2017-11-23 19:15

前文部科学事務次官いわく、ネトウヨは「教育の失敗」


 元文科事務次官様は大変素晴らしい方だったらしい。貧困調査でいかがわしい所に通っていたかと思うと、ご自身のノートパソコンの待ち受け画面がチェ・ゲバラだったんだと言う話まである。

そしてネトウヨは教育の失敗、そうノタマワッテいる。そんな事なら差し詰め私などコメント欄でネトウヨと認定されているので、教育やり直し組という事になるのだが・・・。

こんな話が11月23日の文春オンラインに出ていた。

前川喜平氏は前川助平氏かと思ったら、とんでもない左翼だったようだ。
こんな左翼が事務次官になれる、やはり文科省は内部が相当腐敗している、困ったことである。


前川喜平氏の肖像
2017-11-23ゲバラと前川 


ではどんな記事か、
<以下文春オンラインより引用>

前文部科学事務次官いわく、ネトウヨは「教育の失敗」
11/23(木) 11:00配信 文春オンライン

 文部官僚は地味と寡黙で知られる。政治家にほとんど転ぜず、著作も少ない。それゆえ、まずは物珍しく読んだ。先日発売された、前川喜平と寺脇研の対談本 『これからの日本、これからの教育』 (ちくま新書)である。

 対談者のふたりについて詳しい説明はいるまい。前川は加計学園問題で一躍有名になった前文部科学事務次官、寺脇は「ゆとり教育」の推進で知られる元文部官僚だ。

ネトウヨは「学び直す機会が必要」

 能弁な寺脇にくらべて前川は控えめながら、ときおり驚くような発言をする。

「『ネトウヨ』といわれる人たちは、きっと自己肯定感の低い人たちなんだろうと思います。『個の確立』ができていないのでしょうね。ある意味、教育の失敗だと思います。学び直す機会が必要なんじゃないでしょうか」

 教育行政の事務方の前トップから直々に「教育の失敗」と認定され、「学び直せ」といわれるネトウヨもなかなかに哀れである。「ひとりひとりの学ぶ権利の保障」を丁寧に説く前川だけに、その放言はいっそう際立つ。よほどネット上の批判が腹に据えかねたのだろうか。

 このほか、官房副長官(当時)の萩生田光一が事務次官会議で『シン・ゴジラ』を「ぜひ観るように」と話していた、文科省時代の前川のノートパソコンの待ち受け画像がチェ・ゲバラの肖像写真だった、などのエピソードも興味深い。

良くも悪くも「役人」というキャラクター

 ただ、全体的にはやはり物足りないといわざるをえない。

 前川については、一方では聖人化(引用者注:性人化との説あり)され、もう一方では悪魔化され、両極端な見方が強い。だが、じっさいはそのどちらでもなく、元行政官がたまたま目立ってしまったにすぎない。

 自身が取り組んできた仕事については熱心に話すし、その内容は大きく間違ってはいない。そのいっぽうで、自身が詳しくない、思い入れのない分野については、あまり語ろうとしない。ときおり放言もする――。これは、元行政官でも、元会社員でも、同じことだろう。

 たしかに、対談相手の寺脇は、後輩で部下だったこともある前川に甘すぎる。天下り問題や大学行政の問題(予算削減による研究環境の悪化)などについて、もう少し追及があってもよかったはずだ。

 とはいえ、それもおのずと限界がある。前川は良くも悪くも「役人」で、キャラクター化がしにくい。叩いてもたいしてホコリが出ない。奇人変人のオンパレードだった森友学園問題の登場人物たちとはそこが大きく違うところだ。

官邸文部局という実際と、文科省なりの戦い方とは?

 文科省は、所管する教育こそ重要(国家百年の大計)だが、それを自前で切り盛りする力がない。そのため、旧文部省の時代から、力のある組織に左右されてきた。

 戦前には、内務省に支配されたので、内務省文部局と揶揄された。そして戦中には陸軍省文部局。敗戦後にはCIE文部局(CIEはGHQの特別参謀部。民間情報教育局)。高度成長期には自民党文教局もしくは日経連教育局……という具合だ。

 それゆえ、加計学園問題をめぐって、今日の強大化する首相官邸や、その威を借りる内閣府に影響されていたとしても何の驚きもない。

 ただ、「影響」といっても、文科省なりの戦い方はあるらしい。本書の、教育再生実行会議について触れた部分でそれが感じられた。

 教育再生実行会議は、安倍首相の私的諮問機関で、保守系の言論人が多数メンバーとなっている。前川はそのメンバーについて「はっきり言って偏っています」と断言し、中央教育審議会を使って、教育委員会の見直しに関し「もう少しバランスのとれた考え方にしようと、修正を図りました」と述べている。

元文部官僚の内輪話を読める機会はあまりない

 まさに面従腹背だが、このようなフィルタリングこそ、文科省が果たすべき役割のひとつなのだろう。そうしなければ、文科省は、官邸文部局、内閣府文部局に成り下がってしまう。

 もちろん、これはこれで、政治主導が官僚の思惑で骨抜きにされかねないという懸念も残るのだが。

 いずれにせよ、このような元文部官僚の内輪話を読める機会はあまりない。私はかつて 『文部省の研究』 を書いたとき、資料集めに大変苦労した。世間を騒がす加計学園問題にも、思わぬ拾い物があったわけである。

辻田 真佐憲

<引用終り>


 この記事を読んで納得したことがある。今年の初め、大問題になった聖徳太子抹殺事件。文科省の計画が公表されると学者から大反対の声が上がり、国民から総スカンを食った。文科省の言い分は完膚なきまでに論破された。
その結果は、文科省はあっさり前言を翻したのだが、よく考えてみると丁度この時前川事務次官が辞任していた。結局聖徳太子抹殺を図ったのは極左事務次官前川喜平だった、こんな事だったのだと思う。
【参考ブログ】
聖徳太子の勝ち<追記あり  2017-03-21 

尚前川喜平氏はこんな記事もある。

<以下産経より引用>
2017.8.14 20:00
【加計学園問題】
前文部科学省事務次官、前川喜平氏「国会前の安保法制反対デモに参加していた」「バレてたら事務次官になっていなかった」「安保法制は憲法違反」 福島の講演で

こんな思想の持ち主だったという事である

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2017-11-21 11:20

大井川鉄道のアプト式列車と湖上駅

 寒くなりました。11月だというのに真冬並みの寒さ。
そんな時なので秋の名残の風景です。

静岡県の大井川上流、金嬉老事件(1968年)で有名になった寸又峡温泉という景勝地がありますが、これは大井川の支流を少し上った所。その大井川の本流を更に上ってゆくと「接阻峡(せっそきょう)」という景勝地があります。
現在は長島ダムという発電用ダムがあり、そこに大井川鉄道井川線(南アルプス・アプトライン)という観光鉄道、日本で唯一アプト式の鉄道が狭い山肌を走っている。
尚大井川鉄道といえばSLを毎日運航していることで知られるが、それは千頭(せんず)駅まで、そこからは井川線の小さな客車で接阻峡方面へ行く。
先日長男がそこへ行ってきたのでその時の写真を・・・。

最初はこんな所

2017-11-20接阻峡1

右下に崖にへばりつくように見えるのが「大井川鉄道井川線(アプトライン)アプトいちしろ駅」
中央やや左に見えるのが「長島ダム」、その手前の崖を斜めに上っているラインが井川線の鉄道だが、急こう配の為日本の鉄道として唯一アプト式を採用している。 

今列車がアプトいちしろ駅を出発している所、この駅と次の長嶋ダム駅までの間がアプト区間で電化され、電気機関車2両を増結している。この間1,5キロ、高低差90メートル。途中平坦部もあるので、勾配としては1000分の90。

2017-11-20接阻峡2

小さな列車を後ろから電気機関車が押している

2017-11-20接阻峡3

列車の先頭と最後部で10メートルの高度差。
この鉄道は元来水力発電ダム工事用の資材運搬用だったので、軌間762ミリの軽便鉄道として作られた。だから車両も非常に小さくディーゼル機関車で運航している。また軌間は本線とに接続を考え軌間1067ミリの狭軌に変更した。更にこのアプト区間だけは電化し電気機関車2両で後ろから押し上げる構造となっている

2017-11-20接阻峡5  

これがアプト式のラックレール。3列になっているが、常にどれかの歯車がキチンと噛みあう様になっている。

2017-11-20接阻峡6 


その先には景勝地「湖上駅」

2017-11-20接阻峡4

この湖上駅から撮影ポイントまで徒歩15分ほど。(鉄橋の上は歩行者通行可能) 

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2017-11-17 09:45

弥生の硯、福岡の遺跡で初の完全形…文字使用か


 考古学上で大変興味深い発見が報道された。弥生時代中期~後期の遺跡から完全な形の硯が発見されたのだという。
硯があるという事は文字を書いていた証拠。弥生時代中期~後期頃に日本で文字が書かれていたという事である。弥生時代の文化については分からないことが多い。そんな意味で画期的な発見だ。

中国の後漢書には建武中元2年(西暦57年)に倭の奴国に印綬を与えたことが記されており、それが志賀島から出土した金印(国宝)と考えられている。私は日本人はこの頃には文字(漢字)の読み書きができたと考えており、その証拠が出てきた訳だ。

最初にその報道から。


<以下読売より引用>
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20171114-118-OYT1T50132/newstop

弥生の硯、福岡の遺跡で初の完全形…文字使用か
2017年11月15日7時14分

2017-11-16弥生の硯 

 福岡県筑前町にある弥生時代中期~後期の薬師ノ上やくしのうえ遺跡で、弥生時代では初めてとなる完全な形の硯すずりが出土していたことが、同町教育委員会の調査でわかった。

2017-11-16弥生の硯出土場所 

 専門家は「弥生時代の日本で文字が書かれていた可能性を示す発見」としている。

 硯は長さ15・3センチ、幅6・3センチ、厚さ0・9センチで、真ん中で二つに割れている。2003年に集落跡から出土し、用途不明とされてきた。柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が最近、町教委の依頼で再調査し、薄い墨の痕跡が数か所あると気付いた。現代の硯のように墨だまりはないが、朝鮮半島で出土した硯と同じ砂質頁岩けつがん製で形などが似ており、硯と判断。一緒に出土した土器などから、1~2世紀のものと推定している。

 これまで弥生時代の硯は、福岡県糸島市の三雲・井原遺跡や松江市の田和山遺跡などで、破片が見つかっているだけだった。中国の史書「魏志倭人伝ぎしわじんでん」には、糸島市にあったとされる「伊都いと国」に中国の使節が滞在したとの記述があり、これらの硯は使節らが使ったとの見方もあった。

<引用終り>


前々から気になってたのだが、タイにいた頃の話でミャンマー(ビルマ)について調べたことがある。理由は日本人の持つビルマに対する印象(「ビルマの竪琴」などがその代表)とタイ人が持つビルマに対する印象(アユタヤ遺跡の首を切られた仏像群などがその代表)が正反対で余りにも違いすぎるからだった。
しかしミャンマー(ビルマ)に関する文献の類はとても少ない。主な理由はミャンマーが当時殆ど鎖国状態だったからなのだが、そんな中で大野徹氏の「謎の仏教王国パガン」が大変参考になった。そこに13世紀、中国の元が朝貢をミャンマーのパガン王国に要求したとの記述があり、緬国(ビルマの中国での表記)について元史に「(言葉は)通訳がなければ通じない」との記述があると紹介されている。中国は広大な国なので、話し言葉は随分違うから会話が成り立たないのは現在の中国でも同じ。しかしそこが漢字の良い所で、筆談なら会話が成り立つ。中国にとって会話が通じるという事は筆談が通じるという事なのだ。
私はこの記述を読んだ時、魏志倭人伝をはじめ中国の歴史書に日本に関して「言葉が通じない」という記述を見た事が無い。だから中国から見て日本は筆談の通じる国という風に見られていたのだと思っていた。
中国の後漢書に記述の有る建武中元2年(西暦57年)、この時代には日本は漢字の読み書きができる人たちがいたのだろうなあ、そう思っていたのだが、それが硯の発見で立証されたとみていいのだと思う。

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2017-11-13 18:52

加計問題が炙り出した官僚の腐敗


 伊勢雅臣氏の「国際派日本人養成講座」11月5日号に大変いい話が載っている。
この話を引用しながら、カケ問題がどうして此処までこじれてきたのか、単に朝日新聞の問題ばかりではない点を書いてみたい。

尚この件は前回のエントリー「戦後メディア・憲政史の大汚点」の続編でもある。

<以下引用>

No.1034 「加計事件」 ~ 朝日新聞の謀略報道
<<   作成日時 : 2017/11/05 07:35   >>

■1.「総理からの指示に見えるのではないか」

 これはまさしく確信犯による謀略報道だ、と小川榮太郎『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を読んで思った。加計事件の発端となった朝日新聞の5月17日付け「新学部『総理の意向』」と1面横にぶち抜いた大見出しの「スクープ」記事である。

 記事では「加計学園事件 文科省に記録文書 内閣府、早期対応求める」と縦の大見出しを添え、その記録文書の写真を載せているが、そこには次のような問題となった一文が読める。

2017-11-12伊勢雅臣 
__________
○ 設置の時期については、今治市の区域指定時より「最短距離で規制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 しかし、この次の次の段はスポットライトからはずれて、暗くて読めないようにしているが、実はこういう文面になっていた。
__________
◯「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか。[2, 1718]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この文面はどう読んでも、総理からの指示はなかったのに、そう見せかけた、という意味である。朝日はこの部分をスポットライトから外して、読めないようにして写真を掲載した。まさに意図的な捏造記事である。

 小川榮太郎氏の『徹底検証「森友・加計事件」』は、森友事件に関しても同様に朝日による「報道犯罪」ぶりを暴いているが、「森友事件」そのものは地方行政での土地売却事案に過ぎず、国政に関わる重要問題ではない。しかし「加計事件」として使われた獣医学部設置は鳥インフルエンザなどへの危機管理対応からして、国民の安全に直結する国家的課題である。

 この国家的課題を朝日は倒閣のための謀略報道に使った。以下、この点を詳述しよう。
・・・中略・・・

■4.「ゆがめられた行政が正された」

 このような岩盤規制がどのように生まれたのか。獣医師会幹部と自民党の族議員の結託が、その理由と推定されている
__________
 業界団体は多年の自民党政権下、有力な族議員に参入規制を陳情し、議員は監督官庁に圧力をかけて、規制を作らせてきた。この規制によって業界は既得権益を保護され、その為に動いた議員には様々な利益が供される。官僚はこの仕組みに積極的に参加することで天下り先を確保できたわけである。[2, 3216]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
・・・以下略・・・
<引用終り>


この話は大変いい話なのだが、私には「このような岩盤規制がどのように生まれたのか。獣医師会幹部と自民党の族議員の結託が、その理由と推定されている」、ここがいまいち腑に落ちない。獣医師会だけの問題だったら、あそこまで問題がこじれることも無いではないか。それに特に腑に落ちないのがこの規制は「告示」という形で2003年にポンと出てきているように見えることだ。

そこで前回の長谷川煕(ひろし)氏の話をチェックしていて気が付いたことがある。
BSE問題がどのように明るみに出、報道されて来たか、そこを見てみると【前代未聞と言ってもいい農水省の失政】が見えてくる。農水省の失政と報道の過熱化で多大な犠牲者を出した大事件ながら、丁度発生した9.11テロ事件などで真相が隠れてしまっている。


どんなことがあったのか、年代順に見てみたい。

1985年4月 英国で乳牛1頭の狂牛病が発見された(公式認定は翌86年11月)
1987年6月 BSEの原因が飼料の中の肉骨粉との仮説が出された
1988年7月 牛や羊などの反芻動物への肉骨粉を与えることを禁止(但し製造は禁止せず)

1990年   日本も英国などからの牛の輸入を禁止、また肉骨粉も加熱処理を義務付けるも不徹底 

1996年   農水省より通達(わずか5行の)、しかし誰もノーアクション、記憶も無し
      (この通達があるので、日本ではBSEは発生しないというのが農水省の考え)

2000年3月 BSEではないが日本では92年ぶりに口蹄疫発生、宮崎県で3戸、北海道で1戸。6月には集束。

2000年秋 ドイツでもBSE発生、パニックになる。

【失政1】
2001年6月  EUが2000年秋から2001年春にかけて行なったBSE発生に対する各国のリスク評価に対して、日本の農水省が猛然と反発し、報告から日本を省かせた
EU側は日本が88年に英国から19頭の生きた牛を輸入し、18頭が肉骨粉に加工されたとみられていること、90年に英国から132トン、98年以降もイタリアとデンマークから肉骨粉を輸入したことなどを根拠に、日本のBSE発生の危険度は「カテゴリー3(上から2番目)」だとした。
この肉骨粉輸入は、2003年3月の衆議院本会議でこんな質問あり。
「1997年、米国などがEUからの肉骨粉の輸入を法律上も禁止しているのにもかかわらず、それまで25トンと僅かでしかなかった肉骨粉を農水省が承認して次々にEUから輸入、ついには10万トンに達する肉骨粉が輸入された

実はこの件の前段階がある。2000年秋にそれまでBSEの無かったドイツでBSEが見つかった。2001年初めまでに発見されたのが16頭。これでドイツは大パニックになった(それ以前からBSEの見つかっていたフランスなどにも波及)。牛肉価格は暴落、農家は窮地に落ちた。
こんな経緯があるので、EUとしては日本も多量の肉骨粉を輸入しているので、日本も早く対策を取らないと大変だよとアドバイスしたつもりだったが、日本はこのアドバイスに反発。
それでBSEが出なければよかったのだが、そのすぐ後にBSEが発見された

EUからは日本は他人の善意のアドバイスも聞く耳を持たない偏屈な国と烙印を押されたと思う
この失政は相当後まで影響があったと思われる。


【失政2】
2001年9月、千葉県でBSEの国内発症例第1号が出た。この乳牛の感染を調べるプロセスをみると混乱と怠慢の連続である。

まず、千葉の乳牛は2001年8月6日に処理され、脳は動物衛生研究所(動衛研)に送られたが、15日、動衛研はBSEについて陰性と結論づけた。
ところが、24日、千葉県家保の検査で、脳のスポンジ状態を確認、同日、ファックスと電話で農水省に連絡。電話を受けた同省担当者は、動衛研に検査結果確認の連絡をとるが、相手方不在でそのまま放置。4日後、ファックスに気づき再び相手方に電話連絡するが、またもや連絡つかず、確認検査は9月7日に行なわれた。
この間、2週間がすぎていた。
そして9月10日、BSE発生を公表

この時のBSE患牛は焼却処分されたと農水省は公表。
しかし、実際は頭部だけ保管、その他は廃牛としてレンダリング(弊獣処理施設)で処理され、肉骨粉に加工され流通してしまっていた。

2001年 BSE3件確認

【失政3】
この年発見されたBSE患牛に対し、農水省はその牛舎の牛全部の殺処分を決めた。更に補償として市場価格の80%を補償すると言ったが、基準価格が老廃牛の価格の80%の為、実際は10%以下のお涙金。農家は多額の借金を抱え、廃業するしかない窮地に追い込まれた。

翌2002年2月の国会ではこんな事が言われている。(参考資料③)
 狂牛病が発生してから今日までに、牛肉の売買トラブルによる殺人事件、畜産不振による自殺、酪農家の廃業、肉流通業者、焼き肉屋の倒産、そして今回の牛肉偽装による詐欺事件など、狂牛病発生の二次的被害が拡大し続けています

【失政4】
BSE発見以前にマスコミ対策として全く何の手も打っていなかったので、BSE発見直後のマスコミの報道は政府批判一色。
この事が風評被害拡大を加速させた。

例えばこんな事例、動物衛生研究所疫学研究部のY主任研究官はこんな事を言っています。

 「BSE騒ぎの最中に,行政機関だけでなく私自身も多くの人から電話があり,「牛肉は大丈夫だろうか?」,「絶対安心と言えるの?」のような質問をしばしば受けました。このように食への恐怖が連鎖反応的なパニックを生んだ背景として,NHKがテレビで報道したvCJD(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)の末期患者の悲惨な臨床症状とか,大事な脳を攻撃する疾病であること,熱を加えても異常プリオンが不活化されないこと,罹患すると治療法がないことなど,人々を怖がらせるに十分な各種の条件が整っていたことが考えられます。」

こんな事で煽り報道大好きのゴミマスコミの餌食になった面があるという事です。

2002年 BSE2件確認

2003年3月13日 衆議院で食品安全基本法案審議
生産者、流通業者はかなりの数の倒産、破産、夜逃げ、一家離散、ついには自殺者が身近なところで発生した

2003年3月31日 文科省の告示 (平成十五年三月三十一日文部科学省告示第四十五号)
「大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る認可の基準
ここに以下の記述あり、
一~三 (略) 四 歯科医師、獣医師及び船舶職員の養成に係る大学等の設置若しくは収容定員増又は医 師の養成に係る大学等の設置でないこと
(私のコメント:卑怯にも禁止とは書いてない。認可の基準は〇〇と獣医師要請に係る大学の設置でない事と書いてある。あとで問題となったときの言い逃れであろう。卑怯だ)

2003年 BSE4件確認

・・・以下略・・・


こんな所を見ていくと、今回の加計事件が単に新しい大学の新設問題というより、過去の無茶苦茶な失政が奥に潜んでいる。こんな体質を明るみに出すことができない、そんな農水官僚、厚生官僚、獣医師関係団体の思惑が裏にあるのだと思う。折角臭いものに蓋をしてきたのに「アベガ~」がその蓋をこじ開けようとしている。それを何とか防ぎたい。こんな思惑がありそうだ。
そこに安部憎しで凝り固まっているアカ匪新聞が飛びついた、こんな事ではないだろうか。

特に国会で食品の安全問題が議論されているその同じ2003年3月に文科省の告示が出されている。しかも目につきにくいようにカモフラージュされている。隠蔽工作と考えるべきだろう。

そしてこんな所を見ると邪推だが、EU辺りでは日本の農水官僚や学者さんたちは殆ど相手にしてもらえない状態だったのではないだろうか。
EUとしては、「俺たちは酷い目にあっている。それは日本も同じだ。だから早く手を打ったほうが良いぞ」、こんな親切な助言にかみついたのだから、EUとしては呆れるほかはない。
日本の国益をおおいに損ねる話である。

 こんな事情が冒頭書いた【前代未聞と言ってもいい農水省の失政】なのだが、もう一つ
【不正確な報道の過熱化】が風評被害を生み、殺人事件1件、自殺者5人、破産倒産は数知れず、こんな多大な犠牲者を出した大事件になってしまった。

加計問題を一刻も早く収束させ、こんなバカ騒ぎを起こした大本の改革に手を付けるべきだと思う。


【参考資料】
① 「 脳髄スッカスカの農水官僚の『不作為』を糾す! 」 2002.02.02 (土)

② 「何が原因なのか、日本のBSE」 2006.02.23 (木)

③ 平成14年2月5日 衆議院本会議議事録
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000115420020205005.htm
<抜粋引用>
武部農林水産大臣不信任決議案を提出する理由を申し上げます。
 狂牛病が発生してから今日までに、牛肉の売買トラブルによる殺人事件、畜産不振による自殺、酪農家の廃業、肉流通業者、焼き肉屋の倒産、そして今回の牛肉偽装による詐欺事件など、狂牛病発生の二次的被害が拡大し続けています。畜産業、食肉産業界の被害総額は、少なく見積もっても昨年三カ月だけで二千億円を超えると推定されており、この先、被害がどこまで拡大するのか、予測すらできない状況になっています。
 消費者の牛肉離れを引き起こした最大の原因が、消費者の行政不信、特に農林水産省に対する不信にあることは疑いの余地がありません。
 武部大臣は、昨年八月に日本で狂牛病の疑いのある牛が初めて発見される直前まで、日本で狂牛病が発生する危険はないと言い続け、昨年六月には、EUからの日本の狂牛病発生リスクは極めて高いとの警告を否定し、EUの調査を中断させてしまいました。
 大臣が安全性の根拠としていたのは、平成八年四月に出された畜産局流通飼料課長名の通達であり、通達が出されている以上、狂牛病は発生しないはずだというのが大臣の主張でした。
 しかし、実態は、大臣の認識とは大きくかけ離れておりました。通達の内容があいまいだったために、都道府県の担当者の多くは飼料メーカーへの通達と誤解し、畜産農家に情報を流す努力をした自治体は、四十七都道府県のうちわずか十府県にしかすぎませんでした。その結果、判明しているだけでも五千二百頭近くの牛に、通達後も肉骨粉が与え続けられました。しかし、この事実を突きつけられた武部大臣は、通達の不徹底を反省するどころか、行政指導を知らなかったのは農家の恥だと居直り、生産農家から猛反発を買いました。
 英国で一九八六年に初めて狂牛病が発生してから我が国で発生するまでの十五年間に、農水省が行った予防行政は、わずか五行の通達を一回出しただけでした。これを行政の怠慢と言わずして何と言えましょうか。(拍手)
 我が国で初めて感染牛が発見された直後の農水省の対応も、ひどいものでした。大臣の部下である畜産部長は、感染牛は焼却処分したと発表しましたが、直後に、焼却処分どころか、肉骨粉に加工されて全国に流通していたことが判明しました。武部大臣は、家畜伝染病予防法に違反しているこのうそを追及されると、農林水産省の危機意識のなさはあきれたものだと他人事のようなコメントを出しましたが、国民があきれたのは、大臣自身の危機意識のなさと責任感の欠如でした。(拍手)


④ 平成15年3月13日 衆議院本会議議事録
 食品安全基本法案(内閣提出)の審議
<抜粋引用>
平成十三年九月、我が国で一頭目のBSEが発生してからは、御承知のように、大変なパニックに陥りました。私も四百頭ほどの肉牛を飼っていた者として、夜も眠れないほどのショックでした。当時、生産者、流通業者はかなりの数の倒産、破産、夜逃げ、一家離散、ついには自殺者が身近なところで発生したのも、皆さんの記憶に新しいところです。BSEの発生によって、少なくとも三千億円を超える未曾有の損失を発生させました。
 その原因はどこにあったのでしょうか。
 一九九七年、米国などがEUからの肉骨粉の輸入を法律上も禁止しているのにもかかわらず、それまで二十五トンとわずかでしかなかった肉骨粉を農水省が承認して次々にEUから輸入、ついには十万トンに達する肉骨粉を輸入させたところにその原因があります。まさしく、報告書でも明らかにされたように、政府の失政、過失責任そのものなのです。
 ところが、政府は、農水大臣も辞任せず、農水次官も九千万円近い退職金をもらってやめたばかりで、だれ一人、責任をとろうとしませんでした。このようなことが二度と発生しないように、食の安全と安心の世論の高まりに応じて提案されたのがこの基本法です。

  1. 社会一般
  2. TB(0)
  3. CM(6)

2017-11-10 16:49

戦後メディア・憲政史の大汚点

 先日古くからの友人と話をしていた時、話題が当地で盛んな酪農に伴う悪臭の話になった。
美味しい美味しいと言って食べる肉や牛乳・卵、人間にはどうしても必要なものだが、酪農に伴う悪臭には困りもの。そんな事を話していたら、その友人は「自分は十数年前に家を新築したのだが、その土地は昔は酪農家の牧場だったところで、そのあたりで牛を飼っていた。そこが廃業して土地を処分したので一部を手に入れたのだが、地面を掘ってみると牛の骨がいっぱい出てくる。だから気持ち悪いので土を全部入れ替えてもらった。こんな事を言っていた。

友人とはそのまま別の話題に移ったのだが、この件でつい最近読んだモリカケのソバ屋騒動の話を思い出した。

元朝日新聞記者長谷川煕(ひろし)氏がWill11月号に乗せた記事だ。
【戦後メディア・憲政史の大汚点】というその記事はモリカケ騒動の奥に潜むものを暴き出している。それは農水省官僚と獣医師会との強烈な癒着で、その最悪の事例が十数年前のBSE騒動。そしてBSEで日本は公式発表をはるかに上回る牛がかかったらしいのだが、正確な数は分からないのだという。
こんな体質なので、安倍さんの言う岩盤規制に穴を開けられると困る。これがマスゴミを巻き込んでのモリカケ騒動。
これで加戸前愛媛県知事の言っていたことも良く分かった。そんな所を纏めてみたい。

尚BSE問題ではBSEの発生した農家や獣医師など5人もの方が自殺している。特に農家の方は1頭でもBSEが発見されるとその牛舎の全部の牛が殺処分となる。数千万円の借金を抱え、目の前で全部の牛を殺され、補償金はほんの雀の涙ほど、こんな悲惨な話があるのだが、長谷川煕(ひろし)氏の記事を中心にまとめます


 最初に元朝日新聞記者の長谷川煕(ひろし)氏のこんな記事。これはWill11月号に掲載されていたもの。全文は長いので、日本の獣医学界・獣医師界は農水省と共に一つの「閉鎖社会」を形成しており、そこの科学性、倫理性は米欧には及びもつかないほど遅れている、こんな所をWillより引用したい。


<以下Willより抜粋引用>

●戦後メディア・憲政史の大汚点    月刊Will11月号 p293-p297
元朝日新聞記者の長谷川煕(ひろし)氏

2017-11-8will11月号-01 


・・・前半略・・・

 とりあえず本稿では、二〇〇〇年代初期に日本でも人々の耳目を驚かせた奇怪な人畜共通病のこのBSEに焦点を合わせ、初めに結論を記しておく。

完全な閉鎖社会

 この国の獣医学界・獣医師界は農水省と共に一つの「閉鎖社会」を形成しており、BSEの関係だけでもじっくり勉強すれば、そこの科学性、倫理性は米欧には及びもつかないほど劣っていることがはっきり分かってくる。その原因は、この世界が内輪の勝手都合しか眼中にない独善的集団であるからだ。日本におけるBSEの発生、拡大、発生源究明の迷宮入りも、そして、このたび前述の『WILL』が明らかにした、獣医学部新規参入阻止のための日本獣医師会側の執拗な政治工作も、科学性と倫理性の乏しいそこの独善的体質が引き起こしたものと見ていい。後述する、日本におけるBSE事件の悲劇のまさに延長線上に「加計」事件も発生し、科学性も倫理性も稀薄なそこの反社会性がこの両事件の共通の性格なのだ。テーマが違うと思わずに、まずBSE事件を凝視してほしい。

 狂牛病とも呼ばれたBSEとは「牛海綿状脳症」の英語名の略で、人間ではクロイツフェルト=ヤコプ病(Creutzfeldt=Jakob'Krankheit) である。その病原体はある種の蛋白質で、これによって主に脳神経細胞が破壊され、脳が海綿状化し、死に至る。

 BSEは一九八〇年代からまずイギリスで猛多発し、クロイツフェルト=ヤコプ病の患者もかなり出た。(引用者注:死者は100人を超えている)このBSEは欧州大陸へも伝播し、二〇〇〇年代には日本、米大陸などでも発生する。これまでに各国のBSE発生頭数はおおむね正確に把握され、最多の英国は十八万四千六百二十七頭だが、日本では、いったいBSE牛は本当は何頭だったのか、全く不明なのだ。確かに農水省は、初発の二〇〇一年から二〇〇九年までに日本では「三十六頭」の発生と、公式には発表しているが、これは偽の数字で、各国の発生頭数と共通の土台で比較できるものではない。日本におけるBSE牛の真の頭数はこの何倍なのか、どの地方でどれくらい出たのか、実際は何も分かっていない。
(引用者注:1頭でもBSEと判定されれば全部殺処分され、農業が成り立たない。だから農家としては内緒で少しでも疑わしいものは処分せざるを得ない。自殺者だけでも5人も出たことにその異常さが分かる)

 獣疫の分野には国際獣疫事務局(OIE)という国際機関がある。真の発生頭数は「三十六」とは大きく異なり実際は不明と、その理由を詳しく付けてこの01Eに報告し、記録してもらう最低限の義務が日本にはあったと思うが、その責任官庁の農水省は為すべきこの対処すらもせず、OIEの国際統計の科学性を狂わせたまま、恬(てん)として恥じない。これへの厳しい自己批判は今日に至るまでこの国の農水省・獣医学界・獣医師界内から聞こえてこない。このような「閉鎖社会」に、岩盤規制の打破、新規参入の実現を掲げて安倍政権が光を差し込もうとしたことは、この世界の差配者らには我慢がならないことで、国家戦略特区は敵となったのだ。

真の姿は闇に

 では、何故に確かなBSE発生頭数が日本では把握できなかったのか。
 一つには、BSEの疑いがあるかありそうな牛は、獣医師と畜産者が共謀してレンダリング(各種の法人格の弊獣(へいじゅう)処理施設)に廃棄して世から消してしまったからである。二〇〇一年九月に日本でBSEの第一頭が確認されて以後は、成牛を食肉へと解体する、厚生労働省管轄の各種法人格の食肉処理施設ではBSE罹患か否かの検査が搬入牛の全頭に対して行われたが、搬入前から多少とも気掛かりな牛は、先のように農場からレンダリングに直行させたのだ。
 これだけではない。
 何らかの原因で通常でも相当数の死亡牛が農場では出てくるが、BSE発生時の欧州での知見によれば、その当時の死亡牛の中のBSE罹患数は、食肉処理場で発見される見掛けは健康牛のそれに比べ二十~三十倍に達するとされていた。BSEの広がりの究明に不可欠だった、この肝心の死亡牛に対する強制検査を農水省はBSE初発の翌々年まで延ばし、実施後も例外があったため、死亡牛の全頭検査は日本ではなされなかった。
 獣医師が共謀した農場での容疑牛消し去りという私的な隠蔽のほか、死亡牛放置という公的、公然の発生数ごまかしまでが行われたのである。こうして、日本におけるBSE発生の真の姿は闇に葬られた。末端の農場、自治体から農水省に至るまで、BSEに対処する行政の主力は獣医師だが、彼らはこの公私のでたらめを主導し、または加担した。何をなすべきなのかーーその価値観が一般の世界とは違っているこの社会では、新規参入はその秩序を壊す恐れがあり、反射的に拒むのである。「加計」事件がその典型である。
 BSE牛が広く潜在しているのではないかとの不安が高まっていた北海道のある方面では、現場の獣医師からこう聞かされた。
 「客(酪農家)に求められたら薬殺する。ほとんどの獣医がそうするでしょう。容疑の強い牛はこのようにしてレンダリングに出している。ある牛をどう処理するかは結局、酪農家と第一線の獣医師の間の問題です」
 当時、ある年月ごろの誕生の牛にBSE発生の可能性が高いとみられていたので、この獣医師によると、レンダリングに出す際に牛の誕生年月を偽装していたという。
 北海道内の、この獣医師とは別の地区のある大規模酪農家も、
 「乳を搾れる限り、ぎりぎりまでそうしているが、いずれにしても表に出したくない疑惑牛を抱える酪農家なら、それらを死亡牛としてレンダリングに処理してしまう」 と、語った。

EU公使の言葉

 こういう状況に対抗して、容疑牛は積極的に検査させ、日本におけるBSE発生の実態を、風評被害や、それまでの無為への非難を恐れずに逆に明確に浮上させて、然るべき必要な対策を補償と共にきちんと講じるべきだ、との正論を主張する酪農家たちの会も当時、北海道北部で結成されたが、隠蔽の大勢を変えるまでには至らなかった。顧みるに、この考えこそ本来、農水省・獣医学界・獣医師界から発せられるべき問題提起のはずではなかったのか。しかし、この「閉鎖社会」では内輪の安穏の維持こそ優先され、今度の「加計」排斥にもその習癖が、繰り返すが、顕著に表われたのである。
 BSEが欧州で多発した当時、欧州連合(EU)ではBSE発生の危険度を四段階に分けて、EUへの牛肉輸出国をそのいずれかに当てはめる作業をしていたところ、自国の危険度も出してほしいとの要請がこの該当国ではない日本からあり、調査をしてEUは日本を「未確認だが危険性あり」と、危険度最高の次の段階に位置づけた。そうしたら日本の農水省から「そんなに危険なはずはない」との抗議があり、日本はこの危険度評価制から脱けた。が、その三ヵ月後から日本でBSEが続発した。そのころEU駐日代表部の担当公使から私はこう言われた。
 「我々は礼儀正しい国々の集まりだから日本を嘲(あざけ)りはしない。しかし、我々が日本の国内政治上の駆け引きに付き合うことは絶対にない。我々が日本を危険度ゼロにでも変えると(農水省は)思ったのか」
(引用者注:この件は櫻井よしこ氏の①資料の最後の部分に詳しく記述あり、読むと愕然とします)
 人々の生命、健康ではなく、業・官・政の「閉鎖社会」の安泰を守ることが農水省の一つの機能であることをこのEU公使はよく見抜いている、とその言葉の端々から読み取れた。
 日本でのBSE第一号発生の確定は二〇〇一年九月だが、それより二十年前の一九八一年に北海道で羊のBSEであるスクレイピー病が発生していた。それを発見した国立の帯広畜産大学の研究者は農水省からその事実を三年間は伏せるよう求められた。見逃せないのは、その時点から十数年間もこの羊のスクレイピーは家畜の法定伝染病にも省令での伝染性疾病にも指定されず、放置されたことだ。羊のスクレイピー発見の時に迅速な対処がなされていたら、二〇〇一年からの日本でのBSE発生も、その関係の手当てが奏功して、防げた可能性がある。だが、新規参入拒否の「加計」事件まで起こす「閉鎖社会」では、余計な騒ぎは無用だったのだ。

安倍政権の快挙

 国公私立合わせて全国で十六校の獣医学系教育・研究機関への、それ以上の新規参入を、半世紀以上前の一九六六年(昭和四十一年)からしばらくは行政方針として、二〇〇三年(平成十五年)からは禁止告示という法制度(平成十五年三月三十一日文部科学省告示第四十五号)にまでさせて農水省が文科省に断固として阻止させたのは、言われているように獣医師が充足していたからではなく、悪い意味での「対社会」的安穏、つまりはやりたい放題をしていられる内々の秩序を崩させたくなかったからに過ぎない。それ以外の理由を見出せない。無風のその閉鎖世界に、国家戦略特区を使って加計学園という新参者が入り込んでくることは、農水省・獣医学界・獣医師界にとってもう不愉快極まりなく。許し難かったのであろう。新規参入禁止の文科省告示まで出された二〇〇三年とは、農水省の公式発表によっても、その前々年からのBSE発生が止まるどころか増勢へと向かっていた時期である。農水省・獣医学界・獣医師界にとってこの事態への不安、動揺と新規参入禁止令の発動とは関連がなかったのかどうか。私の取材はまだそこまで及んでいないが、両事象の時期の一致は注目に価する。
 農水省・獣医学界・獣医師界は、世間の目に多く晒され、人の生き死にに関わる医学とは違い、主な対象が獣疫であり、それに肉食の欧米と違い、社会の一つの主流分野ではなかったので、科学性、倫理性を欠く仲間うちの事なかれ主義、独善性もはびこり易く、BSE発生という危機に直面した時、そうしたこの世界の負の側面が象徴的に表われた。日本におけるBSE発生の姿がごまかされているので、諸現象から発生源などを究明する疫学がこの場合は成立せず、日本ではこの奇怪な獣疫が どこからどう発生したのか今もって謎なのである。この大失態を背負うが故に、それだけこの世界の排他心理も一層強まり、「加計」排斥事件へと繋がっていく。
 ただ一方で脱皮、改革の機運も芽生えていなくはない。新参者は御法度という新規参入禁止の告示、つまり最強力の岩盤規制で守られたこの馴れ合い世界に、国家戦略特区を挺子として加計学園が突入し、そこには少なからぬ有力学究も加わっているようで、この出来事を私は安倍政権の快挙と考えた。しかも、大都市でも都道府県庁の所在地でもなく、今治市という四国は愛媛県の中都市と知り、他人事ながら、この点でも気持が明るくなる思いがした。

・・・以下略

WiLL,2017年11月号

<引用終り>


さて長い文章でしたが、この問題の奥深さが良く分かったと思います。
そこでもう一つ、国会の閉会中審査でモリカケ問題が審議されていますが、そこで前愛媛県知事加戸氏の興味深い話があります。
加戸前知事も日本の獣医学全体のレベルの低さと後れを問題にしています。

以下エントリーにその記事があります。
2017-07-30 15:23
前川氏の虚構と“報道しない自由”を暴いた加戸前知事!閉会中審査
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1420.html

2017-11-8加戸前愛媛県知事 

加戸守行参考人(前・愛媛県知事)

・・・途中色々省略
 と同時並行で、先ほども言いましたように、先生もご指摘のありましたような、鳥インフルエンザ、狂牛病、口蹄疫、等々との関係で、えー、何とか、公務員獣医師が足りない、来てもらえない、
この状況、四国の空白地区、また研究機関もないというような中で、何とかしなければ、という思いがあったところに、私の指南役でございますけれども、アメリカで、獣医学の発祥の地と言われております、コーネル大学に留学し、その後、セントジョージ、えー、セントアジア、ジョージタウン大学の客員教授として、6年間勤務された方が、アメリカとの往復をしながら、私にさまざまなアメリカの情報を教えていただいて、加戸さん、このままでは日本は立ち後れると、まさにアメリカは、国の政策として、国策として、人畜共通感染症の防止、特にアメリカは、ま、もちろん当然、牛で、食べている国ですから、畜産業は生命線だということもありました。国策として取り組んで、獣医学部の増員を図り、新設を認めていくと、こんな歴史の流れの中に、日本は遅れているんだよねぇって、
・・・以下略
<引用終り>


さてそのBSE問題はwikiではこんな事になっている。

BSE問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/BSE%E5%95%8F%E9%A1%8C

BSE問題(ビーエスイーもんだい)とは、2000年代の初頭に発生した、BSE(牛海綿状脳症、Bovine Spongiform Encephalopathy)に関する一連の出来事、事件、またそれらのメディア報道によって発生した社会問題である。BSEをめぐる畜産業(食肉産業)や外食産業にくわえ、一般生活者を巻き込んだ社会現象となった。本項では主に、これらにまつわる社会動向を記述する。報道の過熱によって、日本でのBSE感染患者は一人も出なかった(海外で日本人感染者一人)にもかかわらず、BSEが発生したと報道された農家や、目視検査をした女性獣医師など5人が自殺した。


BSE問題を年代順にみてみるとこうなる。

2001年 9月に初めて千葉県でBSE患畜(乳用種経産牛)が確認された。
2001年 BSE3件確認

2002年 BSE2件確認

2003年 BSE4件確認
2003年3月 文科省、大学の獣医学部新設禁止の告示
2003年3月 国会にて食品安全基本法案(内閣提出)の趣旨説明及び質疑にてこんな質問あり。
生産者、流通業者はかなりの数の倒産、破産、夜逃げ、一家離散、ついには自殺者が身近なところで発生した

2003年12月 米国でBSE発生が確認され、同国からの牛肉・牛肉製品の輸入が停止された。

2004年 BSE5件確認

2005年 BSE7件確認

2006年 BSE10件確認
2006年 7月 米国産牛肉の輸入が再々開された。消費者団体・マスコミ・一部の学者が一斉に輸入再々開の反対を唱えた。

2007年 BSE3件確認
2007年 5月 米国がいわゆる準清浄国として「BSEリスクが管理されている国」に国際獣疫事務局 (OIE) で認定された。

2008年 BSE1件確認

2009年 BSE1件確認、これ以降日本での発生無し
2009年 5月 日本が準清浄国「BSEリスクが管理されている国」にOIE総会で認定された。

2013年 5月 OIE総会において、日本がオーストラリアやニュージーランドなどと同格の「BSEのリスクを無視できる国」(いわゆる清浄国)に認定された。
<年表此処まで>

ここで注意してほしい事、今問題になっている大学の獣医学部新設を認めない文科省の告示、これはBSEが猛威を振るっている丁度その時、国会でも問題にされていた丁度その時、こっそり告示が出されていた事だ。
・・・その告示、卑怯にも禁止とは書いてない。〇〇と獣医学部以外のモノを認めると書いてある。


【参考資料】:櫻井よしこさんのこの記事が大変参考になります
① 「 脳髄スッカスカの農水官僚の『不作為』を糾す! 」 2002.02.02 (土)
https://yoshiko-sakurai.jp/2002/02/02/124

② 「何が原因なのか、日本のBSE」 2006.02.23 (木)
https://yoshiko-sakurai.jp/2006/02/23/465


取り留めもない記事になりました。このBSEは日米間の貿易問題にも大きな影を落としていました。

そこで先日トランプ大統領が初来日したとき、早速の首脳会談はまずビジネスランチでハンバーガーを食べながら。
このでっかいハンバーガー、アメリカ産の牛肉を使っているものとの事。当然安部さんはこのハンバーガーはアメリカンビーフだよ。うまいねえ。こんな事を言っていたんだと思う。


2017-11-6安倍・トランプのビジネスランチ11月5日

ハンバーガーについては以下参照
https://www.j-cast.com/2017/11/06313116.html?p=all


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