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2020-04-12 10:00

令和の世に 『万葉集』を読み直す


 今月初め、行きつけの本屋で、普段は見向きもしないこんな本を買ってしまった・
ラジオ深夜便

2020-4-12ラジオ深夜便4月号

昔は夜討ち朝駆けが当たり前で、深夜に帰宅する折とか、早朝出かけるときのクルマの中で、よく深夜放送を聞いたものだった。
しかし今になってこんな本を買うなんて・・・。これが魔が差したとでもいうのだろうか(笑)。

今日は武漢肺炎を離れ、一服の清涼剤の積りで万葉集など。


このラジオ深夜便、内容は面白い。91歳のアマチュア写真愛好家のお祖母ちゃんの話とか色々ある。
中でも興味を引いたのが「五木寛之のラジオ千夜一夜」。この中で五木寛之はこんなことを語っている。
「小説を書くことを生業とする私ですが、人と会い、語り合う対談の仕事も小説と同じくらい大切にしてきました。」こんな書き出しで始まるそのエッセイは、最近の五人の人との対談を語っている。そのなかで、万葉集で有名で、「元号令和」の発案者と言われる国文学者の中西進先生との対談が目についた。中でも「これは!」と思ったのがこんなくだり。
万葉集には天皇や貴族、著名な歌人の作ったモノだけでなく、「よみ人知らず」「防人歌」「東歌」など一般庶民の歌も沢山ある。しかし歌を詠み、(万葉仮名で)書き留めるには高度な知識が必要で、当時の一般庶民がそこまでできただろうか。そこで私は仮説として、そんな一般庶民の気持ちを歌にして書き留める。そんなプロがいたのではないか。その疑問を中西先生にぶつけてみた。
中西先生は、素人の私の説をしなやかに受け止め、「ひじょうに新しく、かつ有力な説」と言ってくれた。
こんなことが書いてある。
そしてここからがさらに問題。その対談の様子は「月刊誌中央公論2月号」に掲載されているとか。

中央公論かぁ、私の中では中央公論などという左巻きの雑誌は『開くと毛虫、ゲジゲジの類がぞろぞろ出てくる』唾棄すべき存在です。
がしかし、この五木寛之の疑問は、実は私も昔からそう思っていました。
何せ万葉仮名は漢字の音読みだけでなく訓読みも使っているし、中には九九を使っている例(例えば十六と書いて「しし」と読ませる類)まであるですから。

ということで、ここはどうしても中央公論を手に入れるしかないという結論で、バックナンバーを買うことにしました。

読んでみたらとても面白い。毛虫の群れの中から宝物を掘り出した心境(笑)です。
そこには中西先生ならではの素晴らしい話がちりばめられており、例えば黙読が言葉の魂を失わせている。だから今京都市立図書館に音読ルームを作るよう提案しているとか、もう色々あるのですが、冒頭の五木寛之の疑問と中西進先生の回答はコレ。

>五木寛之の質問 『万葉集』の時代も、一般庶民、たとえば防人が、それほど言葉をうまく使えたとは思えない。そもそも字を読み書くのはエリートの技術ですから。やはり、そういう人の生き生きした気持ちを汲んで、歌の技法を持った人が代作したものもたくさんあるのではないかと思います。
これに対する中西進先生の回答
中西 それを証拠立てるものとして、東国の農民の歌に、(柿本)人麻呂の表現と同じものが出てきます。普通の解釈だと、人麻呂がいかに民衆の口ぶりを知っていたか、ということになる。でも五木説に則ると、人麻呂の歌を知っているプロの歌人が、最終的な形に取りまとめるというプロセスがあるから、そうなっているんだと解釈できます。これはひじょうに新しく、かつ有力な説だと思います。

そして最後に中西先生のこの話が素晴しい。
>強いて言えば、「巧言令色鮮し仁と『論語』に書いてある」というのが、中西に与えられた最後の難関だった。
五木 なるほど。
中西 ところが、巧言令色はいいという作家がいるんですよ。それが、太宰治。(笑)
(引用者注:太宰のこの言葉は「もの思う葦」(「ふたたび書簡のこと」 昭和10年)、「めくら草紙」(昭和11年)に見えるようです。以下参照)
http://dio.justhpbs.jp/sub15.html

こんなことで、記録としても大変素晴らしいので中央公論2月号の該当部分を引用します。

対談記事なので、そのように見てください。
尚中西先生は「戦争と万葉については、ひじょうに大事な話なので、もう少し深めたいと思います」とも言っていますが、この件は此処では取り上げませんがまあ見てください。


<以下中央公論2020年2月号p176-p189より引用。


令和の世に
『万葉集』を読み直す
2020-4-11中央公論2020年2月号中西進五木寛之対談

突然の『万葉集』大ブーム

五木 中西先生は、今おいくつになられました?
中西 ちょうど九十です。
五木 九十歳! それにしても真っ赤なマフラーがよくお似合いです。(笑) 新元号「令和」が、どうやら中西先生の発案らしいと報道されて以来、大変でしたね。国民的スターといいますか、ガラスの鳴かぬ日はあっても中西先生の言葉や写真を見ない日はないくらいで。
中西 いやいや、ガラス並みということでしょう。(笑)
五木 林真理戸さんのエッセイでね、何かの会で中西先生をお見かけしたら、すごい人垣で近づけない。それを掻き分けてやっと到達して、ご挨拶したと書いておられました。「令和」をきっかけに、爆発的な『万葉集』ブームが巻き起こった感じがありますね。新聞、週刊誌はともかく、『現代思想』までが、臨時増刊で『万葉集』の特集をやったくらいですから。
中西 そうですね。私は”万葉ラプソディ(狂詩曲)”と呼んでいます。
五木 ラプソディですか。なるほど。ただ、世間の人は突如ブームになったように言いますが、僕はそう思いませんでした。先生が小・中学生を対象に、一五年以上「万葉みらい塾」というのをおやりになっていたのを存じあげていましたから。それが花開いた、という感じがしますね。今日の対談のために、にわか勉強で中西先生の本をいろいろ拝読しましたけど、抜群に面白かったのは、その子どもだちとの対話をまとめた『中西進の万葉みらい塾』という一冊でした。それにしても、小・中学生に『万葉集』の面白さを伝えるというのは至難の業(わざ)のように思われますけど。
中西 と、思いますでしょう。ところが、逆ですね。
五木 え? 逆ですか。
中西 むしろ大学生に教えるほうが至難の業です。例をあげますと、春と秋とどちらがいいかを歌った額田王(ぬかたのおおきみ)の歌。春になれば鳥は鳴き、花は咲くけど、草木が茂るので入っていって花を取ることができない。秋はもみじを見て美しいと思う一方で、紅葉せず青いままの葉は嫌だなと思う。そこか恨めしい。
五木 なるほど。
中西 楽しいことがある。でも、恨めしいこともある。恨めしいことが美の前提である、と。これを大学生ないしは専門家に理解させるのは、けっこう難しい。なかには、「これは変転する女心を歌っている」なんてアホらしい説明をする専門家もいます。ところが教室で子どもたちに「この歌、どう思う?」と聞くと、「葉が全部赤くなったら怖い」と答えた子がいました。
五木 怖い、ですか。
中西 しめたもんでしょう。「そうだよね。みんなの服装、見てごらん? みんな違っているよね。だから、いいんだ」と。恨めしいという気持ちも、人間は持つのが普通。希望や願望があれば、恨めしいという思いもついてくる。この躍動感が、すばらしいじゃないですか。
五木 子どもたちは、それが分かるんでしょうか。
中西 子どもは、素直に分かるんですよ。分からない人は、「恨めしい」がいいというのはおかしい、などという。それは、教育などで教え込まれた先入観です。だから、できのいい大学生ほど教えるのが難しい。
五木 賢(さか)しらな年頃になると、なかなか万葉の味が素直に通じないのかもしれない。
中西 そうそう。
五木 ただ、『中西進の万葉みらい塾を読ませていたダウていると、かなりセクシーな恋の歌も出てくるし、賽の目を歌ったギャンブルの歌もある。ああいう作品をどんなふうに子どもたちにお話しになるんだろうと思って、ハラハラしながら読んでました。スリル満点でしたよ。
中西 ありがとうございます(笑)。大伴旅人(おおとものたびと)の「賢(さか)しみと 物いふよりは 酒飲みて 酔(ゑい)泣きするし まさりたるらし」という歌がありますね。
五木 利口ぶって喋るより飲んで泣いたほうがいい、というやつですね。
中西 この歌を取り上げて、子どもたちにこんなふうに言うわけです。「君たちも、たまには息抜きをしてゲームなんかすると次の勉強がよくできるよね」と。するとよく分かる。
五木 なるほど。
中西 天ぷらみたいなもので、衣を取ってあげたら、中にエビの味が出てくる。それを伝えればいいと思っています、
五木 天ぷらですか。面白い。しかし、大伴旅人って人もストレートですよね。「あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人を よく見れば 猿にかも似る」とか。『サラダ記念日』の感覚だ。 ところで中西先生は、麻雀はおやりになりますか?
中西 やりません。
五木 残念(笑)。僕ぱ若い頃、作家の阿佐田哲也さんなんかと、夜を日に継いで麻雀をやっていた時期がありまして。麻雀をやりながら、ふざけて『万葉集』の歌のパロディをやっていた。
中西 パロディ?
五木 『万葉みらい塾』で、一二(いちに)の目 のみにはあらず 五六三(ごろくさむ) 四(し)さへありけり 双六の采(さえ)」という歌を取り上げておられますね。これをもじって、「メンタンピン のみにはあらず 裏ドラを 二丁 抱えて上がり待つなり」とか。
中西 なるほど。
五木 麻雀やらない人には分からないだろうけど(笑)。「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて」なんて歌をもじって、「東の 座にテンパイの 立つ見えて かえり見すれば 点棒傾きぬ」。持っている点棒が、どんどんなくなっていく、と。そんな馬鹿なことをやって喜んでいた時期がありました。
中西 ほお。『万葉集』のパロディで一冊お書きになったら、面白いんじやないでしょうか。

戦時中にもあった万葉ブーム

五木 『万葉集』というのは、実は戦前、戦中から流行歌や歌謡曲、軍国歌謡の中に、かなり流れ込んでいて。僕らは子どもの頃からいろいろな形で、万葉の流れにある歌とは意識せずに歌っていました。
中西 「海ゆかば」なんかも、そうですよね。
五木 私は昭和七(一九三二)年の生まれで、戦争中に少国民と呼ばれた世代です。学徒出陣こそしなかったけれど、少国民として、大政翼賛会の指導の中で小学校、中学校時代を過ごした人間です。その頃に一時、一大万葉ブームというのがあった。『万襲集』は連綿として愛され続け、研究され続けてきたけれど、社会的に一大ブームになったのはやはり昭和の戦争の頃だと思います。
中西 まあ、そうですねえ……。
五木 僕らは教育勅語や軍人勅諭が身体に染みこんでいて、今でも口からすらすら出てくる世代です。『万葉集』も、「御民(みたみ)われ 生ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の栄ゆる時に あへらく思へば」と、「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つわれは」の二首が、今も染みついて離れません。万葉との出会いがそこから始まったというのは、ある意味で、ひじょうに残念な世代だったと思うんですよ。しかも、なんでこの二首が身体に染みこんだかというと、実に美しいメロディがついていたからなんてすね。
中西 はいはい。
五木 そして万葉の「今日よりは……」のもじりだと思うけど、若い人も高齢者も共に歌っていたのが、「我が大君に召されたる 命栄えある朝ぼらけ」という「出征兵士を送る歌」です。「いざ征けつわもの日本男児」。ああいう歌の中で、もっとも感受性の豊かな時期を過ごしてきた。「海ゆかば」もそう。ですから、戦後なかなか素直に「万葉集」についていけないところがあった。虚心に万葉集と向き合うのは、ものすごく大変なことだったんです。
中西 よく分かります。
五木 その壁を破ってくださったのが中西先生でした。二〇ー二年、富山県の高志(こし)の国文学館の開館時に、先生に呼んでいただいて記念講演をさせていただいた。あの頃からやっと、『万葉集』に虚心に触れることができるようになってきたんですね。その後、万葉に関する本も読むようになり、そして今回の「令和」の騒ぎ。騒ぎといったら申し訳ないですけど。(笑)
中西 いや、騒ぎです。(笑)
五木 僕は「令和」の発表の仕方になんとなく政治的バイアスがかかっている感じがして、これに対してちょっとした不快感を書いたら、新聞に「五木寛之『令和を斬る』と大きな見出しがついてびっくりした(笑)。すみませんでしたね。(笑)

政治利用された『万葉集』

中西 戦争と万葉については、ひじょうに大事な話なので、もう少し深めたいと思います。私は軍の学校(編集部注:海軍経理学校)を受けましたか、入学試験で上半身裸の写真を提出させられた。そういう時代に育ちました。しかし学問に関しては私は幸せでした。私より前の世代、つまり大正時代に生まれた若者は、悲劇のどん底に落とされた。生き残った人は、戦争に対する文学のあり方、つまり国学がいかに間違っていたかというところから、自分の戦後の学問をスタートせざるをえないというエモーショナル(引用者注:「感情的な」「情緒的な」という意味)なものがある。
五木 分かります。
中西 そのことに関して、結論的な言い方になりますが、政治というものの大罪があるんだろうと強く感じます。軍国主義が作り上げようとしたポリシーの中で、あらゆるものが利用された。その中で一番大きく利用されたのが、『万葉集』でした。同時に、本居宣長などのいわゆる国学も取り込まれていった。
五木 なるほど。
中西 本来、五木さんが子ども時代に覚えた二首が『万葉集』を代表する歌であるなんて、ありえないわけです。「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つわれは」という防人の歌は、作者の身分を調べてみると、下士官(火長)なんてすね。兵一〇人の長です。
五木 ほう、そうなんてすか。
中西 下士官は、戦闘のプロです。そして歌には「今日より私は皇軍の勇士になったよ」とある。それは彼の来歴を物詰っています。当時、毛野国(けののくに)、今の栃木から群馬に大豪族がいて、おそらく長年の蝦夷(えみし)対策の大軍団を持っていた。これを大和朝廷が征服し、跡継ぎのプリンス上毛野(かみつけのの)君稚子(きみわかこ)を消すためにあえて次の戦争の総指揮官にした。それが六六三年の白村江の戦いです。
五木 日本軍が大敗した戦いですね。
中西 その時の生き残りの正規兵が、朝廷の軍に入れられ、防人となったと私は考えます。いつも軍国主義に用いられる歌はたった一首、この男の来歴の証明の歌です。これが万葉を代表する歌だなんていうのは、あまりにも無知に過ぎます。
五木 古代史の直木孝次郎先生からうかがった話ですが、学徒兵として出陣する際、多くの学徒が『万葉集』を背嚢に忍ばせていたそうです。ある学徒兵が前線で歩哨に立っている時、月明かりの下で『万葉集』を読んでいたら、下士官から「何やってるんだっ!」と怒鳴られた。その本を見せろと言われて見せたら、「おぉ、マンバ集か。それならよい」と言われた、というんです。
中西 どなたかの実体験なんですね。
五木 そうです。つまり下士官は、『万葉集』を読んだことがない。でも、「御民われ」も「醜の御楯」も「海ゆかば」も『万葉集』から来ている。だから、軍人勅諭を暗記するのと同じ日本国民の大事な本、という感覚で、それならよい、と言ったんでしょうね。
中西 そういうお話を聞くと、骨をえぐられるように辛い気がします。つまり、万葉とのかかわりの中で、世代論みたいなものがあるわけです。どういう時代に生まれるかは、宿命的なものです。大正時代(引用者注:大正生まれの意か)の男子は、選択なしに兵に取られ、残酷な死を迎えた。「時代」というものを考えると、すべてのインテリと呼ばれる人たちは、これからの時代に先立ってよくよくものを考えなくてはいけない。自分たちの孫やひ孫の時代にどうなっているかという視点で、物事を見極めるべきでしょう。
五木 おっしゃる通りだと思います。僕らの子ども時代はラジオしかない。戦況が好調な時は、臨時ニュースの前に「軍艦マーチ」が入る。逆に、たとえば山本(五卜六)元帥が亡くなったとか、そういうニュースの時は、イントロの音楽が「海ゆかば」なんですよ。それと先ほどお話しした「御民われ」と「醜の御楯」が三点セットになって、トラウマとなってしまっていて、戦後もなかなか抜けませんでした。
中西 育った場所も影響しているでしょうね。五木さんは、当時朝鮮半島にいらした。
五木 はい。平壌(ピョンヤン)です。
中西 だから、一層、色濃かったのでしょう。植民地政策の中だから。
五木 植民地に行っている人は、かえって祖国意識、故郷意識が強いんですね。ですから私か子どもの頃、周りの日本人の家庭にはたいてい俳句歳時記がありました。母国とつなぐ絆のようなものとして、歳時記が存在していたんです。
中西 俳諧は南米の佐藤念腹など日系人の間でも盛んでした。移民だちか、自分と故郷をつなぐものは何かといったら、日本語であり、詩歌である。その中で手軽なのは俳句だから俳句にしよう、と。それに歳時記というのは、風土と密接に結びついているものですから。
五木 もともと、『万葉集』というのは.活字のテキストとして机の上で読むものではないんじやないかという気がずっとあります。『万葉集』として記録され、編纂された頃はどうだったんでしょう。
中西 歌っていたんですよ。

メロディに乗せて歌われた

五木 僕は、父親が師範学校で国語と漢文の教師だったもので、毎朝、朗詠をやらされました。朗詠はメロディのパターンがあって、それに合わせて歌っていくんです。『万葉集』もひょっとして、そういうパターンがあったんじゃないでしょうか。
中西 たぶんあったでしょう。五七や四六とか、音数律がありますから。
五木 唐の時代の文人は、「填詞(てんし)」という優雅な遊びをやっていたそうですね。「填」は言葉をうずめる。たとえば詩の宴の時、ある特定のメロディを課題として出して、そわに合わせてみんなで詩を作って競い合う。今でいう「メロ先」ですね。『万葉集』も、同じようなことではなかったのか、という気もします。
中西 私はそのあたりの研究はまったくしていませんか、あることは確かです。というのも、『万葉集』には「ハレ」とか「ワシ」といった囃子言葉まで入っていますから。「ワシ」は、今のワッショイですよ。こういう囃子言葉が文字として残っているということは、必ず、韻律に乗せた表現の仕方をしているはずです。
五木 そういえば中国の山岳民族の間では、男女が公開の席で即興で歌を交わし合ういわゆる「歌垣(うたがき)」がいまだに残っているらしいですね。
中西 宮崎県の椎葉村でも、習俗が残っていました。椎葉村は柳田民俗学の発祥の場所ですが、私か行った時も、ステージみたいなところで夜通し踊っていて、参加している人たちが歌詞を言うんです。すると見ている人が答えて、即興で歌い合うんです。「これだ」と思いました。
五木 へえ、そうなんですか。富山に「越中おわら節」つてありますよね。あれはすごく難しい民謡で。金沢に住んでいた時に、覚えようとしたけれど無理でした。でも間の囃子部分はなんとか素人でも歌える。「越中で立山、加賀では白山」なんて家持(やかもち)調のおハヤシです。うまい歌い手が嫋々(じょうじょう9と歌うと、まわりが合いの手を入れる。そんな感じで『万葉集』も歌われていたんじゃないのかな、と。
中西 それは非常に面白いご指摘ですね。
五木 素人考えですが、耳で聞いて心地よい歌ってありますよね。僕は『万葉集』の中でどういう歌が好きかと聞かれると、字面が華やかな歌より。音で感じて心地いい歌を選びます。たとえば山上憶良の「憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ そのかの母も 吾(あ)を待つらむそ」。「ら」がたたみかげるように続けて入ってきて、口にするとコロコロ転がるようで気持ちがいいんですよ。リズムがあって。一種のラップ調といいますか。ああいう歌が大好きなんです。
中西 「ら」という音は、五十音の後ろのほうですよね。
五木 そうですね。
中西 なぜなら、ラ行とワ行は外来音だからです。
五木 あ、そうか。なるほど。
中西 もともとはマ行でおしまい。Mと閉じる音ですから。そこに後の時代になり、日本人が外来音に慣れて発音できるようになった頃、ラ行とワ行がつけ加えられた。
五木 面白い。ラとかワとかは、当時、ひじょうに新鮮な音だったわけですね。
中西 そこなんですよ。憶良はインテリだから、外来っぽい音をあえて使って、教養を示した。一方、こういう例もあります。「大宮の 内まで聞こゆ 網引(あびき)すと網子(あご)調(ととの)ふる海人(あま)の呼び声」という長忌寸(ながのいみき)意吉麿(おきまろ)の歌。頭が全部ア行なんですよね。
五木 うーん。なるほど。
中西 これは明らかに一種の言葉遊びです。持統天皇はダジャレが大好きで、そういう歌を即興で詠める人がそばにいるんですよね。
五木 そういう歌が出てくると、「面白いね、これは」と座が沸くわけですね。たぶん生き生きとした音とメロディとリズムがあったはずで、そういう音の立場から『萬葉集』を考える視点もあるのではないかと思いますけど。
中西 ダジャレみたいな言葉遊びが存在するのは、実際、当時は声に出していたという証拠だと思います。『万葉集』の研究はまだ緒についたばかりですから、これからいろいろな研究が出てくると思います。

代弁者こそアーティスト

五木 僕の考えでは、詩を作るにはやはり技(わざ)が必要なんです。ですから、人の話を聞いて、「あなたの気持ちを歌にする」という専門家、プロフェッショナルがいたのではないかと思います。
中西 「恋文横丁」みたいなもんですね。
五木 ほんと(笑)。僕は、その人こそ表現者というか、芸術家だと思うんです。津軽の恐山にイタコっていますでしょう。イタコは、相手と話しているうちに、相手が何を望んでいるかということに感応していく。すると神かかった中で、相手の心の中で望んでいる言葉を投げ返す。
中西 なるほど。
五木 僕は、小説に関しても、「物語を作るのは読者だ」といつも言っています。小説家は、それを引き受けて形にして投げ返すメッセンジャーだと思っているので。
 『万葉集』の時代も、一般庶民、たとえば防人が、それほど言葉をうまく使えたとは思えない。そもそも字を読み書くのはエリートの技術ですから。やはり、そういう人の生き生きした気持ちを汲んで、歌の技法を持った人が代作したものもたくさんあるのではないかと思います。
中西 それを証拠立てるものとして、東国の農民の歌に、(柿本)人麻呂の表現と同じものが出てきます。普通の解釈だと、人麻呂がいかに民衆の口ぶりを知っていたか、ということになる。でも五木説に則ると、人麻呂の歌を知っているプロの歌人が、最終的な形に取りまとめるというプロセスがあるから、そうなっているんだと解釈できます。これはひじょうに新しく、かつ有力な説だと思います。
五木 こんなことを言い出すと叱られそうですが、東歌にしても、民意を身体全体で感応して、イタコのように投げ返す人が歌人としていたんじゃないかという気がしますね。
中西 民衆の代弁者みたいなプロがいて、その頂点に宮廷歌人と呼ばれるような人たちがいた。人麻呂も、どうやら大阪の堺あたりの出身者だったらしいのですが、なぜ河内国にいた一介の人間が、持統天皇の即位とともにあれだけ世に出たのか。
五木 たしかに。僕も昔からそこに興味がありました。関西では、かつて被差別の人びとを「垣外(かいと)」とも呼んでいた。垣の外と内を区別する古い慣習があったのです。その中から、ものすごく表現か巧みだったり、歌がうまかったりしたため、宮廷に重用された人がいたとします。するとその人物は、外でもなければ内でもない微妙な境界のヒトになるわけです。「垣の内」ではない。「モト」という言葉の微妙さに注目したい。つまり垣の外でも内でもない境界線上にいる存在が、人麻呂なのではないか。これは小説家の妄想ですが。
中西 それは、我々のような融通のきかない学者でも耳を傾けたくなる説ですね。名前にわざわざ「人」をつけること自体、不思議ですよね。人でないから、人と名乗るんだ、と。
五木 彼はサルと呼ばれていた、という話もありますよね。
中西 柿本?(かきのもとのさる)という人が死んだ記録が残っています。つまり、サルと呼ばれても人でございます、というのが人麻呂かもしれません。「人」でいえば、山部赤人とか、高市(たけちの)黒人という歌人もいますね。
五木 歌人というとすごく教養人のように思えるけれど、その場で即興的に歌を作ったりダジャレにして歌ったりするのは、いわば芸能者です。
中西 秀吉のお伽衆の曽呂利新左衛門なんかも、そういう存在ですよね。
五木 頓智は「頓」、即座にというのが大事なんです。考える知恵者ではだめ。「頓」とは、間髪を入れず、という意味ですから。たとえば天皇が「いい景色だ。心が晴ればれとするなあ」とか「あそこにいる娘は素敵じゃないか」とつぶやかれたら、即座に見事な歌を詠む技術を持っている人が、当時の歌人だと思います。
中西 朝廷は、面白いから芸能者たちを雇った、ということになるでしょう
五木 そのへんのことに多少注目したのが、折口信夫などの民俗学者ですね。芸能者、乞食者(ほかいびと)、まれびとなどについて、言及しています。
中西 『万葉集』にも、乞食者の歌があります。「難波の江に庵を作って隠れ住んでいる蟹の私を、帝がお召しになるのは、なんのためだろう、歌人としてだろうか、それとも琴弾きとしてだろうか」というのも、乞食者の歌です。
五木 そういう意味では、『万葉集』というのは、民俗学的にもすこぶる興味のあるところですね。『万葉集』を分け入っていくと、もしかしたら日本の古代の、ものすごく深いところに辿りつくかもしれません。
中西 今後の研究で、いろいろなことが明らかになるでしょうね。

「音」で味わいたい

五木 なぜ戦争中に覚えた万葉の歌が八十七歳の今日まで骨身に染みているかというと、メロディがついていて大きな声で歌っていたからです。
中西 そうでしょうね。
五木 ある意味、反面教師とも言えますが、「海ゆかば」を作曲した信時潔(のぶとききよし)という人はすごく才能があったと思います。あの曲は、歌としては絶唱ですね。あれを超えるようなメロディが『万葉集』につかないかな、と思うんですけど。最近の音楽家は、ちょっと怠慢なのかもしれませんね。
中西 別宮貞徳(べっくさだのり)という方が、『日本語のリズムー-四拍子文化論』という、大変面白い本を書いています。音数というのは、呼吸から来ている。五七五七七も、呼吸にあった音律だ、と。民族によって、何を美しいと思うかという最大公約数的なものがあり、ひとつ我々は五と七の音数にメロディを感じる。それはひじょうに生活的なもので、作為ではないと思います。
五木  僕は長年ずっと、歌というものにこだわっているんですけど。記録されて、文字になった時に、消えるものがあると思っています。記録されたことによって永遠に残るわけだけど、記録されたことによって消えるものもある。それは何かというと、肉声であったり、メロディだったりする。
中西 中国では、黄帝の時代に倉頷(そうけつ)が鳥の足跡にヒントを得て文字を作ったと伝えられています。『淮南子(えなんじ)』には、文字ができて以来、文物制度が整って国家もうまく治まるようになった。そのかわり「鬼は夜、泣くばかりになった」と書かれている。鬼とは魂のことなんですね。文字ができたら魂が昼間に出番がなくなり夜泣くしかない。つまり、魂の喪失を生みだしたのが文字である、と。文字というものが、魂を失わせたという事柄の重み。それをどのように是正していくかということが大事なわけで。黙読が、魂を泣かせている。
五木 うーん、面白いですね。
中西 私は今、京都の市立図書館を統括する役を任されています。図書館はし~んとしていて、音を立てるとおじいちゃまが「うるさいっ!」と怒る。まるで死の空間です。少なくとも沈黙を心地よいものにするには、かすかな音楽を流すべきだ、と。館長中西は一〇年来そう言い続け、今、そうなりつつあります。さらに、隔離した空間を作り。音読ルームを設けようと提案しています。声を出して読むのと、声を出さないで読むのとは、大きな違いがありますよ。
五木 それは、まったく違うと思いますよ。ちょっと関係ない話で恐縮ですが、ブッダは一行も文章を書いて残していません。
中西 全部、喋っているだけ。
五木 そうです。弟子たちがそれを聞いて、夜に集まって、「今日ブッダはこうおっしやったね」「いや、皮肉な顔をしていたからあれは反語だろう」などと話し合い、その言葉をまとめるんです。それを暗記するために、リズムのあるポエムにする。それが「掲」ですね。それをみんなで朗誦し、暗記し、後に原始仏典が編纂されるわけで、最初の頃の仏典は詩の形をしていて、やたら繰り返しか多い。
中西 はい。
五木 それは、歌だからですね。で、大事なところは繰り返しリフレインする。中西先生は富山と縁が深いのでご存じだと思いますが、あの地域は一向宗が盛んです。良く親鸞の教えが染みこんだのは、老若男女が声を合わせて歌う「和讃」のおかけでしょう。
中西 和讃。ええ。
五木 親鸞は『教行信証』など難しい本も書いたけれど、八十を過ぎて何百という歌を書いた。その和讃でもって、あの地域に一向宗の他力の信仰が根付くわけです。僕は『万葉集』にも、耳で聞き声に出して歌う、そういう方向が出てくるといいなあとひそかに思ってるんですげどね。
中西 歌うというのは大賛成です。そう考えると、やはり『万葉集』を歌えるような器としてのメロディーを定着させるべきでしょうね。

歌謡曲に潜む万葉の影響

五木 これは僕の考えですが、今回「令和」をきっかけに再び『万葉集』に光が当たるまでは、歌謡曲や流行歌の人たちが、『万葉集』の影響をさまざまに受けて作品を書いてきたと思います。
中西 面白い視点ですね。
五木 たとえば、美空ひばりが歌った「みだれ髪」。星野哲郎さんが書いた「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」などというヒ五調の歌詞は、目に見えない形で『万葉集』の影響を受けているような気がしますね。
中西 なるほど。こういうお話は学
会ではできないので、嬉しいですね。
五木 こうして考えてみると、『万葉集は時代を超えて、さまざまな明暗の中をさまよいながら、今また光が当たっている、と。先生の「万葉みらい塾」で『万葉集』を教わった子どもたちが、この先どういう大人になっていくか楽しみです。なにせ「みらい塾」ですから。
中西 いつもそれを感じるんですよ。小学校時代に話を聞いてくれた子どもの中に。大学院に入って「万葉集を研究しています」という人もきっといると思うんです。なにせ、今まで教えた子どもたちは何千人もいるわけですから。
五木 『万葉集』も一日にして成らず、というか。今、多くの人に再び興味を持ってもらえるようになった。
中西 五木さんみたいな文学者が、そういうことを言ってくださるのは、ものすごく助けになります。
五木 繰り返しになりますが、声に出すことで身体が覚えるので、歌は無理だとしても、せめて音読してもらいたいですよね。
中西 そうですね。

自ら律する心が「令」

五木 いずれにせよ、我々は令和の時代に生きて、たぶん令和の時代に世を去るわけです。その「令和」という時代に大きくかかわられたことについて、ご感想はいかがですか?
中西 私は国民の一人として、ひじょうにいい「いただきもの」をしたと思います。実は「令」という字は、禁欲という意味も強いんです。自ら律することで、「令」という意味が出てくる。
五木 なるほど。今、私たちの社会は、ありとあらゆるものを浪費しすぎていますよね。その結果、地球環境の問題も起きている。ですから、清らかに節欲する気持ちがあってもいいのかな、と。そういう気持ちがかすかに中に入っているとすれば、象徴的でとてもいい言葉ですね。
中西 そうです。ある方は、ノブレス・オブリージュだと言いました。そういうことが、「令」の字に籠められているわけです。
五木 たしかに、なごやかなだけではなく、ちょっと凛としたものがありますね。
中西 「令」という字には、いろいろ批判もありました。
五木 命令の「令」だとか。
中西 命令だって、いい命令であれば聞くのであって、悪いものは聞かないのか本来の「命令」です。強いて言えば、「巧言令色鮮し仁と『論語』に書いてある」というのが、中西に与えられた最後の難関だった。
五木 なるほど。
中西 ところが、巧言令色はいいという作家がいるんですよ。それが、太宰治。(笑)
五木 大宰府だけに太宰が味方。(笑)
中西 『万葉集』は百貨店と言われるくらい、ありとあらゆるものが含まれている。だから、時代によっては問題も起きるわけです。
五木 都合のいいように抽出して、利用されることもあるわけですね。
中西 いつもそうです。これだけ残酷な歴史も刻んでしまったのですから、この先、研究者はよくよく心して学問に励まないと、と思います。
五木 先生にはこれから先、令和と競争して、百歳以上までお仕事していただきたいですね。
中西 (笑)。本当に話がつきないですね。今日は楽しかった。ありかとうございました。



五木寛之 いつきひろゆき
1932年福岡県生まれ。57年早稲田大学ロシア文学科中退後、66年 さらばモスクワ愚連隊、jでデヒ.J ̄ ̄'067年。蒼ざめた馬を見よ で直木賞受賞 吉川英治文学賞。菊池寛賞、毎日出版文化賞特別賞他。青春の門、「戒厳令の夜」 蓮如 親鸞 「続・孤独のすすめ」 など著書多数。

中西進 なかにしすすむ
1929年東京生まれ。59年東京大学大学院修了。国際日本文化研究センター教授、大阪女子大学長などを歴任。 94年、宮中歌会始の召人。2013年文化勲章受章。「日本人の忘れもの」「古代日本人・心の宇宙」など著書多数。現在、高志の国文学館長、日本学基金理事長などを務める。



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2020-01-17 17:00

日本語は孤立語という考え方について


 1月7日のエントリーに日本語は孤立語と書いたのだが、かんぱちさんとKazkさんからいろいろコメントをいただいた。
コメント欄では書きにくいので、孤立語について知る所を纏めてみます。

最初の1月7日のエントリー
北海道・北東北の縄文遺跡群を世界遺産に推薦  2020-01-07 17:27


此処でかんぱちさんのコメント

日本語という言語について
>日本語は他に似た言語は無く、全くの孤立語と言われている。もし日本が大陸からの人たちに征服されたのなら、大陸に日本語によく似た言葉がある筈だが、長年の研究はその全てを否定している。

日本語については、意外と知られていない重要な事実があります。それは 「沖縄の言語も、本土の言語と同じルーツを持つ『日本語の方言』である。」 という事実です。言語学や国語学の世界では、昔から知られている常識なんですが、歴史や考古学の世界では、この事実を無視した議論がされていたこともありました。

また、少し前までは 「日本語のルーツは韓国語だった」 みたいな本が出版されたり、NHKが 「カタカナの起源は朝鮮半島にあることがわかった」 などとニュースで流したりしていましたが、これらは全て、学術的裏付けのないトンデモ説です。なぜ、そう言えるかというと、沖縄の言語と本土の言語は 「基礎語彙」 が完全に一致しますが、日本語と朝鮮語では 「基礎語彙」 が全く異なるからです。

「基礎語彙」 とは 「その言語の根幹部分をなす語の集まりを指す。使用頻度が高く、日常生活に必要不可欠で、子供でも知っており、他の言語にもそれに相当する語があり、長い歴史を通じて変化しにくいなどの条件を充たす語の集まりである。一般に『目』『手』『足』などの身体語、『父』『母』『娘』などの親族語、食べ物、動物、気象などに関する身近な名詞、ごく基本的な動詞や形容詞、数詞などが基礎語彙として扱われる。」 です。

語彙 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e8%aa%9e%e5%bd%99

ちなみに、アイヌ語は日本語とは 「基礎語彙」 が異なる別系統の言語ですが、このエントリにもあるように、道南には、かなり昔から大和民族が住んでいたことが、わかってきています。
・・・以下略
<引用終り>


この話について、こんな返事をしました。

>最初に日本語が孤立語と言う話ですが、私はこの話に日本の学者様のやっていることに大いに疑問を持っています。
明治以来の日本の学者様は文化はどこかやって来るもの。日本独自で発展させたものではない。こんな前提で研究を進めてきました。未だにそのしっぽを引きずっています。
孤立語云々には、どうしてもそれを輸入した大本が見つからない、そこで思考停止してしまっています。
でも考えてみれば、人類の祖先はアフリカのたった一人の女性(イブ)からで、それは20万年前と言っているんですから、いかなる孤立語と言えども、どこかの段階で共通の祖先にたどり着くわけです。
現在の言語学では基礎語彙で関連を調べています。これは西欧文明の中の人間には都合がいい。理由は印欧語族で文明人を一括りに出来るからです。

こう見ていくと、世界は白人が支配している。この価値観に逆らうのはシナと日本。シナはデッカイ大陸でしかも西欧人に刃向かわない、従順なしもべだから許す。日本は西欧人に刃向かうからケシカラン。この図式で日露戦争からWW2、そして戦後体制が出来上がってきました。
そのシナが習近平で初めて衣の下の鎧を隠さなくなった。従順なしもべが突如世界の支配者の地位を狙う挑戦者になった。
今はこんな風だと理解しています。
・・・私の返事は此処まで


此処でどうしても西欧の学者が言及してるインド・ヨーロッパ語族アフロ・アジア語族についてみてみます。
インド・ヨーロッパ語族は、英語・フランス語・スペイン語・ドイツ語・ギリシア語・ロシア語・そしてインドのサンスクリット語などのグループです。
このインド・ヨーロッパ語族は、ロシア南部で約7千年前~5千年前の存在したクルガン文化の人が話していた言葉で、その後5000年~6千年前に各地に拡散していきました。

2020-1-17インド・ヨーロッパ語族の拡大
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC

このインド・ヨーロッパ語族の拡散の先に現在の先進国・主要国がある訳で、G8の内、アメリカ・カナダ・日本以外の5カ国(イギリス・フランス・イタリア・ドイツ・ロシア)が含まれます。
まあ、アメリカとカナダはヨーロッパの分家ですから、それを除けば日本だけがこのグループから外れていることになります。

ここで各言語の基礎語彙についてみてみます。(弘前大学 山本秀樹教授による)

たとえば、「父」にあたる単語は、サンスクリット:pitar、古代ギリシア語:patēr、ラテ
ン語:pater、古高地ドイツ語:fater、古英語:fæder のようになり、ゲルマン語(古高
地ドイツ語と古英語)以外の p の音がゲルマン語では f になっている。この変化は、 たとえば 「足」 にあたる単語を比較しても、 それぞれ pad­、pod­、ped­、fuoz、fōt のようになっています。

こんな所から、インド・ヨーロッパ語族の言葉は約5千年~6千年前は一つのインド・ヨーロッパ祖語だった。こんなことが言われています。
この時代の遡りはヘブライ語やアラビア語の属するアフロ・アジア語族でもっともよく研究されているようで、これでアフロ・アジア祖語は約8千年前と言われています。

こんな研究で分かったことは、言葉は約1000年で20%の語彙が失われる。そんな所からこんな計算が成り立ちます。
例えば千年前は一つの言葉だったA,B二つの言葉を比較すると・・・
0.8x0.8=0.64となり、A,B二つの言語は同じ語彙は64%になる。こんな計算の様です。
ですから現在の比較言語学ではせいぜい5.6千年前までしかわからないことになります。

話を日本に戻します。
今から5000~6000年前と言うと、青森県の三内丸山遺跡が5900年前~4200年前ですのでまあ似たようなもの。
しかし、日本列島にホモサピエンスがやってきたのが今から3万7千年前。縄文時代の始まりは今から1万6千年前になります。
比較言語学で日本語の仲間を探そうとしても無理なわけです。kazkさんも言及されていますが、「縄文時代が長すぎる」のです。
日本語が孤立語だという言葉の意味は、正しくはこうなります。
『日本語と他言語との関連を調べる比較言語学では、せいぜい5,6千年前まで、最大でも8千年前位までしか関連は分からない。しかし縄文時代は今から1万6千年前から始まる。余りにも長すぎて比較のしようがない。仕方がないので孤立語ということにして逃げる』これが正しいと思います。

日本の言語学者は他の分野の知見には目をつぶり、思考停止。考古学者も同じく思考停止です。
こんなことがあの無残な旧石器捏造事件を引き起こしました。しかし今回北海道・北東北縄文遺跡群を世界遺産に申請することになりました。是非とも思考停止の悪弊を断ってほしい所です。


この件でもう一つ厄介なことが有ります。
インド・ヨーロッパ語族で世界の主要国は日本と中国以外全部が含まれると書きましたが、これに隣のアフロ・アジア語族(ヘブライ語・アラビア語等)を入れると、世界の主要宗教、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・ヒンズー教・仏教が全部含まれます。
(キリスト教の場合、旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシャ語で最初は書かれました)


こう見ていくと、世界は白人が支配している。文明も宗教も全部白人からのものだ。この価値観に逆らうのはシナと日本。こんな見方が生まれます。
しかしシナはデッカイ大陸でしかも西欧人に刃向かわない、従順なしもべだから許す。日本は西欧人に刃向かうからケシカラン。この図式で日露戦争からWW2、そして戦後体制が出来上がってきました。
そのシナが習近平で初めて衣の下の鎧を隠さなくなった。従順なしもべが突如世界の支配者の地位を狙う挑戦者になった。こんな見方ができるかと思います。


最後にアイヌ語は孤立語とよく言われます。
これは縄文時代の相当早い時期には区別はなかったが、その後別れてアイヌは北の方に居を構えた。こうだと思います。

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2015-07-09 17:37

春の小川をタイ語で言うと<再掲<続編

 「春の小川をタイ語で言うと<再掲」をエントリーしたのだが、そこに今は筆を置いた方のエントリーを紹介した。
ただイザブログは消滅してしまい、残念ながら秀逸なブログが消えてしまった。
幸いなことに全く別の所にそのブログがアーカイブとして残っていた。

そこでそのブログを紹介したいと思う。
紹介するのはkei-izaさんのエントリー。
「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」と「日本の英語教育の問題点」
http://kei-iza.iza.ne.jp/blog/entry/2618667/

それとsopnoraone-3さんのこのエントリー。
ボストンから留学事情雑感
http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/

お二方とも筆を置かれてしまっているので了解をとる事が出来ませんが、若し何かでこのブログをご覧になったら悪しからずご了承ください。
尚お二方のエントリーともコメントが色々有りますが、これは割愛させていただきました。詳細は各ブログに添付したURL参照ください。


では最初にkei-izaさんのエントリーから。
2015-7-9kei-izaさん


「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」と「日本の英語教育の問題点」
2012/03/07 09:35
https://web.archive.org/web/20130903231515/http://kei-iza.iza.ne.jp/blog/entry/2618667/

尊敬して止まない、憧れのsono兄さんが面白い話題を提供してくださったので、それについて書きたいと思います。

ボストンから留学事情雑感
http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/

「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」と「日本の英語教育の問題点」について。

「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」

海外で何十カ国からの留学生がいる中で学び、確信した事でした。
先日の、日本がいかに素晴らしい国か、と言う話にも繋がりますが、先人たちが残してきて下さった賜物だと思います。


日本以外の英語が母国でない国で、高等教育や高度な研究内容の専門書が母国で存在しない国の多いこと!多くの国が、結果として英語のテキストを用い、高等教育を英語で行っています。その結果として、英語が出来るようになるという側面があります。


一方で、日本は母国語で高等教育が行え、英語を使う必要なく高品質な生活が出来ます。その分、英語に触れる機会が少なく、結果として「英語が苦手」と感じる人が多くなってしまうのでしょう。(しかし、これは十分にクリア可能な課題です。後で述べます。)

日本人は日本語を話し、用いることが大切です。母国語は考えるための基礎です。

母国語教育をしっかり行うことが、その後の人生の多くの場面に置いて、高度な思考を行うために不可欠です。
中途半端な英語教育では競争力はつかないし、若い世代の日本語教育の時間を削ってまでやることでは決してありません。
英語教育は中途半端、国語教育がなってない、そんな状況ならば、日英どちらもどうしようもなくなるという最悪の事態でしょう。

ただ、英語は今日のようなグローバル社会では出来たほうが有利です。
日本人が英語が出来なくて、損するような状況はもったいなすぎます。

その原因はとてつもなくシンプルです。「英語教育が問題」なんだと思っています。
英語教育は効率よくしてやりさえすれば、今の多くの日本人が困っている「英語が出来ないことで損する」ことはなくなります。


「日本の英語教育の問題点」について
結論から申し上げると、センター試験を止め、TOEFLを代用すれば良い、です。

私は紙ベースのときから、最新のコンピューターベースのものまでTOEFLを受験してきました。TOEICも英検も受けた事があります英検は1級を受ける機会がなくて、まだですが)。IELTSというイギリス圏の英語能力試験も、アメリカの大学院留学に必要なGREも受けたことがあります。
スコアを提出する必要があったので、受けただけで、受験マニアではありませんので(笑)。

先日も日本の学校で英語教師を30年やっておられる先生の授業を聴かせてもらいに行って来たのですが、愕然としました。
この先生はとても優秀な先生で、外国語大学をはじめ有名国立大学に学生を送りこんでおられるのですが、その英語の授業は生意気を承知で申し上げれば、prehistoricに思えた程、非実用的でした。

失礼を承知で先生に聞きました。
「かつて日本で英語教育を受け、海外に出て、奮闘してきた。私が学校で英語教育を受けてから10年も経って、まだこんな英語教育なのであれば、この若い人たちは私と同じように苦労することになる。なぜこんな英語教育を続けているのか?」と。
先生は「あなたの言うことはよくわかるが、受験に合格させ、大学に行かせるためにはこれを続けなくてはならないのだ。受験の英語が変わらない限り、残念ながら日本の英語教育は変わらない」と。

英語に関してはセンター試験を止めればいいと思います。
TOEFLを代用すれば良いです。TOEFLは良く出来たテストです。
何度も受けられるし、今の受験英語よりも、応用力が高いです。

日本の受験英語も良い点があります。最大に良い点は文法力の強さです。文法ミスが少ない、これは上に上がれば上がる程、とても大切なことです。口には出さないかもしれませんが、「見られている」部分になります。
日本でも同じことですよね。


私は別にアメリカ方式が良い、と盲信的に主張する気もないし、日本の良い所も組み入れるべきだと考えます。

英語に関しては今のものを続ける、中途半端に変えるくらいなら、いっそTOEFLに変えればよいと考えます


きっと、現行の英語教育とTOEFL対策のハイブリッドで良い形が出来るんじゃないかと楽観しています。


sono兄さんは、ブログでこのようにおっしゃいました。


>僕自身は日本の大学を卒業して社会に出て、そこである程度の経験を積みながら語学を実務を通じてブラッシュアップして、そして、その企業なりから大学院やビジネススクールへ留学する「形」を作った方がより「日本的」ではないかと感じています。


sono兄さんがおっしゃるこの形が日本的であり、今の日本にとって、最も実行しやすいbest possibleな形のように思えます。


私は同じ職場に戻ることを考えてなかったので、仕事を辞めて海外に行きましたが、また帰って来て同じ分野にいますので、かつての同僚と会い、仕事をする機会があります。
けれど、帰って来る場所があるほうがbetterな人もいるでしょうし、派遣して、戻って来てもらえる方が企業の投資としては有用でしょうから。

結論としては英語教育を変えることで、日本人の多くが直面する英語の苦手さは改善出来ます。しかし、日本語という母国語の運用がままならなければ、思考は発展しません。
個々人の、ひいては日本全体の向上につながり得ません。

よって、日本語教育のさらなる向上を目指すとともに、時代にあった効率よい英語教育を行えばよいと思います。

間違っても、英語教育強化のしわ寄せが国語教育や算数教育にいくようなことがあってはならないと思います。それは、将来の語学力発展の芽すら摘んでしまう事になるでしょうから。


最後にsono兄さんの当該ブログ記事の最後の部分を引用したいと思います。

久しぶりに沢山書いてしまいました。

拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。


ボストンから留学事情雑感より

>大切な基本は「語学」よりも先に「日本教育」だと思います。

>必要な語学力は人間力の成長と共について来ます。

>何度も言う様に「言葉は人格」だと言う僕の信念は変わりません。

>日本のお母さん方、

>子供に英語の幼児教育する暇が有ったら、

>日本語の優れた本をたくさん読み聞かせて下さい。

>日本人として優れた教養を育てる事が国際人たるべき基礎なのです。

>日教組の所為にする前に


<kei-izaさんのブログ引用は此処まで>



次はsonoraone-3さん
2015-7-9SONOさん


ボストンから留学事情雑感
2012/03/07 04:22
https://web.archive.org/web/20120424171850/http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/

昨日は日帰りでボストンの対岸のケンブリッジと言う街にある米国の名門大学で話をして来ました。

そこでのちょっとしたスピーチの後で学内関係者と話をして感じた事を少し書いて見たいと思います。

最近日本では日本からの留学生の比率が激減して中国や韓国の学生が激増して来ている現象を捉えて、

この様な海外留学事情の変化を若者の海外志向の減退や上昇意欲の減退として捉え、

日本衰退の象徴の如くマスコミでは喧伝されているようです。

しかしながら僕は少し違う背景も有るのではないかと感じています。

ハーバードやイエールになどでは留学生の受け入れは全体の学生の10%程度と枠が決まっています。

その中で近年になって中国、韓国の経済力の上昇と共に

これらの国からの受験生が激増して競争率が高くなっています。

特に韓国は日本以上に少子化が進行中で国土は貧相で資源もなく社会の価値も貧困である為に、

そして更に政治的不安定感が絶えず付きまとうために

トップレベルの人達には「海外志向」が異様に強い傾向があります。

中国や韓国のトップ集団は海外大学卒業者が当たり前の前提になって来て、

日本では東大や京大を目指す事と同様に、

彼等は海外有名大学卒業する事が人生設計の基本となっている様に感じます。

その結果、彼等には海外留学希望者が多く

必然的にバーバードやイエールへの受験者が多くなると言う事なのです。

一方で日本では国内名門大学のブランドが確立している為に

まだまだ国内の大学を卒業して社会に出て行くと言う「習慣」が強い。

この差がバーバードやイエールでの日本人留学生の相対的減少の根本的構造だろうと感じます。

マスコミが宣伝する様に、日本の若者や国力の「衰退」だけが原因ではないような感じもします。

日本の東大を卒業しても鳩山や岡田の様なバカはたくさんいる分けですが、

ハーバードやイエールを卒業しても同種のバカはたくさんいます。

そして中国や韓国からの留学生は有る意味では海外留学を踏み台に自分の国を捨てて

自分の人生そのものを海外に移住させる「チャンス」として

留学を一つの人生のステップにしている傾向が非常に強いと感じます。

実際今回、ハーバードのこれら留学生と話しをしてもこの感じを強く感じました。

現在進行形の中国や韓国からの留学生の数の激増とそれに伴う日本人学生の数の減少に関しては

僕自身は海外留学生の数や比率自体にそれほど拘らなくても良いのではないかとも感じます。

例えば現在バーバードには日本人の学生は約100人程居ますが

大半は日本の東大や京大などを卒業して来た大学院生で学部の学生は

数人(今回聞いた所では5人)しか居ません。

一方で中国や韓国の学生は大半が高校性から直接学部に進学して来た学生が大半となって居ます。

この事は逆に考えると日本の国内大学の「ブランド」が確立している為に、

日本では国内大学を卒業して社会に出て行くと云う概念が確立しています。

日本では海外大学を卒業して「箔を付ける」と言う必要性が低く、

ハーバードやイエールの名門校の留学生枠(10%程度)が有る中で

中国・韓国からの受験生が激増した結果、

彼等の比率が必然的に高くなったと言う「結果」に過ぎない様な感じがします。

ただ一つ日本の問題と感じるのは、

例えばハーバードに留学する為には「TOEFL」の入学審査(語学力)を受けなければなりません。

正確には覚えて居ませんが7,8年前に試験方法が変わり

読む聞く話す書くの4要素統合形の試験方法に変わりました。

その結果日本人の高校性の得意な「文法」は試験から外されて

「話す」事が重要視されたので日本の高校性にはハードルが非常に高くなったと云えます。

この試験で要求される英語力はTOEFLで100点以上ですから

英検1級など足下にも及ばない高度なレベルな分けですし、

日本国内の普通科の高校性がクリヤーするには非常に厳しいと言わざるを得ないでしょう。

更に、ご存じだとは思いますがTOEFLをクリアーしても

より難解度が高い読解や数学や論文試験の米国大学の共通試験(SAT)が待ち構えて居ます。

更に留学への志望動機などを英語で書いて「文章表現力」を試される審査を受けなければなりません。

入り口のTOEFLで躓いている日本人に取っては、

非常に高いハードルと感じるのは致し方ないのでは無いでしょうか?

その上で日本のトップクラスの高校性は国内の名門校を目指す事が「普通」な分けです。

日本は中韓とは違って独自の欧米と肩を並べる高等教育が既に有る分けですから、

僕自身は日本人として世界で生きて来て、

更に自分自信の経験から考えるにそれほど「海外留学」が重要な要素だとは思いません。

そんな事よりは日本語でしっかりと日本の教育を確立する事の方が

余程個人の人格の形成と人生設計、

そして国家100年の大計には重要な事と感じます。

今回ハーバードの関係者と話して来て、

彼等自身が日本の留学生の減少には危機感を持っている様です。

彼等は留学生の「多様化」を非常に重要視していますから、

日本から留学生を増やすべく(要するに中国韓国からの留学生に偏らない為に)

日本での募集活動を強化していますが、

前述の様に日本の英語教育が根本的なネックになっている部分は有ると云えるでしょう。

僕自身は日本の大学を卒業して社会に出て、

そこである程度の経験を積みながら語学を実務を通じてブラッシュアップして、

そして、その企業なりから大学院やビジネススクールへ留学する「形」を作った方が

より「日本的」ではないかと感じています。

悪戯に中国や韓国を敵愾心を持って「ライバル」と眺める必要は無いです。

日本は絶えず語学力や島国根性に関しては自分で自分自身を卑下しながらも、

一方でその残した実績は世界に誇るべき能力を発揮して来ているでは有りませんか?

中国や韓国は彼等が異様な敵愾心で日本をライバル視して纏わり付いているだけですし、

無知無教養で「平均」の概念も理解出来ない日本の「マスコミ」が、

それを「反日宣伝」に使って日本人を貶める事に自虐的喜びを感じているだけです。

それ故にマスコミが無責任に喧伝する様に

留学生数の減少を「日本の衰退」の象徴の如く捉える必要もさらさらない。

その様に感じたボストンでした。

そして最後に付け加えて置きますが

やはりここでも日本と日本人の「クオリティ」に対する信頼感は非常に高い。

ハーバードやイエールにはたくさんの中国や韓国を中心に各国の留学生を多数抱えて

それぞれの「反面比較」が容易に出来るからです。

今の民主党政権で東大出身者のバカが異様に突出している現状は忸怩たる感は否めませんが、

海外留学生の数の問題よりも日本国内の教育の質の改善に我々国民はより留意すべきでしょう。

大切な基本は「語学」よりも先に「日本教育」だと思います。

必要な語学力は人間力の成長と共について来ます。

何度も言う様に「言葉は人格」だと言う僕の信念は変わりません。

日本のお母さん方、

子供に英語の幼児教育する暇が有ったら、

日本語の優れた本をたくさん読み聞かせて下さい。

日本人として優れた教養を育てる事が国際人たるべき基礎なのです。

日教組の所為にする前に

先ず「家庭教育」の重要さに気づくべきでしょう。

家庭教育の崩壊が学校教育の崩壊を招き、

日教組の政治活動を容易ならしめているのです。


<sonoさんのブログ引用此処まで>

お二方とも筆を置かれてもう随分たちました。お元気なんでしょうか。
断りもなく勝手に引用紹介させていただきましたこと、お詫びいたします。

前のエントリー「春の小川をタイ語で言うと」で言葉の問題を取り上げました。
こんな事から「日本語が実に素晴らしい言語」だと言う事が良く分かります。
そんなことでこのお二方の古いブログを紹介させていただきました。

色々考えてみたい事だと思います。

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2015-07-09 11:59

春の小川をタイ語で言うと<再掲

 新幹線用のガードレールの話をエントリーしたのだが、皆さんのコメントで「新幹線のような高度なものを発展途上国に輸出して大丈夫か、そもそも言葉が通じるのか」と言った疑問を色々戴いた。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1135.html

そんな話の参考に2012年のエントリーを再掲してみたい。
題して「春の小川をタイ語で言うと」2012年3月8日のエントリーです。

ここに皆さんから貴重なコメントを頂いているので、それも本文に取り込んで再掲することとした。
コメントを頂いた皆さんには勝手に再掲させていただきますがご了承を。
またこのエントリーには今は筆をおいたkei-iza さん、sonoraone-3さんの話もあるが、ご本人には連絡も取れないので勝手に引用させていただきました。あしからずご了承を。


ではでは、その話どんな風に展開しますか・・・


2012-03-08 18:01
春の小川をタイ語で言うと

 kei-izaさんが久しぶりのエントリーで興味深いことを言っている。
「高等教育を母国語で出来る事の素晴らしさ」「日本の英語教育の問題点」
http://kei-iza.iza.ne.jp/blog/entry/2618667/ (注)

keiさんはsonoさんのこのエントリーで触発されたようだ。
http://sopnoraone-3.iza.ne.jp/blog/entry/2618539/(注)

(引用者注:このお二方のエントリーはイザブログが今は無くなってしまったので見る事が出来ません。但し全く別の所にアーカイブとして存在しています。そこでこのエントリーの続編として別途紹介したいと思います)


今回私は以前からの持論なのだが、発展途上国の言葉と日本語がどんなに違うのか、タイ語を例にとって話したい。


さて簡単な例である。
例えばこの歌、誰でも知っている歌だが・・・
「春の小川」



高野辰之作詞・岡本貞一作曲/文部省唱歌

春の小川は さらさら流る。
岸のすみれや れんげの花に、
匂(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く。

【林柳波による改作などを経た現在の歌詞】

春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく、
咲けよ咲けよと、ささやきながら。


こんな歌がタイ語では翻訳が極めて難しい。
多分日本人が感じるイメージはタイ人には分からないと思う。
最初の「春の小川はサラサラ流る」を取り上げよう。

なぜか、それは「小川」と言う言葉である。
タイ語では川、池、水溜り、飲む水、全てナーム(naam)という。
単にナームだけでは区別がつかないし、タイ人には川も池も飲み水もどれでも良いらしい。


これはナーム
2015-7-9(2012-3-8水の話2コップの水

(注:最近では飲料水はボトルに入れて冷やして飲むのが当たり前になった、したがって飲み水と言うときはナーム・イェン(冷たい水)と言うことが多くなった。良い事である)

これもナーム
2015-7-9パタヤの先2000年9月


こんな水溜りもナーム
2015-7-9チョンブリ県2000年10月


これもナーム
2015-7-9ワンちゃん救出
但しこの水はきれい汚い関係なくナームだが、洪水と言うときはナム・トゥァンと言う


流石にこれだけ大きい川になるとメー・ナーム
メー=母、ナーム=水で水の母、つまり大きな川になる
2015-7-9ゴールデントライアングルのメコン川

この写真で左上から右下に流れているのがメコン川本流、
左から合流しているのが支流のサーイ川、
手前がタイ領、サーイ川の向こうがミャンマー領
メコン川本流の向こう側がラオス領
ゴールデントライアングルといわれ、麻薬で有名になった場所です。


こんな事なのでたかが水と言うけれど、タイ語には池の水から池そのもの、そして飲み水まで全部一緒なのである。

2,30年前までタイのバンコクに駐在する日本人家庭では、メイドの朝一番の仕事は水瓶から水を汲んで沸かす事だった。
この沸かした水で炊事から洗濯全部するのだった。

冷たい水が飲みたければ水瓶をトントンと叩くとボーフラが慌てて沈む、そこをコップでサッと掬って飲む
こんな事が当たり前なのは綺麗な水、汚い水の区別も無いから。


本論に戻って、冒頭の春の小川

2015-7-9春の小川


こんなさらさら流れる川、彼らにはそれすらなかなか理解できない、つまりそんな概念が無いのだ。

私がタイ人1期生を日本に研修のため連れてきたときのこと。タイ人が最初に日本の印象を書いて送った手紙を見せてもらったことがある。
会社までの道には上掲の写真くらいの川があった(水はお世辞にも綺麗といえなかったが)。
タイ人が言うには「日本はいいところだよ、川に黒い水が無い、おまけに底まで見えるんだ」
これほど違うと言う話である。



そんな事で「春の小川はサラサラ流る」、
たったこれだけの事をタイ人に正確に理解させようとするとかなり言葉がいる。
今回言及しなかったが「サラサラ」、これだけとっても正しく説明は難しい。
塗装工場では粘度とかちょう度(稠度)等を問題にするが、こんな言葉をタイ語には訳せないので苦労している。



発展途上国の大学が英語で授業するのはこんな理由、
つまり発展途上国の言葉には語彙が不足し、難しい概念が話せないためなのである。

では日本語はどうか、実はこれは明治時代、我々の諸先輩方が西欧文化を取り入れる過程で日本語には無い概念に多数ぶち当たった。
そこで苦労して漢字を組み合わせて言葉を造ったのである。
面白い事に日露戦争後、当時の清国は日本に学べと多数の留学生を送り込んできた。
その留学生が日本が作った新しい概念の言葉を母国に持ち帰った。
文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、など新しい国づくりには新しい概念が必須だったのである。
東北アジア各国で使われる漢字でできた近代的な概念語の大半が日本製となっていると言われている。

詳細は以下参照ください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%A3%BD%E6%BC%A2%E8%AA%9E


今日本では外国の文献などは全て日本語のものが手に入るのは、偏に明治時代からの先人の苦労の賜物である。感謝せねばならない。

<以下はコメント欄です。読みやすいよう若干編集しています。また引用文は割愛しました。

コメント
No title tom-h さんのコメント
本当明治時代の日本人によっていまの日本の発展の礎が築かれていますよね。

当時の知識人層・エリート層のレベルの高さがよく分かります。

翻っていまは・・・。
2012-03-08 23:36 URL tom-h

To tom-hさん
同感です、今の知識人なるもの、かなりの割合で痴識人がいますね。
当時の素晴らしい所はエリート層が凄いのですが、その下の一般人もそれなりに知識がある。
つまり底辺が広い、これが素晴らしいです。
2012-03-09 06:31 URL 短足おじさん


No title  kamosuke さんのコメント
「メナーム」って、そういう意味だったんですか。ひとつ得した感じです。

塗装工場での苦労の話、すごくおもしろいです。日本の技術者が「摺り合わせ」に長けている大きな要因につながっているのでしょうか。
そういえば、大工をしていた兄にくっついて手伝いによく行っていたのですが、腕のいい職人ほど「ギラッとした嫌らしい研ぎだ」とか「霞に研げ」とか、普通の人が聞いたらなんだかわからないことをよく言っていました。
工学分野でも、というよりも、どんな分野でも、大勢の人と一緒に高度なことをしようとすれば、最後の最後で、微妙な表現が大きな差につながるんでしょうね。最近、言葉がいかに大切か、痛感することが多いです。
2012-03-08 23:43 URL kamosuke

To kamosukeさん
>「メナーム」って、そういう意味だったんですか。ひとつ得した感じです。
この話は全くの笑い話、日本人の誰か(何処かの偉い先生)がタイに行ってタイ人に聞きました。
バンコクを流れる川を指して「これ何と言う名前」、タイ人の答「メーナーム(つまり川)」、
そこで日本人はチャオプラヤ川を「メナム川」と呼ぶようになり、
本や地図にもそう書きました。
未だにメナム川と書いた本を見かけます。

なるほど「霞に研げ」ですか、難しいですね。
現地現物をモットーにやってきてもこの話は難しい、
こんな所が日本の凄さなんでしょうね。
2012-03-09 06:43 URL 短足おじさん


No title sonoraone-3 さんのコメント
日本の郵便制度を作った前島密は、明治維新による文明開化の時に、日本国の国語をフランス語にすべしと主張した。彼がどの程度本気だったかどうかは知らないが、怒濤の如く外国が入って来る中で、その言葉の「概念」を捉えるにはフランス語が一番日本人の多様で微妙で繊細な表現に耐えうると判断した様です。
彼の場合は日本語の素晴らしさを失念してのグローバリズム開花に囚われている訳ですが、逆に言えばそう言う「暴論」が出る程にそ日本語は先進性が有ったと云う事でも有ります。
感情表現と事象次元表現の多様性と言う意味では日本語とフランス語は双璧でしょう。
そしてフランス語と日本語でガチ勝負すれば日本語が情緒の奥深さで判定勝ちでしょう。
それほど日本語は優れた文明の結晶だと思います。
2012-03-09 04:24 URL sonoraone-3

To sonoraone-3さん
なるほどねえ、日本語は優れた文明の結晶、同感です。
昨日ドナルド・キーン氏が日本に帰化手続きが完了したことが報道されました。
キーン氏のような理解者がいることは本当に有り難い。
今の日本を創ってくれた先人に感謝です。
この気持ちはタイで仕事をしてみて、しみじみ感じました。
諸先輩がたは苦労したんだろうなあ・・・
感謝です。
2012-03-09 06:55 URL 短足おじさん


No title sonoraone-3 さんのコメント
しかし、

春の小川は、さらさら行くよ

を英語にすれば

the small stream flows babbling between its banks.

てな感じですかね?
やはり詰まらないですね。
日本語の語感の豊富さは逸品でしょう。

2012-03-09 05:55 URL sonoraone-3

No title
To sonoraone-3さん
俳句を英訳したような感じですね。
英語は国際化する過程で思いっきり簡単にしてきましたから、こういう表現は苦手なのは分かります。
でもフランス語なら、それも話し言葉ならかなり微妙なニュアンスを表現できるんでしょうね。
2012-03-09 07:02 URL 短足おじさん


No title sonoraone-3 さんのコメント
Le printemps est venu et le ruisseau coule rapidement entre banques.

やっぱり日本語でないとこの詩の感じはでませんね。
状況は説明出来ても情感は微妙に異なると言う事です。
長い歴史に培われた民族文化の情感の大切さを知らされます。
例えばフランス語や英語の詩を日本語訳すれば、
もはや単なる翻訳ではなくそれ自体が独立した詩になります。
しかし、逆も可かどうかは微妙ですね。
日本人の感性と情緒は独特のものでは無いでしょうか?
欧州でジャポニズムが席巻したのも頷けますね。

2012-03-09 08:34 URL sonoraone-3

No title
To sonoraone-3さん

でも矢張りフランス語ですね、英語とは全く感じが違う。

このフランス語訳をみて何故かこんな詩を思い出しました。
sonoさんは詩人の才が有りますね。

Le pont Mirabeau  (Guillaume Apollinaire, ) 

  Sous le pont Mirabeau coule la Seine.    
  Et nos amours                 
  Faut-il qu'il m'en souvienne          
  La joie venait toujours apres la peine     

Vienne la nuit sonne l'heure            
Les jours s'en vont je demeure.         


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

・・・以下略、全文は下記
http://members.jcom.home.ne.jp/swatanabe/%90%A2%8AE%82%CC%8E%8D%89%CC/mirabeau.htm
>欧州でジャポニズムが席巻したのも頷けますね。
ジャポニズムは又新しい動きがあるようです。
日本の責任を感じる話と思います。
2012-03-09 10:49 URL 短足おじさん


No title 相模さんコメント
随分昔に読んだ話ですがアフリカ(のどこかの国)では魚の名はどの種類も全て「魚」だそうです。
逆に日の出から日没に至る太陽の状態を表す言葉は50種くらいあるそうです。
お国柄が違えば文化、表現が違って当然でしょうね。日本は四季に恵まれた素晴らしい自然の中で言葉と感性が育ったというべきか。
だからこそ優しい国民性に育ったわけで、この感性は「世界遺産」級かも知れず。鳩山さんが言う友愛によって中韓北朝鮮との連合は無理です。
2012-03-09 11:01 URL 相模

No title
To 相模さん
面白い話ですねえ、
多分その国では魚はどんな魚でも食べ方が同じなのでしょうね、
何でもぶつ切りにして煮てしまうとか。
でも太陽の状態を表す言葉が50以上、何処を見てるんでしょうね。

日本は素晴らしい自然の中で言葉と感性が育った、同感です。
もっともっと日本と日本語を大事にしなければ・・・
2012-03-09 13:47 URL 短足おじさん


No title kazkさん のコメント
日本語は世界でも珍しい二重構造を有してる言語なのです。
つまり、日本古来の和語の基づく単語群とおもに漢語の輸入による単語群です。これは飛鳥奈良の時代から、膨大な支那からの文化の輸入を行い当時の日本人たちが必死の思い出言葉と格闘して創り上げた金字塔だと思ってます。

例えば春の小川の歌詞自体見れば分かるのですが、これはほぼ純粋に日本古来の和語で書かれてるものです。そしておそらくここに流れる情緒というものは言葉と共にあリ翻訳はほとんど不能なものです。このような単語群があり、それに基づく文学が成立し独特の文化というものは成立するものだと思います。

日本人はこのような体系の上に漢語に基づく思想、哲学、科学に及ぶまでの単語群を作り上げました。これは当時の日本人たちのおそらく血のにじむような格闘の結果だと思ってます。

それだけではありません。春の小川の歌詞の中で見られる、行く、咲く、という動詞、美しくという形容詞を我々は何も考えず使ってますがこれは全て漢字の訓読み、つまり完全に日本語化して使うという荒業をこなしてます。
その上「小川」などはどうしてこういう作り方ができるのか、不思議になるほどの言葉でしょう。小生は当時の日本人たちがかかる格闘をしてくれたお陰で日本の文化が誕生したのだと思ってます。

先日、来日されたブータンの国王陛下は国会で演説されましたが英語で行われました。ブータン国民の言葉であるゾンカ語では政治、経済、文化などの概念を表す言葉が極端に少なくかかる演説はできなのだといいます。

明治以降の日本人たちの努力は言う必要はないでありましょう。このような超人的な努力があったからこそ自国語で大学の授業ができるという欧米とは言語体系が違うおそらくは唯一の国となったのです。

ところがこの期に及んで大学の授業を英語でやることが国際化だとか、英語を公用語にづるとかの馬鹿を通り越した基地外の議論が出てきます。東大の言う秋入学とやらの問題も、英語で講義を行う前提だとか、どこまで間抜けなのでしょうか。

関係ないのですよ、国際化とか何とか抜かすならば一番生き残れるのは固有の文化に決まっています、真似はできないのですから。何で日本語でそれを発するという発想を持たぬのか。日本の知識人という奴らは恐ろしいまでの植民地根性の持ち主なのでありましょう。

ある人が面白いことを言ってます。古来の和語、やまとことばというものは、最も人の気持ちや思いというものを素直に表してる言葉だというのです。ある意味で当然のことかもしれません。同じ言葉で持って全てを表すなどという無理はできるわけがないのです。

小生は10年以上国語の教師をやりましたが勉強すればするほどこの二重構造が日本人の感性を育て上げ独自の精神世界を創り上げたのだ、感心するばかりでありました。

ここでは問題になってませんが、おそらく日本語は世界で最も多言語の侵略に強い言葉だと思ってます。昨今のへんてこな外来語の氾濫なんかなんの問題もありません。これを心配する愚かな知識人がいますが何もわかっていない連中です。
長い目で見ればなんの問題もありません。これは小生の確信です。
2012-03-09 23:35 URL kazk

No title
To kazkさん
なるほど二重構造ですか、面白い見方、納得です。
ブータン国王陛下の話、良く分かります。

なるほど、国語教師の経験での話、良く分かります。
これからの日本語の課題は多分正しく話すことだと見ていますが、
如何なんでしょうか。
2012-03-10 17:04 URL 短足おじさん


No title kei-izaさん コメント
お邪魔させて頂きます。

>今回言及しなかったが「サラサラ」、これだけとっても正しく説明は難しい。

興味深いですね。
サラサラ、そよそよ、ふわふわ。擬態語は本当に難しいです。
それにしても、言葉は文化やその社会の価値観と大きく連動すると言いますし、言葉から見えて来るものって沢山あって面白いですよね。

>今日本では外国の文献などは全て日本語のものが手に入るのは、偏に明治時代からの先陣の苦労の賜物である。感謝せねばならない。

本当につくづくそう思います。
また、現在の日本語が長い時間を経て、連綿と積み重ねてこられた結果なのだと考えると感慨深いですね。
平安時代の古典文学などを見てもそうですが、言語や文化の通り道がよくわかり、非常に興味深いとともに、現代においてもも1000年前に書かれた物語を読み、楽しめることは、本当に有り難いことだと感じます。
2012-03-10 07:23 URL kei-iza

No title
To kei-izaさん
ご多忙な所コメント有難うございます。
1000年も前の文学などが自国語で読める、これは素晴らしいことです。
ドナルド・キーン氏が90歳になってから日本に帰化を決めた、
その理由の一つがこんな事なのでしょう。
本当に有り難いことです。
2012-03-10 17:12 URL 短足おじさん


No title 相模さん コメント
kazkさんご指摘のように論理・哲学を語る場合は漢語交じりで、感情・情緒を表す場合は大和言葉で、というのはその通りと思います。

歌詞などを見ていて面白いのは、明治あたりの訳詩は割合多く漢語が混じります。しかし情緒を語る日本語の作詞になると和語の比率が増えます。(但し上から目線の寮歌などは漢語が多いです)
「君が代」は100%大和言葉です。
2012-03-10 21:35 URL 相模

No title
To 相模さん
明治時代に西欧の書物を翻訳しようとしたとき、西欧にあった概念を日本語に訳せない事で苦労した。その結果漢字の造語機能を使って新しい言葉を沢山作った。本文にあげた文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本等の言葉が皆そうですね。

2年ほど前、昔の歌で「秋の夜半」と言うのを少し調べました。
「秋の夜半の み空すみて」というのです。
作詞者は文化勲章受賞者で歌人の佐佐木信綱、曲はウェーバーの魔弾の射手の一部を切り取ったもの。
和歌専門の歌人まで動員して西欧文化を取り入れようとしたことが分かり、何か胸が熱くなります。
そしてこの頃の歌は若者が国を出て都で学ぶ望郷の歌が多い。
秋の夜半もそうでした。
以下がその歌詞です。

秋の夜半(よわ)の み空澄(す)みて
月のひかり 清く白く
雁(かり)の群の 近く来るよ
一つ二つ 五つ七つ

家をはなれ 国を出でて
ひとり遠く 学ぶわが身
親を思う 思いしげし
雁の声に 月の影に
2012-03-10 22:57 URL 短足おじさん

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