2015-07-09 17:37

春の小川をタイ語で言うと<再掲<続編

 「春の小川をタイ語で言うと<再掲」をエントリーしたのだが、そこに今は筆を置いた方のエントリーを紹介した。
ただイザブログは消滅してしまい、残念ながら秀逸なブログが消えてしまった。
幸いなことに全く別の所にそのブログがアーカイブとして残っていた。

そこでそのブログを紹介したいと思う。
紹介するのはkei-izaさんのエントリー。
「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」と「日本の英語教育の問題点」
http://kei-iza.iza.ne.jp/blog/entry/2618667/

それとsopnoraone-3さんのこのエントリー。
ボストンから留学事情雑感
http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/

お二方とも筆を置かれてしまっているので了解をとる事が出来ませんが、若し何かでこのブログをご覧になったら悪しからずご了承ください。
尚お二方のエントリーともコメントが色々有りますが、これは割愛させていただきました。詳細は各ブログに添付したURL参照ください。


では最初にkei-izaさんのエントリーから。
2015-7-9kei-izaさん


「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」と「日本の英語教育の問題点」
2012/03/07 09:35
https://web.archive.org/web/20130903231515/http://kei-iza.iza.ne.jp/blog/entry/2618667/

尊敬して止まない、憧れのsono兄さんが面白い話題を提供してくださったので、それについて書きたいと思います。

ボストンから留学事情雑感
http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/

「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」と「日本の英語教育の問題点」について。

「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」

海外で何十カ国からの留学生がいる中で学び、確信した事でした。
先日の、日本がいかに素晴らしい国か、と言う話にも繋がりますが、先人たちが残してきて下さった賜物だと思います。


日本以外の英語が母国でない国で、高等教育や高度な研究内容の専門書が母国で存在しない国の多いこと!多くの国が、結果として英語のテキストを用い、高等教育を英語で行っています。その結果として、英語が出来るようになるという側面があります。


一方で、日本は母国語で高等教育が行え、英語を使う必要なく高品質な生活が出来ます。その分、英語に触れる機会が少なく、結果として「英語が苦手」と感じる人が多くなってしまうのでしょう。(しかし、これは十分にクリア可能な課題です。後で述べます。)

日本人は日本語を話し、用いることが大切です。母国語は考えるための基礎です。

母国語教育をしっかり行うことが、その後の人生の多くの場面に置いて、高度な思考を行うために不可欠です。
中途半端な英語教育では競争力はつかないし、若い世代の日本語教育の時間を削ってまでやることでは決してありません。
英語教育は中途半端、国語教育がなってない、そんな状況ならば、日英どちらもどうしようもなくなるという最悪の事態でしょう。

ただ、英語は今日のようなグローバル社会では出来たほうが有利です。
日本人が英語が出来なくて、損するような状況はもったいなすぎます。

その原因はとてつもなくシンプルです。「英語教育が問題」なんだと思っています。
英語教育は効率よくしてやりさえすれば、今の多くの日本人が困っている「英語が出来ないことで損する」ことはなくなります。


「日本の英語教育の問題点」について
結論から申し上げると、センター試験を止め、TOEFLを代用すれば良い、です。

私は紙ベースのときから、最新のコンピューターベースのものまでTOEFLを受験してきました。TOEICも英検も受けた事があります英検は1級を受ける機会がなくて、まだですが)。IELTSというイギリス圏の英語能力試験も、アメリカの大学院留学に必要なGREも受けたことがあります。
スコアを提出する必要があったので、受けただけで、受験マニアではありませんので(笑)。

先日も日本の学校で英語教師を30年やっておられる先生の授業を聴かせてもらいに行って来たのですが、愕然としました。
この先生はとても優秀な先生で、外国語大学をはじめ有名国立大学に学生を送りこんでおられるのですが、その英語の授業は生意気を承知で申し上げれば、prehistoricに思えた程、非実用的でした。

失礼を承知で先生に聞きました。
「かつて日本で英語教育を受け、海外に出て、奮闘してきた。私が学校で英語教育を受けてから10年も経って、まだこんな英語教育なのであれば、この若い人たちは私と同じように苦労することになる。なぜこんな英語教育を続けているのか?」と。
先生は「あなたの言うことはよくわかるが、受験に合格させ、大学に行かせるためにはこれを続けなくてはならないのだ。受験の英語が変わらない限り、残念ながら日本の英語教育は変わらない」と。

英語に関してはセンター試験を止めればいいと思います。
TOEFLを代用すれば良いです。TOEFLは良く出来たテストです。
何度も受けられるし、今の受験英語よりも、応用力が高いです。

日本の受験英語も良い点があります。最大に良い点は文法力の強さです。文法ミスが少ない、これは上に上がれば上がる程、とても大切なことです。口には出さないかもしれませんが、「見られている」部分になります。
日本でも同じことですよね。


私は別にアメリカ方式が良い、と盲信的に主張する気もないし、日本の良い所も組み入れるべきだと考えます。

英語に関しては今のものを続ける、中途半端に変えるくらいなら、いっそTOEFLに変えればよいと考えます


きっと、現行の英語教育とTOEFL対策のハイブリッドで良い形が出来るんじゃないかと楽観しています。


sono兄さんは、ブログでこのようにおっしゃいました。


>僕自身は日本の大学を卒業して社会に出て、そこである程度の経験を積みながら語学を実務を通じてブラッシュアップして、そして、その企業なりから大学院やビジネススクールへ留学する「形」を作った方がより「日本的」ではないかと感じています。


sono兄さんがおっしゃるこの形が日本的であり、今の日本にとって、最も実行しやすいbest possibleな形のように思えます。


私は同じ職場に戻ることを考えてなかったので、仕事を辞めて海外に行きましたが、また帰って来て同じ分野にいますので、かつての同僚と会い、仕事をする機会があります。
けれど、帰って来る場所があるほうがbetterな人もいるでしょうし、派遣して、戻って来てもらえる方が企業の投資としては有用でしょうから。

結論としては英語教育を変えることで、日本人の多くが直面する英語の苦手さは改善出来ます。しかし、日本語という母国語の運用がままならなければ、思考は発展しません。
個々人の、ひいては日本全体の向上につながり得ません。

よって、日本語教育のさらなる向上を目指すとともに、時代にあった効率よい英語教育を行えばよいと思います。

間違っても、英語教育強化のしわ寄せが国語教育や算数教育にいくようなことがあってはならないと思います。それは、将来の語学力発展の芽すら摘んでしまう事になるでしょうから。


最後にsono兄さんの当該ブログ記事の最後の部分を引用したいと思います。

久しぶりに沢山書いてしまいました。

拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。


ボストンから留学事情雑感より

>大切な基本は「語学」よりも先に「日本教育」だと思います。

>必要な語学力は人間力の成長と共について来ます。

>何度も言う様に「言葉は人格」だと言う僕の信念は変わりません。

>日本のお母さん方、

>子供に英語の幼児教育する暇が有ったら、

>日本語の優れた本をたくさん読み聞かせて下さい。

>日本人として優れた教養を育てる事が国際人たるべき基礎なのです。

>日教組の所為にする前に


<kei-izaさんのブログ引用は此処まで>



次はsonoraone-3さん
2015-7-9SONOさん


ボストンから留学事情雑感
2012/03/07 04:22
https://web.archive.org/web/20120424171850/http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/

昨日は日帰りでボストンの対岸のケンブリッジと言う街にある米国の名門大学で話をして来ました。

そこでのちょっとしたスピーチの後で学内関係者と話をして感じた事を少し書いて見たいと思います。

最近日本では日本からの留学生の比率が激減して中国や韓国の学生が激増して来ている現象を捉えて、

この様な海外留学事情の変化を若者の海外志向の減退や上昇意欲の減退として捉え、

日本衰退の象徴の如くマスコミでは喧伝されているようです。

しかしながら僕は少し違う背景も有るのではないかと感じています。

ハーバードやイエールになどでは留学生の受け入れは全体の学生の10%程度と枠が決まっています。

その中で近年になって中国、韓国の経済力の上昇と共に

これらの国からの受験生が激増して競争率が高くなっています。

特に韓国は日本以上に少子化が進行中で国土は貧相で資源もなく社会の価値も貧困である為に、

そして更に政治的不安定感が絶えず付きまとうために

トップレベルの人達には「海外志向」が異様に強い傾向があります。

中国や韓国のトップ集団は海外大学卒業者が当たり前の前提になって来て、

日本では東大や京大を目指す事と同様に、

彼等は海外有名大学卒業する事が人生設計の基本となっている様に感じます。

その結果、彼等には海外留学希望者が多く

必然的にバーバードやイエールへの受験者が多くなると言う事なのです。

一方で日本では国内名門大学のブランドが確立している為に

まだまだ国内の大学を卒業して社会に出て行くと言う「習慣」が強い。

この差がバーバードやイエールでの日本人留学生の相対的減少の根本的構造だろうと感じます。

マスコミが宣伝する様に、日本の若者や国力の「衰退」だけが原因ではないような感じもします。

日本の東大を卒業しても鳩山や岡田の様なバカはたくさんいる分けですが、

ハーバードやイエールを卒業しても同種のバカはたくさんいます。

そして中国や韓国からの留学生は有る意味では海外留学を踏み台に自分の国を捨てて

自分の人生そのものを海外に移住させる「チャンス」として

留学を一つの人生のステップにしている傾向が非常に強いと感じます。

実際今回、ハーバードのこれら留学生と話しをしてもこの感じを強く感じました。

現在進行形の中国や韓国からの留学生の数の激増とそれに伴う日本人学生の数の減少に関しては

僕自身は海外留学生の数や比率自体にそれほど拘らなくても良いのではないかとも感じます。

例えば現在バーバードには日本人の学生は約100人程居ますが

大半は日本の東大や京大などを卒業して来た大学院生で学部の学生は

数人(今回聞いた所では5人)しか居ません。

一方で中国や韓国の学生は大半が高校性から直接学部に進学して来た学生が大半となって居ます。

この事は逆に考えると日本の国内大学の「ブランド」が確立している為に、

日本では国内大学を卒業して社会に出て行くと云う概念が確立しています。

日本では海外大学を卒業して「箔を付ける」と言う必要性が低く、

ハーバードやイエールの名門校の留学生枠(10%程度)が有る中で

中国・韓国からの受験生が激増した結果、

彼等の比率が必然的に高くなったと言う「結果」に過ぎない様な感じがします。

ただ一つ日本の問題と感じるのは、

例えばハーバードに留学する為には「TOEFL」の入学審査(語学力)を受けなければなりません。

正確には覚えて居ませんが7,8年前に試験方法が変わり

読む聞く話す書くの4要素統合形の試験方法に変わりました。

その結果日本人の高校性の得意な「文法」は試験から外されて

「話す」事が重要視されたので日本の高校性にはハードルが非常に高くなったと云えます。

この試験で要求される英語力はTOEFLで100点以上ですから

英検1級など足下にも及ばない高度なレベルな分けですし、

日本国内の普通科の高校性がクリヤーするには非常に厳しいと言わざるを得ないでしょう。

更に、ご存じだとは思いますがTOEFLをクリアーしても

より難解度が高い読解や数学や論文試験の米国大学の共通試験(SAT)が待ち構えて居ます。

更に留学への志望動機などを英語で書いて「文章表現力」を試される審査を受けなければなりません。

入り口のTOEFLで躓いている日本人に取っては、

非常に高いハードルと感じるのは致し方ないのでは無いでしょうか?

その上で日本のトップクラスの高校性は国内の名門校を目指す事が「普通」な分けです。

日本は中韓とは違って独自の欧米と肩を並べる高等教育が既に有る分けですから、

僕自身は日本人として世界で生きて来て、

更に自分自信の経験から考えるにそれほど「海外留学」が重要な要素だとは思いません。

そんな事よりは日本語でしっかりと日本の教育を確立する事の方が

余程個人の人格の形成と人生設計、

そして国家100年の大計には重要な事と感じます。

今回ハーバードの関係者と話して来て、

彼等自身が日本の留学生の減少には危機感を持っている様です。

彼等は留学生の「多様化」を非常に重要視していますから、

日本から留学生を増やすべく(要するに中国韓国からの留学生に偏らない為に)

日本での募集活動を強化していますが、

前述の様に日本の英語教育が根本的なネックになっている部分は有ると云えるでしょう。

僕自身は日本の大学を卒業して社会に出て、

そこである程度の経験を積みながら語学を実務を通じてブラッシュアップして、

そして、その企業なりから大学院やビジネススクールへ留学する「形」を作った方が

より「日本的」ではないかと感じています。

悪戯に中国や韓国を敵愾心を持って「ライバル」と眺める必要は無いです。

日本は絶えず語学力や島国根性に関しては自分で自分自身を卑下しながらも、

一方でその残した実績は世界に誇るべき能力を発揮して来ているでは有りませんか?

中国や韓国は彼等が異様な敵愾心で日本をライバル視して纏わり付いているだけですし、

無知無教養で「平均」の概念も理解出来ない日本の「マスコミ」が、

それを「反日宣伝」に使って日本人を貶める事に自虐的喜びを感じているだけです。

それ故にマスコミが無責任に喧伝する様に

留学生数の減少を「日本の衰退」の象徴の如く捉える必要もさらさらない。

その様に感じたボストンでした。

そして最後に付け加えて置きますが

やはりここでも日本と日本人の「クオリティ」に対する信頼感は非常に高い。

ハーバードやイエールにはたくさんの中国や韓国を中心に各国の留学生を多数抱えて

それぞれの「反面比較」が容易に出来るからです。

今の民主党政権で東大出身者のバカが異様に突出している現状は忸怩たる感は否めませんが、

海外留学生の数の問題よりも日本国内の教育の質の改善に我々国民はより留意すべきでしょう。

大切な基本は「語学」よりも先に「日本教育」だと思います。

必要な語学力は人間力の成長と共について来ます。

何度も言う様に「言葉は人格」だと言う僕の信念は変わりません。

日本のお母さん方、

子供に英語の幼児教育する暇が有ったら、

日本語の優れた本をたくさん読み聞かせて下さい。

日本人として優れた教養を育てる事が国際人たるべき基礎なのです。

日教組の所為にする前に

先ず「家庭教育」の重要さに気づくべきでしょう。

家庭教育の崩壊が学校教育の崩壊を招き、

日教組の政治活動を容易ならしめているのです。


<sonoさんのブログ引用此処まで>

お二方とも筆を置かれてもう随分たちました。お元気なんでしょうか。
断りもなく勝手に引用紹介させていただきましたこと、お詫びいたします。

前のエントリー「春の小川をタイ語で言うと」で言葉の問題を取り上げました。
こんな事から「日本語が実に素晴らしい言語」だと言う事が良く分かります。
そんなことでこのお二方の古いブログを紹介させていただきました。

色々考えてみたい事だと思います。

  1. 言語
  2. TB(0)
  3. CM(18)

2015-07-09 11:59

春の小川をタイ語で言うと<再掲

 新幹線用のガードレールの話をエントリーしたのだが、皆さんのコメントで「新幹線のような高度なものを発展途上国に輸出して大丈夫か、そもそも言葉が通じるのか」と言った疑問を色々戴いた。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1135.html

そんな話の参考に2012年のエントリーを再掲してみたい。
題して「春の小川をタイ語で言うと」2012年3月8日のエントリーです。

ここに皆さんから貴重なコメントを頂いているので、それも本文に取り込んで再掲することとした。
コメントを頂いた皆さんには勝手に再掲させていただきますがご了承を。
またこのエントリーには今は筆をおいたkei-iza さん、sonoraone-3さんの話もあるが、ご本人には連絡も取れないので勝手に引用させていただきました。あしからずご了承を。


ではでは、その話どんな風に展開しますか・・・


2012-03-08 18:01
春の小川をタイ語で言うと

 kei-izaさんが久しぶりのエントリーで興味深いことを言っている。
「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」「日本の英語教育の問題点」
http://kei-iza.iza.ne.jp/blog/entry/2618667/ (注)

keiさんはsonoさんのこのエントリーで触発されたようだ。
http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/(注)

(引用者注:このお二方のエントリーはイザブログが今は無くなってしまったので見る事が出来ません。但し全く別の所にアーカイブとして存在しています。そこでこのエントリーの続編として別途紹介したいと思います)


今回私は以前からの持論なのだが、発展途上国の言葉と日本語がどんなに違うのか、タイ語を例にとって話したい。


さて簡単な例である。
例えばこの歌、誰でも知っている歌だが・・・
「春の小川」



高野辰之作詞・岡本貞一作曲/文部省唱歌

春の小川は さらさら流る。
岸のすみれや れんげの花に、
匂(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く。

【林柳波による改作などを経た現在の歌詞】

春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく、
咲けよ咲けよと、ささやきながら。


こんな歌がタイ語では翻訳が極めて難しい。
多分日本人が感じるイメージはタイ人には分からないと思う。
最初の「春の小川はサラサラ流る」を取り上げよう。

なぜか、それは「小川」と言う言葉である。
タイ語では川、池、水溜り、飲む水、全てナーム(naam)という。
単にナームだけでは区別がつかないし、タイ人には川も池も飲み水もどれでも良いらしい。


これはナーム
2015-7-9(2012-3-8水の話2コップの水

(注:最近では飲料水はボトルに入れて冷やして飲むのが当たり前になった、したがって飲み水と言うときはナーム・イェン(冷たい水)と言うことが多くなった。良い事である)

これもナーム
2015-7-9パタヤの先2000年9月


こんな水溜りもナーム
2015-7-9チョンブリ県2000年10月


これもナーム
2015-7-9ワンちゃん救出
但しこの水はきれい汚い関係なくナームだが、洪水と言うときはナム・トゥァンと言う


流石にこれだけ大きい川になるとメー・ナーム
メー=母、ナーム=水で水の母、つまり大きな川になる
2015-7-9ゴールデントライアングルのメコン川

この写真で左上から右下に流れているのがメコン川本流、
左から合流しているのが支流のサーイ川、
手前がタイ領、サーイ川の向こうがミャンマー領
メコン川本流の向こう側がラオス領
ゴールデントライアングルといわれ、麻薬で有名になった場所です。


こんな事なのでたかが水と言うけれど、タイ語には池の水から池そのもの、そして飲み水まで全部一緒なのである。

2,30年前までタイのバンコクに駐在する日本人家庭では、メイドの朝一番の仕事は水瓶から水を汲んで沸かす事だった。
この沸かした水で炊事から洗濯全部するのだった。

冷たい水が飲みたければ水瓶をトントンと叩くとボーフラが慌てて沈む、そこをコップでサッと掬って飲む
こんな事が当たり前なのは綺麗な水、汚い水の区別も無いから。


本論に戻って、冒頭の春の小川

2015-7-9春の小川


こんなさらさら流れる川、彼らにはそれすらなかなか理解できない、つまりそんな概念が無いのだ。

私がタイ人1期生を日本に研修のため連れてきたときのこと。タイ人が最初に日本の印象を書いて送った手紙を見せてもらったことがある。
会社までの道には上掲の写真くらいの川があった(水はお世辞にも綺麗といえなかったが)。
タイ人が言うには「日本はいいところだよ、川に黒い水が無い、おまけに底まで見えるんだ」
これほど違うと言う話である。



そんな事で「春の小川はサラサラ流る」、
たったこれだけの事をタイ人に正確に理解させようとするとかなり言葉がいる。
今回言及しなかったが「サラサラ」、これだけとっても正しく説明は難しい。
塗装工場では粘度とかちょう度(稠度)等を問題にするが、こんな言葉をタイ語には訳せないので苦労している。



発展途上国の大学が英語で授業するのはこんな理由、
つまり発展途上国の言葉には語彙が不足し、難しい概念が話せないためなのである。

では日本語はどうか、実はこれは明治時代、我々の諸先輩方が西欧文化を取り入れる過程で日本語には無い概念に多数ぶち当たった。
そこで苦労して漢字を組み合わせて言葉を造ったのである。
面白い事に日露戦争後、当時の清国は日本に学べと多数の留学生を送り込んできた。
その留学生が日本が作った新しい概念の言葉を母国に持ち帰った。
文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、など新しい国づくりには新しい概念が必須だったのである。
東北アジア各国で使われる漢字でできた近代的な概念語の大半が日本製となっていると言われている。

詳細は以下参照ください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%A3%BD%E6%BC%A2%E8%AA%9E


今日本では外国の文献などは全て日本語のものが手に入るのは、偏に明治時代からの先人の苦労の賜物である。感謝せねばならない。

<以下はコメント欄です。読みやすいよう若干編集しています。また引用文は割愛しました。

コメント
No title tom-h さんのコメント
本当明治時代の日本人によっていまの日本の発展の礎が築かれていますよね。

当時の知識人層・エリート層のレベルの高さがよく分かります。

翻っていまは・・・。
2012-03-08 23:36 URL tom-h

To tom-hさん
同感です、今の知識人なるもの、かなりの割合で痴識人がいますね。
当時の素晴らしい所はエリート層が凄いのですが、その下の一般人もそれなりに知識がある。
つまり底辺が広い、これが素晴らしいです。
2012-03-09 06:31 URL 短足おじさん


No title  kamosuke さんのコメント
「メナーム」って、そういう意味だったんですか。ひとつ得した感じです。

塗装工場での苦労の話、すごくおもしろいです。日本の技術者が「摺り合わせ」に長けている大きな要因につながっているのでしょうか。
そういえば、大工をしていた兄にくっついて手伝いによく行っていたのですが、腕のいい職人ほど「ギラッとした嫌らしい研ぎだ」とか「霞に研げ」とか、普通の人が聞いたらなんだかわからないことをよく言っていました。
工学分野でも、というよりも、どんな分野でも、大勢の人と一緒に高度なことをしようとすれば、最後の最後で、微妙な表現が大きな差につながるんでしょうね。最近、言葉がいかに大切か、痛感することが多いです。
2012-03-08 23:43 URL kamosuke

To kamosukeさん
>「メナーム」って、そういう意味だったんですか。ひとつ得した感じです。
この話は全くの笑い話、日本人の誰か(何処かの偉い先生)がタイに行ってタイ人に聞きました。
バンコクを流れる川を指して「これ何と言う名前」、タイ人の答「メーナーム(つまり川)」、
そこで日本人はチャオプラヤ川を「メナム川」と呼ぶようになり、
本や地図にもそう書きました。
未だにメナム川と書いた本を見かけます。

なるほど「霞に研げ」ですか、難しいですね。
現地現物をモットーにやってきてもこの話は難しい、
こんな所が日本の凄さなんでしょうね。
2012-03-09 06:43 URL 短足おじさん


No title sonoraone-3 さんのコメント
日本の郵便制度を作った前島密は、明治維新による文明開化の時に、日本国の国語をフランス語にすべしと主張した。彼がどの程度本気だったかどうかは知らないが、怒濤の如く外国が入って来る中で、その言葉の「概念」を捉えるにはフランス語が一番日本人の多様で微妙で繊細な表現に耐えうると判断した様です。
彼の場合は日本語の素晴らしさを失念してのグローバリズム開花に囚われている訳ですが、逆に言えばそう言う「暴論」が出る程にそ日本語は先進性が有ったと云う事でも有ります。
感情表現と事象次元表現の多様性と言う意味では日本語とフランス語は双璧でしょう。
そしてフランス語と日本語でガチ勝負すれば日本語が情緒の奥深さで判定勝ちでしょう。
それほど日本語は優れた文明の結晶だと思います。
2012-03-09 04:24 URL sonoraone-3

To sonoraone-3さん
なるほどねえ、日本語は優れた文明の結晶、同感です。
昨日ドナルド・キーン氏が日本に帰化手続きが完了したことが報道されました。
キーン氏のような理解者がいることは本当に有り難い。
今の日本を創ってくれた先人に感謝です。
この気持ちはタイで仕事をしてみて、しみじみ感じました。
諸先輩がたは苦労したんだろうなあ・・・
感謝です。
2012-03-09 06:55 URL 短足おじさん


No title sonoraone-3 さんのコメント
しかし、

春の小川は、さらさら行くよ

を英語にすれば

the small stream flows babbling between its banks.

てな感じですかね?
やはり詰まらないですね。
日本語の語感の豊富さは逸品でしょう。

2012-03-09 05:55 URL sonoraone-3

No title
To sonoraone-3さん
俳句を英訳したような感じですね。
英語は国際化する過程で思いっきり簡単にしてきましたから、こういう表現は苦手なのは分かります。
でもフランス語なら、それも話し言葉ならかなり微妙なニュアンスを表現できるんでしょうね。
2012-03-09 07:02 URL 短足おじさん


No title sonoraone-3 さんのコメント
Le printemps est venu et le ruisseau coule rapidement entre banques.

やっぱり日本語でないとこの詩の感じはでませんね。
状況は説明出来ても情感は微妙に異なると言う事です。
長い歴史に培われた民族文化の情感の大切さを知らされます。
例えばフランス語や英語の詩を日本語訳すれば、
もはや単なる翻訳ではなくそれ自体が独立した詩になります。
しかし、逆も可かどうかは微妙ですね。
日本人の感性と情緒は独特のものでは無いでしょうか?
欧州でジャポニズムが席巻したのも頷けますね。

2012-03-09 08:34 URL sonoraone-3

No title
To sonoraone-3さん

でも矢張りフランス語ですね、英語とは全く感じが違う。

このフランス語訳をみて何故かこんな詩を思い出しました。
sonoさんは詩人の才が有りますね。

Le pont Mirabeau  (Guillaume Apollinaire, ) 

  Sous le pont Mirabeau coule la Seine.    
  Et nos amours                 
  Faut-il qu'il m'en souvienne          
  La joie venait toujours apres la peine     

Vienne la nuit sonne l'heure            
Les jours s'en vont je demeure.         


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

・・・以下略、全文は下記
http://members.jcom.home.ne.jp/swatanabe/%90%A2%8AE%82%CC%8E%8D%89%CC/mirabeau.htm
>欧州でジャポニズムが席巻したのも頷けますね。
ジャポニズムは又新しい動きがあるようです。
日本の責任を感じる話と思います。
2012-03-09 10:49 URL 短足おじさん


No title 相模さんコメント
随分昔に読んだ話ですがアフリカ(のどこかの国)では魚の名はどの種類も全て「魚」だそうです。
逆に日の出から日没に至る太陽の状態を表す言葉は50種くらいあるそうです。
お国柄が違えば文化、表現が違って当然でしょうね。日本は四季に恵まれた素晴らしい自然の中で言葉と感性が育ったというべきか。
だからこそ優しい国民性に育ったわけで、この感性は「世界遺産」級かも知れず。鳩山さんが言う友愛によって中韓北朝鮮との連合は無理です。
2012-03-09 11:01 URL 相模

No title
To 相模さん
面白い話ですねえ、
多分その国では魚はどんな魚でも食べ方が同じなのでしょうね、
何でもぶつ切りにして煮てしまうとか。
でも太陽の状態を表す言葉が50以上、何処を見てるんでしょうね。

日本は素晴らしい自然の中で言葉と感性が育った、同感です。
もっともっと日本と日本語を大事にしなければ・・・
2012-03-09 13:47 URL 短足おじさん


No title kazkさん のコメント
日本語は世界でも珍しい二重構造を有してる言語なのです。
つまり、日本古来の和語の基づく単語群とおもに漢語の輸入による単語群です。これは飛鳥奈良の時代から、膨大な支那からの文化の輸入を行い当時の日本人たちが必死の思い出言葉と格闘して創り上げた金字塔だと思ってます。

例えば春の小川の歌詞自体見れば分かるのですが、これはほぼ純粋に日本古来の和語で書かれてるものです。そしておそらくここに流れる情緒というものは言葉と共にあリ翻訳はほとんど不能なものです。このような単語群があり、それに基づく文学が成立し独特の文化というものは成立するものだと思います。

日本人はこのような体系の上に漢語に基づく思想、哲学、科学に及ぶまでの単語群を作り上げました。これは当時の日本人たちのおそらく血のにじむような格闘の結果だと思ってます。

それだけではありません。春の小川の歌詞の中で見られる、行く、咲く、という動詞、美しくという形容詞を我々は何も考えず使ってますがこれは全て漢字の訓読み、つまり完全に日本語化して使うという荒業をこなしてます。
その上「小川」などはどうしてこういう作り方ができるのか、不思議になるほどの言葉でしょう。小生は当時の日本人たちがかかる格闘をしてくれたお陰で日本の文化が誕生したのだと思ってます。

先日、来日されたブータンの国王陛下は国会で演説されましたが英語で行われました。ブータン国民の言葉であるゾンカ語では政治、経済、文化などの概念を表す言葉が極端に少なくかかる演説はできなのだといいます。

明治以降の日本人たちの努力は言う必要はないでありましょう。このような超人的な努力があったからこそ自国語で大学の授業ができるという欧米とは言語体系が違うおそらくは唯一の国となったのです。

ところがこの期に及んで大学の授業を英語でやることが国際化だとか、英語を公用語にづるとかの馬鹿を通り越した基地外の議論が出てきます。東大の言う秋入学とやらの問題も、英語で講義を行う前提だとか、どこまで間抜けなのでしょうか。

関係ないのですよ、国際化とか何とか抜かすならば一番生き残れるのは固有の文化に決まっています、真似はできないのですから。何で日本語でそれを発するという発想を持たぬのか。日本の知識人という奴らは恐ろしいまでの植民地根性の持ち主なのでありましょう。

ある人が面白いことを言ってます。古来の和語、やまとことばというものは、最も人の気持ちや思いというものを素直に表してる言葉だというのです。ある意味で当然のことかもしれません。同じ言葉で持って全てを表すなどという無理はできるわけがないのです。

小生は10年以上国語の教師をやりましたが勉強すればするほどこの二重構造が日本人の感性を育て上げ独自の精神世界を創り上げたのだ、感心するばかりでありました。

ここでは問題になってませんが、おそらく日本語は世界で最も多言語の侵略に強い言葉だと思ってます。昨今のへんてこな外来語の氾濫なんかなんの問題もありません。これを心配する愚かな知識人がいますが何もわかっていない連中です。
長い目で見ればなんの問題もありません。これは小生の確信です。
2012-03-09 23:35 URL kazk

No title
To kazkさん
なるほど二重構造ですか、面白い見方、納得です。
ブータン国王陛下の話、良く分かります。

なるほど、国語教師の経験での話、良く分かります。
これからの日本語の課題は多分正しく話すことだと見ていますが、
如何なんでしょうか。
2012-03-10 17:04 URL 短足おじさん


No title kei-izaさん コメント
お邪魔させて頂きます。

>今回言及しなかったが「サラサラ」、これだけとっても正しく説明は難しい。

興味深いですね。
サラサラ、そよそよ、ふわふわ。擬態語は本当に難しいです。
それにしても、言葉は文化やその社会の価値観と大きく連動すると言いますし、言葉から見えて来るものって沢山あって面白いですよね。

>今日本では外国の文献などは全て日本語のものが手に入るのは、偏に明治時代からの先陣の苦労の賜物である。感謝せねばならない。

本当につくづくそう思います。
また、現在の日本語が長い時間を経て、連綿と積み重ねてこられた結果なのだと考えると感慨深いですね。
平安時代の古典文学などを見てもそうですが、言語や文化の通り道がよくわかり、非常に興味深いとともに、現代においてもも1000年前に書かれた物語を読み、楽しめることは、本当に有り難いことだと感じます。
2012-03-10 07:23 URL kei-iza

No title
To kei-izaさん
ご多忙な所コメント有難うございます。
1000年も前の文学などが自国語で読める、これは素晴らしいことです。
ドナルド・キーン氏が90歳になってから日本に帰化を決めた、
その理由の一つがこんな事なのでしょう。
本当に有り難いことです。
2012-03-10 17:12 URL 短足おじさん


No title 相模さん コメント
kazkさんご指摘のように論理・哲学を語る場合は漢語交じりで、感情・情緒を表す場合は大和言葉で、というのはその通りと思います。

歌詞などを見ていて面白いのは、明治あたりの訳詩は割合多く漢語が混じります。しかし情緒を語る日本語の作詞になると和語の比率が増えます。(但し上から目線の寮歌などは漢語が多いです)
「君が代」は100%大和言葉です。
2012-03-10 21:35 URL 相模

No title
To 相模さん
明治時代に西欧の書物を翻訳しようとしたとき、西欧にあった概念を日本語に訳せない事で苦労した。その結果漢字の造語機能を使って新しい言葉を沢山作った。本文にあげた文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本等の言葉が皆そうですね。

2年ほど前、昔の歌で「秋の夜半」と言うのを少し調べました。
「秋の夜半の み空すみて」というのです。
作詞者は文化勲章受賞者で歌人の佐佐木信綱、曲はウェーバーの魔弾の射手の一部を切り取ったもの。
和歌専門の歌人まで動員して西欧文化を取り入れようとしたことが分かり、何か胸が熱くなります。
そしてこの頃の歌は若者が国を出て都で学ぶ望郷の歌が多い。
秋の夜半もそうでした。
以下がその歌詞です。

秋の夜半(よわ)の み空澄(す)みて
月のひかり 清く白く
雁(かり)の群の 近く来るよ
一つ二つ 五つ七つ

家をはなれ 国を出でて
ひとり遠く 学ぶわが身
親を思う 思いしげし
雁の声に 月の影に
2012-03-10 22:57 URL 短足おじさん

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