2014-08-10 07:22

ポルポト派裁判

 カンボジアのポルポト派の大虐殺についての特別法廷の判決が言い渡された。
先ずはそれを報道する捏造で知られる朝日新聞の報道から。

<以下引用>

朝日新聞デジタル>記事
旧ポル・ポト派最高幹部に終身刑 カンボジア特別法廷
プノンペン=佐々木学2014年8月7日12時40分

 犠牲者170万人とされるカンボジア旧ポル・ポト政権下の大虐殺を裁く特別法廷は7日、強制移住や処刑などの「人道に対する罪」に問われた旧政権序列2位のヌオン・チア被告(88)と5位のキュー・サムファン被告(83)に最高刑の終身刑を言い渡した。

 両被告は「国民を虐げる理由がない」「身に覚えがない」などと容疑を否認していたが、裁判長は両被告とも「政策決定に参加する立場にあり、犯罪に重大に関わった」と結論づけた。1998年にポル・ポト元首相が死去し、元人民代表議会議長のチア被告が存命する最高幹部。特別法廷に死刑はなく、最も重い終身刑が適用された。特別法廷は2審制で、両被告は控訴することができる。

 今回、罪に問われたのは、ポル・ポト派が政権を握った75年以降、極端な共産思想に基づいて150万~260万人の都市住民を農村へ強制移住させ、食糧難や強制労働、殺害などに追い込んだ行為や、多数の反対派兵士を処刑した行為。特別法廷はほぼすべてを有罪と認定した。
・・・以下は有料記事の為読めない・・・
http://www.asahi.com/articles/ASG86622QG86UHBI01R.html

<引用終り>

この判決の出た元ポルポト派最高幹部二人と言うのはこんな奴

ヌオン・チア
2014-8-9ヌオン・チア

キュー・サムファン
2014-8-9キュー・サムファン


所でこのポルポト派の大虐殺。170万人とも200万人・220万人と諸説あるが、当時のカンボジアの人口で見ると4人に一人を殺したと言う悲惨なもの。

だが捏造で知られる朝日新聞はここでも大誤報をやらかして、未だに反省の一言も無い。

それは1975年4月17日未明、プノンペン陥落。同日午後1時ポルポト軍から住民総退去命令が出される。
それがそのままあの大虐殺の始まりなのだが・・・
そのプノンペン陥落から二日後の報道がこんなモノ。

2014-8-9カンボジアの朝日新聞大誤報

住民総退去命令で町がもぬけの殻になった、そこで町の外であの悲劇が既に始まっていたのだが、それを報道したのがこの記事である。
アジア的優しさ・・・???、この記事も未だに訂正されていない。

この大誤報から3年8か月と20日に間に、170万人とも220万人ともいわれるカンボジア人が虐殺された。
虐殺対象者は学校の先生、役人、企業経営者、インテリ層などであった

知識層への強制労働もあったがカンボジア国民4人に一人を殺したのである。
それにしては朝日新聞、この大誤報にもかかわらず全く反省の色が無い。
朝日新聞のいう「アジア的優しさ」とは学校の先生、役人、企業経営者、インテリ層などを根絶やしにする事だったのだ。


所でこの特別法廷にはあと二人最高幹部が起訴されている。
イエン・サリ(ポルポト派NO.3)とその妻イエン・シリトである。

イエン・サリ
2014-8-9イエン・サリ
この人物は裁判の判決の出る前に昨年死去してしまった。

イエン・シリト
2014-8-9イエン・シリト

イエン・シリトは認知症の為裁判に耐えられない、こう言う事で2012年9月に釈放されている。
だがこのイエン・シリトはカンボジア王家と深い関係のある名門中の名門の出身。
2012年10月に死去した前国王シハヌークとは子どもの頃からの知り合いなのだと言う。
(私の推測だが、イエン・シリトの釈放にはシハヌーク前国王およびカンボジア政府の意向が有ると見ている)

だからポルポト派最高幹部4人の裁判は実質これで終了となった。


しかしこのポルポト派問題は現在にも続いている。
イエン・サリが政府軍に投降したのが1996年末、その時自派の軍隊も一緒に投稿投降したのだがその数5千名。
そのイエン・サリの軍隊はそのままカンボジア軍に編入されている。

1998年に最後に残ったポルポト派、キュー・サムファン率いる軍隊も同様の処遇であった。

そして重要な事、現在のカンボジアのフン・セン首相は若い頃ポルポト派の将校であった。
機を見るに敏なフン・センは1977年6月ポルポト派を離脱しているが、当然この大虐殺を指示する立場にあったわけだ。
こんな事でカンボジア政府内部には虐殺関係者、社会主義者、毛沢東主義者が未だにウヨウヨいる。これがカンボジアだ。


最後にこのポルポトの流れ、社会主義者・毛沢東主義者が現在もカンボジアを牛耳っている丁度いい事例がある。
つい二日ほど前の話だ。

<以下読売新聞より引用>

親中派、声明文言に抵抗…ASEAN内に亀裂
2014年08月09日 10時10分

 【ネピドー(ミャンマー)=向井ゆう子、池田慶太】東南アジア諸国連合(ASEAN)が8日開いた外相会議は、中国とフィリピン、ベトナムが対立を深める南シナ海問題を巡って各国の思惑が交錯し、共同声明の調整に難航した。

 中国の挑発行為の自制を求めることに中国寄りの加盟国が抵抗し、ASEAN内の亀裂が改めて浮き彫りになった。

 会議に先立ち、中国との対立が深刻なフィリピンが、南シナ海での挑発行為の「凍結」を声明に盛り込み、国際法に基づく領有権問題解決を進めていく行動計画案を提唱。米国と調整した上で、8月1日の外務省声明では、「凍結」案をASEAN外相会議などで提案すると明らかにしていた。

 だが、会議では「明らかに中国の意をくんだカンボジアがフィリピン案に激しく抵抗」(外交筋)し、「凍結」をよりあいまいな表現に変えるよう主張した。

 中立的とされるマレーシアなども、中国との対立をかえってあおる懸念があるとして、フィリピン案には慎重だったという。

 一方、中国は、ベトナムとの対立を招いたパラセル(西沙)諸島沖での石油掘削を、予定より1か月早い7月中旬に中止。今回のASEAN外相会議とASEAN地域フォーラム(ARF)の日程をにらんで、事態の沈静化を図ったものとみられていた。5月のASEANの外相会議と首脳会議では、掘削問題を念頭に「深刻な懸念」の文言が共同声明に盛り込まれた。
2014年08月09日 10時10分

http://www.yomiuri.co.jp/world/20140809-OYT1T50003.html

<引用終り>

アセアン10か国は決して一枚岩ではない。そんな事を思い出させるのだが、日本はこのカンボジア特別法廷に多額の金を出している。
ドレ位か
この特別法廷、国際スタッフとカンボジア人スタッフで構成されており、協定上諸外国から選ばれた判事・検察官・職員・弁護士等の給与など費用は国連が、カンボジア側の判事・職員などの費用はカンボジアが負担することになっている。
その国連負担分は日本が49%、オーストラリア12%、アメリカ9%、ドイツとフランス各6%となっている。
更にカンボジア負担分も実際にカンボジアが拠出するのは18%、あとは日本38%、以下そのほかの諸国となっている。

日本は断トツ・ぶっちぎりの1位、そしてアメリカの少なさがひときわ目につく。
つまりアメリカやフランスはポルポトの大虐殺問題は触れてほしくないのである。

本当に世の中奇々怪々、しかしこんな話、本当はキチンと日本人には知らせてほしい、それがマスコミの仕事ではないだろうか。

  1. カンボジア
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2014-02-24 14:55

アンコールワットが祇園精舎?

 水戸徳川家に昔から伝わる「祇園精舎図」と言うものが有る。
昨日のアンコールワットの写真の話で、無才さんから昔もアンコールワットを参拝した日本人がいるとの話が有った。その祇園精舎図を紹介しよう。

これが祇園精舎図
2014-2-24水戸徳川家蔵アンコールワット図


そしてこれがアンコールワット平面図
2014-2-24アンコールワット平面図

確かにこれはアンコールワットである。
当時はプノンペンに日本人街が有り、日本人はアンコールワットを祇園精舎と信じていたらしい。
尚当時のカンボジアを日本では南天竺と呼んでおり、そんな所からも勘違いしていたようだ。

上掲「祇園精舎図」は島野兼了の作と書いてあり、長年そう信じられてきた。
しかし最近上智大学の石澤良昭教授(学長)などの研究でこの話が偽名ではないかと問題提起され、現在ではこの図の作者は森本右近太夫一房ではないかと言われている。
この森本右近太夫がアンコールワットに楽書した人物で、その年代は寛永9年(1632年)正月30日となっている。

この直後に日本人が海外に出てゆくことが禁止されたのだが、この当時の日本人は元気だったんだなあ、そう思います。
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2014-02-23 18:36

最近のアンコールワット

 知人が今月初めカンボジアのアンコールワットに行ってきたとの事。
現地で撮った写真を送ってくれた。
中々綺麗な写真なので重たいネタの口直しにという事で今日は観光写真など。

尚一般にアンコールワットというが、これは中心の巨大な寺の名前、その隣にあるのが王城都市アンコールトム。
一般にその周辺も含めアンコールワットと言っている。


これはアンコールトムの何処か

2014-2-23アンコールワット1

タ・プローム寺院だと思います。巨大な榕樹が生えている。
2014-2-23アンコールワット2

欧米人観光客が多い
2014-2-23アンコールワット3

バイヨンの観世音菩薩像、これは大乗仏教の仏様。
ジャヤバルマン7世(1181-1220)がそれまでのヒンズー教から大乗仏教に改宗、その時出来たもの。
2014-2-23アンコールワット4



此処からは私の思い出話。
私がアンコールに行ったのは2001年8月の事。
その頃は宿泊したホテルの前の道路はこんなモノ。(ホテルの門辺りから撮った)
牛車が通っていますが此れでもれっきとした国道6号線
2014-2-23ノコールプノムホテル前の国道6号線2001年8月

そのホテルは今こんな風。
ネットでホテルのページから転載。多分上掲牛車の少し奥辺りから撮った写真。
2014-2-23シェムリアップのノコールプノムホテル


カンボジアも驚くほど変化しているようです。
さてそれがどんな結果になるか、これからも注意してみていきたいと思います。
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2013-05-28 15:43

カンボジア国産のクルマ

  当地方も本日梅雨入りしたとみられるそうだ。

梅雨空向きの爽やかな(???)話題など。

 

あのカンボジアも遂に国産車を造り始めたのだそうだ。

 

名前はアンコールカー。アルコールで走る車ではなさそうだが・・・

 

これが初代アンコールカー、2003年モデル

中古部品を寄せ集めて制作、総製作費900ドル、製作期間4ヶ月

初期のジープはこんな風でしたね。転落しないようにドアの代わりにチェーンが掛けてありました。

 

 

これが2代目アンコールカー、2004年モデル

スズキの中古エンジン660cc、最高速度100キロ、燃費14km/リッター

最高速度100キロと言ってもどうせそんな道など無い、そう割り切ればこのモデル意外とよかったかも。

 

 

 

これが3代目アンコールカー、アンコール333 2010年モデル

このモデルから電気自動車だそうな。

1台あたり生産コストは僅か5000usドル

雨が降ったら傘をさして乗ればいい

 

 

 

これが4代目アンコールカー、アンコールEV2013、2013年モデル

これも電気自動車、何とガルウィング!、見たかランボルギーニ!

製造コストは約1万usドル

ドアのガラスは嵌め殺し、料金所などではこのようにしないとチケットなど受け渡しできないが・・・

なに、カンボジアには有料道路など無いから問題ない、気にしない気にしない。

 

 

そのアンコールカーの堂々と走る雄姿をご覧あれ。

 

 

バイクや三輪タクシー等にスイスイ抜かれているが気にしない、気にしない、

我はガルウィングなるぞ、頭が高い!下がれ下がれ!

 

 

 

 

しかし考えてみれば昭和20年代のホンダやスズキも似たようなもの。

無い無いづくしの中で有るのは「チエとヤル気」だけ

 

いや分野は違うがアップルのジョブズだって同じだった、1976年に最初に作ったのはそんなモノ

 

これからの日本にもこんな風土が復活してくれないかなあ・・・

是非とも期待したい所。

 

大手企業の中でも最近「創業の精神に立ち返れ」、そんな話が出ているが確かにそうだと思う。

 

 

最後にアンコールカーなので将来が明るいアンコール・ワットの写真など

 

上記記事を含め引用元:Caplogue

http://www.caplogue.com/archives/7864484.html

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2013-03-15 17:01

ポル・ポト派元副首相が死去 大量虐殺の罪で公判中

  カンボジアのポルポト派による大虐殺裁判の被告イエン・サリが死んだと報道されている。

これで「あちこちでほっとしている連中」がいるだろう。旧悪を知る中心人物が死んだのだから。

 

先ずはアカヒ新聞の報道から

 

<以下引用>

 

ポル・ポト派元副首相が死去 大量虐殺の罪で公判中

 

 

 【ハノイ=佐々木学】カンボジアの旧ポル・ポト政権(1975~79年)の元副首相で、大量虐殺に関わった罪に問われ特別法廷で公判中のイエン・サリ被告(87)が14日朝、プノンペン市内の病院で死去した。心臓などを患い、4日に体調を崩して入院していた。

 

 元副首相は旧政権のナンバー3。ポル・ポト元首相(98年に死去)、同法廷で起訴・公判中のヌオン・チア元人民代表議会議長(86)に次ぐ地位だ。重要幹部の死去により、犠牲者170万人超と言われる国民大虐殺の裁判による真相解明は、一層難しい状況となった。

 

 訴訟資料などによると、元副首相は1950年代に留学先のフランスで仏共産党に入党した。57年にカンボジアに戻り、教職に就きながら共産党運動に傾倒、党権力の中枢を担うようになった。75年に発足した政権では外務担当の副首相となり、海外から帰国した知識層への強制労働を通じた「再教育」や、反逆者の粛清・処刑に関与した疑いがもたれている。

 

 78年12月にベトナム軍が侵攻し、翌年には親ベトナムのヘン・サムリン政権が発足、ポト派は放逐された。元副首相は欠席裁判で死刑判決を受けたが、96年に他の幹部に先駆けて投降し、国王から恩赦を受けた。ポト派を離脱してフン・セン首相支持を表明したり、メディアの取材に応じたり目立つ存在だった。

 

 だが、2006年に国連カンボジア政府が真相究明のために特別法廷を発足させたことに伴い、元副首相は07年11月、「戦争犯罪」と「人道に対する罪」で逮捕された。法廷では96年の恩赦を理由に「公判は無効」と主張し、否認を貫いた。

 

 妻のイエン・チリト元社会問題相(81)も起訴されたが、認知症のため昨年9月に釈放。残る被告のチア氏と政権ナンバー5のキュー・サムファン元幹部会議長(81)の審理は今後も継続されるが、高齢で体調が安定せず進行は滞りがちだ。特別法廷は300人の職員に給与を払えないほどの資金不足の問題も抱えている。

 

 法廷での真相究明を求めてきた犠牲者の遺族らは焦燥感を強めている。ポト派政権時代に祖父母や父、6人の兄弟を亡くしたシナさん(58)は「旧政権幹部が罪を償わずに世を去ることは許されない。迅速な裁判を」と訴えている。

 

 

http://www.asahi.com/international/update/0314/TKY201303140448.html?ref=reca

 

<引用終り>

 

 

 

先ずこんな所から

75年に発足した政権では外務担当の副首相となり、海外から帰国した知識層への強制労働を通じた「再教育」や、反逆者の粛清・処刑に関与した疑い

 

この75年にポルポト軍がプノンペン入りした、その時の朝日新聞の記事、朝日さんよもや忘れてはいないでしょうね。

 

朝日新聞はポルポト派に関しては重大な誤報をした。

それがどんなものかと言うと

和田俊

「粛正の危険は薄い? カンボジア解放側 アジア的優しさもつ」

朝日新聞1975年4月19日夕刊2面

朝日新聞はポルポト派のプノンペン侵攻の2日後、こんな記事を載せている。

この大誤報から3年8か月と20日に間に、170万人とも220万人ともいわれるカンボジア人が虐殺された。

虐殺対象者は学校の先生、役人、企業経営者、インテリ層などであった。

 

知識層への強制労働もあったがカンボジア国民4人に一人を殺したのである。

それにしては朝日新聞、この大誤報にもかかわらず全く反省の色が無い。

朝日新聞の体質は変わっていないようだ。

 

 

 

次はこれ

96年に他の幹部に先駆けて投降し、国王から恩赦を受けた。ポト派を離脱してフン・セン首相支持を表明したり

 

此処にイエン・サリが投降する直前の96年、ある日本人が訪問したときの写真が有る

 

右がイエン・サリ、中央が妻のイエン・シリト。

妻のイエン・シリトも夫とともに裁判にかけられていたが認知症が酷いため裁判は中断。本人も自宅に帰っている。

妻イエン・シリトの姉がポルポトの妻であり、二人とも夫を遥かに凌ぐ頭の良い人物だったらしい。そしてポルポト派の陰の実力者がこの女性二人だった。

 

 

そしてこれがイエン・サリ率いる軍隊。

イエン・サリが投降した際、約5000人の部隊を率いて投降した。

その部隊はすべてカンボジア政府軍に編入された。

 

 
こんな部隊が5000人もいる。凄いカネを持っていた訳である。
 
そのカネヅルはこのパイリン近くでとれるルビー、これを密売することで活動資金を手に入れていた。
ルビーなど宝石類はロスチャイルド財閥の昔からの家業である。
だからポルポト派はアメリカから資金援助を受けていた。
上記写真はカンボジア西部のパイリンと言うところだが、そこからクルマで30分位でタイとの国境に出られる。
 
更に昨年死去したシアヌーク前国王とはポルポト派は血縁関係にあり、その関係でイエン・サリやイエン・シリトは北朝鮮とも深い関係が有る。
 
そこにつながっているのが此奴。
 
恐らくこの空き缶もヤレヤレこれで死人に口なし、そう思っているだろう。
 
 
そんな事で最後に
特別法廷は300人の職員に給与を払えないほどの資金不足
 
こんな話なのだが、この金は誰が出しているのだろう。
この特別法廷、国際スタッフとカンボジア人スタッフで構成されており、協定上諸外国から選ばれた判事・検察官・職員・弁護士等の給与など費用は国連が、カンボジア側の判事・職員などの費用はカンボジアが負担することになっている。
その国連負担分は日本が49%オーストラリア12%、アメリカ9%、ドイツフランス各6%となっている。
更にカンボジア負担分も実際にカンボジアが拠出するのは18%、あとは日本38%、以下そのほかの諸国となっている。
 
日本は断トツ・ぶっちぎりの1位、そしてアメリカの少なさがひときわ目につく。
つまりアメリカフランスはポルポトの大虐殺問題は触れてほしくないのである。
 
この問題はこんな事で闇に消えていくのだろうか。
何十年も前の話ではなく、今現在の問題でもあるようだ。

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2012-10-25 15:12

縫製工場の中国人管理職 シアヌーク前国王の写真を破り捨てる<海外で仕事をするうえで大変重要な事

 縫製工場の中国人管理職 シアヌーク前国王の写真を破り捨てる

2012年10月25日 

 

 プノンペンで10月22日、縫製工場の管理職を務める中国人女性が、亡くなったシアヌーク前国王の追悼のため従業員が仕事をしないことに腹を立て、従業員が持っていた前国王の肖像写真を奪い、破り捨てるという事件がありました。

これに怒った従業員ら1000人以上が工場から王宮までデモ行進しました。中国人女性は警察当局に逮捕され、10月23日に裁判所に移送され、特例で即日結審し、罰金2500万リエル(約620ドル)、執行猶予1年、従業員への保障約500ドルを命じられました。中国人女性は国外退去処分となるようです。カンボジアには不敬罪がないため、従業員保有の写真を破いたという器物損壊で有罪となりました。

 なお、中国人による同様の犯罪が相次いでいるとのことです。スンルン縫製工場の中国人管理職女性もシアヌーク前国王の写真を破り、工員たちによって王宮前で謝罪させられていたところを逮捕されました。また、カンダール州の縫製工場でも中国人管理職が同様の事件を起こし警察に身柄を拘束されています。

 

http://blog.goo.ne.jp/economistphnompenh/e/7bfc4b96e9aa2218e9d021d1b9a5e0af

 

<引用終り>

 

この中国人女性管理職については唸り声さんのブログに写真が出ている。

 

手錠をかけられている

 

シハヌーク前国王の遺影の前に跪かされている。

 

この2枚の写真は唸り声さんの所から拝借しました。

 

http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2906149/

 

<引用終り>

 

私はこの話を聞いたとき、こんなケースは大変珍しい事件だろうと思っていた。

しかし上掲ブログでも他に2件発生している。

矢張りクリントン国務長官が言うように中国人の本質の様だ。

 

 

 

 

そのクリントン発言はこんなモノ

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/2873494/

 

 

アメリカのクリントン国務長官が中国人は世界でも稀な宗教を持たない連中と言った。

正にその証拠がこんなカンボジア前国王に対する行動に表れている。

他人の尊敬する者に対して全く敬意を払わない、それでは海外で仕事をするうえでうまくいく筈がない。

 

クリントン国務長官はこんな事を指摘した。

 

1. 移民申請の状況から見て、中国9割の官僚家族と8割の富豪がすでに移民申請を出した。またはその意向がある。

 

2. 中国人は社会の個体として、国家と社会に対して負うべき、責任と義務がわかっていない。

 

3. 中国は世界で数少ない信仰のない恐ろしい国で、全国民が崇拝するのは権力と金銭のみだ。

 

4. 中国政府の所謂政治は人民を騙し人間性に背く以外の何物でもない。人民大衆は過去の権力の奴隷から今は金銭の奴隷に変わった。

 

5. 大多数の中国人は「面目が立ち」、「尊厳のある生活」とは何か全くわかっていない。

 

6. 憚ることのない環境破壊と資源の略奪、贅沢と浪費の生活方式は何個の地球だと供給できるのだろか?

 

<引用此処まで>

 

 

日本人が海外で仕事をしているときなど、こんなケースは再三出会う。

そんな時本人は全く意識していなくても、いつの間にか相手の大事なところに土足で踏み込んでしまう事が有る。

特に宗教がらみの話は異教徒には分かり難い。

気を付けたい事例だと思う。

 

 

尚最初の事例の中国人女性のように国外退去処分にされると、ほとぼりが冷めた頃に再度入国しようとしても許可されない。

ビジネスには大いに気を付けたい所だ。

 

 

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2012-10-17 11:34

カンボジアの可愛い女の子

  カンボジアのシハヌーク前国王の死去の話で昔からの疑問を思い出した。

そんな話を可愛い女の子の思い出とともに・・・

 

 

私にはタイの隣国カンボジアに関してどうしても理解できない事がある。

それは1975年から僅か4年の間に起こったポルポトの大虐殺、

未だ正確な死者数は分からないが170万とも220万ともいわれる人が殺された。

当時のカンボジアの4人に一人とか5人に一人が殺された。

しかも殺されたのは主に学校の先生とか村や町の役人・芸術家など知識人・インテリ層。知識人の大半が殺されたと言う。

 

そこで疑問、

こんな大虐殺をしたポルポト派、その大虐殺の当事者をシハヌーク国王はなぜ支持したのか?

ポルポトがその後も20年近く勢力を保ち、生き延びたのはなぜか?

なぜ国民は怒らないのか?

 

 

そんな疑問をカンボジアに行った時などに色々質問してみた。

そこで私なりに考えてみたところを書いてみたい。

 

但し極々断片的な知識なので的外れかもしれないがご容赦を。

 

最初にこんな子から話を聞いた。

 

 

これはタイのカンボジアとの国境の町アランヤプラテートにある国境市場。

そこで通訳として雇ったカンボジアの女の子。

 

このアランヤプラテートのカンボジア側がポルポト派の牙城で長らく内戦をしていた。

1996年末にポルポト派No.2のイエン・サリ投降、1998年にポルポト死亡、同年末にポルポト派本体投降。こんな歴史だ。

 

そしてこの写真は2000年8月に撮ったもの。

まだポルポト派がいなくなって間の無いころだった。

そしてこの写真の女の子、不思議な事に日本語をかなり流暢に話せる。

聞いてみると平和になったけれど学校に先生もいない、そこで日本からNPOで先生が来てくれた。その先生に同じ年頃の子供がいて仲良くなり、毎日その家に入りびたり。そこで日本語を覚えたのだと言う。

 

ポルポトの虐殺の件を聞いてみると「おじいさんが殺された」と言う。

しかしそれ以上は聞いても自分の感想は言わなかった。

 

次に聞いたのがこの子。

 

 

この子は2001年8月にアンコールワットに行ったときの通訳の子。

旧ポルポト派支配地区の出身で同地区にあるバッタンバン(カンボジア第2の都市)の高校を出、成績優秀だったので日本語を覚え通訳になったと言っていた。

 

そしてポルポトの虐殺について聞いてみると、矢張りこの子もおじいさんを殺されたと言う。

虐殺に関してのいろんな記念のモノなども有ると言っていたが、残念ながら見に行く時間が取れなかった。

 

さてこの女の子の虐殺に関しての話が面白かった。

「あまりにも悲しい話なので、誰もその話には触れたがらない」のだと言う。

 

 

その後も機会あるごとに聞いてみるのだが良く分からない。

それでも最近こんな事が当たっているのかなあ、そんな私なりの解釈を。

 

第一にポルポトの虐殺は戦争で戦った敵を殺したのではない、一般国民の内、特に知識人・インテリ層を狙って虐殺したものだった。

そして虐殺したのはポルポト派(クメール・ルージュ)軍隊の中心にいた少年兵だった。

こんな事情がある。

 

 

この大虐殺については以下参照ください。

http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.html

 

 

此処にその大虐殺から約20年後、ポルポト派ナンバー2のイエン・サリ派の兵士の写真がある。

 

 

これは1996年にイエン・サリの本拠地パイリンに行った人がいて、その折撮影されたもの。

この年の暮れ、イエン・サリは自分の手勢約5千の兵士とともに政府に投降した。

イエン・サリの兵士はすべてカンボジア軍に配属されたと言う。

 

私には大虐殺時代の少年兵の20年後のように見えるのだが如何だろう。

 

 

此処からは全くの私の推測だが・・・

カンボジアの大虐殺はポルポト派の若い兵士が自分らの親・先生などの世代を虐殺したもの。

だから虐殺を命令したのはポルポト派幹部だが、実際に手を下したのは若い兵士、少年兵たち・・・つまり子どもが親の世代を殺したのだった

 

 

 

この事が未だにポルポトの虐殺についてカンボジアの人々が話したがらない理由ではないか。

 

しかし知識人の大半を殺してしまえば、残るのは言葉は悪いが馬鹿ばかり。

今のカンボジアの若者はこんなレベルなのだと思う。

そして社会の中枢を担うべき人たちは大虐殺を実際に行った人たち。

(1975年に13歳という事は、今50歳くらい・・・)

 

カンボジアだけは他のアセアン諸国とは全く違う事情を抱えている。

そんな一端の話、根が深い・・・

 

  1. カンボジア
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2012-10-15 18:30

カンボジアの前国王死去

  カンボジアのシハヌーク前国王が死去したと報じられている。

これはそれを伝える朝日新聞の報道。

 

<以下引用>

 

 

カンボジアシアヌーク前国王死去 滞在先の北京で

 

 【マニラ=佐々木学】カンボジアのシアヌーク前国王が15日未明、病気のため滞在先の北京で死去した。同国政府が発表した。89歳だった。植民地支配からの独立や20年以上続いた内戦の収拾にあたり、「独立の父」「国民統合の象徴」と言われた。

 

 政府関係者によると、前国王はがんの治療のため今年1月から北京に滞在していた。息子のシハモニ国王とフン・セン首相が15日北京に向かい、遺体を引き取るという。

 

 シアヌーク前国王はフランス統治下のプノンペンで生まれ、1941年に18歳で即位した。53年の独立達成後、父に王位を譲り、人民社会主義共同体(サンクム)を設立して総裁に就任。総選挙を経て首相となった。父の死後は国家元首を兼務し、東西冷戦の中で非同盟中立路線をとった。

 

・・・朝日新聞は電子化で有料の為この先は読めない・・・

 

http://www.asahi.com/international/update/1015/TKY201210150001.html

 

<引用終り>

 

この記事で朝日新聞を引用したのは、朝日新聞はカンボジア大虐殺について大誤報をし、未だに謝罪も訂正もしていないからなのだ。

(注:この辺り、従軍慰安婦問題と何とよく似ている事か・・)

 

 

 

尚朝日新聞の今日15日付夕刊と日経夕刊をチェックしてみた。

朝日新聞にはBBCが報じたような退位後北京と平壌にいたと言う記事は無い。

そしてシアヌークが推進した「王制社会主義」についても全く触れていない。

(注:日経は王制社会主義について記述あり)

 

 

その朝日新聞の大誤報。

1975年4月、ポルポト派のプノンペン侵攻を伝える記事だ。

 

 

和田俊

「粛正の危険は薄い? カンボジア解放側 アジア的優しさもつ」

朝日新聞1975年4月19日夕刊2面

朝日新聞はポルポト派のプノンペン侵攻の2日後、こんな記事を載せている。

詳細は以下参照ください。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/research/cambodia/wada750419.html

 

この大誤報から3年8か月と20日の間に、170万人から220万人、カンボジア国民の4人に一人といわれる数の人々が命を落としたという事実、朝日新聞はこの事に何か責任感を感じているだろうか。

 

 

 

さて本題に戻って、シハヌーク国王は若いころフランス留学していたこともあり、その頃の共産主義思想に染まっていた。

そして国王になると「王制社会主義」という何とも矛盾する考え方を打ち出し、社会主義国家を目指した。

こんな事が何回かのクーデターやポルポト派の拡大、そして大虐殺、果てしない内戦、その根っこには常にシハヌークの影が存在していた。

大虐殺の実行犯ポルポト派がその後も生き残って内戦になったのにはシハヌーク国王がポルポトを支持した経緯がある。

 

この間の事情は以下参照ください。

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/2589236/

 

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/2417228/

 

 

さて本題に戻って、このシハヌーク国王の死去で特に言いたいこと。

それはシハヌークが国王退位後北京と平壌に滞在していたこと。

 

この件は日本では報道されないのでBBCを参照ください。

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-19943963

 

 

In 2004, he announced he would step down in favour of one of his sons, the little-known Norodom Sihamoni. The former ballet dancer was crowned king in October 2004.

After that, Sihanouk spent much of his time overseas, in Beijing and Pyongyang.

シハヌークは2004年に退位してから主に北京と平壌に滞在していた。
 
 
そしてこの事から私が言いたいこと。
カンボジアは表面的にはアセアンの一員である。
しかし元国王は北京と平壌に滞在していた、つまり中国北朝鮮とはズブズブの関係だった、こう言って良いだろう。
この辺りに事情は上記リンク先参照ください。
 
 
 
現在のカンボジアはと言えば中国と韓国の植民地状態と言って良い。
だから韓国カンボジア北朝鮮、こんな繋がりがあるのだ。
 
そして北朝鮮人脈の先にはこんな人物も。
 
 
シハヌーク元国王の死で一つの時代は終わった。
しかしこの人脈は今も生きていると考えていいと思う。
 
遠いカンボジアの話だが、そんな所に空き缶が出てくる不思議。
世の中はホント分からないものである。

 

 

 

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2012-10-04 22:41

カンボジアの電力事情

  中国反日デモ騒ぎで露呈したチャイナリスク。

それで今アセアン諸国やインドに進出検討している企業が増えているようだ。

その中にカンボジアが含まれているが、私の個人的な意見だがカンボジアだけは十分考慮した方がいい所である。

 

その理由の一つが国全体として背伸び、外国からの援助・支援頼りの政策がある。

その一つの例としてエネルギー事情を見てみたい。

最近こんな報道があった。

 

<以下引用>

 

 

タイからの電力輸入枠拡大へ

2012年09月26日

 

 9月12日に開催されたASEANエネルギー相会議の際に、カンボジアのスイ・セン鉱工業エネルギー大臣は、タイのアラック・チョンラタノンエネルギー大臣と会談し、タイからの電力輸入枠の拡大を求め、タイ側と合意したとのことです。

カンボジアの西部の都市、バッタンバンやシェムリアップはタイからの輸入電力が重要な役割を果たしており、これまでの80~90MWから、合意後は120MWまで増加の見込みです。海岸沿いのコッコンでは、これまでの4MWから11MWに増加します。

カンボジアでは、建設中の水力発電所や送電線が完成するまでは、西部はタイからの輸入電力、プノンペンを含む東部ではベトナムからの輸入電力に頼らざるを得ない状況となっており、現在電力使用量の4割程度を輸入電力で賄っています。

 

 

http://blog.goo.ne.jp/economistphnompenh

 

<引用終り>

 

 

自国が使う電力の4割が近隣諸国の好意で回してもらったもの。

こんな事をするようでは基地外沙汰と言って良いだろう。

少なくともこんな必要があるのなら節電を呼びかけ、夜の過剰照明や昼間の冷房などを制限するべきだ。

 

そのカンボジアに電力を融通しているタイも自国の発電分だけでは足りないので隣国ラオスから電力を買っている。

 

タイは供給電力の約4%は隣国ラオスから買っている。

 

これはタイ東北部の最北、ラオスとの国境の町ノンカイから見たラオス側の送電鉄塔。この川は国境になっているメコン川。

 

メコン川を渡る高圧線の鉄塔。

手前側はタイの町ノンカイ、夜は煌々と灯りがついている。

対岸はラオス、しかし夜は真っ暗で全く灯りは見えない。だが昼間よく見ると人もいるし小さいながらも家もある。

ラオスは国家収入を主にタイ・ベトナムへ売る水力発電の電気代で賄っている。

国民に回す電力など無いのだ。

 

 

さてこんなカンボジアだがその国家の収支はと言うと

 

これはカンボジアの国際収支状況推移。

国際収支とは貿易収支+サービス収支+所得収支+経常移転収支の合計、

経常収支ともいう。

 

マッカッカの赤字が長年続いている。これで国が成り立つのだろうか。

 

もう一つ厄介な事、カンボジアは自国の中で通用するカネの9割はドルである。

自国の通貨はあるが少額の支払いだけ。

だから金が無くても自国の通貨を印刷して使う事も出来ない。(ドル化と言う)

 

こんな国家が存続できるのだろうか、第一電力を買うと言ってもその金はどこにあるのだろう。

外国からの投資・援助以外にこの赤字を補てんする方法などはない筈だ。

 

こんな国家は他には北朝鮮位しか思いつかない。

だからカンボジア中国、韓国といやに仲がいい

 

カンボジアに投資した企業の数についてのデータがあった。

 

 

カンボジアに進出した国企業数(2009年10月現在)

 

1) 中国      3,366社

2) 韓国      1,601社

3)シンガポール  1,102社

4)マレーシア    1,047社

5) タイ         986社

6) ベトナム      520社

中国企業は主にアパレル関係が多いようだ)

・・・日系企業は何処に???・・・

 

 

ンボジアだけは他のアセアン諸国とは全く違う国。

そう理解して注意すべき国である

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2012-10-02 12:13

和牛の輸出先トップにカンボジアが急浮上 中国への中継地か

   牛肉の世界のトップブランド「和牛」、この世界で異変が起きているらしい。

和牛の輸出先トップがカンボジア、2位がラオスだと言う。

カンボジア?、ラオス?、どちらもアセアンの中でも最貧国である。

そんな所へ無茶苦茶高価な和牛が輸出される、何とも奇妙な話だ。

(影の声:貧しい短足めには和牛など到底食べられない高嶺の花・・・涙)

 

だがこの話、当然裏がある。

そして日本人の矜持にかかわる話だと思う。

 

最初にその報道から

<以下news-postsevenより引用>

 

 

和牛の輸出先トップにカンボジアが急浮上 中国への中継地か

2012.09.30 16:00

 

 食の不安が巡る日本。その一方で、食肉のトップブランド和牛の世界に波紋が広がっている。(取材・文=ノンフィクションライター神田憲行)

 * * *

「○○牛」と名付けられるブランド和牛が日本にいくつあるのかご存じだろうか。答えは黒毛和種だけて156種類。それぞれが特色を打ち出して、世界的にも有名な「WAGYU」の世界でしのぎを削っている。

 その牛肉輸出で注目すべき「異変」が起きている。これまで日本の牛肉輸出で主要な取引国は、香港、マカオ米国だった。だが昨年、冷凍牛肉でカンボジアがシェア6割超とトップになった。今年4月から7月までの実績でもトップはカンボジアで、二位がラオスになっている(数字はいずれも独立行政法人 農畜産業振興機構のデータから)。日本国内でも高級品と言われる和牛を同国の一部の富裕層をのぞいて庶民がそう多く味わえるとは失礼ながら思えない。急浮上しているのもの謎だ。

 実は以前にも同様のことがあり、2007年から2009年まで同じく冷凍牛肉でベトナムが輸入国のトップになっている。しかもいずれもシェアは9割を超えている。これには日本の大手専門商社がベトナム現地の仲卸業者に赴いて、どういう食べられ方をされているのかヒアリングを試みたところ、驚くべき回答があったそうだ。

ベトナムは日本の肉なんか輸入していないというんですよ(笑)。れっきとした日本の統計資料に出ていると説明しても、見たことがないと首を振るんです。いったんベトナムに入れて、そこから他の国に回った可能性があります」(専門商社関係者)

 その先として推測されているのが、中国だ。中国は食肉市場を開放していない。だから密輸で回っているのでは……と先の関係者は言葉を濁す。

「推測でしかありません。でも私のところには上海の業者から『松阪牛を大量にわけてくれ』とダイレクトな注文電話が毎週のようにかかってくる。もちろんお断りしますけれど」(同)

 昨年はベトナムが輸出相手3位圏外に去り、カンボジアがトップ。今年に入って今まで一度も3位内に入ったことがないラオスが2位に。あくまで想像でしかないが、中国の密輸基地となっていたベトナムルートが何らかの事情で閉じて、代わりにカンボジアとラオスルートが浮上したのではないだろうか。

 そうした動きに日本側が眉をひそめているかというと、実はそうでもない。

「密輸は困りますけれど、正規ルートができれば、どんどん日本の高級和牛を中国に売りたい。食い尽くしてもらうぐらいの勢いで買いに来られても構わない」(同)

 将来、日本人が丹精込めた和牛のほとんどが、中国人富裕層のテーブルにのぼるという時代が来るかも知れない。国内の食肉生産量のうち輸出に回っているのは0.2%に過ぎないが、そこに日本の食卓の未来が占える。

 

http://www.news-postseven.com/archives/20120930_145735.html

 

実はこの報道で色々ググってみると2008年頃は和牛肉の密輸がいろいろ報道されていた。

例えばこんなのとか

http://diamond.jp/articles/-/6326

 

上記記事の中にはこんな話も

 

 上海の西、外国人居住区に立地するある店では、キロ当たり1500元(約2万2500円)で仕入れた和牛が、1日にして100キロはけるという。ここに出入りする闇業者は日本からキロ当たり9000円で買い付けてくるという。1日の取引だけで135万円の利益を上げることができる計算になる。

 

 

 

上記記事は2008年当時のモノ。

だから為替レートは1元=15円で計算されている、現在は12.5円位だが現在はどんな値段で売買されているのだろう。

いずれにしても凄い儲けになる筈だ。

 

上掲のnews-postsevenの記事にベトナムの事が出ている。

この頃のデータはこんなのだ。

なるほど、2008年に突出している。

これではベトナムで消費されるのではなく、更に密輸ルートに乗っていると考えるのが妥当な話だろう。

そしてこんなルートが何らかの理由で変わり、カンボジアとラオスになった、

これは納得できる。

 

 

しかし

>「密輸は困りますけれど、正規ルートができれば、どんどん日本の高級和牛を中国に売りたい。食い尽くしてもらうぐらいの勢いで買いに来られても構わない」

 

この意見は承服しかねる。

何故か、密輸が困ると言いながら「どんどん売りたい」と言っている。

つまり「俺たちは知らないから責任はない、密輸と分からないようにどんどんやってくれ」、こう言っている訳だ。

商売と言うものはそんなモノではない。最終の消費者が誰でどんな所で消費しているのか考えて商売するのが王道の筈。

密輸されてもいい等と言うのは商売道徳に反する話ではないだろうか。

 

 

こんな事が大々的に行われ、そこに莫大な利益が生まれる。

こんな事をしているから中国で反日感情の火種が尽きないのだ。

 

日本人なら正々堂々と日本産の牛肉の安全を主張し、正規のルートで売り込むべきだ。

そんな事の一つ一つが日本が世界に発信すべき日本の誇りなのではないかと思う。

 

密輸でも何でも儲かればいい、こんな考えの商売が成り立たないのは自明の理。

そうでは無いかね、そこのオジサン。

君らがそういう事を声を大にして言うべきなんだよ。

 

  オジサンはなかなか目が覚めないようだが・・・

 

 

 

 

閑話休題、

重い話はこれまでにして、我が家から遠からぬ所にこんなモノが・・・

 

 

中をのぞくと

 

こんにちは、ウシさん、

このウシさんは乳牛、良い天気なのでおいしい牛乳が沢山出ますよ。

 

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2012-02-07 15:26

アンコールの衰退を考える

  数ある世界遺産のうちでもピカイチ、それはアンコール・ワットでは無いだろうか。

(注:ワットは寺なのでアンコール・ワットはアンコールの寺、アンコールと言うとアンコールワットだけでなく全体を指すので、以下アンコールといいます)

 

さてアンコールがいかに素晴らしいか、先ずはこれをご覧ください。

これはアンコール・ワット

 

実に素晴らしい、世界遺産のピカイチだ。

このアンコール・ワットが出来た時代、アンコール王朝の絶頂期だった。

 

アンコールの衰退の歴史については以前のエントリーで取り上げた。

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/2343344/

 

今回取り上げたいのは前回のエントリーと重複する部分が有るが、現在の日本を考える上で非常に参考になることが有るので再度取り上げた次第。

 

分かりやすくする為、各年代で日本史の出来事を並べて見たので参考にしてください。

 

 

最初にアンコール朝の最大版図はこうなっている。

 

 

(西はタイのバンコクより更に西、)

(北は後のタイ最初の王都スコータイの更に先、或いは現在のラオスの首都ビエンチャンまで、)

(東はベトナム南部まで、)

この青い線は所謂王道、此処には要所要所に宿泊施設があり、診療所まで有った。

 

この最大版図がジャヤヴァルマン七世(1181-1220)の時代、

1181年といえば日本では平清盛が死んだ年、頼朝・義経が兵を挙げる直前の頃。

1220年はその前年(1219)源実朝が暗殺された頃。

そして隣国タイはまだ統一国家は無く、スコータイ朝(1238-1448)が出来るのはこれより18年も後のこと。

 

そしてアンコール朝の繁栄ぶりは1296年にこの地を訪れた中国人使節・周達観の真臘風土記に記されている。

(1296年は元寇・文永の役(1274)、公安の役(1281)の少し後)

 

真臘風土記によれば、カンボジア人は天文学に通じ、日食・月食を予測する事が出来た。

或いは市場には食料品が豊富にあったなど事細かく記載されている。この当時のにぎやかな様子を記載している。

 

 

最近の研究ではこの当時のアンコールの人口は75万人程度であったという。

 

そしてこの人口を支える為灌漑など治水工事も盛んに行なわれている。

 

これはその一つ、西バライという貯水池である。

 

 

巨大な貯水池である、長方形で東西8キロ、南北2.1キロにもなる。(西バライは現在でも使われている)

 

アンコールはこの様な巨大な物を作る財力・労働力・技術力を備えた国だったのだ。

 

 

この頃、後にアンコール朝を滅ぼすことになる隣国タイのアユタヤ朝はまだ出来ていない。アユタヤ朝は1351-1767である。

 

そしてこの後百数十年後の1431年、アンコールは侵攻してきたアユタヤ軍に敗北し、カンボジア南部の小国家になってしまった。

(1431年は日本では南北朝の統一(1392)の40年後)

 

 

簡単に言うと、1300年頃まではインドシナ半島で並ぶものの無い大国家。

それが百年そこそこの1431年には新興国アユタヤに滅ぼされるまでに衰退した。

こういう事である。

 

恐らく人口が激減していたのであろう。

そして最近分かった旱魃の存在、1362年ー1392年と1415年ー1440年は深刻な旱魃だった。

 

そこで参考になるのが30012001年3月、日本の上智大学調査チームによるアンコール遺跡発掘調査で見つかったもの。

バンテアイ・クデイ寺院で見つかった土中に埋められた仏像である 。

 

 

首を切られたりしているが、手厚く埋められた仏像が二百数十体。

これを見つけたカンボジア人研修生は思わず手を合わせたという。

 

 

私はこの話を発見直後の2001年8月に現地の通訳から聞いた。

 

 

これが通訳の子、可愛い子でしょう、でもこの子のお祖父さんはポルポトに殺されたとか・・・

 

 

話は仏像の話、この子は「つい最近有る寺院の境内から仏像が多数発見された」と一生懸命説明してくれた。

残念ながらこの当時私にはこんな知識は無く、何か凄い事だと一生懸命説明してくれているなあ、そんな認識しかなかった。

今にして思えばもっとシッカリ聞いておくべきだった・・・ 

 

 

この破壊された仏像が物語る事。

アンコール朝は従来ヒンズー教を信仰していた、しかし最大版図を築いたジャヤヴァルマン七世は大乗仏教を信仰、大乗仏教の寺や仏像を沢山作った。

しかしアンコール朝は王位継承のルールが無く、王位は政権争いで勝ち取るもの

そして新政権は前政権のやったことを全否定して、自分の存在を民衆に知らしめたのではないか。

 

次のジャヤヴァルマン八世がヒンズー教を信仰し、そこで前政権が信仰した仏教を否定、廃仏運動を起こし、仏像が破壊されたのではないか。

昨日まで信仰していた仏像を壊して埋めろ、民衆はそんな指示を出され涙ながらに埋めたのがこの仏像だった、そう思えるのだ。

 

 

この時寺には教師や官僚・技術者・職人などが所属していたので、この様なテクノラートが廃仏運動で僧侶と共にアンコールを去って行っのではないか。

そんな所に旱魃がやってきても、灌漑設備を調整したりして旱魃と戦う力が残っていなかった、そのように思える。

 

 

政権が変ったとき、前政権のやったことを全否定する・・・

これは現在の日本で起こっている

ジミンガー、ジミンガーの大合唱だ。

その一つが沖縄の普天間基地問題、アメリカなどは愛想をつかしている。

原発問題もそうだ、原発を3基も爆発させた空き缶より作ったジミンガー悪い。

 

そんな時国民は如何するか、

アンコールの人たちがやったように、国内には住める、仕事の出来る環境が無い、仕方なく外国に新天地を求めざるを得ないだろう。

 

国を作るのはたいへんな労力が要る、しかし滅ぼすのは簡単だ。

技術者や官僚等テクノラートを追い出せばよい

今日本で官僚叩きや技術者叩きが頻発している。

原発など今から勉強して技術者を目指そうなどという若者がいるだろうか、

 

50年も先の人口統計などを心配するヒマがあったら、もっと目の前の問題をしっかり見て欲しいと思っている。

少なくとも未来を託す若者に今何をしたらいいか、それを指し示すのは現在の世代の責任だと思う。

 

アンコールの衰退の歴史を見て、そんな思いを強くした次第。

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2012-02-05 10:36

ポルポト派裁判の最初の判決

  カンボジアのポルポト派の残虐行為を裁く国際裁判の最初の判決が確定した。

元収容所長に対する判決で、終身刑である

 

 

最初に裁判結果を伝える朝日新聞の報道,

何故朝日新聞か?、朝日新聞はポルポト報道に関しては重大な誤報を起こした事が有る。

そこで現在はどう報道するのか興味が有るためだ。

  

<以下引用>

 

 最高裁、元収容所長に終身刑=一審禁錮35年を破棄―ポト派裁判

2012年2月3日22時51分

         

 【バンコク時事】カンボジアで1970年代にあった旧ポル・ポト政権による大量虐殺を裁く特別法廷の最高裁は3日、人道に対する罪などに問われたトゥールスレン政治犯収容所の元所長カン・ケ・イウ被告(69)に対し、一審の禁錮35年を破棄し、終身刑を言い渡した。

 

 「20世紀でもっとも残虐な政権の一つ」とされたポル・ポト政権下の拷問や虐殺に関する判決が初めて確定した。一方、ポト派ナンバー2のヌオン・チア元人民代表議会議長(85)らの裁判は長期化が懸念されている。

 

 同法廷は二審制で、終身刑が最高刑。上訴審では日本の野口元郎氏が裁判官を務めた。判決で最高裁は被告が少なくとも1万2000人の死亡に関与したと認定。「被告の行為は極めて残虐であり、最高刑で処断するのが相当」と結論付けた。

 

 カン・ケ・イウ被告は一審の法廷で、罪を認めた上で被害者や遺族らに謝罪の言葉を繰り返した。捜査にも協力的だったことから、検察側は終身刑を回避し、禁錮40年を求刑した。

 

 しかし、一審の最終段階で突然、自らに対する裁判は不当だと述べて釈放を要求。上訴審でも、特別法廷が対象とする最高幹部ではないなどとして無罪を求めた。 

 

[時事通信社]

 

http://www.asahi.com/international/jiji/JJT201202030072.html

 

<引用終り>

 

 

 

あっさりした報道である。

朝日新聞はこの件は記者を派遣せず、時事通信の配信した物をそのまま流している。

 

これは裁判風景:裁判長に向かってカンボジア式の挨拶をするカン・ケ・イウ被告

 

この挨拶、タイ語では「ワイ」というのだが、クメール語では何というか寡聞にして私には知識が無い。

この一見平凡な年寄りに見える人物が大虐殺の加担していたのである。

 

 

 

冒頭述べたように、朝日新聞はポルポト派に関しては重大な誤報をした。

それがどんなものかと言うと

和田俊

「粛正の危険は薄い? カンボジア解放側 アジア的優しさもつ」

朝日新聞1975年4月19日夕刊2面

朝日新聞はポルポト派のプノンペン侵攻の2日後、こんな記事を載せている。

詳細は以下参照ください。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/research/cambodia/wada750419.html

 

この大誤報から3年8ヵ月と20日の間に、170万から220万人、カンボジア国民の4人に1人といわれる数の人々が命を落としたという事実、朝日新聞はこの事に何かの責任感を感じているのだろうか。

 

 

 

今回判決の出た元収容所長、この収容所で少なくとも1万2千人以上の人が拷問され、死亡しているのである。

 

 

 

そしてポルポト派と日本とは意外な所に接点が有る。

現在裁判が行なわれているポルポト派幹部の1人イエン・シリトと日本の菅直人前首相、こんな所で繋がっている。

 

<以下引用>

 

 

市民の党“機関紙” 菅首相、30年前から寄稿 よど号犯やポル・ポト派幹部

2011.7.17 22:09 (2/3ページ)

 

・・・前段省略・・・

 市民の党は今年4月の東京都三鷹市議選で、田宮元リーダーの長男を擁立したが、落選している。長男の母親は、55年に石岡亨さん=拉致当時(22)=と松木薫さん=同(26)=を欧州から北朝鮮に拉致したとして、結婚目的誘拐容疑で国際手配されている森順子(よりこ)容疑者(58)。森容疑者は北朝鮮にとどまっているとされる。

 

 同紙は世界の共産主義勢力と親密な関係を構築していたとみられ、58年にはカンボジアポル・ポト派幹部のイエン・チリト元社会問題相からもメッセージを受け取っていた。イエン氏は、今年6月に始まったポル・ポト派の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷に被告として出廷している。

 

・・・以下略・・・

詳細は下記参照ください

http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110717/crm11071722180012-p1.htm

 

現在のイエン・シリト

 

昨年8月、訴訟能力公開審査に臨むイエン・シリト

 

 

これは1996年頃のイエン・シリト(中央)、右は夫のイエン・サリ

なぜこんな写真を持ち出したかと言うと、この写真はタイとの国境に近いパイリンで撮影された。

彼らはそこでは軍隊も持っていて、このあたり特産の宝石(ルビー)などで資金を得ていた。

病気になればタイの病院に入院できた、そんな暮らしをしていたのだ。

 

 

今裁判中なのがイエン・シリトの他に、イエン・サリ、キュー・サムファン、ヌオン・チアだがいずれも高齢である。

特にイエン・シリトは認知症と見られており、裁判が行なえるかどうか分からない。

 

 

 

そして一番厄介なのがカンボジアの現首相フン・センをはじめ元ポルポト派が政権内部に沢山居る、

この為変な証拠が出てくると現政権にまで影響が及ぶ、だから現政権はこの裁判に協力的でない。

こんな厄介な話が有る。

 

 

そして丁度中国文化大革命(1966年ー1976年)の時期、このポルポト派の大虐殺には中国が深く関わっている、だからこの裁判には中国も非協力的。

 

そして朝日新聞はこの裁判に関しての日本の役割を野口元郎氏が裁判官を努めたとしか報道していない。

しかし日本は裁判費用の国連分担金5600万ドルの内約39%の2160万ドルを負担しているのである。

 

 

遠く離れた東南アジアの一角で三十数年前に起こった悲劇。

しかし此処には今の日本にも関係の有る、そして見逃し出来ない事実があるのだ。

 

この空き缶の中にも悪いものが詰まっていた様である。

 

  1. カンボジア
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