2016-12-14 14:41

ユダヤ人を救った日本人

 宮崎正弘さんのメルマガに読者の声という事で「PB生、千葉」さんという方の投稿が載っている。ユダヤ人を救った日本人がA級戦犯として処刑されたと言う話で大変面白い。
以下その投稿を紹介する。
その前に宮崎正弘さんの該当メルマガは此れ
http://melma.com/backnumber_45206_6460329/

<以下引用>

読者の声2)ユダヤ人問題についてはなんども話題になりますが、ネットで見つけた投稿は面白い。
「A級戦犯とユダヤ人」
・東条英機  -満州に逃げてきたユダヤ人に穏健な措置を取るように指示し、ドイツからの抗議を一蹴。 
・松岡洋右  -凍死寸前のユダヤ人難民のために列車を手配。神戸に来たユダヤ人の
ために便宜を計らう。 
・荒木貞夫  -文部大臣の時、ドイツから在日ユダヤ人教師の追放を要求されるも、
民族差別には 同意できないと拒否。 
・東郷重徳  -亡命ユダヤ人医師の婚約者を救出。恩義を感じたその医師は、東郷の
主治医となり、日本で死去。 
・広田弘毅  -命のビザを発給した杉原千畝の尊敬する人物。亡命ユダヤ人音楽家の
身元保証人となる。 
・板垣征四郎-五相会議において、ユダヤ人も公平に扱うべきと主張し、その結果、ユ
ダヤ人を公平に扱うのが日本の国策となった。 多くのユダヤ人を救った人物がA級戦犯にされた歴史を世界は知って居るのか? 
戦勝国にとって日本は絶対悪でなければならない。ゆえに日本がユダヤ人を助けた歴史は無視されます。旧満洲出身の指揮者、小澤征爾の名前は板垣征四郎と石原莞爾から一
字づつとった名前というのは有名です。
「A級戦犯」を祀っているとされる靖国神社、いずれ戦勝国の嘘が明らかになるにつれ、ユダヤ人を救った七聖人を祀った神社として、世界の聖地となってもおかしくない。
    (PB生、千葉)

<引用終り>

この「PB生、千葉」さんが参照したネット記事は多分これ辺りではないか
A級戦犯とユダヤ人
http://www.news-us.jp/article/430761441.html
ユダヤ人を救ったA級戦犯たち
http://d.hatena.ne.jp/ogura-osamu/20150202/1422874126
A級戦犯はユダヤ人を救ったヒーローだった
https://the-liberty.com/article.php?item_id=7730
(この最後の米国在住のユダヤ教のラビ(教師)マーヴィン・トケイヤー氏の話などはもっと世界に広めたい話と思う)


さてこれからが私が興味深く見たところ、それは・・・
もしもトランプ大統領が靖国神社を参拝したら、日本の戦後はやっと終わるのかもしれません。

安倍さんはオバマを広島に連れてきた。そして真珠湾にも行く。
そしてもう一つ、A級戦犯として不法な裁判で処刑された方たち、日本はA級戦犯ではないと決議しているのに、いまだにA級戦犯と国内でも言われ、特に韓国などはいまだにゴネている。この方たちの名誉回復しなければ日本の戦後は終わらないのではないか。

尚この不法に処刑された方の墓所は愛知県の三河湾を望む三ヶ根山頂に有る。

2016-12-14殉国七士廟
http://ki43.on.coocan.jp/index.html

なお三ヶ根山頂には他にもたくさんの戦没者慰霊碑がある。
何故そこにという話を若いころ取引先の大先輩から聞いたことがある。

大先輩の方は、なぜそこに自分らの部隊の慰霊碑を建立したかについて、
三ヶ根山からの景色はフィリピンの海の景色に似ている、だから慰霊碑を作る事になったのだが、他の人も思いは同じらしい。
その為どんどん慰霊碑が増えてゆく。」
そんな話だった。

三ヶ根山からの海の景色
2016-12-14三ヶ根山からの景色 




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2015-12-26 17:04

老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…


 産経新聞に大変興味深い記事が有った。
題して「老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…」

この話は私もこんなエントリーをしている。
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-763.html

しかし大変興味深い話なので以下全文引用する。

<以下引用>

2015.12.24 07:30
【戦後70年~東京裁判とGHQ(5完)】
老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…
http://www.sankei.com/premium/news/151224/prm1512240003-n1.html

2015-12-26マッカーサー凱旋パレード


 「老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。神が示すところに従い自己の任務を果たさんと試みた一人の老兵として。さようなら」

 1951年4月19日。米上下院合同会議で、連合国軍最高司令官(SCAP)として日本を占領統治した陸軍元帥のダグラス・マッカーサーは半時間の退任演説をこう締めくくった。

 後に第37代大統領となる共和党上院議員のリチャード・ニクソンは演説を聴き、その感激は自著「指導者とは」にこう記した。

 「マッカーサーは古代神話の英雄のようだった。彼の言葉は力強く議場全体が魔術にしびれ、演説は何度も拍手で中断された。ある上院議員は『共和党員は感激でまぶたを濡らし、民主党員は恐怖でパンツを濡らした』と語った…」

 8日前の11日、マッカーサーは第33代米大統領、ハリー・トルーマンに全ての役職を解任され、帰国した。人生の黄昏を感じさせる演説だが、心中は闘争心でみなぎっていた。

 マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでに叩き潰す腹づもりだったのだ。演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。

 米国内のマッカーサー人気は絶大だった。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。

   × × ×

 米上院軍事・外交合同委員会はマッカーサーを聴聞会に召喚した。テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。背景にはトルーマン政権に打撃を与えようという共和党の策謀があった。

 マッカーサーは快諾した。大統領選の指名争いに有利だと考えたからだ。狙い通り、世界中のメディアが聴聞会の動向に注目し、事前から大々的に報じた。

 5月3日の聴聞会初日。証言台に立ったマッカーサーは質問に誠実に応じ、1950年6月に勃発した朝鮮戦争の経緯をよどみなく説明し続けた。

 質問者の共和党上院議員、バーク・ヒッケンルーパーは「赤化中国を海と空から封鎖するという元帥の提案は米国が太平洋で日本を相手に勝利を収めた際の戦略と同じではないか」と質した。

 マッカーサーの戦略の正当性を補強するのが狙いだったが、マッカーサーの回答は予想外だった。

 「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」

 「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」

 「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」


 会場がどよめいた。証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになる。これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまう

 もっと言えば、5年8カ月にわたり日本を占領統治し「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねない。

 この発言は共和党の期待を裏切り、激しい怒りを買った。マッカーサー人気はこの後急速にしぼみ、大統領の夢は潰えた。

   × × ×

 なぜマッカーサーはこのような証言をしたのか。

 日本の「自衛戦争」を認めた理由についてマッカーサーは回顧録でも触れていない。だが、マッカーサーが朝鮮戦争でどのような戦略を描いたかを紐解くと答えが見えてくる。

 マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて北朝鮮の背後にいるソ連、中国(中華人民共和国)という共産主義国の脅威を痛感した。

 朝鮮と台湾が共産主義国の手に落ちれば、日本も危うく、極東での米国の陣地は失われ、防衛線は米西海岸まで後退しかねない。それを防ぐには朝鮮半島を死守するしかない。この見解は国務省や国防総省にも根強くあった。

 ところが、トルーマンは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が「中ソと徹底的に対立すれば、欧州はソ連の報復攻撃を受けかねない」と動揺したこともあり、北緯38度線付近で「痛み分け」にする策を練っていた。

 これに対して、マッカーサーは中国を海と空で封じ込め、毛沢東率いる共産党政権を倒さねば、将来の米国の安全を脅かすと主張して譲らなかった。これがトルーマンがマッカーサーを解任した理由だった。

   × × ×

 マッカーサーの主張は、その後の歴史をたどっても説得力がある。ただ、朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙するという戦略は、日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた戦略と変わりない。

 「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」

 マッカーサーはこうも語った。これは「米国は戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」と言っているのに等しい。

 マッカーサーは日本の占領統治と朝鮮戦争を通じて日本の地政学的な重要性に気づいたに違いない。「自衛戦争」発言は、自らの戦略の優位性を雄弁に語るうちにポロリと本音が出たとみるべきだろう。

   × × ×

 他にもマッカーサーは重要な証言を残した。

 民主党上院議員、ラッセル・ロングが「連合国軍総司令部(GHQ)は史上類を見ないほど成功したと指摘されている」と称えたところ、マッカーサーは真っ向から否定した。

 「そうした評価を私は受け入れない。勝利した国家が敗戦国を占領するという考え方がよい結果を生み出すことはない。いくつか例外があるだけだ」

 「交戦終了後は、懲罰的意味合いや、占領国の特定の人物に対する恨みを持ち込むべきではない」

 それならば日本の占領統治や東京裁判は一体何だったのかとなるが、これ以上の追及はなかった。

 別の上院議員から広島、長崎の原爆被害を問われると「熟知している。数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも残酷極まるものだった」と答えた。原爆投下を指示したトルーマンを批判したかったようだが、原爆を「虐殺」と表現した意義は大きい。

 このように3日間続いた聴聞会でのマッカーサー証言は日本人を喜ばせたが、ある発言で一転して激しい怒りと失望を招いた。

 「科学、芸術、神学、文化においてアングロサクソンが45歳だとすれば、ドイツ人も同程度に成熟していた。日本人はまだわれわれの45歳に対して12歳の少年のようである」

 ただ、この発言の前後で「学びの段階に新しい思考様式を取り入れるのも柔軟だ。日本人は新しい思考に対して非常に弾力性に富み、受容力がある」とも述べている。「日本人の柔軟性」をよい意味で少年に例えたといえなくもない。

 日本人は大戦で勇猛に戦い、米軍を震撼させながら、敗戦後は驚くほど従順でマッカーサーの治世を称賛した。マッカーサーにはその姿が「12歳の少年」に映ったのではないか。

   × × ×

 1952年7月の共和党大会で、かつての部下で欧州戦線の最高司令官を務めたドワイト・アイゼンハワーが指名され、1953年に第34代大統領に就任した。

 マッカーサーは引退し、ニューヨークのホテル・ウォルドーフ・アストリアのスイートルームで愛妻ジーンと余生を過ごした。軍人時代と同じく常に居間を歩き回り、昼寝を欠かさない規則正しい生活を送った。

 マッカーサーを尊敬するニクソンは、GHQ民政局長だったコートニー・ホイットニーを通じてホテルの自室に招かれ、その後何度も教えを請うた。ただ、欠点も見抜いていた。

 「マッカーサーの最大の過誤は政治的野心を公然と示し、軍事的声望を政治的資産に転じようとしたことだった…」

 1964年4月5日午後2時39分、マッカーサーはワシントン近郊のウォルター・リード陸軍病院で84年の生涯を閉じた。ポトマック川岸は桜が満開だった。

 元首相、吉田茂は産経新聞に「天皇制守った恩人」と題した追悼文を寄せた。昭和天皇も米大統領宛に弔電を打った。葬儀は8日に米議会議事堂で営まれ、吉田も参列した。

 毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人生だった。マッカーサーの評価は日本でもなお定まらない。ただ、上院聴聞会での証言は軍人マッカーサーの偽らざる思いであり、一種の懺悔(ざんげ)だったのかもしれない。その遺体はバージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館にジーンとともに葬られている。

(敬称略)
 この連載は石橋文登、花房壮、峯匡孝、加納宏幸、森本充、今仲信博、田中一世が担当しました。
<引用終り>


マッカーサーがこの証言をしてから64年、しかしこの証言の言っている「本当に戦わねばいけなかったのは中共だった」、この事は現在日を追って正しかったことが分かってきている。

証言するマッカーサー
2015-12-26マッカーサーの上院での証言風景

またマッカーサーは東京裁判も批判している。以下動画参照ください。



関連エントリー
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-900.html



日本が戦後70年の総決算として、産経新聞がこの話を掲載したのは良く理解できる。
しかしもう少しこの話を深読みしてみたい。
明らかにアメリカの空気が変わってきた。中国にやりたい放題させていたお蔭で今地球が壊れそうなところまで来てしまっている。
そんな危機感をアメリカも気が付いたように思う。

いずれにしても事実を正確に知ることは良い事だ。
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2015-03-18 23:11

西洋は無敵でないこと示した日本 <トインビーの言葉です

 藤井厳喜(ふじい・げんき)さんがZAKZAKに面白い事を書いている。
もう40年も前に亡くなったイギリスの歴史家アーノルド・トインビーがこんな事を言っていると紹介しているのだが、その中身が大変興味深い。




<以下引用>
【日本に魅せられた 西洋の知性】アーノルド・J・トインビー 西洋は無敵でないこと示した日本
2015.03.18
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150318/dms1503181550005-n1.htm

 アーノルド・J・トインビー(1889-1975)は英国を代表する大歴史家であり、日本を独立した一文明圏としてとらえ、日本に好意的な態度を示してくれたことで知られている

 衰退期の大英帝国は少数の傑出した知的巨人を輩出した。数学基礎論・哲学のバートランド・ラッセル、経済学のジョン・メイナード・ケインズ、戯曲家・批評家のジョージ・バーナード・ショー、文学者で多言語話者のアーサー・ウェイリー(杜甫、李白、『源氏物語』などの英訳で有名)らだ。

 彼らの業績はいずれも極めて普遍主義的であるところに特徴があるが、トインビーも彼らと肩を並べる知的巨人である。

 トインビーの主著は比較歴史学の大著『歴史の研究』12巻(1934-61)である。彼は人類の歴史を26の文明の興亡として捉え、その興隆と衰亡を同じ枠組みで説明した。

 トインビーによれば、1つの文明圏は、エリート指導者から構成された創造的な少数の人間のリーダーシップの下で、外部からの挑戦(呼びかけ)に、的確に対応(応答)することにより、興隆するという。日本では1960年代から70年代にトインビーは人気があり、主著を含め多くの著作が刊行された。

 最近、彼の名前は忘れ去られた感があるが、彼は英国人であるにも関わらず、日本の戦争に関して極めて客観的で、親日的ですらある発言をしてくれている。第2次世界大戦に関して彼はいう。

 「アジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明した。これはまさに歴史的な偉業であった。…日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである。」(英オブザーバー紙、1956年10月28日)
(注:この部分は『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(ヘンリー・s・ストークス 祥伝社 2012年) の中の記述が出典の様です。)

 「1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していた。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の士気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである(ベトナム戦争での米国の苦戦:訳注)」(毎日新聞、68年3月22日)

 また、トインビーは1967年に伊勢神宮(三重県伊勢市)を訪れたとき、こう記帳している。

 「私はここ聖地において、すべての宗教が根源的に統一されたものであることを実感する」

 トインビーは詩人的な開かれた感受性で、汎神論的な日本の精神風土を正確に把握している。多くの西洋人は神道を、未開のアニミズムないし野蛮な多神教としてしか捉えないが、彼は神道の中にこそ、宗教の原初的な普遍性を発見していたのだった。これが日本への賛歌(=オマージュ)でなくして何だろう。 (敬称略)

 ■藤井厳喜(ふじい・げんき)

<引用終り>

日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまった

このトインビーの言葉をクネたん始めすべての韓国の人に贈りたい。
あなた方が信奉してやまない大英帝国様の大歴史学者トインビーが、日本は西欧の帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったと言っている。
つまり日本は帝国ではあったが帝国主義ではないかった。
植民地支配もしていなかった。人種差別もしていなかったと言っているのである。


今年は敗戦から70年だが、中韓が仕掛けた歴史戦争でこの辺りの事が散々話題になると思う。
多くの人に少しでも事実を知って貰いたいものだ。
尚アセアン諸国やインドなどで仕事をした人は皆さんわかる筈だと思う。日本はアジア諸国を侵略していない。戦った相手はアジア諸国を植民地支配していたアメリカ・イギリス・オランダなどであることを。
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2015-01-14 11:53

広島への原爆投下「最も恐ろしい惨事」ローマ法王、平和訴え

 今年は戦後70年の節目の年、これからも色々そんな関連の報道があるだろうが、最初はローマ法王(教皇)のこんな話から。

<以下引用>


広島への原爆投下「最も恐ろしい惨事」ローマ法王、平和訴え
2015.01.13

2015-1-14ローマ法王新年あいさつ

 12日、バチカンで、外交団に話をするローマ法王フランシスコ(中央)(ロイター=共同)

 「1945年8月6日、われわれは人類史上、最も恐ろしい惨事の一つを目撃した」。ローマ法王フランシスコは12日、バチカンで行った各国の駐バチカン大使ら外交団に対する新年のあいさつで広島への原爆投下に触れ、今年が第2次大戦終結から70年に当たることを念頭に平和な世界を構築するよう訴えた。

 法王は、原爆投下について「前代未聞の新しい手段で、世界は初めて人類の破壊力のすごさを経験した」と指摘。大戦という悲劇の灰から各国の間に対話の意思が生まれ、国連の創設につながったとして、世界の平和と発展のために国連が果たす役割に期待を示した。

 ウクライナや中東、アフリカなど世界各地で紛争が続く中、「各国政府や国際社会はあらゆる形の戦闘や憎悪、暴力を終わらせ、和解と平和、人間の尊厳を追求するように」とも求めた。(共同)

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150113/frn1501131619009-n1.htm

<引用終り>

 ローマ法王(教皇)が原爆の問題についてこんな言葉を発することは今までなかったと思う。
日本は敗戦国という事で無理矢理自虐史観を押し付けられ、言いたい事も言えない風潮を作り上げられてきた。
しかし戦後70年、未だに従軍慰安婦だの南京大虐殺だのと有りもしない事を世界中で言われている。
そんな事を転換するいいチャンスがやってきたのだと思う。

問題は中国や韓国が相手ではない、アメリカとの言論戦である。
従軍慰安婦にしても南京大虐殺にしても、中国・韓国の論理は「アメリカ様が言ってるだろ、だから正しいんだ」。
こんなモノを一つずつ打破していかないといけないと思う。

所で渡部昇一先生は原爆、そして東京大空襲について「ホロコースト」である。だからアメリカに対しハッキリそう言えばいい。そう言っている。
広島への原爆投下は「Atomic holocaust in Hiroshima」で良い。
それから東京大空襲は「Bombing holocaust in Tokyo」で良いんだ。こう馬淵睦夫氏との対談本で語っています。
(出典:「日本の敵 グローバリズムの正体」 渡部昇一、馬淵睦夫著 14年3月 飛鳥新社刊 P36)

所で産経の阿比留さんが原爆ではないが東京大空襲について良い記事を書いているので紹介しよう。
米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない
http://www.sankei.com/politics/news/150112/plt1501120017-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/150112/plt1501120017-n2.html
http://www.sankei.com/politics/news/150112/plt1501120017-n3.html

間もなく3月10日が来る。3.11では無い、3月10日は東京大空襲の日。
3.11は悲惨な日だったが、それよりはるかに多くの非戦闘員が殺された日なのだ。
この東京大空襲については別の機会にエントリーしたいと思います。
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2014-12-30 10:52

米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず

 やや旧聞に属するのだが先月産経にこんな記事が有った。
「米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに」
http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

この記事を見た時最初に感じたこと。それは良いモノが見つかった、元々デタラメな慰安婦騒動、韓国に対する良い反論の資料だ、こんな風に考えていた。
しかしどうにも私的には納得しがたい、そこで少し調べてみた。
何が気になったのか。
最初に、実に8年もの時間をかけて膨大な調査をしている、どうしてここまでしなければならないのか。
二番目に、膨大な調査の結果は2007年に公表されたのになぜ今まで話題にもならなかったのか。
三番目に、そもそも調査開始は2000年、クリントン政権時代の事。どうしてこんな時期に調査し始めたのか。
こんな疑問だった。


まず最初に産経の報道を見てみたい。

<以下引用>

2014.11.27 05:10

米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに

【どうなる日韓関係】
 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。

 米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。

 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。

 日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。

 報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。

 IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した。

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。(ワシントン駐在客員特派員・古森義久)



 【ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 
クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。

<引用終り>


この問題は1991年のソ連崩壊でアメリカの敵がソ連で無くなった、そこで以前から底流として流れていた「アメリカの反日」が浮上してきたものと見ていいだろう。
しかしそこに何故朝鮮人の慰安婦問題が出てくるのか、調べてきて最後に行きついたのがこんな事だった。

これは1945年8月14日、日本の降伏を伝えるNYT報道
(時差の関係で8月14日になっている)
2014-12-308月14日のNYT紙面

全文は下記リンク先参照ください
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/990814onthisday_big.html#top

そこの冒頭はこんな記事
Special to The New York Times

Washington, Aug. 14 -- Japan today unconditionally surrendered the hemispheric empire taken by force and held almost intact for more than two years against the rising power of the United States and its Allies in the Pacific war.

The bloody dream of the Japanese military caste vanished in the text of a note to the Four Powers accepting the terms of the Potsdam Declaration of July 26, 1945, which amplified the Cairo Declaration of 1943.


此処で言うthe Potsdam Declaration of July 26, 1945, これはポツダム宣言の事。日本人もポツダム宣言を受け入れて降伏したことは知っている。
しかし the Cairo Declaration of 1943 これはカイロ宣言だがこれについては私も殆んど知識が無かった。

しかしカイロ宣言を見るとこんな事が書いてある。
カイロ宣言wikiによると

カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
以下はカイロ宣言の日本語訳[1]。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ 各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ。
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」

<引用此処まで>

このカイロ宣言はアメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル首相、そして中国の蒋介石の三者で話し合われたもの。
そしてこの短い宣言文がその後のポツダム宣言、その後のGHQによる占領政策へと引き継がれている。

この中に「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態」として特別に一文が入っている。
日本はチョウセンを奴隷支配した、これがアメリカの基本政策、フランクリン・ルーズベルト大統領の基本政策なのだ。

そして重要なのはアメリカの歴代大統領で最も尊敬されている3人の大統領として、ワシントン、リンカーンと並び最も尊敬されているの一人がフランクリン・ルーズベルトなのだ。

朝鮮人民の奴隷状態からの解放、なにを馬鹿な事をいっとるか、日本人はよその国の人民を奴隷にしたことなど歴史上皆無だ。日本人ならだれでもそう思う。

しかしアメリカにとって自国の人種差別問題、奴隷問題は実に頭の痛い問題。
そして日本には奴隷問題など全くないのがフランクリン・ルーズベルトには全く気に入らない事だったのだ。

しかしフランクリン・ルーズベルトはその後急死してしまう。
正にこの所が「ルーズベルトの遺訓」になってしまっているのだ。

今回のアメリカの総力を挙げて日本が朝鮮人を奴隷支配した証拠探しをした。実に8年がかりでやった結果はそんな証拠は皆無。
アメリカとしては「あの偉大なルーズベルト大統領の遺訓」、それの証拠探しをしたのに見つからない。
こんな結果だと思う。
だからこんな事がマスコミにも握りつぶされ、最近になってやっと日の目を見ることになった。

2015年は日本・日本人にとっての重大事。
アメリカにとって、アメリカ人にとって、最も偉大と思い敬愛する大統領。
あの偉大なフランクリン・ルーズベルトの遺訓を訂正する、こんな大仕事が必要なのだ。

間もなく2015年、戦後70年。
この節目に日本人が本当の日本を取り戻す、そんな歳にしたいと思います。

尚この朝鮮奴隷支配からの解放、こんなわけのわからない話が独り歩きし、韓国が戦勝国だと言ってみたりする。
或いはクネたんが告げ口外交に邁進する。
或いは在日韓国・朝鮮人が戦後大暴れした、こんな事の原因になっているんだと思っています。

この韓国人大暴れについては友遊さんが実際見聞きした生の話をアップされているので、それも参考にしていただきたいと思います。
http://yuyuu2013.blog.fc2.com/blog-entry-4148.html
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2013-08-18 07:30

自虐史観脱却

 yuyuuさんのブログに「マッカーサーの告白」と言うのが上程された。

http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/3160593/

 

私もこの話は知ってはいたものの正確には何を言っていたのか知識が無かった。

原文と対訳が有ったのでそれを見てみたい。

 

これは芋太郎さんの広場ブログから

 

昭和26年(1951年)5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答の一部です。

 

対訳 マッカーサー証言

 

Strategy Against Japan In World War II

第二次世界大戦における対日戦略

 

Senator Hickenlooper.

ヒッケンルーパー上院議員

 

Question No. 5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

5番目の質問です。赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。

 

General MacArthur.

マッカーサー将軍

 

Yes, sir.

そうです。

 

In the Pacific we bypassed them.

太平洋では、米国は日本を迂回しました。

 

We closed in.

そして閉じ込めたのです。

 

You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands.

日本が抱える八千万人に近い膨大な人口は、四つの島に詰め込まれていたということをご理解いただく必要があります。

 

It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.

そのおよそ半分は農業人口であり、残りの半分は工業に従事していました。

 

Potentially the labor pool in Japan, both in quantity and quality, is as good as anything that I have ever known.

潜在的に、日本における予備労働力は、量的にも質的にも、私が知る限りどこにも劣らぬ優れたものです。

 

Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.

いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。

 

This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.

このように膨大な労働能力が存在するということは、彼らには、何か働くための対象が必要なことを意味しました。

 

They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.

彼らは、工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本資材を保有していませんでした。

 

There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.

日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。

 

They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.

彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。

 

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.

これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。

 

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。

 

 

 上記のマッカーサー証言は、昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答の一部です。

 

参考文献 

『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎、講談社学術文庫

 

http://www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html

 

<引用終り>

 

以上の話が平成24年度から東京都立高校の教材に掲載されて全生徒に配布されることになった。

大変すばらしい事である。報道は以下参照ください。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n2.htm

 

 

この夏、中韓は正に発狂状態になっている。

しかし特亜諸国が発狂する位日本が正しい方向に向き始めた証拠。

 

2013年が戦後の長い自虐史観から脱却する、丁度いい機会ではないか。

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2013-07-21 10:55

こんな日本にだれが・・・<投票日に思う事

  今日は参議院選挙の投票日ですね。

新しい日本を作るため、是非とも投票をお願いします。

 

 

所でこんな日本になってしまった、何が悪かったのかをもう一度考えてみました。

 

最初にこんなグラフ、これは財務省が公表しているモノ

 

http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/003.htm

 

このグラフは通称「鰐のクチ」と言われるもので、政府の歳出(上の折れ線)が増え続け、政府の歳入(下の折れ線)が減り続け、正に鰐がパックリ大きな口をあけているように見えるもの。

下の棒グラフは公債の発行高つまり借金、これも増え続けている。

 

所でよく見るといくつかターニングポイントが有る。

一つ目は税収が減少に転じた平成3年(1991年)だがこれはちょっと置いといて・・・

 

二つ目は税収がさらに減って、歳出がさらに増え、公債が急増した平成10年(1998年)である。鰐がさらにパクッと口を大きく開けた年だ

この時期に私が以前から注目していrのだが、特徴的な事が沢山ある。

自殺者が年間3万人に急増し、どんな対策も効果なく2011年までそのペースだった。

自殺者推移

 

サラリーマンの年収が減り始めたのもこの年。

 

そして山一證券や北海道拓殖銀行などの大手企業が倒産したのもこの頃だった。

 

 

この頃は橋本龍太郎政権の時代。

自民党政権じゃないかと言われるだろうがちょっと待ってほしい。

橋龍政権は第一次は自社さ連立政権、第二次は社さは閣外協力だが「社さ」の影響力が結構大きかった。

 

影響力が大きい??

大したことないだろうと考えがちだが実は「社さ」は少数ながら絶大な力を持っていた。拒否権である。

連立、閣外協力する見返りに「社さ」連中は拒否権を手に入れたのだった。

その拒否権の恐ろしさは今回の参院選直前の参議院で見ることが出来た

民主党はネジレを利用して重要法案をことごとく廃案に追い込んでしまった。

こういう方法で特にさきがけ連中は少数ながら絶大な力を発揮していた。

橋龍政権は社さ連中に「キ〇〇マ」を握られていたのである。

(橋龍は中狂の女スパイにも「キ〇〇マ」を握られていた・・・情けない!)

 

その「さきがけ」にはその後の民主党の中心人物がウヨウヨ。

そのうちの一人がコイツ

 

 

此奴は自分が首相を退陣する時「原発は簡単には再開させないぞ。そのように仕組んである」、こう言って引き下がっていった。

事態はその通り、未だにああでもない、こうでもないの不毛な議論がまかり通っている。

つまりアチコチニ拒否権を一杯仕込んであるのだ。

 

 

 

三つ目のターニングポイント、それが平成21年(2009年)の民主党政権。

ここで税収はさらに落ち込み、バラマキ政治で歳出はさらに大きく増加してしまった。鰐がさらに大きな口を開けた状態である。

この不毛な3年半で失ったものはあまりにも大きい。

 

何としても日本再生、その為にこんな不潔な「おむつ頭」一味は廃棄処分せねばなりません。

今日がそのチャンスです。

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2013-06-19 15:57

永年の膿を出すときが来た

  先日外務省改革が始まる」をエントリーした。

そしてその時良く分からないが、何か大きな問題があると思っていたことが明らかになった。

外務省田中均氏の件である。

 

この件で産経の阿比留瑠比さんが凄い事を指摘している。

以下安倍首相のFBと阿比留瑠比さんの記事を並べてみる。

 

 

最初に安倍首相のフェースブック。

これは丸山光三さんのエントリーから。

 

<以下引用>

 

安倍総理@顔本、田中均に外交を語る資格なし 

 

 

毎日新聞のコラムで元外務省の田中均氏が、安倍政権の外交政策について語っています。
このインタビューを読んで、私は11年前の官房副長官室での出来事を思い出しました。

拉致被害者5人を北朝鮮の要求通り返すのかどうか。
彼は被害者の皆さんの「日本に残って子供たちを待つ」との考えを覆してでも北朝鮮の要求通り北朝鮮に送り返すべきだと強く主張しました。
私は職を賭してでも「日本に残すべきだ」と判断し、小泉総理の了解をとり5人の被害者は日本に留まりました。
予想通りその判断は毎日新聞や一部マスコミからも批判的に報道されました。

しかし、その後 田中均局長を通し伝えられた北朝鮮の主張の多くがデタラメであった事が拉致被害者の証言等を通じ明らかになりました。
あの時田中均局長の判断が通っていたら5人の被害者や子供たちはいまだに北朝鮮に閉じ込められていた事でしょう。

外交官として決定的判断ミスと言えるでしょう。それ以前の問題かもしれません。
そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません。
 
写真: 毎日新聞のコラムで元外務省の田中均氏が、安倍政権の外交政策について語っています。 このインタビューを読んで、私は11年前の官房副長官室での出来事を思い出しました。 拉致被害者5人を北朝鮮の要求通り返すのかどうか。 彼は被害者の皆さんの「日本に残って子供たちを待つ」との考えを覆してでも北朝鮮の要求通り北朝鮮に送り返すべきだと強く主張しました。 私は職を賭してでも「日本に残すべきだ」と判断し、小泉総理の了解をとり5人の被害者は日本に留まりました。 予想通りその判断は毎日新聞や一部マスコミからも批判的に報道されました。 しかし、その後 田中均局長を通し伝えられた北朝鮮の主張の多くがデタラメであった事が拉致被害者の証言等を通じ明らかになりました。 あの時田中均局長の判断が通っていたら5人の被害者や子供たちはいまだに北朝鮮に閉じ込められていた事でしょう。 外交官として決定的判断ミスと言えるでしょう。それ以前の問題かもしれません。 そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません。

 

<安倍総理の顔本 http://www.facebook.com/abeshinzo より転載>

 

<引用終り>

 

次にこれが阿比留瑠比さんの記事

 

<以下引用>

 

安倍首相「FB発言」の重大性:阿比留 瑠比

安倍晋三首相が交流サイト「フェイスブック」への投稿で、小泉政権時代の田中均元外務審議官による対北朝鮮外交を批判し、「彼に外交を語る資格はありません」と記したことが波紋を広げている。これに民主党の細野豪志幹事長や朝日新聞が「個人攻撃だ」と噛み付き、首相に自制を促すという展開になっている。18日付朝日社説は田中氏を擁護しこう書いた。「この批判は筋違いだ。田中氏は外交官として、政治家が決断するための選択肢を示した…」だが、細野氏や朝日は首相の投稿の一番重大な部分を、読み落とすか無 視するかしているようだ。首相は「外交を語る資格はない」と書いた直前 のセンテンスで、こう指摘している。「そもそも彼は交渉記録を一部残していません」首相は、田中氏が主導した北朝鮮との秘密交渉の記録の一部が欠落していることを初めて公にし、その前提の上で田中氏の問題点を問うているのである。筆者は過去に複数の政府高官から、次のような証言を得ている(平成 20年2月9日付産経紙面で既報)。 田中氏が北京などで北朝鮮側の「ミスター」らと30回近く非公式折 衝を実施したうち、14年8月30日に政府が当時の小泉純一郎首相の初 訪朝を発表し、9月17日に金正日総書記と日朝首脳会談を行うまでの間 の2回分の交渉記録が外務省内に残されていない-というのがその概要で ある。通例、外交上の重要な会談・交渉はすべて記録に残して幹部や担当者で情報を共有し、一定期間を経て国民に公開される。そうしないと、外交の継続性や積み上げてきた成果は無に帰するし、どんな密約が交わされていても分からない。当時、取材に応じた高官の一人は「日朝間で拉致問題や経済協力問題につ いてどう話し合われたのかが分からない」と困惑し、別の一人は「記録に残すとだれかにとって都合が悪かったということ」と語った。田中氏自身は取材に「私は今は外務省にいる人間ではないし、知らない。外務省に聞いてほしい」などと答えた。その後、日朝交渉や拉致問題 に関する産経の取材には応じていない。産経の報道に対し、当時の高村正彦外相はコメントを避けたが、今回、安倍首相が自ら言及した形だ。外交ジャーナリスト、手嶋龍一氏の小説「ウルトラ・ダラー」には、田中氏がモデルとみられる「瀧澤アジア大洋州局長」が登場し、日朝交渉を取り仕切る。作中で瀧澤が交渉記録を作成していないことに気付いた登場人物が、こう憤るシーンが印象的だった。「外交官としてもっとも忌むべき背徳を、しかも意図してやっていた者がいた」首相の指摘は単なる「個人攻撃」や「筋違い」ではない。(政治部編集委員)【阿比留瑠比の極言御免】産経ニュース2013.6.19 08:10
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/3109018/
 
<引用終り>
 
 
 
この田中均について、wikiでは北朝鮮との交渉に関して以下の様に書いている。
 
<以下引用>
小泉純一郎政権の2001年にアジア大洋州局長に就任すると、同年末から30回以上に及ぶ北朝鮮代表者「ミスターX」との水面下の交渉を担当。官邸・外務省の限られたスタッフしか交渉の詳細を知らないという極秘の形で進められたが、総理とはこの間80回に渡って面談して官邸主導のスタイルで北朝鮮側との信頼関係を築き、2002年9月の歴史的な首脳会談実現の立役者となった。
 
<引用終り>
 
 
外務省のアジア大洋州局長と言う要職についていた人間である。
そんな奴がこんな売国奴だったのだ
 
安倍首相もこんな事を公にする以上、相当の証拠をつかんでいる筈。
少なくとも外務省の蛆虫リストなどは持っている筈である。
 
いよいよ外務省、マスゴミの浄化が始まる、日本にとって避けて通れな道。
痛みがあるだろうが、それを乗り越えてこそ明日が開ける。
そんな思いを強くした次第。

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2013-06-11 16:22

戦前の日本の失敗を繰り返すな

  最近昔話を思い出している。

もう何十年も前、その頃20歳代だったなあ・・・(遠い目・・・)、その頃これからのモノ造りはどうあるべきか、プレス金型などの分野を中心に仲間といつも議論をしていた。

 

そんな折いつも言っていたのが「日本は何故戦争に負けたのか、モノ造りの面で考えてみよう」だった。

例えば日本の戦闘機とアメリカの戦闘機、どちらが優れていたのか、性能的には互角以上の性能を持った戦闘機が何故負けてしまったのか。

確かに日本の戦闘機は小型で高性能だった、しかしその整備には熟練整備士が2日も3日もかかる。一方アメリカのモノは大きく重い。しかし整備は簡単ですぐ次の作戦に使うことが出来た。

日本の戦闘機は一度作戦に出たら3日は飛べない。しかしアメリカのモノは毎日でも飛ぶことが出来る。性能以前にこんな差が有ったのだ。

 

では具体的には何が違っていたのか。日本のモノは小さい所には小さいボルト、大きい所には大きいボルト、だからそれだけの部品在庫を持ち、使う工具(例えばスパナ)も何種類も必要だった。

一方アメリカ製はそんな所を全部統一して一種類のボルト、だから部品在庫も種類が少ない、工具も少ない。その反面贅肉が多く、重量も重いが非熟練整備士でも整備できる。どちらが良かったのだろうか。

 

そんな事をしていたとき仲間の一人がこんな事を言った。

「昔ベーブルースが日本に来たことが有る、知っているだろう(確か昭和9年だった)。 その時日本各地で親善試合をし、各地でたくさんの写真を撮った。所がその写真が後に日本各都市を爆撃したときの爆撃目標決定の重要資料になった。こんな事実が有る。将来を見据えてと言うのはこう言う事だ。アメリカは長期的な戦略を考えている、これをシッカリ考えないといけない。」

この話を聞いて絶句したことを覚えている。

ベーブルース来日は昭和9年(1934年)11月

まさかこの7年後、日米が戦うとは日本人は誰も想像だにしていなかった。

 

 

何故こんな話を持ち出したのか。

現在の中国の動きの異常さと欧米のマスゴミの日本叩きである。日本の尖閣諸島だけでなく沖縄まで俺のモノと主張するような中国の動き動き。そして従軍慰安婦・南京大虐殺の様に出鱈目を主張するのだが、欧米・特にアメリカのマスゴミの日本たたきの異常さ。

こんな所が実は戦前日本が大東亜戦争に引きずり込まれた、その状況ととてもよく似ているからなのだ。

 

 

 

今こんな本を読んでいる。昨年末手に入れたのだが読み直しているのだ。

 

ルーズヴェルトというアメリカ大統領は二人いるが、これは第32代大統領フランクリン・ルーズヴェルト(在職1933年~1945年)。

アメリカ歴代大統領で唯一4選を果たした大統領であり、また唯一重度の身体障害を持つ大統領でもある。

歴代大統領の人気ランキングではワシントン、リンカーンに次ぐ3位に評価されるなど未だにアメリカでは人気は高い。

 

しかしその評価は人によって大きく異なる。

上掲の本は1995年に公表されたヴェノナ文書というアメリカ国内にいた旧ソ連のスパイがソ連と交信した記録を傍受解析して分かったアメリカ国内のスパイ、その話である。この文書をヴェノナ文書と言う。

このヴェノナ文書で分かった事だがフランクリン・ルーズヴェルトの周辺には旧ソ連のスパイが正にウヨウヨいた。政権の中枢にも食い込んでいた。

 

 このヴェノナ文書がいかに衝撃的であったかは、2005年に当時のブッシュ大統領(息子ブッシュ)がラトビアでの演説で、1945年2月のヤルタ会談での米英ソ三カ国合意について「史上最大の過ちの一つ」だと非難したことで分かる。

 

この辺りの詳細は上掲「コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾」を見てください。

 

 

 

此処で言いたい事。

戦前のアメリカの反日に関し日本人にも早くからそれに気付き、警告していた人がいる。当時ニューヨーク総領事だった「若杉要氏」である。

 

以下上掲「コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾」から若杉要氏の報告の部分を紹介したい(198ページ~199ページ)。

 

<以下引用>

 

 若杉要ニューヨーク総領事は1938年7月20日、宇垣一成外務大臣に対して、「当地方に於ける支那側宣伝に関する件」と題する機密報告書を提出し、アメリカの反日宣伝の実態について次のように分析している。

 

 1、シナ事変以来、アメリカの新聞社は「日本の侵略からデモクラシーを擁護すべく苦闘している中国」という構図で、中国の被害状況をセンセーショナルに報道している。

 

 2、ルーズヴェルト政権と議会は、世論に極めて敏感なので、この様な反日報道に影響を受けた世論によって、どうしても反日になりがちだ。

 

 3、アメリカで最も受けがいいのは、蒋介石と宋美齢夫人だ。彼らは「デモクラシーとキリスト教の擁護者だ」とアメリカの一般国民から思われているため、その言動は常に注目を集めている。

 

 4、一方、日本は日独防共協定を結んでいるため、ナチスと同様のファシズム独裁国家だと見なされている。

 

 5、このような状況下で中国擁護の宣伝組織は大別して中国政府系とアメリカ共産党系、そして宗教・人道団体系の三種類あるが、共産党系が掲げる「反ファシズム、デモクラシー擁護」が各種団体の指導原理となってしまっている。

 

 6、共産党系は表向き「デモクラシー擁護」を叫んで反ファシズム諸勢力の結集に努めており、その反日工作は侮りがたいほどの成功を収めている。

 

 7、アメリカ共産党の真の狙いは、デモクラシー擁護などではなく、日米関係を悪化させてシナ事変を長期化させ、結果的に日本がソ連に対して軍事的圧力を加えることが出来ないようにすることだ。

 

若杉総領事はこう述べて、近衛内閣に対して、「ルーズヴェルト政権の反日政策の背後にはアメリカ共産党がいる」ことを強調し、共産党による日米分断策動に乗らないよう訴えたのだ。

・・・以下略・・・

 

<引用終り>

 

 

このソ連の所を中共に置き換え、蒋介石と宋美齢夫人を習金平と彭麗媛夫人に置き換えてみると如何にもよく似ている。

 

今の中国の異常さ、(ついでに韓国も)、その原点を考えるとき、古い話だが大東亜戦争前後を考えざるを得ない、

あの失敗は日本の外国の考え方に対する無知にも原因が有る、そうではないだろうか。

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2013-04-07 22:50

殿様の罪

 北朝鮮が毎日のように恫喝を続けている。

無慈悲な攻撃をすると言っているのだが、実に困った事だ。

しかも核攻撃だと言う。

今日夕方ずっとBBCを見ていたのだが、そこでも今までになく北朝鮮の事を延々と報道していた。

 

 

 所でその北朝鮮の核開発に関して今日ビックリする話を聞いた。

アメリカが北朝鮮の核開発を阻止するために空爆をしようとしたのだが、日本が反対したのだと言う。

当時の日本は非自民政権、細川内閣の時代であった。

そして細川は空爆と聞いてびっくりし、政権を投げ出して逃亡したのだと言う。

 

この話でアメリカがなぜ北朝鮮の核開発を阻止しなかったのか、それから細川の殿様は何故突如引退し、陶芸作家になってしまったのか。

そんな疑問が一度に解消した。

 

最初にyuyuuさんのエントリーから

http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/3043896/

 

<以下引用>

 

 

鍛冶俊樹の軍事ジャーナル第100号(4月7日)が面白い。

---------------------------------------------------

1994年2月段階で米国は核兵器開発を進める北朝鮮に対して空爆を決意し、日本政府に秘密裏に協力を要請した。

ところが当時の細川総理は佐川急便事件というどうでもいいような事件を口実に突然辞任した。

おそらくは戦争の恐怖に怯えて敵前逃亡したのである。
かくて連立政権は崩壊し総理官邸には政治家は誰もいなくなり、日本の協力を得られないと悟った米国政府はやむなく空爆を断念した。
同年10月、米国北朝鮮に核兵器開発を停止する見返りに支援を約束した。

これが第1次米朝合意である。

北朝鮮が約束を守らないだろうことは、この時点で既に明らかだったから私は米国政府関係者に問い詰めたところ、彼は憤然としてこう答えた。

「北の核開発を停止させるには空爆しかない。だが日本政府がそれをするなと言うのだ。合意以外にどうしろというのだ?」    以下略
----------------------------------

 

この話の全文は以下参照ください。

http://melma.com/backnumber_190875_5796241/

 

 

 

細川の殿様はマスゴミ受けがいい。歴代の首相の中でも一番ではないか。

しかし陶芸家としては良いかもしれないが政治家としては落第。

その出鱈目ぶりを丁度20年前の平成のコメ騒動の時の内幕を知って、私の殿様に対する考え方が一変した。

人当たりのいい、一見優しそうなお殿様は人の上に立ってはいけない。そう確信した。

 

平成のコメ騒動の件は以下参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95

 

 

そして平成のコメ騒動と細川の殿様がどうつながるか。

平成のコメ騒動は1993年のコメの大凶作の結果起こった事。

殿様の細川内閣は1993年8月9日成立、94年4月28日終了である。

つまり殿様が首相になった途端に起こったのが平成のコメ騒動。

 

 

さてそこでその米騒動と殿様の罪。これは以下のエントリーを参照ください。

http://tansoku159.iza.ne.jp/blog/entry/1553096/#cmt

 

このエントリーは火山の噴火に関しての話なのだが、ここで平成のコメ騒動に関しても触れている。

 

最初にこんな話

 

<余談だがこの時輸入したタイ米が極めて品質が悪く、昔の外米を思い出させる物で極めて不評だった。コレでタイのコメの品質は悪いと言う評価が事実と異なり定着したのは大変残念である。

事実は日本政府がこの時輸入したのは古米・古古米でしかも食用には向かない極めて品質の悪い物。日本側からコレでいいからと言う事で引き取った物だった

まずいのが当たり前である。

タイ米は日本米とは違うが味は悪くない、タイ米の風評回復を願っている。

 

 

 

これでは舌足らずなのでコメント欄でこんな風に

 

>この件を詳しく書くと本題から外れるので詳しく書きませんでした。
事実はこんな風です。
最初に私もタイに行く前まではタイ米とはまずい物、そんな先入観念を持ってました。
タイでメシを食べてみるとご飯は美味しい(勿論パサパサしたコメですが)、おかしいなあと思っていました。
日本人向けだけ特別かなあ・・・
でも現地の人しか行かない田舎のメシ屋で食べても美味しいのです。

2年ほど経ったとき、タイ国王肝いりの精米所プロジェクト(田舎の貧しい農民救済用)がありました。
その関係のタイ人(注:お役人です)と話をする機会が有ったとき質問しました。
「日本ではタイ米は緊急輸入で食べたが、まずい物と評価が決まっている。しかしこちらではタイ米は美味しい、何故か?」
答えは「突然大量のコメを輸入すると言われても簡単に対応できる物ではない。日本政府がコレで良いと言うので、家畜の飼料にしかならない古古米を輸出した。まああれはブタの餌並みのものだから不味いのは仕方ない。」
当時の細川首相はそんな事は一言も言いませんでした。

コレが事実です。

 

 

当時の日本政府がやった事。

この様に豚のエサ並のコメを輸入し、それが入荷したら突如コメを一切販売停止した上、タイ米と国産米を混ぜたものしか売ってはいけないとお達しを出した。

当然そんな法律は無いので行政指導です。

 

そしてその細川内閣の官房長官がムーミンパパこと新党さきがけ武村正義、この連立内閣の裏の立役者が小沢一郎、何とその後の民主党日本破壊内閣の前身だった。

 

 

そんな細川の殿様の罪、これは絶対許せないと思っていたのだが、今回北朝鮮の核開発を阻止できなかった原因も殿様一味のせいだった、なるほどこれでは即引退し陶芸家になってしまうのも無理はない。

 

殿様の犯した罪がどれほど大きかったか、これで良く分かったと言うものだ。

 

 

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2012-12-26 12:14

ヴェノナ文書についての本

  昨日からこんな本を読み始めた。

 

 

この本は宮崎正弘氏が紹介しているので知ったのだが、実に目から鱗の落ちる思い。

 

宮崎正弘氏の紹介分はこんなモノ

 

<以下引用>

 

書評「コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾」  宮崎正弘
ヤルタの密約はルーズヴェルトがひとりで署名したことは判っていたが、彼の周囲は共産主義かぶればかりだった事実も「ヴェルナ文書」で証明された。

<江崎道朗『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』(展転社)>

本書はいくつかの雑誌発表論文を系統的にまとめ直した書だが、題名通りの「爆弾」である。

野田佳彦首相が決断した衆議院解散民主党の解体をもたらしかねないほどの『自爆テロ』(田中真紀子)となった。嘗てアメリカの政権中枢に巣くった共産主義陰謀団も、その陰謀の重複の罠に自らが引っかかって、或いは自殺し、或いは歴史的評価が逆転し、いまでは陰謀の数々が白日の下に晒されている。

ルーズヴェルトの周囲にいた共産主義陰謀団は、1995年にアメリカのNSA(国家安全局)が機密公文書を公開したことにより明らかとなった。

これが「ヴェルナヴェノナ文書」と呼ばれる一連の機密の記録である。

本書は一章を割いて、この究明にあたっている。第二次世界大戦前後の時期にアメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入していることを暴いた文書は、「公開以降、同国内では『ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか』と言う古くからの疑念が、確信へと変わりつつある」と筆者は言う。

すなわち「ヴェルナヴェノナ文書」の公開によってソ連のスパイだったことが明白となったのは、アルジェー・ヒス、オーエン・ラティモアらである。

そして何が起きたか。アン・コールターは「ヴェルナ文書」をつかって『反逆者』を書いた。

ブッシュ大統領は2005年、ラトビアで演説したおりに「ヤルタ協定は『史上最大の過ちの一つだ』」と言ったのだ。

これは同時にヤルタ憲法は無効であるとアメリカ自らが宣言したような大転換なのである。しかるに日本のマスコミは数行も報じなかった。

コトの重大性に気がついていない証拠であろう。かっと目を見開かれる所論が並んだ力作となった。
 
http://blog.kajika.net/?eid=1002280
 
<引用終り>
 
このヤルタ協定に基づいてソ連は日本に参戦、そして北方領土を不法占拠し今日に至っている。
日本の戦後の苦難を作った最大の問題点、それがヤルタ協定なのだがその裏に潜む真実が実によく分かる。
 
 
 
実は昨日から読み始めたのだが、昨日私の同い年の友人の訃報が伝えられ、今日が通夜、明日が葬儀、ノンビリ本など読んでいられなくなってしまった。
まあボチボチ読むことにします。
 
しかしこの本では取り上げられていないが、日本でも類似の獅子身中の虫が沢山いる。大いに参考にしたいものだ。

 

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