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カテゴリ:日本語 の記事一覧

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2020-01-24 15:55

読解力急落、 ただ一つの理由


 先日、私としては衝撃的な出来事が有った。
何が衝撃的か?
何時も行く小さな食品スーパーのレジ打ちのオバちゃんがこんな事を言うのだ。
最近の若い人は言葉が無茶苦茶、だから何を言っているのかサッパリ分からない。たまに来る外人さんの方が言葉が丁寧でよっぽど良く分かるよねえ。これはスマホのせいだと思う。だから私も最近ケータイを変えたのだけどガラケーにしたわ。私らにはガラケーで十分。スマホなんか要らないわよねえ。
こんな話である。

一寸どんな経緯かと言うと。
昨年9月に家人が足を骨折して以来、食品の買い出しは私がやっている。だからいつも行く地元の小さな食品スーパーのレジ打ちのオバちゃんとも時々話をすることがある。
「こんにちは」とか「いつもありがとうございます」なら単なる挨拶。でも話し好きのオバちゃんだと、「このお惣菜美味しいよねえ」とか「私も食べたいのだけど、仕事を終わってからだと午後1時過ぎでもう売り切れ」、こんな事を話しかける話好きのオバちゃんもいる。実はこんなオバちゃんにいるレジは敬遠することが多いのだが・・・。

先日レジに並んだ時のレジ係りもそんなオバちゃんだった。丁度私の前にインド人風の外人さんがいたが、その外人さんが何か分からないことがあるらしく、たどたどしい言葉で何か聞いて、それにそのオバちゃんが一生懸命日本語で説明していた。
私の番になったら、「ごめんなさいね。お待たせしました」と言ってこう続けた。
「今のあの外人さんはたどたどしい乍らもキチンと話してくれるから分かる。でもねえ、今の若い人の言葉は極端に縮めて話すんだよねえ、だから何を言っているのかさっぱり分からないこれは絶対スマホのせいだから、私の最近携帯電話を替えたけど、スマホは要らないからガラケーにしたわよ。私らにがガラケーで十分だよねえ」。こんな話だった。

私にとって何が衝撃的か、それは最近の若い人の読解力の問題。そんな事が叫ばれているものの具体的な対策が全く手つかず。そんな中で、若い人と他の世代の人とのコミュニケーションすらできない事例が出てきた。これは日本の未来にとってとんでもない事態ではないかと思うからだ。

しかもこの影響は何年も経ってからジワジワ出てくる。単にOECDの学習到達度調査の問題ではない。実は今あまり報道されないが、かってのゆとり教育(2002-2012)の弊害が現実社会で噴出している。心ある人たちは真剣に心配しているのだが、具体的に対策が出てこない。そんな困ったことが、今回の私が経験した事例のように、子供時代をスマホ漬けで過ごしている人たちにも出てきているようだ。

所でスマホの中でも何がいけないか。
私はあえてスマホは使わないのだが、スマホを使っている人に言わせるとSNSの中でもLINEが一番問題なのだという。LINEやってると馬鹿になる。これは間違いないようだ。

スマホはとても便利なものだ。しかし使い方によってはスマホ中毒になることもあるし、読書時間が減って語彙力が激減することもある。

丁度いい話が今発売中のVoice 2月号の巻頭インタビューに載っていた。
「読解力急落、ただ一つの理由」「スマホは人間にとって最も大切な「孤独な時間」を奪う」
藤原正彦   Voice February 2020
2020-1-23voice2月号の巻頭インタビュー記事

この中で藤原正彦氏は
スマホが読書による教養、国語力を破壊する」、さらに進んで「最近の若者たちは、了解の返事を「り」で済ませるそうです。「りょうかい」の「りよ」がさらに縮んで、たった一文字。「マ?」は「マジ?」の略らしい。これは会話などではない。「反応」にすぎません。
このような現象を一言でいえば、語彙の欠如です。本や新聞をたくさん読まないと語彙が増えないのは自明の理ですが、もっと大事な事がある。「人問は思考の結果を語彙で表しているのではない」ということ。逆です。語彙を用いることで、はじめて思考ができる。つまり「語彙がないのはイコール思考がない」ということです。
 したがって、小・中・高校時代における語彙の獲得は絶対的な使命です。
読解力急落の答えが読書離れにあることは明白なので、その対策は強制あるのみ。

こんな事を言っています。
藤原正彦氏のインタビュー記事は長いので、末尾に全文を載せました。


この問題は私も以前から取り上げていまして、こんな事をエントリーしています。

宇多田ヒカルの見た日本語
読解力を考える<続編
読解力を考える
読売新聞の「読解力不足記事」
読解力について考えること
読解力が危ない SNS没頭 長文読まず
問題文が理解できない<読売新聞が騒いでいます

最後に藤原正彦氏はこんなことでインタビューを締めくくっています。いい言葉だと思います。
世界的に見ても、PISAのようなグローバル化教育は限界に達している。グローバリズム自体が限界に達しているからです。トランプ台頭や英国のEU離脱など、各地でナショナリズムが台頭してきているのは、グローバリズムから自国や自民族の文化伝統を守りたい、という当然の欲求なのです。
 新自由主義は帝国主義や共産主義と同じく、人類を幸福にするものではありません。やがて消え去る世界潮流の一つにすぎない。教育という百年の計を決めるのに、遠くない将来に泡のように消えてしまう思潮に身を寄せていていいのか。こんな教育を続けていたら、百年後に日本がなくなってしまいそうです。

確かにグローバリズムが今終焉に向かっているのは間違いありません。
そんな中でどう生きるか、一人ひとりが考えねばいけない問題です。


藤原正彦氏のインタビューは以下が全文です。
<以下引用>
巻頭インタビュー
読解力急落、ただ一つの理由
スマホは人間にとって最も大事な「孤独な時間」を奪う
藤原正彦   Voice  February 2020

『中国の不正をなぜ許すのか』

 --先日、日本人の十五歳の「読解力」がOECD(経済協力開発機構)による学習到達度調査「PISA」で十五位に転落する、というニュースに仰天しました。『日本経済新聞』(二〇一九年十二月四日付朝刊)の記事は「デジタル活用が進まないこと」を読解力低下の理由に挙げていますが。

 藤原 まったくお話になりません。この新聞が反映するのはもっぱら大企業・財界の意見で、イコール政府の意向、といって差し支えないでしょう。今回の結果が示すのは、日本全体に及ぶ「読書離れと教養の低下」にほかなりません。 順を追って説明しましょう。PISAは三年に一度行なわれており、前年の調査結果を翌年、公表することになっています。日本の「読解力」は前々回の二〇一二年が四位、前回の一五年が八位。そして今回の一八年が過去最低の一五位でした。

 ‐-年々、落ちていますね。

 藤原 ただし注意しなければならないのは、調査主体がOECDという経済最優先の国際機関であること。もう一つは上位国の顔ぶれです。
 今回の「読解力」のトップ3は、一位が中国、二位がシンガポール、三位がマカオです。シンガポール(人口約五六一万人)とマカオ(約六二万人)はいずれも日本とは比較にならない人口規模ですから、ちょっと頑張れば全体の底上げは可能です。
 問題は一位の中国。周知のようにこの国の統計はGDP(国内総生産)をはじめ改竄や操作が加えられており、ことごとく信用なりません。PISAに関していえば今回、中国の調査データは「北京市」「上海市」と「江蘇省」「浙江省」の計四ヵ所しかないのです。

 ー-えっ?

 藤原 日本は全国からアットランダム(無作為)に抽出しているのに、向こうは首都の北京と中国を代表する大都市・上海、それに子供の教育に投資する金持ち二省だけから抽出したのですから、点数が高いのは当然です。農村からの出稼ぎ労働者の子供は試験を受けさせなかった、という話もあります。点数がぐっと下がるからでしょう。欧米だって、移民の子供を受験させなかったら平均点はかなり上がったはずです。OECDはなぜ、中国だけにこのような不正を許すのでしょうか。
 他方で「読解力」以外の順位を見ると、日本はづ科学的応用力」で五位、「数学的応用力」で六位です。上位が下駄を履いていることを割り引けば、日本は依然として世界のトップクラスといってよい。しかし「読解力」の一五位はさすがに弁護のしようがありません。こと読解力に関しては、マスコミの大騒ぎは決して的外れではない、ということです。


『パソコンの回答に慣れていないから?』


--読解力が急落した原因について、どうお考えです

 藤原 調査対象である中学生が本を読まなくなったことに尽きます。ところが、おかしなことにマスコミも政・官・財も誰一人、読書のことについて触れないんです。籍口令でも敷かれているかのように。
 文部科学省は「日本の学校では教科書を使った指導が浸透し、IT利用が広がっていない。機器の整備を進め、授業例を広げていく」などとナンセンスなコメントを出しています。要はパソコンを使った回答方式に慣れていないから、全国の小・中学校に一人一台、パソコンやタブレット端末を配備するという。
 文科省の「読解力低下はパソコンに不慣れだったから」という説明が嘘であることは、一瞬でわかります。なぜなら、前回の二〇一五年調査でもパソコンで回答していたから(笑)。八位から一五位に急落したことの説明になっていません。

 --文科省の学力低下が心配です。

 藤原 前に『Voice』のインタビューでも述べたように、小学校からタブレット教育など受けてしまったら、新学期に教科書を開くときのインクのにおいと共に立ち上る感動、活字に触れる喜び、本への愛着をもちようがない。ITビジネスの尻馬に乗った政府が、子供をいきなり機械に触れさせて活字に対する愛着を失わせ、日本の活字文化を滅亡へ追い込んでいるのです。
 以前、私の講演を聞いて感激した、という当時の文科副大匝が 私の目が黒いうちは(タブレット教育は)絶対にさせません」とおっしゃってくれたのですが、どうやら時効になってしまったようです。

2020-1-23学習到達度での日本の順位

『ゆとり教育からフィンランド方式への迷走』

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--では、なぜ中学生が本を読まなくなったのでしょう。

 藤原 話は、二十年前に遡ります。PISAを最初に実施した二〇〇〇年に、日本の「読解力」が八位であることが判明し、国内に衝撃が走りました。勉強以外の読書をしない中・高生の割合はOECD加盟国平均(三二%)より高く(五五%)、原因は読書離れにある、との結論に至りました。そこから同年スタートの「総合的な学習の時間」を使い、「朝の読書運動」など読解力回復の取り組みが始まりました。文科省も当時は見識があったのです。
 ところがその後、二〇〇二年から始まる「ゆとり教育」(学習指導要領の改訂)の弊害で二〇〇三年の日本のPISAの順位は十二位に落ちてしまった。ゆとり教育が個性も創造性も、生きる力も育まなかったことは当時、大学の教壇に立っていた私自身、肌身に染みて知っています。中学・高校の教育の成果は、大学生を見れば一目瞭然なのです。一九八〇~九〇年代の中学・高校で教育を受けた世代と比べ、ゆとり世代の学生が明らかにほぼすべてにおいて劣っていましたから。それでも徐々に前述の取り組みが功を奏し、二〇〇九年、日本はついにPISAショックを克服して五位に返り咲きます。
 蜜月状態にある日教組、政・官・財は、その後もPISAで読解力一位だったフィンランドを真似し、フィンランド方式を取り入れる、という迷走ぶりを見せます。しかし同国は移民急増などで一位を滑り落ち、二〇〇九年には六位にまでなりました。そのうえ、「決められた本を読み、内容について皆でディスカッションする」手法がかえって本への愛着を失わせることが明らかになったため、フィンランド方式は下火になりました。
 たしかに論理的思考を育てるには、数学よりディスカッションが有効です。「数学を学ぶと論理的になる」というのは嘘で、理系学部の教授会など見れば、数学者は感情的な人ばかりですから(笑)。
 しかし、いくら議論が大事とはいえ、好きな本まで禁じて読書嫌いにしてしまったら意味がない。私は高校時代、憧れの『チャタレイ夫人の恋人』(性描写で発禁処分になったD・H・ローレンスの小説)を知人に会わずこっそり入手しようと、隣の駅前の本屋まで買いに行ったことがあります。駅を降りた瞬間から本屋のレジに運び、家に持って帰るまでのドキドキといったら(笑)。街中の人から「ホラ、助平が歩いている」と指差されているかのような被害妄想に襲われました。もう顔が真っ赤になってね。若いころは好きな本を乱読することです。


『スマホは孤独な時間を奪う』


--いいお話です。

 藤原 二〇〇〇年当時、日本の高校生はすでに本を読まなくなっていました。けれども、中学生はまだ読んでいた。ところが現在では、読書をしない中学生の割合は一五%です。「残り八五%は読んでいる」と思われるかもしれませんが、問題は「読書」の定義。「読む」と答えた人の冊数が圧倒的に少ない。読むか読まないか、○か一かの二択の問題ではなく、絶対的に読書時問が減っています。

 -ー原因は何でしょうか。

 藤原 いうまでもなくスマホです。たとえば二〇一一年の統計(内閣府「平成二十九年(注:平成23年のミスか?)度青少年のインターネット利用環境実態調査」の参考資料1)を見ると、中学生のスマホ保有率は約三%、高校生は約七%でした。ところがわずか三年後、二〇一四年になると中学生が四二%、高校生は九一%に跳ね上がります。さらに二〇一九年になると、中学生が九〇%、高校生が九六%。今回、問題にしている中学生は三%から四二%、九〇%へとまさに激増です。
 おまけにスマホの使用時間を調べると、中学生で平均一日二時間。平均ですから当然、三時間、四時間、五時間を費やしている生徒もいる。その間、奪われているのが「本を読む時間」です。
 スマホの最大の罪はまさにこの一点、「読書の時間を奪っていること」に尽きます。あるいは「孤独になる時間」を奪っている、といってもよい。
 人間の深い情緒は、孤独な時間から生まれます。暇や寂しさを紛らわせるためスマホゲームに没頭し、LINEやメールのやりとりでせっかくの孤独な時間が妨げられてしまう。人間にとって最も大事な読書の時間をたかが機械が潰しているのが、許し難い大罪なのです。

2020-1-23本を読む子供
(1960年代、写真提供:時事) 図書館で読書する子供
(引用者注:奥の女の子が読んでいる本は「二宮金次郎」)

 -‐よくぞおっしやいました。

 藤原 以前、私が「スマホが読書による教養、国語力を破壊する」と訴えたところ、愚かにも三人の息子たちが反論してきたことがあります。曰く、現代の若者はメールやSNSで、短いながらさんざん文字を書き、慣れ親しんでいる。「本当に私のDNAを受け継いでいるのか」と暗澹たる思いに駆られました。三人とも博士号取得していますが、私にいわせればgood-for-nothing(ろくでなし)。
 聞けば最近の若者たちは、ダ解の返事を「り」で済ませるそうです。「りょうかい」の「りよ」がさらに縮んで、たった一文字。「マ?」は「マジ?」の略らしい。これは会話などではない。「反応」にすぎません。

 ―よくご存じで。

 藤原 先ほど調べました(笑)。右のような現象を一言でいえば、語彙の欠如です。本や新聞をたくさん読まないと語彙が増えないのは自明の理ですが、大半の人が気付いていないことがあります。

 --何でしょうか。

 藤原 「人問は思考の結果を語彙で表しているのではない」ということ。逆です。語彙を用いることで、はじめて思考ができる。つまり「語彙がないのはイコール思考がない」ということです。
 したがって、小・中・高校時代における語彙の獲得は絶対的な使命です。現にOECDの調査でも、読書をする人はPISAの読解力が平均して四五点ほど高く、新聞を読む人は二二点ほど高いという。とにかく活字に触れればよい、ということです。
 読解力急落の答えが読書離れにあることは明白なのに、「デジタル化を進めれば読解力がLがる」などという政・官・財がいかに白痴化しているか。
 そもそも、PISAが測るのは「実学」の力にすぎません。たしかにグラフや図や契約書を正しく読み取る能力は必要かもしれません。しかし、それは「会社員を育てる教育」であり、イコール「人間を育てる教育」ではありません。
 小説や伝記や講談本を読み、貧しい境遇の人物に共感して心を痛め、大きな志をもって立つことの素晴らしさに胸を打たれ、強者に立ち向かう勇気や自己犠牲、友情や惻隠の情に感激する。こうした経験こそが、人間を人間たらしめる「情緒」を生むわけです。情緒の育成こそ読書の真骨頂であり、ITや英語のごとき実学が初等教育に入る余地はありません。


グローバル教育の限界

      ~
ーーでは、どうすれば子供の読書時間を増やせるでしょうか。

 藤原 強制あるのみです。まず、小・中・高の通知表の国語欄に「読書」を入れること。そして大学入試では、定員の一・五倍程度までは学力一本で絞び込むとしても、残りは面接により合否を判断する。その面接で、必ず読書歴を問うことにする。「本を読まない子供は有名校に受からない」となれば、父母が血眼になって読書 26をさせるはず(笑)。
 また当然ながら、小・中学生のスマホ保有にも制限を加える。現代は自由よりも制限が求められる時代です。加えて、初等教育における国語の圧倒的重要性の確認。英語にうつつを抜かしているヒマなど一秒もないのです。
 世界的に見ても、PISAのようなグローバル化教育は限界に達している。グローバリズム自体が限界に達しているからです。トランプ台頭や英国のEU離脱など、各地でナショナリズムが台頭してきているのは、グローバリズムから自国や自民族の文化伝統を守りたい、という当然の欲求なのです。
 新自由主義は帝国主義や共産主義と同じく、人類を幸福にするものではありません。やがて消え去る世界潮流の一つにすぎない。教育という百年の計を決めるのに、遠くない将来に泡のように消えてしまう思潮に身を寄せていていいのか。こんな教育を続けていたら、百年後に日本がなくなってしまいそうです。
<引用終り>

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