所が普段は何も問題はないが、天災とか外国の攻撃などには大変脆弱なので、その対策が必要である。
明治の先人はこんな事を考えていた。
若し「黒船が一隻やってきて東海道の隘路を砲撃すれば、東京大阪間の交通が途絶する。だからその代替として中央線が必要だ」、こんな事を考えていた。
先人の国防に対する思いを今一度考えてもいい時期になってきたようだ。

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2018-05-05 17:37

「世界は一つ」から靖国問題の真相へ

 5月3日のエントリー『「理想主義」が諸悪の根源』でジョン・レノンのイマジンを取り上げたのだが、この歌は最後が「And the world will live as one    そしてきっと世界はひとつになるんだ」で終わっている。

この「世界は一つ」という見果てぬ夢をとなえた高名な人が日本にもいる。日本人初のノーベル賞学者湯川秀樹博士である。
その湯川秀樹博士の言葉「世界は一つ」は愛知県の三ヶ根山にある「殉国七士廟」の記念碑にもなっている。

ちょっと話がアチコチするが、この件を調べていて私が誤解していることが分かった。
何を誤解していたのか。
昭和天皇はA級戦犯が靖国神社に合祀されたことで靖国神社に参拝しなくなった、こう報道されており、私も可笑しいと思いながらもそうなのかなあと思っていた。
しかし事実は全く違っていた。昭和天皇はひそかに「殉国七士の墓」に御親拝されていた。こんな事実が分かったので、そのことを書いてみたい。

これが世界は一つの碑
2018-5-3湯川秀樹「世界は一つ」の碑 

殉国七士廟の駐車場には「萬世太平の像」、「世界は一つ」の碑がある。
2018-5-3三ヶ根山殉国七士の碑 

これが殉国七士の墓
2018-5-3殉国七士の墓 

殉国七士は
軍人
・東條英機(首相・陸軍大将)
・土肥原賢二(陸軍大将)
・板垣征四郎(陸軍大将)
・木村兵太郎(陸軍大将)
・松井石根(陸軍大将)
・武藤章(陸軍中将)
文官
・広田弘毅(首相)

殉国七士廟については以下参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%89%E5%9B%BD%E4%B8%83%E5%A3%AB%E5%BB%9F

何故殉国か、これは東京裁判そのものが国際法上不当なもので、戦勝国による言いがかり、復讐であったから。
A級戦犯・靖国神社参拝問題の基本的事実
http://www.seisaku-center.net/node/505

公共裁判の問題については、その後マッカーサー自身が間違っていたことを認めている。
参考エントリー
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1201.html
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-763.html

マッカーサーはトルーマン大統領のウェーク島での会談でこう言っている。
「戦争犯罪人などに手を出してはいけない。うまくいくものではない。ニュルンベルク裁判や東京裁判は、戦争の抑止力にはならなかった」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1950_makkasa_uekuto.html

また七士の遺骨はGHQが遺族には渡さず、海に捨てる計画だったが、それをひそかに盗み出して殉国七士として祀ることが出来た経緯は以下参照ください。
https://ameblo.jp/atomu-coco50/entry-11903633046.html


さてこれからが私が驚いたこと。
昭和54年に昭和天皇が全国植樹祭で愛知県に来られた際、わざわざ不便な三ヶ根山山頂にあるホテルに宿泊され、ひそかに殉国七士の墓を御親拝されていた事だった。



昭和天皇 愛知県幡豆郡三ヶ根山 東條英機が眠る墓へお参りされる 昭和54年
https://ameblo.jp/atomu-coco50/entry-11903633046.html


何が驚いたかというと、当日の植樹祭会場と宿舎となったグリーンホテル三ヶ根との位置関係を見て欲しいからである。
2018-5-5グリーンホテル三ヶ根案内図 

天皇陛下がご出席される全国植樹祭会場は名古屋市のほぼ真東約20キロの所。しかし宿舎からは直線距離で40キロ以上だが、多分実走行は60キロ以上。宿舎から東名岡崎インターへ出て、そこから名古屋インターで東名を下り、猿投グリーンロード経由で会場に入られたと思われます。誰が考えても名古屋で泊まれば良い筈だと思う所です。昭和天皇にはグリーンホテル三ヶ根にそれだけ強い思いが有ったのでしょう。

小さい字で・・・余談ですが、天皇皇后両陛下が地方に出たとき、特別な思いのある所へわざわざ立ち寄るというケースが当地方にもあります。・・ちょっと参考までに・・
2010年6月、天皇皇后両陛下が岐阜県に来られました。第30回全国豊かな海づくり大会ご出席のためです。その時当地方にある小さな小さな「新見南吉記念館」に両陛下が来られました。最初は美智子皇后陛下だけが来られるという話だったんですが、結局両陛下お揃いでおいでくださいました。新見南吉は小学校の教科書にある「ごんぎつね」の話の作者ですが、皇后陛下は子供の頃、新見南吉の「でんでんむしの悲しみ」という同和を聞いて感銘を受けたのだが、大人になってからでも苦しい時、悲しい時にいつもその話がふと頭に浮かんできて、自分だけじゃないんだと勇気づけられた。だからその記念館をぜひ見てみたい。こんな話でした。
新見南吉記念館
http://www.nankichi.gr.jp/


話がどんどん飛んでしまいました。
最後にもう一つ、昭和天皇が靖国神社に行かれないのはA級戦犯の合祀が原因だという話があります。わたしもそんな報道があり、へー、そうだったのかと思っていたのですが、これがトンデモナイ嘘、フェイクニュースでした。
若しそんな事をだったら、全国植樹祭で愛知県に行くからと言って、昭和天皇がわざわざあんな辺鄙なところ(失礼!)に宿泊する筈が有りません。

この件は以下参照ください
昭和天皇の靖国ご親拝中止は戦犯合祀が原因でない

時系列的には簡単である。
昭和天皇が最後に靖国神社に御親拝されたのが昭和50年。昭和51年からは御親拝されていません
靖国神社に問題の7名が合祀されたのが昭和53年
ですから靖国に御親拝されなくなったのは、所謂A級戦犯と言われる方の問題ではありません。
そのうえ、昭和54年には殉国七士の墓にひそかに御親拝されています。

靖国問題の原因は上掲記事に有ります。
その要因は、当時の三木武夫首相が昭和五十年に靖国神社を参拝した際、 取材記者に「私的立場で参拝をした」 と発言したことにあります
マスコミは、その発言を取り上げ、政治家の靖国神社参拝は「私的参拝」か「公的参拝」か、と問うようになりました。 
それまでは、 八月十五日に天皇陛下も、 総理大臣も、 靖国神社を参拝してもマスコミが特別に騒ぎ立てることはなかったのです。 

それが、 三木首相の発言で、 眠っている子を起こしてしまったわけです。 
「公的」 と言えば、 憲法の政教分離の原則に反する言い、 侵略戦争だった大東亜戦争を認めるのか、 という論法でマスコミが叩いていくわけです。 その流れは、 今日まで続いています。
こんな事ですね。

最後にどうして愛知県の三ヶ根山が舞台なのか、これについては以下参照ください。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-820.html

この話は私が若いころ、当時の大先輩から聞いた話がもとになっています。南方で苦労し、多くの戦友を失った人にとっては、三ヶ根山からの景色はあのマニラ湾やレイテ湾の景色によく似ている。だから現在では80基とも言われる慰霊碑が三ヶ根山上にあり、慰霊の地になっているという事です。

三ヶ根山からの眺め
2018-5-5三ヶ根山頂からの景色 
長い話になりました。最後までお付き合いいただき有難うございます。

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2018-05-03 17:20

「理想主義」が諸悪の根源


 理想主義が諸悪の根源、こんな事を藤井聡先生が話している。
丁度いま南北朝鮮が和解に向かっている最中なので、そんな事を考えてみた。

最初の藤井聡先生の話から

<以下引用>
https://the-criterion.jp/radio/20180430-2/

https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/1333471233420483

週刊ラジオ「表現者」

「理想主義」が諸悪の根源。ピースの影に戦争あり。
2018.05.01




複雑な勢力均衡で成り立っている国際社会で,理想主義的な「平和」ばかりを唱えていると,逆に「戦争」を招く結果になることもある.また歴史的に人間社会では,理想主義が暴力の原因となった例も少なくない.そのパラドキシカルな関係を解説します.

今週の一曲
Imagine by ジョンレノン

1980年に銃殺されたジョンレノンの、1971年にリリースされたビートルズ解散後の代表曲。「Imagin」(想像してみなさい)と語りはじめるこの曲は、国家や宗教や所有欲が「存在しない状態」を万人が想像できれば、平和になって、世界は一つになるに違いないさ、という見解を表明し、万人に「想像」することを呼びかける。1975年まで続いたベトナム戦争に反対するアメリカの若者達の反戦運動を象徴する一曲。「もしこれが可能なら」、どんなに素晴らしい事だろうと思わない人など、いるわけがない―――が、実際には、可能でないにも関わらず、『もし可能なら』と多くの人々が想像しはじめたら―――そこにはジョンレノンが全く想像すらしていなかった地獄の扉が開かれることになる
執筆者 : 藤井 聡

そしてこの投稿の追加
https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/1333471233420483
Satoshi Fujii
May 1 at 5:05pm · 
実は、先に紹介した「諸悪の根源は理想主義」のラジオは、朝鮮有事でなくむしろ「シリア」をイメージしてお話しておりました。で、そのシンボルとして
 「ジョンレノン」
のイマジンを紹介していたのですが・・・・まさにジャストタイミングにも、その奥様のオノ・ヨーコさんが、今回の南北首脳会談に関して、こんなツイートをしておられるようです。

『夫が喜んで宇宙をはね回ってるのが目に浮かぶ・・・これが世界中の国々が握手するスタートになってほしい。1つの世界。1つの人類。私は、これが、私と夫が信じたことの始まりだと望む。もうすぐだと確信している。平和はパワーだ!』

・・・・いやぁ、まさに「理想主義」・・・・

我々日本人が朝鮮半島和平でただ単に浮かれているようでは、取り返しのつかない損害を被ることになるでしょう・・・・
兎に角、外交では(我が国の情けなさ、無能さも含めて)現実を直視することが必要です。


オノ・ヨーコ氏「ジョンは喜んで宇宙はね回ってる」
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201804300000134.html

<引用ここまで>

これが「イマジン Imagine 」   いい曲です。ですが・・・



「イマジン Imagine 」の歌詞は簡単な英語なのですが、どうも意訳が多い(上掲動画も同じ)。それで色んな訳を見て、私なりに適当に訳してみた。

イマジン  Imagine    和訳

Imagine there's no Heaven   想像してごらん 天国は無いと
It's easy if you try        やってみれば 簡単
No Hell below us          下に地獄は無く
Above us only sky                      上には ただ空があるだけ
Imagine all the people               想像してごらん  みんな     
Living for today...                      ただ今を生きているって...

Imagine there's no countries      想像してごらん 国が無いことを
It isn't hard to do                      難しくないでしょう
Nothing to kill or die for             殺すことも死ぬことも無く
And no religion too          そして宗教も無い
Imagine all the people         さあ想像してごらん  みんな
Living life in peace         ただ平和に生きているって...

You may say I'm a dreamer    僕のことを夢想家だと言うかもしれない
But I'm not the only one      でも僕一人じゃない
I hope someday you'll join us    いつかあなたもみんな仲間になって
And the world will be as one     きっと世界はひとつになると願う

Imagine no possessions      想像してごらん 財産がないのを
I wonder if you can          あなたは想像できるだろうか

No need for greed or hunger   貪欲になることも飢えることも無い
A brotherhood of man      人はみんな兄弟なんだ   
Imagine all the people      想像してごらん みんな
Sharing all the world       世界を分かち合えるんだ...

You may say I'm a dreamer    僕のことを夢想家だと言うかもしれない
But I'm not the only one     でも僕一人じゃない
I hope someday you'll join us    いつかあなたもみんな仲間になって
And the world will live as one    そしてきっと世界はひとつになるんだ

引用者注:途中に「Imagine no possessions 」というフレーズがあります。このpossession は普通には「所有」という意味ですが、「possessions 」となると財産とか国の領土という意味になります。恐らくこの曲が問題を含んでいる一番のポイントではないでしょうか。私は財産としましたが、領土にすれば完全な無政府主義思想になります。

<歌の話は此処まで>

さて藤井聡先生は上掲ラジオ番組の中で、「理想主義が強ければ強いほど、理想から外れた国に対し不寛容になって、一瞬で暴力主義的になる。そういう恐ろしいものが潜んでいる・、こう言っています。

さてジョン・レノンがイマジンを作ったのはベトナム戦争最中の1971年、そして1975年に戦争は終わったのですが、その後どうなったでしょうか。
一番極端な例がベトナムの隣国カンボジアにあります。

こんなもの
(酷い写真なので小さくしました。詳しく見るにはクリックしてください)
2018-5-3カンボジアの大虐殺写真 
1975年から僅か4年の間に起こったポルポトの大虐殺、未だ正確な死者数は分からないが170万とも220万ともいわれる。当時のカンボジア人の4人に一人とか5人に一人である。しかも殺されたのは主に学校の先生とか村や町の役人・芸術家など知識人・インテリ層。知識人の大半が殺されたと言う。

参考ブログ
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-591.html



さて本題に戻ります。

ジョン・レノンがNYで平和に暮らしている時、世界ではとんでもないことが起こっていたのです。それを藤井聡先生はこう言っています。

「実際には、可能でないにも関わらず、『もし可能なら』と多くの人々が想像しはじめたら―――そこにはジョンレノンが全く想像すらしていなかった地獄の扉」が開かれることになる。」

そして更に

「我々日本人が朝鮮半島和平でただ単に浮かれているようでは、取り返しのつかない損害を被ることになるでしょう・・・・
兎に角外交では(我が国の情けなさ、無能さも含めて)現実を直視することが必要です。」


日本は国を挙げてモリカケの蕎麦屋騒動からセクハラ騒動に明け暮れ、とうとう国会は野党議員が長期勝手気まま連休を決め込む始末。
こんな事で国を守れるのだろうか。暗澹たる思いである。

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2018-04-28 16:42

朝は「あさ」か「あした」か


 なぜ「朝」を「あした」と読むかは寡聞にして知らない、こんな書き出しで始まるコラムが読売新聞(朝刊1面、編集手帳 4月24日)に載っていた。まさか編集手帳士が「あした」を知らなかったとも思えないので、この後をつなぐため惚けて見せたと思うが、時の概念というのは大変難しい。

私の失敗談も含めてそんな「あした」の話を書いてみたい。


これが編集手帳
2018-4-28読売新聞編集手帳 

4月24日 編集手帳
2018年4月24日
 なぜ「朝」を「あした」と読むかは寡聞にして知らない。論語に<朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり>という一節がある
◆朝(あさ)どう生きるかを悟れば、夕方に死んでも後悔はない――との意味だが、映画『男はつらいよ』で寅さんが「朝」を「あした」と受け取ったまま、この一節を披露する場面がある。あした道を聞こうと思っていたら、夕方に死んじまったと
◆少し先にどんなトラブルが待つか、人には分からない。命にはかかわらずとも、思いがけず大けがをした居酒屋社員の男性の訴えを本紙社会面(23日東京版)で読んだ
◆ある年の12月、上司の誘いを断り切れず、休日をさいて忘年会に参加した。1次会のあと、カラオケ店での2次会が午前2時半から。その席で酔った同僚から暴行を受け、肋骨ろっこつを折る重傷を負った。東京地裁は私的な会合とは認めず、責任は会社にあるとして賠償を命じたという
◆もし防げるとしたら、宴会の“強制”などの旧弊に物言える雇用主だけだろう。組織管理は往々「あした道聞かば」では遅い。寅さんは勘違いのようで、じつは道理を述べている。
<引用終り>


所でこんな歌を知らないだろうか、。
浜辺の歌


https://youtu.be/zEK-d6UN2pU
浜辺の歌 ♪倍賞千恵子   動画は映画24の瞳からのようですね。
歌唱:倍賞千恵子 (1969) 
作詞:林古渓 
作曲:成田為三

 「あしーた~はーま~べーぇーをー♪、さ~まーぁーよーえ~ばー♪」。「ー」はまっすぐ伸ばして、「~」は細かく動きながら伸ばす。少ない言葉に起伏のある複雑なメロディです。
でも名曲ですね。

そして誰でも子どもの頃にこの歌を歌いながら、「あした」の話だろ、どうして今日さまようんだろう?、こんな疑問を持ったのではないか。

一寸そんな所を手元の広辞苑(昭和48年の第二版第七刷、古い!)を見てみるとこんな風にかいてある。

あした【朝】 ❶(古代には昼間を中心にした時間の言い方と、夜間を中心にした時間の言い方があり、「あした」「ゆうべ」「よい」「よなか」「あかとき」「あした」の最終の部分)朝①夜が終り明るくなって暫くの間。旦。②夫が来て泊っていった翌朝。また夜中に何か事が有った、その翌朝
❷あす。明日。・・・以下略

ではもう一つの言い方「あさ」はどうなっているかというと、
あさ【朝】(古代には昼間を中心にした時間の言い方と、夜間を中心にした時間の言い方とがあり、「あさ」は昼間を中心にした「あさ」「ひる」「ゆう」の最初の部分)夜明けからしばらくの間、また、正午。までの間・・・以下略

こんな風である、漢字で書けば「朝」の一字だが、日本語は「あした」と「あさ」、この二つの言い方が有り、意味が微妙に違う。
「あした」は夜が明けてしばらくの間だが、「あさ」は夜が明けてからでいいが午前中いっぱいは朝で良い、こんな違いがあるようだ。
編集手帳で論語の<朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり>を引いて、漢字の朝を「あした」と読ませているが、論語原文(里仁第四の八)は「子曰、朝聞道、夕死可矣」であり、読みは「あさ」でも「あした」でも構わないのだろうが意訳で「あした」になっている。
編集手帳士はその後ろのことを言いたいために無理やり話を捻じ曲げたのだろうが、こんな事は今はネットでいくらでも調べられる。もっとキチンと調べて書いて欲しいものだ。


 所で時の概念について、私のタイでの経験を少し。
一日が24時間であることは誰でも知っている。そしてその24時間を二つに分けて深夜0時で日付けを変え、そこから正午まで12時間を午前、正午以降を午後と称して、何時と言っている。これ以外に午前午後では不便なので、1日を24時間制で言うことも有る。(13時とか20時とか言いますね)

ではタイである。
タイでの時間は6時間で0に戻る言い方をしている。1時、2時・・5時、その次6時は又0時になる。これだけでは何がなんやらわからないので、午前午後と同じように、タイの時刻は最初の何時、朝の何時、午後の何時、夜の何時、こんな言い方になる。但し特に午前7時~午前11時はビジネスでよく使う時間帯なので例えば午前8時は本来のタイ語は「朝の2時」なのだが「朝8時」という事が一般的になってきた。

タイに行ったらすぐにこんな事が有った。日本人用の運転手がタイ語の分かる日本人の所に飛んできた。「ミスター〇〇が明日7時に迎えに来いと言っているが、朝の7時なのか夜7時なのか分からないので聴いてほしい」と。
まあこの程度なら笑い話で済むのだが、私もこんな経験が有る。
夕方、運転手に「明日の朝4時の来てくれ」と言っておいたのだが来ない。急用だったので大騒ぎだったのだが、如何してこなかったのか聞いてみた。
その運転手にとって今日というのは夜明けから翌日の夜明けまで。だからまだ真っ暗な午前4時というのは「今日」と理解していた。
そこでスタッフなどに聞き込んでみた。「今日と明日の境目はどこか」。結果高学歴の都会人スタッフは午前0時が境目で、それを超えると日付が変わるときちんと理解していた。しかし主に田舎出身のワーカークラスはそこがあいまい。明日の朝、真っ暗なうちは今日、明るくなったら明日と思っている者が少なからずいた。

そういえば日本でもマスコミ人などは25時とか26時などと言いますね。
私の見ている衛星テレビ「クラシカジャパン」の番組表などは、例えば本日4月28日の番組は29日の午前5時までが28日の番組欄に記載されています。

たかが時刻表示一つでも世の中多様な時代になったものです。
そういえば「朝日」となると、将来の辞書には、日本を貶める不逞の輩の巣窟だったが今は無い、こんな事が書かれるかもしれませんね。

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2018-04-26 16:55

セクハラだ、ハニトラだと喧しい


 財務次官のセクハラ問題がどうにも煩い。しかしこの報道にはどうにも違和感がある。
それは日が暮れてから若い女性(記者だそうだ)と中年のおっさん(財務次官)が二人だけで飯を食iい酒を飲む。この事である。

世の中常識が有る。そんなものの一つが男女関係に関するもの。
清少納言が枕草子で「遠くて近きもの・・・極楽、舟の道、人の仲(162段)」と言った男女の仲である。

まあ極楽が遠くて近いかどうかは分からないが、(多分私は死んでも行けない所ではないかなあ・・・)、男女の仲は確かにその通り、遠くて近いものだろう。
だからこそ大人の常識として「妻のある男は、女性と二人だけで食事をしたり、酒を飲んだりすることは避けるべき。どうしても必要なら複数で会うべき」「独身の男なら、そんな機会を作れば、その気が有ると思われる」、こう理解し行動すべきと思って行動してきた。

しかし一方女の場合はどうだろう。
若し女性からそんな機会を作れば、女性の側にその気が有るという事で、単なる色恋沙汰、或いは昔から「美人局(つつもたせ)」とかハニートラップと言われるものだ。


所で私にはそんな事に関して悲しい思いでが有る。もう時効だから書いても良いかな・・・。

私は若いころスキーに凝っていた。毎年年末には岐阜県のあるスキー場に会社の仲間と行くことが年中行事で、常宿はスキー場のある町の民宿。
ある年の初夏の頃、偶然見た新聞に岐阜県で殺人事件が有ったと報じられていた。さして気にも留めず見ていたのだが、よく見ると被害者の名前が定宿にしていた民宿のご主人と同じ名。驚いて電話してみたら事実だった。そのスキー場までは自宅から250キロほど離れているので、その週末にお悔やみに行ってきた。悲しい話だったが、男女問題の誤解を避けることの参考になると思うので、その一部始終を。

そのスキー場では、スキーシーズンが終わった初夏の頃、仕事の総決算で関係者全員が集まる。リフトの担当やら食堂の関係者やら、その町の人が総出で運営しているので結構賑からしい。また仕事のまとめなので何日もかかって資料を作ったり、残ったメンテナンスをしたりしている。勿論狙いは翌シーズンの計画と準備。その最終の打ち上げ会があり、食事も出て少し帰りが遅くなったらしい。

そのご主人が帰宅したら直後に近所のおじさんが血相を変えて怒鳴り込んできた。その人は本人はスキー場の仕事はしていなかったが、奥さんがスキー場の仕事をしていたとの事。
その近所のおじさん「やっぱりテメエだったのか!、どうもこの頃女房の帰りが遅くて可笑しいと思っていたのだが。オイ!!!、テメエ俺の女房に手なんか出すんじゃねえ。こうしてくれる!」
そう言っていきなり殴りかかってきたとの事。殴られた民宿のご主人は倒れた時打ちどころが悪かったのか、そのまま死んでしまった。さてこれで大騒ぎになって相手の奥さんも駆けつけて「何を馬鹿なことを言っているの。スキー場の仕事だったんだよ。この人もこの人も一緒だから分かるでしょ」、こんな風に奥さんに怒鳴られて事実は分かったのだが、最早後の祭り。
その晩は大騒ぎだったのだが、相手のオジサンはいつの間にかいなくなり、あくる朝になって近くの林の中で首をつっているのが見つかった。
一晩で未亡人が二人もできてしまう悲劇だった。
定宿の民宿の奥さんは「あまりにも悲しいのでもうこの土地には住みたくない、でもこの家は主人との思い出がいっぱい詰まっているので手放したくない」、こう言って家を解体し少し離れた大きな街に持って行って転居してしまった。

遠くて近きは男女の仲、こんなつまらぬ誤解が想像もつかぬ悲劇を生む、そんな事を理解して注意すべき、そんな事例である。

私に言わせると、今回のテロ朝の記者女史と財務次官のケース、こんなのは双方に落ち度がある。男女の仲を疑われても仕方ないケースだからだ。
がしかし、テロ朝の記者女史は最初から録音していたようだ。もし財務次官が某文科次官さんみたいなスケベで記者女史に手を出せば完全なハニートラップになっただろう。
私の私見だが、今回の財務省のセクハラ事件はハニトラをやり損なった女性記者の意趣返しにしか見えないが、そのうちに事実が分かるだろう。


スケベな話ついでにもう一つ、ハニトラの話。

私がタイで仕事をしているときの事。仕事では大量の鉄鋼を使うのだが、鉄鋼は日系メーカーのものしか使わなかった。そこへ韓国の某大手メーカーポ〇コの営業マンがやってきた。一応知り合いの紹介だった。勿論鉄鋼の売り込み。
やってきたのは韓国人3人、二人は中年と若手の男だったがもう一人は若くて美人の女性社員。
この3人の韓国人、日本語もペラペラなので通訳もいらないはずだがと聞いてみると女性も営業の担当者との事。
海外にも女性社員を派遣する、凄いなあと思って女性営業担当者に色々聞いてみた。鉄鋼の営業なら最低限の知識は持っている筈なのだが、どうも技術的な知識はゼロ。日本語と英語で聞いてみたので、知識の無いのが丸わかりだった。同じく経理面はどうかと矢張り日本語と英語で確認すると経理面も知識ゼロ。
その時は「海外にまで自分の女を連れてきたのではないかなあ、凄いことやるなあ」と思っていたのだが・・・。
2,3日したらその女性から電話がかかってきた。「せっかくお近づきになったのだから、二人だけでお食事でもどうですか」と。
なる程、色仕掛けで何とか売り込もうとしていたのか、そう理解して丁重にお断りし、スタッフには今後一切取次不要、電話には私はいないと言っておくようにしたので、その後何度か電話が有ったらしいが付き合いはせずに済んだ。
その後いろいろ噂は有ったが、間違いなくこの女性社員はハニトラ要員らしかった。流石韓国流、凄い事をするものである。

スケベ人間短足がハニトラに引っかからなかった話なので、この先は面白くない。よってここまでにします。

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2018-03-30 19:00

人間力について考える


 現在発売中の月刊誌Will5月号に安倍首相と大阪大学名誉教授の加地伸行さんの対談が載っている。
この中で安倍首相の言っていることに私は大変興味がある。

その対談は、題して
安倍首相 明治150年特別対談
国難突破! 輝く日本へ        

表紙はこんなもの
2018-3-30-02-01will表紙 

対談の最初のページ
2018-3-30-1-01改 

対談風景
2018-3-30-1-02.jpg 


全文はWill5月号を見ていただきたいが、この対談の内容はこんな風(中見出し)。

・幕末・明治の先人に学ぶ
・国を守り抜くために
・日本人よ、雄々しくあれ
・助け合いの精神
・瑞穂の国の資本主義
・「名」と「実」
・政治=結果

色々興味深いことが話し合われているのだが、その中でも「助け合いの精神」の所に大変興味深い部分が有る。そこだけ引用したい。

<以下雑誌Will5月号p45より引用>

助け合いの精神

加地 平昌五輪でメダルを獲得した日本人選手のインタビュー‘を聞いていると、全員同じことを言うのです。「メダルを獲れだのは自分の力だけでなく、周囲で支えてくださった方々、応援していただいた方々のおかげです」というものです。それは、自然と溢れ出てきた集団主義・家族主義の立場からの言葉だと思います。欧米の選手であれば、「俺の力を見たか!・」なんてコメントしそうですよね(笑)。

安倍 平昌五輪での日本選手の活躍、そして選手たちの言葉には心を動かされました。ソチ五輪で日本選手団長を務められた橋本聖子さんから聞いた話ですが、選手としての能力向上のためには、精神面を含めた「人間力」を高める必要があるようで、目的意識を明確に持つため、何のために競技に情熱を注いでいるのかを自分の言葉で発信する訓練もしているというのです。

加地 日本人選手たちのコメントは、決して誰かに教えられたものではありません。自然に出た言葉です。改めて、日本人には集団主義的な性格があると感じました。
・・・以下略
<引用終り>


加地先生は日本人の助け合いの精神について強調されているのだが、安倍首相はもう一つ、選手としての能力向上のためにどうするか、それを問題にしています。キーワードは「人間力」を高める、こんな話です。

実は私の今までの経験から、困難な仕事に取り組んだり、未知のことをやろうとする場合、一人一人がいかに自分のやっていることをコントロールして結果につなげるか、その為に具体的にどうするか、こんな事をいつも考えてきました。そして安倍首相が橋本聖子さんから聞いた話として言っているこのことが重要だと思うのです。

「何のために協議に情熱を注いでいるのか」という『自分の目的』。
その目的のために『自分の言葉で発信』という具体的な行動
大事なのが『訓練』、これも一度やったら終りでは無く、毎日毎日の繰り返し
その結果として『人間力を高める』


以前見たテレビで確か家電量販店のやり方として、開店前に従業員がみんなでポリシーを唱和するところが報道されていました。

そのポリシーは
・スピードはサービス!
・正確さは信頼!
・安さは魔力!
これをみんなで唱和していました。この方法は大変いいことです。がしかし此処からさらに一歩出ていかないとさらなる上は目指せません。

その為に自分の目標を自分の言葉で発信、大変いいことだと思います。
こんな事のために道場が必要だと思うのですが、それはまた別の機会にします。

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2018-03-08 17:15

新聞が日本語を壊す


 今日3月8日の読売新聞地域緬をみて驚いた。
何に驚いたか、まあ、見てください。

2018年(平成30年)3月8日 読売新聞 「愛知(名古屋圏)面」
2018-3-8読売新聞27面1 


被災地のろう者映像に・・・?
この見出しを見てこんな風に見えた人が多いと思いますが、どうでしょう。
被災地呪う者映像に・・・・?
???
おいおい、いい加減にしろよ!
いくらなんでも酷い話じゃないですかねえ。

被災地の聾者映像に
こんな風に読めた人は多分少数派だと思うのは私の目が悪いせいか?


矢張りこんな難しい漢字語はフリガナしかないです。これが昔からの日本の文化ですから。

チョット見出しを改善してみました。
2018-3-8読売新聞27面改1 

このほうが余程理解しやすいですね。

それにしても最近の漢字語のひらがな表記は可笑しい。
蔓延、語彙、熾烈・・・
こんな言葉をひらがな表記したら意味不明じゃないですかねえ。

ほら、子どもに「お水」と書いて、これは「汚水」だから飲んじゃダメ。
こんな事、どうやって教えるんでしょうか。

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2018-02-24 18:26

小学校に来たアイヌの思い出


 アイヌ語を公用語になどという事を言う人がいるらしい。裏の桜さんとよもぎねこさんのブログで取り上げられている。

裏の桜さん
「これを「頓珍漢」というのでは?」
http://sakuraura.blog.fc2.com/blog-entry-4551.html

よもぎねこさん
「民族文化継承の理想と現実 アイヌ」
http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-6222.html

この話は札幌大学の本田優子とかいう教授様が「アイヌ語を公用語に」という意見を述べた、そんな事を取り上げている。
お二方とも、そもそもアイヌ語には文字が無い。そんな言葉を果たして使えるのか、そんな事を書いているのだがまったく同感だ。


実は私が小学生の頃、学校にアイヌの人が来てくれたことが有る。アイヌの文化とはこんなものという事を見せてくれた。
子ども心に非常に強烈な印象のある話なのでその顛末を書いてみたいと思うのだが、その思いで話の前に文字の件でどうしても気になることが有るのでその部分を。

裏の桜さん、よもぎねこさんとも本田優子氏の記事を取り上げているのだが、その記事には本田優子氏は札幌大学「ウレㇱパクラブ」代表と書いてある。この言葉は何と読めばいいのだろうか。「ウレシパクラブ」なら読める。だが「シ」では無く「ㇱ」と小文字になっているぞ。

アイヌ民族博物館の資料によると(http://www.ainu-museum.or.jp/siror/rule/
「ウレㇱパ」は「urespa」と読むようだ。しかし「クラブ」はアイヌ語には「b」という子音は無いので、アイヌ語しか話せない人(今はいないと思うが)だったら発音できない。若し発音したとすると「クラブ(kurabu)」では無く「クラプ(kurapu)」と発音することになる。
念のため上掲資料でアイヌ語の母音と子音を調べると
・母音 aiueo
・子音 kstcnhpmyrw でした。


話が最初から横道に入ってしまいました。以下は子供の頃の思い出です。
確か小学校の3,4年生頃、小学校にアイヌの人が来てくれました。アイヌ文化の紹介という事でいろんな宝物も見せてくれました。
今回の話でネットでこんな写真を見つけ、アッ、あの時そっくりだと思いだしました。

2018-2-24正装したアイヌ 
正装をしてイクパスイ(捧酒箸)で神に酒を捧げるアイヌ
(「シラオイコタン」木下清蔵遺作写真集、白老民族文化伝承保存財団、1988 年)

この写真を見て、私が小学生の頃、学校に来てアイヌの文化を紹介してくれたアイヌのオジサンもこんな髭の人だったなあ、こんな漆塗りの器を大事そうに宝物だと言って見せてくれたなあ、漆塗りのお椀には同じ色の台が付属していたなあ。そんな事がありありと思いだされましたが、何せ昭和20年代の話。そんな事しか覚えてませんが、一つだけ印象に残っていること。アイヌの宝物と言っている漆塗りの器は多分「輪島塗」みたいなものなんだろうなあ。まあ大事なものだけどこの辺りにもあるぞ、と。

漆塗りの器は大変高価なもので、もちろんその地域の金持ちしか持っていませんでした。その地域の人たちはその器類を何かあると借りてきて使っていました。
(漆塗りの器の製造工程例)
http://www.inachu.jp/process/index.html
そして年に一度、輪島から漆塗りの業者が来て修理をしていました。そんな時新しいものの欲しい人は注文する。そんな事をしていました。
そして近所の悪ガキどもはそんな業者が来ると早速見に行っていました。そんな事をしていたので漆塗りの器について小学生の子どもがちょっとした知識を持っていたわけです。

今考えると、北前船が大阪と北海道の間で交易をしていましたので、大阪の文物がアイヌに渡っているのも当然。そんな北前船の交易の名残で今でも大阪名物が「コンブ」、途中の中継港の敦賀には北前船のコンブを加工して「おぼろコンブ」にする業者が有って、敦賀名物が「おぼろコンブ」。

アイヌ文化そのものは尊重すべきものだが、唯一の新聞アイヌタイムズが年2回~4回発行程度なので、これを公用語には到底無理があると思う。


最後に参考用としてアイヌタイムズの記事を
http://www.geocities.jp/otarunay/taimuzu.html#kigi

アイヌタイムズ記事一例 
1998年6月の記事 サッカーWカップについての記事一例
左から「かな表記、ローマ字表記、日本語」、但し実際のアイヌタイムズは日本語は3か月後の日本語版のみとの事。
2018-2-24アイヌ語 

アイヌ語では語彙が不足なのでそこは日本語(カナ・漢字)で書かれている点に注意。
  1. 社会一般
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  3. CM(16)

2018-02-10 16:50

37年ぶり大雪 根本的な問題をどう克服<福井県の話です


 福井県北部は今豪雪で大変と聞く。道路や鉄道網はズタズタ、生活物資は届かないので、コンビニやスーパーも品不足。ガソリンスタンドも給油制限しているとか。
そんな事が良く分かる話が福井新聞にあった。
大変な大雪ではあるが、日本は小泉改革以来の公共工事敵視政策で地域の建設業の衰退が激しく、これが除雪などの遅れに繋がっているという話である。

しかし福井新聞の論調は素晴らしい。こんな前向きのことを書く新聞はめったにない。福井県の皆さん、大変だが頑張ってください。


<以下福井新聞より引用>
http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/291666

37年ぶり大雪
根本的な問題をどう克服
2018年2月8日 午前7時30分
 
 【論説】雪国北陸は雪に強い。そんな「常識」は通用しないようだ。福井県内は嶺北を中心に記録的な大雪となり積雪は昨日、福井市で140センチ超に達した。1981年の五六豪雪以来、37年ぶりの130センチ超えだ。

 降り続く雪に除雪が追いつかず、基幹道路の北陸自動車道や国道はじめ鉄道、バスなど交通網はまひ状態。市民に不可欠の生活物資や企業活動が滞り、学校も大半が休校、私立高校の入試日程も延期された。雪下ろし作業などによる死傷者も出ている。だが、三八、五六も乗り越えてきたわが福井だ。我慢強い県民の克雪力を発揮したい。

 もう日本海寒帯気団収束帯」という用語に慣れたのではないか。数年に一度の強烈な寒気が居座り、日本海上に発達した雪雲の帯が絶え間なく本県付近にぶつかり雪を降らし続ける。

 1月中旬以降のこうした気象条件がこれほど長く続くことは予想もせず「まだ降るのか」。誰もがそう感じただろう。市民生活の基盤であるライフライン、特に道路網がなぜこうもズタズタになったのか。

 道路は除雪が届かず、あちこちにできた圧雪の塊でタイヤがスリップ。あっという間に渋滞の列ができてしまう。降り積もる雪がさらに障害となり、身動きが取れなくなる。国道8号で約1400台が立ち往生したのはこれが原因だ。

 県は6日、自衛隊に災害派遣を要請。迅速な人海戦術と自治体、市民らの協力もあり、徐々に解消に向かってはいるようだ。ただ、もっと事前のリスク管理ができなかったか。県は派遣要請と併せ災害対策本部を設置したが、降雪状況を考えれば迂回(うかい)路の確保など早く対応すべきだった。

 県内のJRや私鉄、バスは県民の大切な足なのに、雪に弱すぎないか。積雪シーズンに備え、常に「万全の体制」を取っているはずである。

 体制が追いつかないのは特に道路の除雪だ。建設業者の減少で除雪車を操作するオペレーター不足も深刻化している。全国建設業協会が2年前にまとめたアンケートで、福井県は「除雪作業員が足りない」と答えた業者が4割超。広島県と並んで最低だった。しかも区画整理の進展で除雪距離も長くなっている。

 高齢化で一人暮らしが年々増え、ご近所同士の助け合いも希薄になる一方だ。押し寄せる人口減少下の少子超高齢社会が冬に立ち向かう力を弱めている。

 自助、共助、公助をどう発揮するのか除雪費不足を嘆くより、足元の強化が重要なのかもしれない。

 県や市町は体制の弱点と課題、克服力を官民一体で検討する必要がある。それに加え、県民は多様化する社会生活の中で便利さを追求するあまりローテクによる自助努力の大切さを忘れてはいないか車に積んだスコップ一つが非常時に役立つ。懸命な除雪姿はきっと共助を生むだろう。

 天を仰いで雪と格闘してきた県民だ。過去の経験に学んで今を乗り切り、未来に備えなければならない
<引用終り>


この福井県の気候の話をすると、この県独特の地名、嶺北と嶺南を説明しないと分かりにくい。
現在の福井県は昔の越前国と若狭国なのだが、気候や県民性などはその地形で大きく2分されている。
その境目は越前国の中の敦賀市と南越前町(旧今庄町等)の間、木の芽峠(鉢伏山地)であった。
此処は近畿地方と北陸地方各地を陸路移動する際に、必ず通らなければならない交通の要衝であり、古来から紫式部や道元禅師などの足跡が残されている。
そしてこの木の芽峠の敦賀側と武生・今庄側で気候ががらりと変わり、住民の言葉も食べ物の味付けも変わると聞いた。昔の越の国(大化の改新以前の国の名前)は此処からとなっていた。福井県の気象の話で必ず嶺南、嶺北という名前が出てくるがその嶺とはこの木の芽峠のこと。


今回の豪雪でそれがどうなったか。

これは積雪量

2018-2-9北陸豪雪2月7日 

木の芽峠をはさんで積雪量が全く違う。

これはその頃の道路の監視カメラの映像 敦賀市内
2018-2-8-3.jpg 

監視カメラの映像 南越前町今庄近郊
2018-2-8-2.jpg 

二つの監視カメラの映像で積雪量が大きく違うのがご理解いただけよう。

どうしてそんな事が起こるのか。
これは福井県嶺北地方に大雪の降るメカニズム

2018-2-10日本海寒帯気団収束帯 





気象の話に古い地名まで持ち出したのは、その土地独特の気候があり、それに応じた対策が、それも長い目で見た対策が必要という事である。
小泉政権で公共事業敵視政策を始め、ミンスの悪夢の3年半でそれを大加速させてしまった。今そのツケが回ってきたという事だと思う。

こんな時こそ行政をつかさどる方々、現場は日夜死に物狂いで頑張っています。
こんな事をするのではなく
2018-2-10おんぶされて災害視察 

ぜひとも自ら手を汚して対策を考えて欲しいと思います。

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2018-02-08 20:05

雪の中で長時間停車せねばいけない時<豪雪対策です

  北陸地方を中心に豪雪で皆さん苦労されている。特に積雪で車が立ち往生し、その中で複数の死者が出ている。亡くなられた方、大変お気の毒で、ご冥福をお祈りいたします。

所で私は愛知県在住で普段は雪が降ると言っても年に数回、積雪も大したことは無い。
しかし雪に対する備えは、例えばスキーやスノボなどに出かける等、普段雪が降らない地域でも重要だ。そんな雪の対策について、JAFのHPに大変いいことが書いてあったのでそれを紹介し、私が普段からやっていることを書いてみたい。


最初にJAFのHPから
http://qa.jaf.or.jp/trouble/prevent/14.htm

2018-2-8JAF-Ⅰ 

一酸化炭素中毒とは何ですか?
2018-2-8JAF-2.jpg 

一酸化炭素中毒とは何ですか?
エンジンの排気ガスには有毒な一酸化炭素(CO)が含まれています。一酸化炭素は空気より軽く、無色・無臭・無刺激の気体です。そのため発生に気付かないことが多く、危険の察知が非常に難しい有毒ガスです。一酸化炭素は吸い込むと血液中のヘモグロビンと結合します。それにより血液の酸素運搬能力を阻害するため、身体が酸素欠乏状態となります。中毒症状は一酸化炭素の濃度と吸引量によって異なります。軽度であれば、軽い頭痛や疲労感などがみられ、症状が進むにつれて激しい頭痛やめまい、耳鳴り、吐き気などが起きます。重症になると意識障害や痙攣が起き、昏睡状態に陥ります。最終的には心肺機能が停止し、死に至ります。


クルマが雪で埋まるとどうなりますか?
2018-2-8JAF-3.jpg 


クルマが雪で埋まるとどうなりますか?
JAFによるユーザーテストでは、クルマの周囲を雪で埋めるだけでなく、ボンネットの上まで雪を被せた状態(ワイパー下の外気取り入れ口を塞いだ状態)でエンジンをかけ、空調を外気導入にして車内のCO濃度の変化を検証しました。すると、排ガスが車体の下側に溜まり、エアコンの外気導入口を伝って排ガスが車内に吸い込まれていくことが確認できました。車内のCO濃度をガス検知器で測定すると、16分後にCO濃度は400ppmに上昇し、その後6分で1,000ppmに達しました。この数値は、身体への影響が「3時間ほどで致死」という、非常に危険な状態にあることを意味します。また、空調を内気循環にしても、車体の隙間などから排ガスが車内に入る危険性があります。


一酸化炭素中毒とならないための対策とは?
2018-2-8JAF-4.jpg 

一酸化炭素中毒とならないための対策とは?
一酸化炭素(CO)中毒を防止するために最も重要なのが、マフラーの周辺を定期的に除雪することです。JAFによるユーザーテストでは、クルマがボンネットの上まで雪で埋まった状態でエンジンをかけても、マフラー周辺を除雪しておいた場合は、車内のCO濃度はほとんど上がらないという結果が出ています。同じ条件でマフラー周辺を除雪せず、運転席の窓を5cmほど開けた場合のCO濃度も測定しました。その結果、初めはあまり上昇せずに、風が止むと濃度が「2時間で失神」する危険レベルまで上昇しました。天候によって変化することもあるので、換気には十分な注意が必要です。天候や状況によっては短時間のうちにクルマが雪に深く埋まることもあります。降雪時に車内にとどまる際には、できるだけエンジンを切るようにしましょう。また冬場は万が一に備えて、除雪用のスコップや防寒着、毛布などを車内に用意しておくとよいでしょう。


2016年02月現在
JAFチャンネル動画「車が雪で埋まった場合、CO中毒に注意!」




<引用ここまで>

この動画は大変良くできていて、何が危険なのか、どうすればいいかが良く分かる。
がしかし、これだけは抜け落ちている。それは

2018-2-8JAF-41.jpg 

これは北海道や東北北陸など雪の多い地方の方が聞くと笑われる話だが、雪の少ない地方の人間には重要な事。
それは
雪かきをしようにも第一「靴」が無いのです。雪の上は普通の短靴・革靴・運動靴では歩くのも大変。ましてや雪かき、動けなくなった車を押すこともできません。

雪の上を歩いたり、何か作業するにはこんな靴がどうしても必要です。
これはスノーブーツ
2018-2-8スノーブーツ 

靴の底がギザギザになってますよね。これが無いと雪の上はダメなんです。
別にスノーブーツでなくても普通の長靴、ゴム長でも構いません。靴に雪が入らない事と靴底がギザギザになっていること。これだけです。

所が雪のない地方の住人は第一長靴やスノーブーツを持っていない人が多い。普段要らないからです。

そんな事で私の場合は、雪が降りそうなときはクルマの中に長靴を入れていました。リヤシートの所です。若し雪が積もってきても、社内にあれば履き替えて外に出られますから。
トランクに入れると、雪の中でトランクまで普通の靴で行かねばいけないので、万一の時困りますね。
この車の中に長靴を入れておくという習慣は(雪の降りそうな時だけですが)何度も助かりましたので、これから寒冷化に向かう時代にはぜひ皆さんにも知っていただきたい・・・。その前に長靴を買わないといけませんが・・・。

スコップはクルマの中に入れるですが、使う機会は少ないです。
尚イラストのスコップは「雪かき用スコップ」でして軽くできています。但し温暖な当地方ではホームセンターに行っても売っていません。(だから私もこのスコップは持っていない)


JAFは良い事を載せてくれています。しかし問題はそれを受け止める側。
そんな目でこの話を見ていただければ幸いです。


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2018-01-22 19:19

シラスウナギ不漁

 ウナギの稚魚、シラスウナギが今年は大変な不漁だとマスメディアが騒いでいる。
でも待てよ、日本ウナギが絶滅危惧種だってことは随分前から騒いでいたぞ。それなのに今でも新しくウナギ料理店があちこちで開店しているけどどうなってる??。

これはウナギの稚魚「シラスウナギ」の漁獲量推移

2018-1-22シラスウナギ国内漁獲高推移 
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011700954&g=eco


ここ30年位トンデモナイ不漁が続いているじゃないか。これでは絶滅危惧種になるのも無理はない。

さてでは今年のシラスウナギはというと、最初にシラスウナギの漁の写真。

これは産経の記事にあった「シラスウナギ漁」の写真。美しいですね。まるで精霊流しみたい。

2018-1-22シラスウナギ漁 
集魚灯をともし、川面に浮かび上がるシラスウナギ漁の船=2017年1月、高知県四万十市

<以下産経より引用>

シラスウナギ、大不漁の恐れ このまま推移すれば過去最低の漁獲量 値上がり必至か
2018.1.13 18:34

 絶滅危惧種ニホンウナギの稚魚シラスウナギが今期は極度の不漁で、国内外での漁獲量が前期の同じころと比べて1%程度と低迷していることが13日、複数の関係者の話で分かった。

 漁は4月ごろまで続くが、このまま推移すれば過去最低の漁獲量となりかねない。品薄で今夏のウナギがさらに値上がりするのは必至で、かば焼きは食卓からますます縁遠くなる。資源保護のため来年のワシントン条約締約国会議で国際取引の規制対象とするよう求める声も高まりそうだ。

2018-1-22シラスウナギ写真 
漁獲量が急減し、価格が高騰しているニホンウナギの稚魚「シラスウナギ」(愛知県水産試験場提供)

 シラスウナギは毎年11月ごろから翌年4月ごろを中心に、台湾や中国、日本などの海岸に回遊してくる。
 海外の状況に詳しい業者によると、最初に漁が始まる台湾の今期の漁獲量は、前年の同じ時期と比べ100分の1程度に低迷。中国でも同レベルだという。
 水産庁によると、2016年は11、12月の2カ月間で約6トンのシラスウナギが国内の養殖池に入れられたが、今期はまだゼロ。「漁の始まりとして良くないのは確かだが、これから漁が本格化する。今後の推移を見ないと何とも言えない」(栽培養殖課)としている。

<引用終り>


 こんな事の背景には日本人がウナギを好むことから、ウナギの稚魚シラスウナギの値段が信じられない高値だという事が有る。NHKさんの報道ではこんな風。

シラスウナギは従来平均で1キロ当たり100万円とか200万円だったが、日本が不良なので中国や台湾からの輸入ものは1キロ当たり400万円から420万円だという。
キロ400万円と言えば、金(きん=ゴールド)の値段に近いではないか!。(本日の金価格はキロ517万円)
尚シラスウナギ1キロは約5000匹、キロ400万円なら一尾800円、これで養殖して成魚が一尾1000円ではとても採算が合わないと養殖業者は悲鳴を上げているらしい。
詳細は以下参照ください。


 ウナギは美味しい。しかし高すぎて貧困ブロガー短足ではとても食べられないが、世の中豊かな人がいるもので、うなぎ屋は結構繁盛している。

これは当地方の名物「ひまつぶし」、もとい「ひつまぶし」
2018-1-22ひつまぶし 
これはひつまぶしの元祖(諸説ある)を自称する「あつた蓬莱軒」のひつまぶし


こんな食文化を守るためには、資源保護の為に2.3年禁漁にするくらいの荒療治が必要ではないだろうか。そんな事をしたら養殖業者もウナギ料理店も大変だ。
しかし牛丼の吉野家がアメリカ産牛肉が輸入できなかった時、豚丼で我慢した前例もある。やろうと思えばやれないことは無いのだと思う。
メディアも将来のためにはそんな事を堂々と言うべきだと思う。
しかし「フェイクニュース」が信条のメディアでは無理だろうなあ、そうだよねえ、朝日新聞さんよ。
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2018-01-11 10:18

「焼き場に立つ少年」の写真、<何故、今、ローマ法王が・・・

 長崎で原爆に被災し弟を失った少年が、弟の遺体を背負って火葬を待つ有名な写真が有る。
ところがその写真をローマ法王がカードにし、自身のメッセージと署名を添えて、新年のあいさつとして配布下という報道がある。
詳細はCNNの報道を見ていただきたいが、実はバチカンには世界中に張り巡らされた情報網が有り、その情報は極めて深い意味が有ることが知られている。
例えば前回1月9日のエントリーでも米国太平洋艦隊司令官だったライアン氏がこんな事を言っている。
「実は、終戦前の一九四五年に日本が和平提案をした時にも、こうした連中が暗躍し、戦争を引き延ばしていました。日本はバチカン、ソ連など、五つのルートから和平提案をしていました」
このようにバチカンは「私らの提案を真剣に受け止めれば、ヒロシマ・ナガサキの悲劇は回避出来た」、こう思っている筈だ。多分この事はバチカン内部では今でも共有されている認識だろう。

こんな風に考えると、今この時期にバチカンが核による悲劇を防ぐような行動に出た背景が分かろうというものである。
尚日本人としては核問題は即半島問題だが、アメリカから聞こえてくるのは今のアメリカは反ムスリムキャンペーンが凄いらしい。世界は複雑だ・・・。


では以下その記事紹介を

<以下CNNより引用>

「焼き場に立つ少年」の写真、ローマ法王が配布を指示
2018.01.01 Mon posted at 15:08 JST


2018-1-10焼き場に立つ少年 

「焼き場に立つ少年」として知られる写真
(引用者注:この少年の名前もその後についても一切分からない。しかし凛とした様子、しっかりした少年であることは写真から伝わってくる。)

(CNN) ローマ法王フランシスコが、長崎原爆投下の被害者の姿をとらえた1945年の写真をカードに印刷して配布するよう指示を出していることが1日までにわかった。カードの裏には、法王の要請により「戦争が生み出したもの」という言葉が記載されている。

この写真は、死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえたもの。第2次世界大戦末期に原爆が投下された直後、米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんにより撮影された。

法王は今回、カードの裏に自身の署名とともに「戦争が生み出したもの」という言葉を記載するよう要請した。

写真の内容と由来は短いキャプションにより説明。「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」などと記している。


2018-1-10焼き場に立つ少年2 
裏には「戦争が生み出したもの」という言葉が記載されている

米議会図書館の記録によれば、オダネルさんは4年間をかけて両都市の戦後の様子を記録した。一連の写真は本の形で出版されている。

CNNのバチカン専門家、ジョン・アレン氏は自身のウェブサイトで、「新年を前にこの写真を公開したことで法王の立場に何か実質的なものが付け加わるわけではないが、フランシスコが年末年始の休暇期間中に特定の画像を配布するよう依頼したのは今回が初めてだ。これは法王が、写真のメッセージが今特に重要だと考えていることを示唆している」と述べた。

アレン氏によれば、法王は以前にも核兵器を非難し、紛争が子どもたちにもたらす影響を強調したことがあるという。

<引用終り>


尚この件は私もあまり詳しくない。以下のブログを見ると概要が分かります。

もう一つ追記・・・長崎の爆心地・浦上天主堂はカトリックの聖地である。心しておくべきことだと思う。

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2017-11-13 18:52

加計問題が炙り出した官僚の腐敗


 伊勢雅臣氏の「国際派日本人養成講座」11月5日号に大変いい話が載っている。
この話を引用しながら、カケ問題がどうして此処までこじれてきたのか、単に朝日新聞の問題ばかりではない点を書いてみたい。

尚この件は前回のエントリー「戦後メディア・憲政史の大汚点」の続編でもある。

<以下引用>

No.1034 「加計事件」 ~ 朝日新聞の謀略報道
<<   作成日時 : 2017/11/05 07:35   >>

■1.「総理からの指示に見えるのではないか」

 これはまさしく確信犯による謀略報道だ、と小川榮太郎『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を読んで思った。加計事件の発端となった朝日新聞の5月17日付け「新学部『総理の意向』」と1面横にぶち抜いた大見出しの「スクープ」記事である。

 記事では「加計学園事件 文科省に記録文書 内閣府、早期対応求める」と縦の大見出しを添え、その記録文書の写真を載せているが、そこには次のような問題となった一文が読める。

2017-11-12伊勢雅臣 
__________
○ 設置の時期については、今治市の区域指定時より「最短距離で規制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 しかし、この次の次の段はスポットライトからはずれて、暗くて読めないようにしているが、実はこういう文面になっていた。
__________
◯「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか。[2, 1718]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この文面はどう読んでも、総理からの指示はなかったのに、そう見せかけた、という意味である。朝日はこの部分をスポットライトから外して、読めないようにして写真を掲載した。まさに意図的な捏造記事である。

 小川榮太郎氏の『徹底検証「森友・加計事件」』は、森友事件に関しても同様に朝日による「報道犯罪」ぶりを暴いているが、「森友事件」そのものは地方行政での土地売却事案に過ぎず、国政に関わる重要問題ではない。しかし「加計事件」として使われた獣医学部設置は鳥インフルエンザなどへの危機管理対応からして、国民の安全に直結する国家的課題である。

 この国家的課題を朝日は倒閣のための謀略報道に使った。以下、この点を詳述しよう。
・・・中略・・・

■4.「ゆがめられた行政が正された」

 このような岩盤規制がどのように生まれたのか。獣医師会幹部と自民党の族議員の結託が、その理由と推定されている
__________
 業界団体は多年の自民党政権下、有力な族議員に参入規制を陳情し、議員は監督官庁に圧力をかけて、規制を作らせてきた。この規制によって業界は既得権益を保護され、その為に動いた議員には様々な利益が供される。官僚はこの仕組みに積極的に参加することで天下り先を確保できたわけである。[2, 3216]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
・・・以下略・・・
<引用終り>


この話は大変いい話なのだが、私には「このような岩盤規制がどのように生まれたのか。獣医師会幹部と自民党の族議員の結託が、その理由と推定されている」、ここがいまいち腑に落ちない。獣医師会だけの問題だったら、あそこまで問題がこじれることも無いではないか。それに特に腑に落ちないのがこの規制は「告示」という形で2003年にポンと出てきているように見えることだ。

そこで前回の長谷川煕(ひろし)氏の話をチェックしていて気が付いたことがある。
BSE問題がどのように明るみに出、報道されて来たか、そこを見てみると【前代未聞と言ってもいい農水省の失政】が見えてくる。農水省の失政と報道の過熱化で多大な犠牲者を出した大事件ながら、丁度発生した9.11テロ事件などで真相が隠れてしまっている。


どんなことがあったのか、年代順に見てみたい。

1985年4月 英国で乳牛1頭の狂牛病が発見された(公式認定は翌86年11月)
1987年6月 BSEの原因が飼料の中の肉骨粉との仮説が出された
1988年7月 牛や羊などの反芻動物への肉骨粉を与えることを禁止(但し製造は禁止せず)

1990年   日本も英国などからの牛の輸入を禁止、また肉骨粉も加熱処理を義務付けるも不徹底 

1996年   農水省より通達(わずか5行の)、しかし誰もノーアクション、記憶も無し
      (この通達があるので、日本ではBSEは発生しないというのが農水省の考え)

2000年3月 BSEではないが日本では92年ぶりに口蹄疫発生、宮崎県で3戸、北海道で1戸。6月には集束。

2000年秋 ドイツでもBSE発生、パニックになる。

【失政1】
2001年6月  EUが2000年秋から2001年春にかけて行なったBSE発生に対する各国のリスク評価に対して、日本の農水省が猛然と反発し、報告から日本を省かせた
EU側は日本が88年に英国から19頭の生きた牛を輸入し、18頭が肉骨粉に加工されたとみられていること、90年に英国から132トン、98年以降もイタリアとデンマークから肉骨粉を輸入したことなどを根拠に、日本のBSE発生の危険度は「カテゴリー3(上から2番目)」だとした。
この肉骨粉輸入は、2003年3月の衆議院本会議でこんな質問あり。
「1997年、米国などがEUからの肉骨粉の輸入を法律上も禁止しているのにもかかわらず、それまで25トンと僅かでしかなかった肉骨粉を農水省が承認して次々にEUから輸入、ついには10万トンに達する肉骨粉が輸入された

実はこの件の前段階がある。2000年秋にそれまでBSEの無かったドイツでBSEが見つかった。2001年初めまでに発見されたのが16頭。これでドイツは大パニックになった(それ以前からBSEの見つかっていたフランスなどにも波及)。牛肉価格は暴落、農家は窮地に落ちた。
こんな経緯があるので、EUとしては日本も多量の肉骨粉を輸入しているので、日本も早く対策を取らないと大変だよとアドバイスしたつもりだったが、日本はこのアドバイスに反発。
それでBSEが出なければよかったのだが、そのすぐ後にBSEが発見された

EUからは日本は他人の善意のアドバイスも聞く耳を持たない偏屈な国と烙印を押されたと思う
この失政は相当後まで影響があったと思われる。


【失政2】
2001年9月、千葉県でBSEの国内発症例第1号が出た。この乳牛の感染を調べるプロセスをみると混乱と怠慢の連続である。

まず、千葉の乳牛は2001年8月6日に処理され、脳は動物衛生研究所(動衛研)に送られたが、15日、動衛研はBSEについて陰性と結論づけた。
ところが、24日、千葉県家保の検査で、脳のスポンジ状態を確認、同日、ファックスと電話で農水省に連絡。電話を受けた同省担当者は、動衛研に検査結果確認の連絡をとるが、相手方不在でそのまま放置。4日後、ファックスに気づき再び相手方に電話連絡するが、またもや連絡つかず、確認検査は9月7日に行なわれた。
この間、2週間がすぎていた。
そして9月10日、BSE発生を公表

この時のBSE患牛は焼却処分されたと農水省は公表。
しかし、実際は頭部だけ保管、その他は廃牛としてレンダリング(弊獣処理施設)で処理され、肉骨粉に加工され流通してしまっていた。

2001年 BSE3件確認

【失政3】
この年発見されたBSE患牛に対し、農水省はその牛舎の牛全部の殺処分を決めた。更に補償として市場価格の80%を補償すると言ったが、基準価格が老廃牛の価格の80%の為、実際は10%以下のお涙金。農家は多額の借金を抱え、廃業するしかない窮地に追い込まれた。

翌2002年2月の国会ではこんな事が言われている。(参考資料③)
 狂牛病が発生してから今日までに、牛肉の売買トラブルによる殺人事件、畜産不振による自殺、酪農家の廃業、肉流通業者、焼き肉屋の倒産、そして今回の牛肉偽装による詐欺事件など、狂牛病発生の二次的被害が拡大し続けています

【失政4】
BSE発見以前にマスコミ対策として全く何の手も打っていなかったので、BSE発見直後のマスコミの報道は政府批判一色。
この事が風評被害拡大を加速させた。

例えばこんな事例、動物衛生研究所疫学研究部のY主任研究官はこんな事を言っています。

 「BSE騒ぎの最中に,行政機関だけでなく私自身も多くの人から電話があり,「牛肉は大丈夫だろうか?」,「絶対安心と言えるの?」のような質問をしばしば受けました。このように食への恐怖が連鎖反応的なパニックを生んだ背景として,NHKがテレビで報道したvCJD(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)の末期患者の悲惨な臨床症状とか,大事な脳を攻撃する疾病であること,熱を加えても異常プリオンが不活化されないこと,罹患すると治療法がないことなど,人々を怖がらせるに十分な各種の条件が整っていたことが考えられます。」

こんな事で煽り報道大好きのゴミマスコミの餌食になった面があるという事です。

2002年 BSE2件確認

2003年3月13日 衆議院で食品安全基本法案審議
生産者、流通業者はかなりの数の倒産、破産、夜逃げ、一家離散、ついには自殺者が身近なところで発生した

2003年3月31日 文科省の告示 (平成十五年三月三十一日文部科学省告示第四十五号)
「大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る認可の基準
ここに以下の記述あり、
一~三 (略) 四 歯科医師、獣医師及び船舶職員の養成に係る大学等の設置若しくは収容定員増又は医 師の養成に係る大学等の設置でないこと
(私のコメント:卑怯にも禁止とは書いてない。認可の基準は〇〇と獣医師要請に係る大学の設置でない事と書いてある。あとで問題となったときの言い逃れであろう。卑怯だ)

2003年 BSE4件確認

・・・以下略・・・


こんな所を見ていくと、今回の加計事件が単に新しい大学の新設問題というより、過去の無茶苦茶な失政が奥に潜んでいる。こんな体質を明るみに出すことができない、そんな農水官僚、厚生官僚、獣医師関係団体の思惑が裏にあるのだと思う。折角臭いものに蓋をしてきたのに「アベガ~」がその蓋をこじ開けようとしている。それを何とか防ぎたい。こんな思惑がありそうだ。
そこに安部憎しで凝り固まっているアカ匪新聞が飛びついた、こんな事ではないだろうか。

特に国会で食品の安全問題が議論されているその同じ2003年3月に文科省の告示が出されている。しかも目につきにくいようにカモフラージュされている。隠蔽工作と考えるべきだろう。

そしてこんな所を見ると邪推だが、EU辺りでは日本の農水官僚や学者さんたちは殆ど相手にしてもらえない状態だったのではないだろうか。
EUとしては、「俺たちは酷い目にあっている。それは日本も同じだ。だから早く手を打ったほうが良いぞ」、こんな親切な助言にかみついたのだから、EUとしては呆れるほかはない。
日本の国益をおおいに損ねる話である。

 こんな事情が冒頭書いた【前代未聞と言ってもいい農水省の失政】なのだが、もう一つ
【不正確な報道の過熱化】が風評被害を生み、殺人事件1件、自殺者5人、破産倒産は数知れず、こんな多大な犠牲者を出した大事件になってしまった。

加計問題を一刻も早く収束させ、こんなバカ騒ぎを起こした大本の改革に手を付けるべきだと思う。


【参考資料】
① 「 脳髄スッカスカの農水官僚の『不作為』を糾す! 」 2002.02.02 (土)

② 「何が原因なのか、日本のBSE」 2006.02.23 (木)

③ 平成14年2月5日 衆議院本会議議事録
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000115420020205005.htm
<抜粋引用>
武部農林水産大臣不信任決議案を提出する理由を申し上げます。
 狂牛病が発生してから今日までに、牛肉の売買トラブルによる殺人事件、畜産不振による自殺、酪農家の廃業、肉流通業者、焼き肉屋の倒産、そして今回の牛肉偽装による詐欺事件など、狂牛病発生の二次的被害が拡大し続けています。畜産業、食肉産業界の被害総額は、少なく見積もっても昨年三カ月だけで二千億円を超えると推定されており、この先、被害がどこまで拡大するのか、予測すらできない状況になっています。
 消費者の牛肉離れを引き起こした最大の原因が、消費者の行政不信、特に農林水産省に対する不信にあることは疑いの余地がありません。
 武部大臣は、昨年八月に日本で狂牛病の疑いのある牛が初めて発見される直前まで、日本で狂牛病が発生する危険はないと言い続け、昨年六月には、EUからの日本の狂牛病発生リスクは極めて高いとの警告を否定し、EUの調査を中断させてしまいました。
 大臣が安全性の根拠としていたのは、平成八年四月に出された畜産局流通飼料課長名の通達であり、通達が出されている以上、狂牛病は発生しないはずだというのが大臣の主張でした。
 しかし、実態は、大臣の認識とは大きくかけ離れておりました。通達の内容があいまいだったために、都道府県の担当者の多くは飼料メーカーへの通達と誤解し、畜産農家に情報を流す努力をした自治体は、四十七都道府県のうちわずか十府県にしかすぎませんでした。その結果、判明しているだけでも五千二百頭近くの牛に、通達後も肉骨粉が与え続けられました。しかし、この事実を突きつけられた武部大臣は、通達の不徹底を反省するどころか、行政指導を知らなかったのは農家の恥だと居直り、生産農家から猛反発を買いました。
 英国で一九八六年に初めて狂牛病が発生してから我が国で発生するまでの十五年間に、農水省が行った予防行政は、わずか五行の通達を一回出しただけでした。これを行政の怠慢と言わずして何と言えましょうか。(拍手)
 我が国で初めて感染牛が発見された直後の農水省の対応も、ひどいものでした。大臣の部下である畜産部長は、感染牛は焼却処分したと発表しましたが、直後に、焼却処分どころか、肉骨粉に加工されて全国に流通していたことが判明しました。武部大臣は、家畜伝染病予防法に違反しているこのうそを追及されると、農林水産省の危機意識のなさはあきれたものだと他人事のようなコメントを出しましたが、国民があきれたのは、大臣自身の危機意識のなさと責任感の欠如でした。(拍手)


④ 平成15年3月13日 衆議院本会議議事録
 食品安全基本法案(内閣提出)の審議
<抜粋引用>
平成十三年九月、我が国で一頭目のBSEが発生してからは、御承知のように、大変なパニックに陥りました。私も四百頭ほどの肉牛を飼っていた者として、夜も眠れないほどのショックでした。当時、生産者、流通業者はかなりの数の倒産、破産、夜逃げ、一家離散、ついには自殺者が身近なところで発生したのも、皆さんの記憶に新しいところです。BSEの発生によって、少なくとも三千億円を超える未曾有の損失を発生させました。
 その原因はどこにあったのでしょうか。
 一九九七年、米国などがEUからの肉骨粉の輸入を法律上も禁止しているのにもかかわらず、それまで二十五トンとわずかでしかなかった肉骨粉を農水省が承認して次々にEUから輸入、ついには十万トンに達する肉骨粉を輸入させたところにその原因があります。まさしく、報告書でも明らかにされたように、政府の失政、過失責任そのものなのです。
 ところが、政府は、農水大臣も辞任せず、農水次官も九千万円近い退職金をもらってやめたばかりで、だれ一人、責任をとろうとしませんでした。このようなことが二度と発生しないように、食の安全と安心の世論の高まりに応じて提案されたのがこの基本法です。

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2017-11-03 15:53

正倉院展に行ってきた

 今週初め奈良で開催中の正倉院展に行ってきた。正倉院御物は年1回、この時だけの公開なので大変貴重。私は毎年行っていたのだが、ここ3年ほど時間が無く行けなかった。今年は本当に久しぶりの正倉院展だった。

目玉の一つがこれ。

緑瑠璃十二曲長杯
2017-11-2正倉院展1 

素晴らしいガラス製の杯です。こんなもので酒を飲んだら、さぞ美味しかろう・・・。

ササン朝ペルシャ(226年ー651年)で作られたものといわれ、奈良国立博物館の資料にもそう書いてあるが、この器だけ材質が鉛ガラスなので、中国で作られたものとの説もある。
こんな素晴らしいものだが、それがはるばるシルクロードを通って日本までやってきた。
そして、ササン朝の有ったイランやイラク辺りにはもはや伝世品は残っていない。有るのは遺跡から発掘されたものだけだが、ガラス器は長期間土中にあると銀化といわれる変質をして、表面が変質してしまい、できた時の美しさを保っているのは日本にあるものだけ。そんな意味でも素晴らしい。


参考までに、正倉院御物の白瑠璃椀と出土品を比較するとこんなもの。

2017-11-3正倉院御物と出土品比較

こんなものを見ると正倉院と言うのが世界の中でいかに奇跡的なものなのかが良く分かると思う。 


所で今回気になったこと、今まで正倉院展は何度も見に来たが今回ほど外国人が目についたのは初めてだった。特に中国人の多いのが気になった(大きな声でうるさいので・・・)。


そんな事で帰り道で見かけた中国人家族連れ

2017-11-3奈良で見た中国人家族連れ

日本人だって町中に野生のシカがいるなんて珍しい。ましてや中国だったら・・・。
(影の声:中国だったら、あっという間に全部食べられてしまうだろうなあ。現に私の住む地域でも中国人の研修生が酪農研修で来ているが、その辺りでは犬が全部いなくなってしまったとか・・・)


おまけ、奈良から京都への近鉄特急の車窓からはこんなものが。
復元された朱雀門と大極殿が線路の両側にあるのだが、あっという間に通り過ぎてしまうので、今まで写真を取れなかったが今回何とか撮れた。
(復元された朱雀門と大極殿の間に近鉄奈良線が走っている)

朱雀門
2017-11-3近鉄特急車窓からの朱雀門 

ススキの野の大極殿
2017-11-3近鉄特急車窓からの大極殿 

秋ですね。

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2017-10-09 18:45

半田山車祭り

 明日10月10日は衆議院銀選挙の公示日ですね。何か選挙を前にして緑のタヌキだとか赤いケツネだとか騒がしいですが、ちょっと浮世の喧騒を忘れて・・・。 

最初は一寸余談から・・・。8日(日)は早朝から快晴でした。

2017-10-9早朝5時31分10月8日 
10月8日 午前5時31分の東の方向

2017-10-9早朝5時36分10月8日の西の空 
同じ所から 10月10日午前5時36分 西の方向
空高く、月が煌々と・・・。
こんな写真を持ち出したのは、9月30日のエントリでこんな和歌を紹介した。

ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて かへりみすれば月かたぶきぬ

こんな歌が詠まれるような条件は実は結構特別。日の出前に月が西に傾くという事は、旧暦の16日~17日でないと見られない。丁度8日は旧暦で19日なので、どんなものかと写真を撮ってみた。


月の話はこれにて終了。

一昨日・昨日(10月7日・8日)と愛知県知多半島の半田市で半田山車祭りという5年に一度の祭りがありました。半田市には各地区ごとに2輌~5輌の山車(だし)がある。普段は各地区ごとに春祭りで地区内を引き回しているのだが、5年に一度全部で31輌の山車が集合する。今回で8回目の祭りで、特に全31輌もの山車が並ぶのは壮観だ。

特に今回は亀崎地区の潮干祭りがユネスコの無形文化遺産に登録されたことも有り、一層盛り上がった。


先ずはどんなものか・・・。

朝の会場周辺には沢山の山車がスタンバイ

2017-10-9半田山車祭り1 


2017-10-9半田山車祭り2 


2017-10-9半田山車祭り3 

全員集合の会場へ、運河に架かる橋を渡っていきます。

2017-10-9半田山車祭り4 

運河には山車31輌の外に巻藁船(まきわらぶね)が2艘。

2017-10-9半田山車祭り4-1 

31輌全員集合の集合場所へ隊列を作って進みます。

2017-10-9半田山車祭り5 


そしてこれが31輌全部が集合したところ。広すぎてカメラには全部は収まりきれません。

2017-10-9半田山車祭り 

二日間で55万人の人が祭りを楽しんだそうです。好天でよかったですね。

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2017-10-04 16:57

読解力を考える<続編

 読解力について色々書いてきたのだが、9月24日の【読売新聞の「読解力不足記事」】にkazkさんからいただいたコメントにこんな記事があった。
「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?」

結構面白い記事なのだが、これもコメント欄でかんぱちさんが指摘しているように記事の著者はこんな奴。
湯浅誠  | 社会活動家・法政大学教授

この湯浅誠なる左巻は自身のHPを見ると、京大原子力Gの小出裕章と繋がっているらしい。小出裕章は原子力の研究者ながら反原発論者である。そして京大原子力と言えば、北朝鮮の核兵器開発に協力した奴がいることで知られている。
「 国立大学研究者が北朝鮮核開発に協力」  西岡力 / 2016.04.04 (月)
https://jinf.jp/weekly/archives/18303

要するに小出ナンタラもそんな仲間なのだと思う。そんな奴と付き合っているのが湯浅誠、なるほど類は友を呼ぶか・・。それで肩書が活動家になるわけだ。
この湯浅誠のFBを見ると、新井紀子教授と知り合ったのは一昨年、2015年7月にこの問題でインタビューをした時が最初と書いてある。左巻きの湯浅誠は新井教授の研究に貧困が読解力低下と結びつくとの日本貶めの匂いを嗅ぎつけたらしい。
(注:貧困と子供の成績に一定の関係があるのは昔から教育者の間では広く知られていること。と同時にトンビが鷹を生む、こんなことも有るので先入観は禁物、これも同様である)


何はともあれ、この研究は大変面白い。特に前回も書いたのだが、記事をじっくり読んでみると、私が海外で特に苦労してきたことが色々指摘されている。
そして、日本語に関する話ではあるが、こんな事を人前で話す必要がある人、海外で外国人と仕事をする人、こんな立場の人には自分の話す言葉、書き言葉を見直すいい教材だと思う。そんな見方でこの研究記事を読んでみた。

この関係の記事で読んでみたのは以下3本。

① 「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?」
URLは上掲

② 「「東ロボくん」が偏差値57で東大受験を諦めた理由」
http://diamond.jp/articles/-/108460

③ 「リーディングスキルテストで測る読解力とは」
http://www.nii.ac.jp/userimg/press_20160726-1.pdf

<以下③より抜粋引用>
・・・前略・・・
文章(テキスト)と図表から成る初見のドキュメントを、人がどのように読解するかについては、いまだ解明されていない部分が多く残されていますが、少なくとも次のようなプロセスが含まれると考えられています。
1. 文節に正しく区切る。(例:私は学校に行く。→私は/学校に/行く。)
2. 係り受けの構造を正しく認識する。(例:美しい水車小屋の乙女。→美しいのは「乙女」である)
3. 述語項構造や接続詞を正しく解析する。(「誰が」「何を」「どうした」のような構造を正しく認識する)
4. 照応関係を正しく認識する。(例:私はハンカチを落とした。それを彼は拾った。→「それ」は「ハンカチ」である)
5. 日常生活での経験や伝聞から得られる常識と、小学校における学び等から得た知識と、簡単な論理推論によって、未知の用語の意味を実世界に関する知識の中に位置づける。(語レベルのマッピング)
6. 日常生活での経験や伝聞から得られる常識と、小学校における学び等から得た知識と、簡単な論理推論によって、未知の関係や概念の意味を実世界に関する知識の中に位置づける。(文構造レベルのマッピング)
7. 既存の知識と新たに得られた知識に対して、論理推論を働かすことにより、実世界に関するさらなる知識を獲得する。
8. 得られた多くの情報間の重要度を適切に付与する。特に、与えられた観点において、また問題解決の上で必要な情報を適切に取捨選択する。
9. 同様のことを、図やグラフ等、ほかの論理的表象手段についても実行できる。
10. テキストと図やグラフで表していることの同一性を実世界の意味を介してチェックすることができる。
11. 以上の各処理において誤りがないかをメタな視点からモニタリングして修正する。

1~4 は、一般には、記号列としてのテキストを処理するプロセスと考えられています。ただし、実世
界に関する知識が何もないと、1~4 についても、正しく処理できるとは限らないことが近年の自然言語処理等の研究から明らかになりつつあります(例:「私は岡田と広島に行った」と「私は岡山と広島に行った」では、述語項構造が異なるが、それを正しく認識するには、岡山と広島が隣接する県であることや、岡田というのは〈岡山より比較的多い〉苗字のひとつだという知識が必要)。リーディングスキルテストは、日常生活での経験や伝聞、小学校における学びから得られると考えられる範囲の知識および常識を前提とした上で、作問されています。

<引用終り>


ここで「1. 文節に正しく区切る。(例:私は学校に行く。→私は/学校に/行く。)」を見てみたい。
簡単なことのようだが、外国語にはこんな事も苦手な言葉が沢山ある。
例えば「タイ語」では文字は表音文字だけ、書くときは分かち書きもしていないので、タイ語の本はこんな風。

2017-2-11おしん本文の一部
この本はタイのテレビでこの頃放映されていた「おしん」の話の本
2017-2-11おしん表紙

こんな本をタイ人に読ませると、こんな風にして読む。指でなぞり読みだ。

2017-2-11指でなぞって読む所の写真縮小

上掲例文の「私は学校に行く」は「私は/学校に/行く」と文節を切って理解することもできる。
しかし「私〇学校〇行〇」と読んでもほぼ理解できる。
実は日本語の漢字かな交じり文は外国人には極めて理解しにくい所だが、話す・聞くは比較的簡単らしい。また読み書きは中国人・台湾人には漢字の拾い読みで相当意味が分かるようだ。

詳細は以下参照ください
「読解力について考えること」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1353.html


次に「2. 係り受けの構造を正しく認識する。(例:美しい水車小屋の乙女。→美しいのは「乙女」である)

詩としては「美しい水車小屋の乙女」で良いのだろうが、「水車小屋の美しい乙女」のほうが誤解されない。上掲のタイ語の例のように、左から右へ順に読むだけの言語では複雑な「係り・受け」を理解するには相当の訓練がいる。
(日本人の話す日本語が、日本語の読み書きできるタイ人通訳に理解されにくい理由の一つ)

尚、この言葉は原語を見ると、こんな誤解の起きる要素はない。
ドイツ語でこの言葉は「Die schöne Müllerin」ですが、「Müllerin」はMüller(粉屋:現代風に言えば製粉業、動力が水車なので水車小屋が仕事場)に女性接尾語-inをつけたもの。だから製粉所の娘さんといった意味(ロマンチックではないですね)

・・・ちょっと休憩・・・
美しき水車小屋の娘(Die schöne Müllerin)

私の大好きな歌曲の一つです。いいですねえ、フィッシャー・ディスカウ。


さてもう一つ、こんな事例。
私は岡田と広島に行った」と「私は岡山と広島に行った」では、述語項構造が異なるが、それを正しく認識するには、岡山と広島が隣接する県であることや、岡田というのは〈岡山より比較的多い〉苗字のひとつだという知識が必要。

この事例を見た時、私はタイでいろいろやっていた事を一つづつ思い出していた。岡山県と広島県が隣同士で、新幹線が繋がっているという事を知らないとすると、この説明は極めて難しい。
私が今の若い人は本を読まないなあ、そう痛感したのはこんな場面だった。

こんなものをじっくり読んでみて、結局考えたのは読解力にしてもプレゼン力にしても、基本的な人間力だという全く当たり前の結論。がしかし、これが言うは易く、行うは・・・。私なんざぁ、いまだ鳥羽口をうろうろ。日暮れてなお道遠し・・・ですね。
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2017-10-01 18:53

読解力を考える

 先日、読売新聞の子どもの読解力不足に関する記事を紹介した。
読売新聞の「読解力不足記事」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1450.html

ここに皆さんから有意義なコメントをいただいたのだが、その件について私の考えることを纏めてみたいと思う。
最初に何故私が読解力というより国語力に関心があるか、そんな事を話のきっかけとして書いてみたい。


 最初に私が読解力、国語力が問題と強く意識したのはタイでの仕事を通じてだった。タイではそれこそ何もない所に工場を作り、機械設備を据え付け、従業員を雇い、一つずつ仕事を教えて行く。その為日本から技術者や指導員に来てもらい、現地人に教えて行く。
そんな中で「行き違い」や「理解不足」による問題が山のように出てくる。そんな事例を一つずつ虱潰しで解決していくうち気が付いたことがある。
それは日本から来た若い指導員などがマニュアルや技術指示書などをきちんと理解していない、そんな事だった。またプレゼン能力、ごく簡単なことの説明にも問題があった。
仕事が難しくなってきたころには、日本人の話す日本語をタイ人通訳が理解できないなどという問題が出てきた。そこで日本人の話す日本語を通訳が分かる平易な日本語に通訳する、こんな事も私がやらねばいけなかった。
こんな事が私が読解力、国語力に対して危機感を持つ要因になっている。

それともう一つの問題、それは日本の産業構造の変化である。日本国内に居て、日本だけ見ていてもわからないが、90年代からの失われた20年と言われる期間、日本の産業構造は大きく変化した。
日本では成長できない為、各企業がみんな海外に拠点を作り、そこで仕事をするようになったからである。私も90年代に「これ以上日本では成長できないから海外に打って出る。落下傘部隊で敵陣深く降下し、ひと暴れしてこよう。武器はやる気と知恵だ」、こんな事でタイに行ったわけです。

そんな日本企業の戦略の変化がこんな事に表れています。

これは国際収支(経常収支)の過去20年のブラフ。青い棒グラフが貿易収支、緑色の棒グラフが第一次所得収支で海外への投資やロイヤリティなど海外での稼ぎの分です。
見て欲しいのは、昔から日本は貿易立国と言われ(実は違うのですが・・)、貿易収支が国際収支の中心でした。しかし2005年を転換点にして海外からの稼ぎである第一次所得収支が貿易収支を上回るようになりました。
2017-10-1日本の経常収支推移グラフ1

特に大きいのは東日本大震災で原発が停止し、多額の原油天然ガスを輸入するため、貿易収支は赤字になり、2015年まで続きました。(悪夢の民主党政権・・特に土鳩・空缶の失政の影響が2015年まで続いたという事です)
しかしこのような空前の大災害にも拘わらず、トータルの国際収支(経常収支)は赤字になっていません。世界を驚愕させた日本のこの強靭な国際収支体制、これこそ日本の産業構造が変わっていることの証拠です。

上のグラフで現在第一次所得収支が年間18兆円~20兆円あることが分かります。毎月ざっと1兆5千億円の稼ぎがあるという事です。

そしてもうこれは古い話ですが、こんなエントリーをしました。
 「誰も知らない1.8個分の日本<レコードチャイナの報道です
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-366.html

この記事は6年も前のモノですが、この当時でも日本がいつも間にか海外で稼ぐ国になっている。だが誰もそんな事に気が付かない。そんな風に言われていまして、それをこの当時でさえ海外に1.8個分の日本を持っている。そう言われていたわけです。

もう一つ、こんな指標を。GNIである。

海外投資を含んだ指標でGNI、海外で稼ぐ国になった今はこの指標が正しく国の実態を表している。
実質GDP:実質国内総生産 一年間に国内で生産される付加価値の実質総額
実質GDI:実質国内総所得 GDPから交易条件の変化で生じる交易利得(あるいは損失)を加減したもの
実質GNI:実質国民総所得 上記GDI に対外的な所得(主に配当と利息)の受取と支払のネット(つまり国際収支上の所得収支)を加えたもの (昔はこれがGNPと呼ばれていた)

そのGDPとGNIの推移はこうなっている。

2017-10-1日本のGDPとGNI推移 

海外からの稼ぎを考慮すると、日本は現在順調であるという事になる。


前置きが長くなりました。
日本はいつの間にか海外で稼ぐ国になっている。その為には人もそんな体制に順応しなければいけない。そういう事なのです。
皆さんの身の回りでも、海外勤務の方はたくさんおられると思います。そんな海外での仕事のためには日本人は日本語力、読解力、プレゼン力などをきちんと身に着けたうえで英語なり他の国の言葉なりを使わねばいけません。最近コンピュータの進化で自動翻訳も話し言葉の翻訳もできるようになりました。
こんな時こそ正しい日本語の能力が重要になる。そう信じています。

私がこの読解力について色々書いているのはこんな危機感からという事です。
さてではその読解力について、次回もう少し掘り下げてみます。
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2017-09-30 15:24

ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて

 国会が解散され、いよいよ総選挙ですが、それを前に「前原民進党は遂に分裂し、前だ後ろだの大騒ぎ」、さてそんな日々ですが、今朝早くこんな景色が・・・。

2017-9-30-1.jpg
9月30日午前5時40分、日の出直前の様子。太陽から空に向かって光芒がのびています。

これを見て、こんな歌を想い出しました。

ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて
       かへりみすれば月かたぶきぬ

万葉の歌人、柿本人麻呂の作。西暦692年の太陰暦11月17日に詠まれたものと云われています。
その万葉仮名の原文は次の通りです。
東野炎立所見而反見為者月西渡
直訳すると、東の野に炎が立っているのが見え、振り返って見ると月が西に渡る、でしょうか。

この「かぎろひ」は手元の広辞苑によれば
かぎろい : 陽炎、火光 (「ちらちら光るもの」の意)
① ちらちら光る日の光、【万葉集のこの歌を引用している】
② 春ののどかな日に空中にちらちらと立ち上る気。かげろう。
③ ほのお。【かぎろひの(陽炎の):「春」「燃ゆ」にかかる枕詞。万葉集に「奈良の都はかぎろひの春にしなれば」】

柿本人麻呂は光は東から上がってくる。西に月が傾いて沈んでゆく。一つの時代が終わって、新しい時代が来るのだなあ。そんな思いを込めてこの歌を詠んだと言われていますね。


こんな事でいよいよ明日から10月、そして光は東から上がってくる。西の方には「傾いた」中朝韓という所ですね。

実は上掲万葉集の歌は昔から気になっていまして、この「かぎろひ」とは何なのだろう?、そう思っていたのですが、多分私的にはこの日の出直前の光のことでは無いかなあ、そう思っています。

そして光は東からと言えば、やはりこんなもの。

2017-9-30護衛艦いずもの旭日旗 
護衛艦いずも艦上に翻る旭日旗


所で光は分かったが、じゃあ「トリ」は何だ?ですか。・・・う~~ん。

これですね

2017-9-30-2.jpg 

もしかして瑞鳥(瑞兆)ヤタガラスかも???、

何はともあれ、見事民進党が分解しました。いよいよ日本再生の出発点にしたいですね。

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2017-09-24 16:45

読売新聞の「読解力不足記事」

 今年初め、読売新聞が【読解力が危ない】と題するシリーズの記事を掲載し、私もそれを取り上げた。この読解力の問題はここ数年特に重要度が増してきたことで、背景にはいろんなものがハイテク化し、世の中が極めて難しくなったという現実がある。
それともう一つの厄介な問題は、最近の若い先生方も「ゆとり教育」を受けた世代という事。こんな事から子供の読解力が取り上げられてきたのだと思う。


それでは最初に読売の記事から。

<以下読売より引用>
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170923-118-OYT1T50000/newstop

中3「教科書理解できない」25%…読解力不足
2017年9月23日18時0分

 新聞や教科書などを読み取る基礎的な読解力を身に付けられないまま中学を卒業する生徒が25%にのぼることが、国立情報学研究所(東京都)・新井紀子教授らの研究チームの初調査で明らかになった。
 社会生活を送るのに最低限必要な読解力の不足が懸念される状況だ。

2017-9-24中学生の読解力低下 

 調査は2016年4月~17年7月、全国の小6~社会人を対象に、独自の読解力テストを実施。公立・私立中高生2万1000人の結果を中心に分析した。

 主語や目的語など文章の構造が理解できているかを問うタイプの設問群で、中学1年の正答率は62%、中学2年が65%、中学3年が75%となった。中学3年の4人に1人(25%)が、教科書レベルの基礎的な読解力を身に付けないまま義務教育を終えていることになる。

 高校のデータは進学校の生徒が比較的多かったため、高校1年が83%と中3より大幅に上がるが、高校2年が82%、高校3年が80%とその後の上昇はみられなかった。新井教授は「高校で読解力の向上が見られないことから、中学3年までに読解力を養うことが急務となりそうだ」としている。

 研究チームは、事実について書かれている短文を正しく理解する能力を測定するため、新聞や教科書、事典などの文章をもとに1000問以上のテスト問題を作成。文章構造理解を問うタイプのほかにも、文章から図表がイメージできるかや、文の一部を書き換え、変更前後の文章が同義文かどうかを問うなど、計6タイプの設問群とした。

 文章から図表をイメージする問題など二つのタイプでは、中3の平均正答率が3割台にとどまった。

 新井教授は「読解力が低く教科書が読めないと、自力で新しい知識を得ることができない。運転免許など資格も取得できず、社会生活に支障が生じる」と指摘した。

<引用終り>


これは読売新聞が大変だ大変だと騒いでいますが、ではどうすればいいのかは全く書いてありません。新聞が問題提起だけすればいいと思っているのなら、それは読売新聞が傲慢だという事です。
この問題は子供の問題でも教師・先生の問題でもありません。大人の社会の問題なのです
教育をつかさどる官僚、つまり文科省のトップが怪しげな売春ビジネスの巣窟に出入りしているような所。こんな所を是正しないと話になりません。
そんな意味でこの記事、多分続編が出ると思います。読売がどんなことを言い出すか、もう少し様子を見たいと思います。

尚、冒頭書いた今年初めの読解力関連エントリーはこんなものです。

① AI時代に生きる<追記あり
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-date-201701-1.html
② 問題文が理解できない<読売新聞が騒いでいます
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1349.html
③ 読解力が危ない SNS没頭 長文読まず
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1350.html
参考エントリー
④ 春の小川をタイ語で言うと<再掲
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1136.h
⑤ 読解力について考えること
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1353.html

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2017-08-08 21:27

海王丸を見てきた

 8月の4日~8日、海技教育機構の練習帆船「海王丸」が愛知県の衣浦港に来たので見に行ってきた。


海王丸とはこんな船

2017-8-8海王丸3 

総トン数 2556トン、全長 110メーター 堂々たる帆船
海の男を養成するためにはこんなものが一番らしい。


さてその海王丸の夜明け前の様子

2017-8-8海王丸1 

4本マストのバーク型帆船 四本目のマスト(ジガーマスト)は縦帆用なので小さく、1枚目の写真では横帆に隠れて良く見えない。前3本のマストは前からフォアマスト、メインマスト、ミズンマストと言い、この3本には横帆を張る。
残念ながら全部の帆を張るセイルドリルは前日の5日に終わって、私が行った6日は一般公開だけだが、こんな早朝ではもちろん見せてはくれない。


早朝の衣浦港亀崎地区風景、帆船が見えます。台風5号の影響か、早朝から入道雲が発達中。

2017-8-8海王丸2 


  1. 社会一般
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2017-07-02 16:38

今日は半夏生

 今日は半夏生(はんげしょう)ですね。このところ重い話題が多いので梅雨空らしい季節の話題など。

半夏生と言っても何ですかソレは??、近くのスーパーではおばちゃんが「今日は半夏生です。タコをたべましょう」とゆでタコを売っているが・・・
2017-7-2ゆでタコ 


半夏生はwikiによれば
「半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウ[1]などと呼ばれる。」・・・つまり草の名前
或いは
「七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが[2]、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。」・・・季節の名前の一つでもあるようだ。


 半夏生以外は名前も聞いた事の無い雑節。この日だけ特別なのは稲作農家にとって重要な日だからで、【この日までに田植えをしないと実りは得難し】と言われているから。そしてその理由は稲が短日植物で、日が短くなると花を咲かせ実を結ぶ、そんな稲の性質の為、こんな事が言われている。

今日の田んぼ、これは拙宅近くの田んぼ。
2017-7-2今日の田んぼ 


そして半夏生という草、これは奈良県御杖村の半夏生(御杖村HPより)
2017-7-2奈良県御杖村の半夏生 

今日はこれにて失礼します。
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2017-05-31 22:13

キツネは犬になれるのか<古代人から近代人になるのも同じかも

 現在発売中の月刊Hanada7月号に大変興味深い記事がある。
犬の祖先が狼であるとはよく言われるのだが、ではどのようにして犬に進化したのかは全く分かっていなかった。それならやってみるかという事で約60年前にロシア(ソ連)の研究者が始めた研究の話。先ずはその内容。

<以下月刊Hanada7月号よりスキャンし引用>

世界の雑誌から
     河村真木

~キツネは犬になれるのか~
  『SCIENTIFIC AMERIKAN』五月号
2017-5-31scientificamerican.jpg 

2017-5-31scientificamerican1.jpg 

 野生の狼が、どう飼い慣らされてペットとしての犬となったのかはわかっていない。ならば実際に試すのみと、一九五八年、ロシアの研究者たちが実験を始めた。ただし、対象となったのは狼ではなくキツネ。
 実験方法はいたってシンプル。キツネを一群入手し、そのなかから〈人間にもっとも好意的な反応を示すキツネを選んで交配を繰り返す〉

 最初の数年間は〈犬というより、口から火を噴く龍〉とかなり攻撃的だった。第四世代過ぎから軟化の兆しが見え始め、第六世代で〈子狐のなかに犬のように尻尾を振る、キャンキャン・クンクンと鳴く、舐めるなど、熱心に人との接触を求めてくるものが現れ始めた〉

 さらに〈犬以外の家畜は特定の人間になつかない〉という通説を検証するため、一九七四年に一人の研究者が第十五世代のキツネと同じ屋根の下に暮らしてキツネの反応を見るという実験を行った。

 最初の数日は〈明らかにイライラして家のなかを駆け回っていた〉が、一週間もするとかなり落ち着き、〈撫でてくれと言わんばかりに仰向けに寝転がってお腹を見せる〉等の行動も見られるように。仲が深まると主人の帰宅を窓際で首を長くして待ち、〈主が家に近づいてくるのを見つけると、玄関で尻尾を振って待って〉いたり。こうなると、もう犬そのものだ。

 研究所で飼育するキツネもいまや五十八世代目、うち七〇%はペットと変わらない程度に人に懐いているDNAレベルでも犬と同等の変化が起こっていることも確認されている。

Hanada-2017年7月号・138
<引用終り>


 この研究で素晴らしいのは59年も研究を継続していること。その間ソ連の崩壊が有り、飼育しているキツネのエサ代にも苦労する時期もあったのだと思う。よくぞ継続してくれたものだ。
このおかげで「口から火を噴く龍」のようだった野生のキツネが「15世代経過すると人間にある程度懐く」、こんなすごいことが分かったことだ。そして58世代も経過すると、約70%がペットと変わらないくらい懐いた」。

これを人間に当てはめてみると、人間の1世代を30年と見ると、15世代は450年。58世代は1740年になる。人間が本当に変われるとしたら、それも古代人から近代人に変われるとしたら・・・、このキツネの事例のように、それには最低400~500年位かかるという事だ。
そう考えると日本の敗戦直後に見せた韓国朝鮮人の古代的凶暴性、これが説明できる。それまでは彼らは近代人の皮をかぶっていただけなのだ。本質は古代人、そうだったんだと思う。

今半島の国は北も南も発狂状態と言って良いだろう。北は禁断の凶器を手に入れてしまったし、南はと言えば完全に先祖返りで古代国家になってしまった。
そしてこれとどう付き合うかだが、キツネの事例の如く400年から500年は進化するににかかる。それまでは手を出さずに静観するのがいいだろう。キツネが半島の古代人とどう付き合うかを教えてくれている。そう考えると実にいい事例だと思います。




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2017-04-19 09:50

【訃報】渡部昇一先生逝く ご冥福をお祈りいたします

 【訃報】 渡部昇一先生逝く ご冥福をお祈りいたします。

 先生には沢山のことを教えていただいた。まだまだ元気で活躍したいただきたかった方だが、残念です。
合掌。


2017-4-19渡部昇一先生 



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2017-04-10 18:12

武力攻撃やテロなどから身を守るために

 4月6日のエントリー「駐韓大使帰任、目的は邦人保護」にコメント欄で太玄さんからこんな情報をいただいた。
「武力攻撃やテロなどから身をまもるために」、こんなタイトルの政府からのマニュアルなのだが、これは皆さんに是非知っていただきたいので取り上げます。

最初に、これは内閣官房『国民保護ポータルサイト』から

武力攻撃やテロなどから身を守るために
~避難にあたっての留意点などをまとめました~
http://www.kokuminhogo.go.jp/shiryou/hogo_manual.html


これは同じものを小坪しんやさんが取り上げているもの。このほうが見やすいかも
【拡散】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)J-ALERTの音源【生き残るためにシェア
https://samurai20.jp/2017/04/j-alert/


これは私の経験でも断言できるのだが、このような時一番肝心なことは「訓練」である。
どんなに色んなマニュアルを用意しても、いざというときマニュアルを開いて読む時間など無い。普段から訓練し、そこで分かった必要な品目をそろえる、此れしかうまく対応する方法はない。

朝鮮半島は今実にきな臭い状態である。何が起こっても可笑しくない。今すぐ対応を考えるべきだと思います。


尚私のタイでの経験から、緊急帰国するのに一番役に立ったことを紹介します。
それはその国の国際線空港の中にあるJALなどの事務所の電話番号を手帳に書いて持っていることです。
急に日本に帰りたい、そう思っても航空券が無ければ何ともなりません。普通の人は旅行社で航空券など買う事が多いのですが、夜とか休日は休みなので購入できません。また航空券を持っていてもスケジュールチェンジしないと搭乗できません。
こんな時、空港内にJALやANAの事務所があり、航空機が運航している限り事務所は開いています。急な予定変更などのために航空券を買う事も出来ますし、空席が有れば乗ることもできます。
名前とe-チケットの番号を言えば大丈夫です。
(但しツアーなどの格安航空券はスケジュール変更できないものが多いので、この場合はべらぼうに高いけれど定価で航空券を買う事になります)

私の経験でも、タイでのケースですが、身内に不幸のあった方の緊急帰国のため、夜20時ころ帰国便確認し席を確保、空港から約180キロ離れたホテルから車を飛ばして、午前零時台のフライトに搭乗、翌朝名古屋着、こんな経験があります。
こんな時、現地の空港のJALのオフィスはもちろん日本人はいないし日本語も通じませんが、英語なら何とかなります。
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2017-03-24 14:37

護衛艦「くらま」退役に思う事

 海上自衛隊の護衛艦「くらま」が3月22日に退役した。

【防衛最前線(114)】ありがとう護衛艦「くらま」 日本の海を護り続けた36年
http://www.sankei.com/premium/photos/170323/prm1703230007-p1.html

2017-3-24有難う護衛艦くらま 

2017-3-19護衛艦くらま 


「くらま」の後継艦は海上自衛隊最大の護衛艦「かが」、いずも級護衛艦の2番艦である。

就役した護衛艦「かが」、隣は同型の1番艦「いずも」
2017-3-23護衛艦かが就役と同型艦いずも 


さてここからは私の護衛艦「くらま」についての思いで話。

私はタイで仕事をしていたころ、護衛艦「くらま」を訪問したことがある。2000年6月に「くらま」が海上自衛隊のタイ訪問の旗艦としてやってきた。そこでの艦上レセプションに出席したことがあり、ここで自衛官の方と親しく話をすることが出来、大変感銘を受けた。
その折の話のうち「空母が日本にも必要だ」という話は先回書いた
それ以外に特に印象に残っているのは、自衛官の方が言っていた「補給」に関する話。海上自衛隊の艦艇は燃料でも食料でもすべて満タンの7割になったら補給する、この為日本からタイに来るのも真っすぐには来られず、途中で補給せねばならないので大変だ。しかしこれは万一の時「即対応できる体制」のためには必須、だからこれを厳格に守っている。こんな話だった。

この話を聞いて納得した。大災害の時など自衛隊はただちに出動してくれる。(最近では東日本大震災の時もそうだったのは忘れてはならない)。しかしそんな事の陰には毎日毎日の活動の時、万一に備えて燃料や食料まできちんと管理している。その為面倒でもきちんと補給している。
こんな活動があるからこそ、万一に対処できるのだと。

この話を聞いて私もタイでの仕事の中身、特に在庫管理について色々見直してみた。所が自衛隊並みに管理するのは並大抵ではない。かなり発想の転換が必要なのだ。

例として車のガソリン補給を考えてみると分かる。
東京から西へ大阪方面に向かうとしよう、行程は約550キロ。車の燃料タンクは60リッターだが警告灯がつき始める残り10リッターの所までで50リッター使える、燃費はリッター10キロとすると・・・
普通なら東京から京都辺りまで(約500キロ)走れる。ほぼ目的地近くまで行けるわけだ。
それを満タンの7割で補給することにすると、満タンの3割は約18リッターなので、静岡辺りで給油。次に名古屋辺りで給油、最後に京都辺りでまた給油でやっと目的地に着く。
これじゃあ、やってられないですね。
がしかし、こういった面倒なことを黙々とこなしていればこそ、いざと言うとき即出動できるわけ。

護衛艦「くらま」は私にとってはタイでの仕事のレベルアップに非常に役に立ちました。
その「くらま」が引退する。
「くらま」、本当にありがとう。形は無くなっても、心は生きています。


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2017-02-02 13:40

読解力が危ない SNS没頭 長文読まず

 読売新聞の特集記事『読解力が危ない』の機能の記事は『SNS没頭 長文読まず』だったが、この記事でいろいろ家族で話し合った。


これがその記事
2017-2-1読売新聞一面記事2月1日 


長男がいうには、以前おいらも友達に誘われてやってみた。普通の会話がそのまま文字になっているようなもの。確かに便利なところはあるがつまらないので直ぐやめた。
「ねえねえ、これなあに」、こんなのが延々と続くから、長い文章など読め無くなるのも無理はない。おいらの世代なら先日の読解力調査は90%以上正解だろうが、今の若いLINE世代なら45%かそれ以下だろう。あんなものをやっていると馬鹿になる、間違いない。こんな話だった。

この話はあちこちで聞く。しかし危機感を持っているのは多分若い人だけだろう。
ある程度の年代から上の人たちは、こんなLINEなど触ったこともない。触れば便利であることは確かだ。しかしそこの落とし穴に気が付かない。
現に私の地域の友人たちはパソコンも満足に使えない、携帯電話はガラケーで十分という世代(私もガラケー派だが)。今の若い人の間で何が起こっているかなんて多分理解不能だろう。

しかしゆとり教育世代が深刻な問題である以上にSNS問題も深刻だ。
同じSNSと言ってもフェイスブックにはそんな危険性はないと思う。やはり通信アプリが曲者だが、だからと言って禁止できるものではない。

ただしい使い方の徹底と特に世間を知らない小中学生への使用の制限や注意の喚起などが必要ではないか。


参考:LINEを小学生に使わせていいかという視点で問題点を具体的に指摘したものが有るので紹介
「小学生でLINEは早い? 問題に巻き込まれないために親ができること」
http://moomii.jp/kosodate/linemanner-children.html

概要はこうなっている(詳細は上掲リンク先参照ください)
小学生でLINEは早い?問題に巻き込まれないために親ができること
* 小学生にLINEを使わせてもいい? 8つの問題点

1個人情報の漏えい
2知らない人とつながる
3コミュニケーション能力の低下
4犯罪に巻き込まれる可能性あり
5課金トラブル
6人間関係のトラブルが発生
7健康被害あり/長時間の使用は厳禁!
8スマホ依存になってしまうことも

* LINE問題を防ぐ親が教えるべき8つのこと
1大切なことは直接伝えるように教える
2相手の都合を考える(既読でもすぐ返事を求めない)
3ブロックの方法を教える
4中学生/高校生に起こるLINE問題を教える
5LINE IDのネット/SNSへの書き込みの危険を教える
6知らない人と繋がる危険を教える
7「通報」の方法を教える
8困った時には相談しやすいようにしておく

こんな風です。大変参考になります。
但しここにLINEは読解力を育てるのを損なうという問題は抜けています。
LINEがバカを作るという側面を見逃さないでほしいと思います。


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2017-01-24 21:56

諸行無常

 今年ももう3週間たったのだが、私的には今年はスタートからどうも幸先が良くない。
新年早々家人が体調を崩し、毎年恒例の初詣も三が日には行けず、9日にやっと初詣。
まあそれはともかく、15日に母の13回忌の法要を行う予定が直前に和尚さんが病気で倒れる始末。ヤレヤレ・・・。(法要は1週間延期し、22日に行った)

そんなことはどうでもいいが、1週間ほど前、私の同級生が二人死去との報が入った。そのうちの一人は女の子(おばさん?、おばあさん??)だが、私とは小学校・中学校・高校と一緒だった幼馴染。
遠方に暮らしているため情報が遅れたのだが、同い年の人の訃報を聞くのは悲しいもの。

そうこうしているうちに昨日家人の同級生の人が死去との一報が入り、あわてて今日お悔やに・・・。
多難な一年になりそうです。

2017-1-24敦賀湾風景 

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2017-01-15 14:08

雪の朝

 今朝は何年振りかの(当地方では)大雪でした。
朝6時55分の気温はー1.5℃、本日の(つまり深夜0時以降の)最低気温はー2.7℃でした。

2017-1-15本日朝の雪景色 

昨夜は夕方6時ころから雪の中を車で外出、高速道路も幸い通行出来たので名古屋近郊の町まで行ってきました。
帰りは9時少し前から走り出したのですが、私は冬の装備をしているので別に支障なく走れるのですが、雪のほとんど降らない当地方では夏タイヤのクルマが多く、極端なノロノロ運転をするクルマがいて時間がかかりました。

まだまだこれから冬本番。しっかり備えをしてこの冬を乗り切りたいですね。

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2017-01-07 17:10

AI時代に生きる<追記有

 読売新聞2017年1月6日号にAI時代に生きる我々には大変興味深い特集記事があった。
記事の名は
[2017 問う]<4>人工知能のあした AIは人間を超えるのか 創造力 代替できない
2017年1月6日5時0分
語っているのは:国立情報学研究所教授 新井紀子氏

記事は以下2本
*追記します:この読売記事にアクセスできないので、画像データ追加(クリックで拡大)。
また本文末尾に元記事をスキャンし文字情報化したものも追加しました。・・・ 2017-1-31

創造力 代替できない
2017-1-31読売新聞1月6日一面記事 
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170106-118-OYTPT50163/search_list_%25E4%25BA%25BA%25E5%25B7%25A5%25E7%259F%25A5%25E8%2583%25BD%25E3%2581%25AE%25E3%2581%2582%25E3%2581%2597%25E3%2581%259F__

AIを使いこなすには…読解力の育成 急務
2017-1-31読売新聞1月6日9面記事1 

2017-1-31読売新聞1月6日9面記事2 
(記事が横長のため分割表示、中央部分が重複している)
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170105-118-OYTPT50390

新井紀子氏の意見は、AIで東大入試合格を目指す「東ロボ」を開発した経験から、AIに何が出来て何ができないか、そしてこれからの人間はどう生きてゆくかを語っているもので大変面白い。

進歩するAIとその周辺技術が、これまで人間が行ってきたことの相当部分を肩代わり出来るようになった。得意な分野は決まった枠組みの中で答えを見つける作業など。不得意なのは人が何に価値を見いだすのかを考えなければならない仕事。これはAIに代替させるにはハードルが極めて高い。またAIには責任を取らせることはできない

こんな事で、ではこれからの人はどうすべきかを「AIを使いこなすには…読解力の育成 急務」という項目で語っているにで、その該当部分を紹介したい。

<以下引用>

 日本の中でどれだけの人が、AIにはできない創造性ある仕事を生み出し、携わる能力を持っているでしょうか。

 次代を担う子どもたちがAIを使う側になるか、使われるかは、教育にかかっています。AIは暗記と手順通りの作業が最も得意です。だから現在のような、暗記力を重視する教育では、AIにかなわない子しか育ちません。

 大切なのは、物事の意味を理解し、思考し、表現できる力を養う教育です。AIが最も困難とするところだからです。

 しかし現状を見ると、ますます危惧を抱かざるを得ません。

 「東(とう)ロボ」プロジェクトの過程で、AIは、ある程度の長さを持った文章を、文脈を理解して読み解くのが極めて苦手だということが分かりました

 ところが同時に、その東ロボくんに読解力で劣る中高生がたくさんいることも判明したのです。

 これはツイッターなど、ごく短い情報や思いつきをやりとりするSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に、コミュニケーションや知識獲得の場が偏っている影響でしょう。

 家の中に新聞や本のない家庭が増え、スマートフォンの画面を見るばかりで、論理的に構成された文章にほとんど接していない子どもが多い。

 すでに大人の世界も、論理的ではなく、断片的、感情的な情報で世論や政治が動き始めました。この風潮は、今後いっそう強まるかもしれません。

 AIを研究することによって、「人間は劣化していないか」という皮肉な問いもまた、突きつけられているのです。

<引用終り>

この話を読んで私が最初に思い出したこと、それはまったく新しい技術が普及すると人の仕事が全く変わるという事。その具体例として、これは昔々の話だが・・・

昔々、未だコンピュータが普及し始めたころまでは銀行というのは若い女性の花型職場だった。銀行に行くと窓口の後ろに女性の事務員さんが大勢で帳面をつけていた。銀行が3時にシャッターを下ろしても事務員さんの仕事は終わらない。パチパチそろばんをはじいて勘定を合わせていた。
夜遅くになって、やっと総勘定元帳と現金が合うと「チョーン」と拍子木が鳴る。今日も無事勘定が合ったと銀行マン・ウーマンが帰宅の途に就く。こんな時代だった。
しかしコンピュータの導入で一変した。あんなに沢山いた事務員さんはまったく要らない、銀行から女性の事務員さんが激減した。
しかし幸いこの当時は高度成長期、このコンピュータ普及による余剰労働力は色んなところが吸収してくれた。その付けが回ってきたのはバブル崩壊後の失われた○○年時代。就職難で若い人が苦労してきたのはこんな時代だった。
私がタイで仕事をするようになったのは1998年からだが、タイに行って大いに驚いたのが、若い独身女性で日本に仕事が無いためタイに仕事を探しに来る人が結構いたことだった。
勿論給料は安い。しかし実際そんな人に聞いてみると、給料は安いけれど物価も安いから貯金ができる。だから悪くない。そう言っていたのを思い出す。

こんな古い話を持ち出したのは、新しい技術が人の働き方まで変えるという事だ。昨日までの仕事のやり方では明日の仕事はない。そんな時代が目の前という、極めて厳しい時代が迫っていることである。
特に若い人の教育に関しては大いに変わらねばいけないと思う。

新井紀子氏はとてもいいことを言っている。

現在のような、暗記力を重視する教育では、AIにかなわない子しか育ちません。
大切なのは、物事の意味を理解し、思考し、表現できる力を養う教育です。AIが最も困難とするところだからです。

AIは、ある程度の長さを持った文章を、文脈を理解して読み解くのが極めて苦手
ところが同時に、その東ロボくんに読解力で劣る中高生がたくさんいることも判明した

これはツイッターなど、ごく短い情報や思いつきをやりとりするSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に、コミュニケーションや知識獲得の場が偏っている影響でしょう


とまあこんな話だが、以前からツィッターは「バカ発見器」と言われているが、事実のようだ。

そしてもう一つ、今度はまったく別のところから同じような指摘が出ている。

現在発売中の雑誌「HANADA」2月号(12月20日発売)にこんな記事がある。
「スマホで子どもはバカになる!」 東北大学加齢医学研究所所長 川島隆太

全文は長いのでタイトルだけの紹介にとどめますが、川島隆太氏はこんな本も出しています。
「2時間の学習効果が消える! やってはいけない脳の習慣 」 2016年8月 青春出版社刊
横田 晋務 (著), 川島 隆太 (監修)

川島隆太氏はスマホの中でも「LINE」などの通信アプリが極めて害が大きいことを指摘しています。まあこれはLINEが韓国産のアプリであることを考えれば納得できます。

スマホは大変便利なもので、これを無くせなどと言っても不可能。だからこういう便利なものにどう向き合っていくか、こんなことが課題だと思います。
こんな問題を教育の現場だけでなく、いろんなところで考えていきたいところだと思います。



*追記します。元記事がアクセスできないため画像追加しましたが、文字データも追加。

<以下引用>
2017 問う
4.人工知能のあした
AIは人間を超えるのか

創造力代替できない

 人工知能(AI)が人間を凌駕(りょうが)することはありえないと私は思っています。
 いずれは人間の脳全体の計算パワーを上回るコンピューターが出来るとしても、やはり「何をするか」という枠組み(フレーム)を人間から与えられなければ何もできない。人間を超えられません。
 しかし、進歩するAIとその周辺技術が、これまで人間が行ってきたことの相当部分を肩代わりし、社会を大きく変えることも確実です。
 「ロボット(AI)は東大に入れるか」という刺激的なテーマを掲げ、2011年から「東ロボ」プロジェクトに取り組んできました。約5年でAIの東ロボくんは、名の知れた私立大学に受かるレペルまでになった。与えたフレームは、入試問題の正答をより多く見つけることです。

 ただ、真の目的は東大合格ではなく、「AIには何かできるか」 「どこまで任せられるのか」を見極めることでした。それは「人間は何をするべきか」という深い問いとなって返ってくる。そして、AI技術の進歩で人間の未来がどうなるかを、社会問題として提起したかったのです。
 枠組みの中で情報を処理する能力は、すでにAIが人間を上回っている。「囲碁」という枠組みで、AIがトップレベルのプロ棋士に勝ったことは象徴的な出来事でした。
 束ロボくんも例えば、ある記述の正誤を尋ねる問題で、事実か否かの判断が大きな要素ならば、膨大なデータを検索して、かなりの確度で正解できます。しかし「価値観」のような要素が絡んでくると答えに到達するのが一気に難しくなる。「政治・経済」の模試で、民主主義への理解度が試される問題に、東ロボくんは10間中1問しか正答できなかったことがありました。
 だから、人が何に価値を見いだすのかを考えなければならない仕事は、AIに代替させるにはハードルが極めて高い。介護や子育てに関することが一番難しいでしょう。
 また、物事をAIにどこまで任せられるかを考える時、「責任」の問題が立ちはだかります。膨大な検査データと症例を参照して、可能性の高い病名を指摘する医療支援AIが登場しても、手術するのかよいかどうかといった判断は、人間の医師がするしかない。同様に、事故を起こせば命にもかかわる自動車の運転も、AIに全面的にゆだねることはできません。
 AIは「責任」を負うことができないからです。
*AI=Artificial lntelligence
国立情報学研究所教授  新井紀子氏


AIを使いこなすには  読解力の育成急務

    (-面の続き)
 人工知能(AI)を活用することで、便利になることはたくさんあるでしょう。
 車の完全自動運転は無理でも、運転者をアシストして事故を防ぐ技術はかなり実用化が進む。
 経験に頼る部分が多かった農業も、収穫状況と天候などの諸条件を関迪づけるビッグデータから、AIがコントロールできるようになっていく。
 一方で、人間にとって、うかうかとはできない状況ももたらします。
 AIの方が人間よりうまくできる作業は、当然、AIが行うようになる。
 例えば、会計監査や銀行の融資審査などはエリートの仕事というイメージが強いけれども、多くは枠組みの中でデータを分析する作業であり、AIが得意とするものです。製品のセールス業務なども、消費者の使用データから買い替え時期を割り出すAIが受け持っていく。そうすると、ホワイトカラーの人たちの半数くらいはAIに「仕事を奪われる」。
 その時、人間が携わるのは、高い創造力や重い責任が求められるためAIにはできない仕事と、AIより人間を使う方が安いから人間にさせておく仕事に、二極分化すると思います。
 日本の中でどれだけの人が、AIにはできない創造性ある仕事を生み出し、携わる能力を持っているでしょうか。
 
 次代を担う子どもたちがAIを使う側になるか、使われるかは、教育にかかっています。AIは暗記と手順通りの作業が最も得意です。だから現在のような、暗記力を重視する教育では、AIにかなわない子しか育ちません。
 大切なのは、物事の意味を理解し、思考し、表現できる力を養う教育です。AIが最も困難とするところだからです。
 しかし現状を見ると、ますます危惧を抱かざるを得ません。
  「東ロボ」プロジェクトの過程で、AIは、ある程度の長さを持った文章を、文脈を理解して読み解くのが極めて苦手だということが分かりました。
 ところが同時に、その東ロボくんに読解力で劣る中高生がたくさんいることも判明したのです。
 これはツイッターなど、ごく短い情報や思いつきをやりとりするSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に、コミュニケーションや知識獲得の場が偏っている影響でしょう。
 家の中に新聞や本のない家庭が増え、スマートフォンの画面を見るばかりで、論理的に構成された文章にほとんど接していない子どもが多い。
 すでに大人の世界も、論理的ではなく、断片的、感情的な情報で世論や政治が動き始めました。この風潮は、今後いっそう強まるかもしれません。
 AIを研究することによって、「人間は劣化していないか」という皮肉な問いもまた、突きつけられているのです。

国立情報学研究所教授 新井紀子氏

<引用ここまで>

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2017-01-01 15:45

年賀

 明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

2017-1-1北斎美術館 
                                すみだ北斎美術館より

昨年は大変革の年でしたが、オバマ大統領の広島訪問、そして安倍首相の真珠湾訪問で戦後71年の清算は終わったと思います。
もう一つ見逃せないのが伊勢志摩サミットでG7首脳の伊勢神宮訪問、これは日本の歴史や文化を発信するうえで大変貴重でした。これからジワジワとこの効果が出てくるでしょう。


オマケ
G7での各国首脳への記念品の一つ
2017-1-1伊勢志摩サミットの手土産コーヒーカップ 

拙いブログですが、これからも頑張っていきたいと思います。

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2016-12-21 19:36

巷の話題

 昨日家人が美容院に行ったのだが、その折なじみの美容師さんが憤懣やるかたないという感じでワアワア喋っていたのだという。何がそんなにお気に召さないのか・・・、曰く「日本のテレビはなっとらん!」、そう言って怒っていたそうだ。

原因は「おでんつんつん事件」

『店のおでん「指でツンツン」男の「罪」 コンビニ側「刑事的な処分求め相談」』

【社会】おでんツンツン男、全国テレビでも紹介されネットには身元が流出!

おでんツンツン男、プロスノーボーダーだった!日本スノーボード協会が激怒か

美容師さんが言うには、世界にはテロだとか難民が大勢死んだりとか、たくさん事件や問題がある、日本だってそうだ。それなのにこんなどうでもいい事件を何度も何度も報道する。いい加減にしてほしい。
こんな事だった。

市井の庶民がメディアの異常ぶりに気が付いてきた。良いことである。

12月20日、冬至を翌日に控えた町
2016-12-21冬至の町 


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2016-11-25 14:23

神経内科フォーラムに行ってきた

 一昨日11月23日に名古屋駅前の逓信会館でのセミナーに行ってきた。
題して
「パーキンソン病と脳・神経の病気を知るセミナーin名古屋」
タイトルの通り、パーキンソン病に関してのセミナーだが、結構聞きごたえのある内容だった。

パーキンソン病は、脳の神経伝達に欠かせない「ドパミン」という物質が不足することで、ふるえ、筋肉のこわばり、動作の緩慢、姿勢反射障害などを引き起こす病気で、病気の原因が良く分からず、治療は症状を緩和することが中心になっている。
私の家族もこの病気と闘っているので、ちょうどいいセミナーなので参加してみた。
講師は名古屋大学の4人の先生方。病気そのものが難しい病気という事もあり、話は難しかったが大変面白い内容であった。

特に興味深く感じたこと。
パーキンソン病になると症状の一つとして「便秘」、「嗅覚の異常(鼻が利かない)」があり、これはパーキンソン病発症より随分前から出ていると言うことは知っていた。
今回のセミナーで「パーキンソン病で便秘とそれに関係する腸内細菌叢の関係」を調べているので協力してくれる人を募集中、こんな話を聞いた。
どうも腸内細菌叢でできたタンパク質の一種「α-シヌクレイン」が発症に関与している、そんな仮説が有るらしい。
そうすると、その仮説通りなら、「パーキンソン病だから便秘になるではなく、便秘が遠因の一つになって長年かかってパーキンソン病を発症する」、こんなことになるかもしれない。
病気と症状の因果関係が逆になる、そんな話である。

最近の病理学の進歩は素晴らしい、山中教授のIPS細胞の件がいい例だと思う。そんなことを痛感したセミナーだった。

たまたま全く別の話だがこんな報道があった。
「不安強める脳タンパク質 京大、引きこもり治療に光」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016112201002110.html?ref=rank

人間の脳の中の蛋白質の状態など、昔は如何なっているかさっぱり分からなかった。それが今色んな方法で調べられるようになってきた。科学の進歩は本当に素晴らしいと思う。凄い時代に生きていることを実感する話だった。

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2016-11-07 17:41

こんなカレーを食べた

 今日の昼飯はカレー、こんなカレーを食べました。

2016-11-7海軍カレー2種 


今日買い物に入った地元の食品スーパーにこんなカレーが並んでいた。
私が食べたのは右側の「鹿屋海軍航空カレー」、
こんなものがごく普通に食品スーパーの店頭に並んでいる。時代は変わったものです。

尚鹿屋基地の資料館には平成4年に鹿児島県錦江湾などから引き揚げられた零戦52型が復元展示されています。
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